フジテレビ「バイキング」 教師の教師へのイジメ問題をやっていた

 昼食を食べながらテレビをつけるので、お昼のワイドショー的な番組は昼食をはさんで何分かは見る事が多い。
 よく、TBS系の「ひるおび」を見ることが多かったのだが、嫌韓のような内容や、取り上げるべき肝心の問題と外れたような内容を延々とやっているので、最近はフジテレビ系の「バイキング」という方へチャンネルを回す事が多い。
 といっても、ちらっと見る程度だが。
 ところが今日は、「教師のいじめ」という内容でやっていたので興味があり、そのテーマ30分くらい最後まで見ていた。
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 これは、教師が生徒をいじめるのではなく、教師が教師をいじめるという話だ
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 明るみになったのは、神戸市の小学校で、40代の女性教師と30代の男性教師3人が20代の新任の若い男性教師に対していじめをして、その教師は、休職してしまったという。
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 激辛カレーを無理やり食べさせたり、目にも入れたりして、しかもそれを撮影していた。テレビではその映像を入手して放送していた(どのように手に入れたのか?子供のいじめのようにSNS上に出されていたのか?)
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 いじめをしていた教師たちは学校の中心的な教師たちで、子供達からは人気があり、親からも信頼されていたという話だ。
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 この学校では、それらのいじめ教師は、「とろい」からと他の20代の男性教師に「トロちゃん」と呼んだり、20代の若い女性教師にセクハラをしたりしていたという事だ。
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 こういう証言を見ると、加害教師たちは、若い教師たちだけでなく、子供たちへの本当の思いやりや優しさは全く無く、一部の元気な子供達や親を味方につけて学級などをうまく管理する力があるようなタイプの教師なのだろうか?

 コメンテーターの一人が『体育会系部活でのいじめのような感じだ』と言っていたがそんな雰囲気だったのかもしれない。校長もそれらの職員をどうにもできなかったようだ。それも、クラスのいじめを放置した学級担任同様、責任が問われる事だろう。何とかしようとしても、子供に対するイジメより大人のイジメに対する方がさらに解決が難しい事だとは想像はつくのだが、もしかしたら校長もいじめる側の教師と同じような感覚だったのかも?
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 現在の他の学校でも、こういった事は大なり小なり良くあるのだという。

 コメンテーター達も皆、あきれはてた、という気持ちの発言が多く、「どこの世界にもこういった事はあるのだと思うが、それにしてもこの幼稚なというかあきれた行動は、「刑事告訴」のレベルだから、ちゃんと厳罰に処するべきという声が多かった。
 私もそれらの映像や取材内容を見て、気分が悪くなった。

 自分も小学校の平教員として定年まで過ごしてきたが、振り返ってみると、教師の世界だから模範的という事はもちろんなく、どこの学校でも職員間の色々な感情的な対立があった事は思い出される。また、管理職側VS組合側という考え方のレベルの対立も良くあり、職員会などではかなり激しく意見を戦わせたりして、他の場面でしこりが残ったりする事も少しはあった。

 しかし、私などは若い頃はそれこそ「トロちゃん」といった状態だったが、周りの先輩や同僚は、親切にしてくれたり励ましてくれたりすろ事や、また年とってからも若い人達からも、思いやりを持って接してもらった事がありこそすれ、こんな直接的にイジメられるような、旧軍隊の内務班的なイジメはもちろん無かった。
 もちろん、陰で「こりゃダメな教師だな」と言われたり思われたりする事はけっこうあったのだが、面と向かって先輩や同僚や管理職に罵倒されたりイジメられたりするような事は、ほとんど思い出せない。
 もちろん自分も他の後輩や同僚に向かってそんな事をしたことは無い。

 どうしてこういう神戸市のような風になってきたのか、色々な原因が考えられるが、現在の「道徳教育」とか「教科書検定の強化」とか、「成果主義」や「教員評価制度」のような制度的につらい教育現場、教員の色々な面での自由が無くなってきている抑圧の結果なのだろう。
さらに、先進国の中で教育予算が最低の国であるという教育の貧困の状況も大きいのだろう。
先日読んだ「裁判所の正体」の中にも日本の社会全体が『劣化している』と語られていたがこれもまさに『劣化』の一つの表れだろう。
 これは一刻も早く国民が気が付かねばならない問題だ。

 こういった事が起きると、時々、思い起こす事がある。前にもブログに書いた記憶があるのだが、私は長野県で教員生活を送ったが、私の若い頃、新卒の学校から始まってしばらくの間は、「読み合わせ」という物があって職員会などで時々、哲学書のような物を「読み合わせ」するような伝統があった。例えば、西田哲学とか道元の本とかのような物だ。しばらくするうちにそういった伝統は薄れていつのまにか消え去ってしまった。

 何を読んだかも忘れたし、全く身にも参考にもならなかった気もするし、当時はやりながらこんな事は時間の無駄だと思っていた。その昔はそういった本を本気で興味を持てる学力のある教師集団があったからやっていたのだろう。我々の若い頃はすでにその時代は終わりつつあった。

 しかし、今、考えると、そんな本を読み合わせするという「教師集団」という所に意味があったのかもしれないな、と思える。
 例えば、分からないながらにせよ、「道元」を読み合わせしているような教師集団があったとして、そういった集団の教師が、今回のような事をするだろうか?
 そんな時代と離れたような事で無くても、先日、ブログに長野県の原村の中学校で、生徒が提案した朝鮮初中等学校との交流を許可した学校や教育委員会の文化レベルのような学校の教師集団で、こういったイジメが起こる事はあるのだろうか?

 また、読み合わせよりもさらに後まで続いたものに「職員文集」というものがあって、係りがあって毎年一回、職員が何か文章を書いて冊子にする習慣もあった。もしかしたらまだやっている所もあるのかもしれないが、教員も皆、忙しくなって、文章を書くのもおっくうな人もいたりして、そういった事もやめるようになったと思う。

 事件を起こした学校の教師集団は、テレビのバラエティ番組のレベル、体育会系部活のレベル(もちろん体育会系すべてが低レベルとは全く言えないが)の「精神文化」の教員集団だったのではないか?

「思想的な理想」と言った物が流行らなくなり、「経済的、効率的」な事が第一の価値となってきた世の中にも大きな問題があるのだろうか?