福島第一原発は津波の前に壊れた 木村俊雄を読む3

 『燃料がドライアウト』の章

 前章で書いた、開示されたデータを木村氏が分析した事が書かれている。

 福島原発は、沸騰水型(BWR)で炉心の中を水が流れ、核燃料を徐熱する。そして、『電源喪失』でポンプが止まっても、「自然循環」で、炉心の熱を約50%出力まで除去できる仕組みになっていて、これがBWRの安全性を保障する仕組みになっているという。
 
 この「自然循環」が無くなれば、炉心内の水流が止まり、燃料被覆管の表面に「気泡」がびっしり張り付き、その結果、冷却水と燃料被覆管が隔離されてしまい、冷やすことが出来ず、次々に燃料が壊れてしまう。これを「ドライアウト」と言う。

「過渡現象記録装置」は、地震発生後、プラントの全計測データを百分の一秒単位で収集し、計算機内に保存していた。(1号機の場合で10分間)

 これが、炉心流量のグラフだ。
de-ta.jpg
 『グラフを見ると、地震が来る前は、「一万八千トン毎時」で水が流れていました。そして14時46分に地震が発生し、原子炉が自動停止すると、放物線を描いて流量が下がっています。次に電源喪失によって計測値はいったんマイナスになっています。これ自体は、計測指示計の設計上生じることで、問題はありません。その後、数値はスパイク(瞬間的に上昇)して一旦上がっていますが、1分30秒前後から炉心流量はゼロになっています』

 つまり、自動停止後、ほとんど直ぐに炉心水の自然循環が無くなり「ドライアウト」に向かい出したという事だ。炉心水流が無くなる事と炉心の水が無くなる事はイコールでは無いという事をここで初めて私は知った。

 炉心流量が0となった原因として、
『では、なぜ「自然循環」が止まってしまったのか。私が分析したデータや過去の実績を踏まえると、圧力容器につながる細い配管である「ジェットポンプ計測配管」の破損が原因である可能性が極めて高いと考えられます。』
 という事だ。

 運転手順書には、「地震時に「自然流量」の継続と「炉心流量」を確認するという事が明記されていなかったので、運転員も気が付けなかったり、4つの事故調の専門家たちもこのデータの欠落に気づかなかったという。原発の専門家と言っても様々な分野に分かれていて、このような炉心内の細かい挙動については“素人”なのだという。
『国会事故調の先生方から直接聞いた話です。過渡現象記録装置のデータは、実は東電のパソコン上で見たそうです。ただ、その画面に映っていたデータは、「単なる数値の羅列」にすぎません。私でも、その「数値の羅列」を見ただけでは、何も読み取れません。私のように炉心屋として過渡現象記録装置を長年使用していた人間が、しかも「数値の羅列」を「グラフ化」することで、「炉心はこうなっていた」と初めて読み取ることができるのです。』

 木村氏は、こういった炉心の管理を行っていた人で、定期検査ごとに燃料棒の入れ替えや、入れ替え後は設計通りに核分裂が起こっているか、炉心の状態はどうか、などを確認する作業をしてきたという。通常こういった「炉心の管理」は、東大や東北大で原子力工学を学んだキャリアが担う仕事なのだが、木村氏は「東電学園卒」だが、柏崎刈羽原発で働いていた時に、後に副社長になる武藤栄氏に認められ、「お前は何をしたいんだ」と聞かれ「炉心屋になりたい」と言うと、福島原発に行かせてもらったのだという。
 福島原発には当時、炉心屋は9人ほどしかいなかったという。
 そういった超専門家の中で当時は、誇りを持って一生懸命頑張っていた人なのだなあ、という事もわかった。

 これに対して、東電の事故調は、津波の第一波が到達したのは地震の41分後の15時27分で、それまでは原子炉は正常だと言っている訳で、木村氏はとうていその説を納得できないという事が分かる。
 事故の原因究明は時間をかけて徹底的にやらなければならないと言っている。
 どうでも良いような事故では無いのだから当然の事だろうと思う。

福島第一原発は津波の前に壊れた 木村俊雄を読む2

 『隠されていた重要データ』の章

 木村氏は、東電事故調の5千ページもある膨大な記録をくまなく読み込んで、「何かおかしい、東電はすべてのプラントデータを公開していない」と感じる。

 それは、木村氏が東電在職中に日々、まさに仕事としてそのデータ解析を行っていた炉心内の水の流れを示す「炉心流量」に関するデータだった。
 それは、「過渡現象記録装置」という計算機が記録するデータで、航空機でいえば、フライトレコーダーやボイスレコーダーに相当するものだという。この装置は1~6号機まですべてついていた。木村氏が自身で日々データ解析していたその炉心の重要な記録が全く公開されていない事に気が付く。

 ところが、東電事故調は、この「過渡現象記録装置」のデーターを公開しないまま、「安全上重要な機能を有する主要な設備は、地震時及び地震直後において安全機能を保持できる状態にあったものと考えられる」と報告書で述べていた訳だ。

 木村氏は、2013年7月、記者会見を行い、公開質問状という形で東電に不足しているデータの開示を求めたが、「すべてのデータは開示済み」という回答だったという。

 ただその後、東電の廣瀬直己社長が記者会見で、木村氏の公開質問状の内容や炉心流量データが未開示であることについて質問された際、「すべてのデータを開示する」と表明したのだという。
 木村氏は、「おそらく廣瀬社長は、データの意味や未開示の理由を分かっていなかったのだと思います。」と書いている。とにかく運よく?そのデータが開示される事になった。

 航空機事故で「フライトレコーダー」や「ボイスレコーダ」の内容が公開されなければ素人でもおかしいと思うのだが、この「過渡現象記録装置」のデーターが無い、などと聞いても、木村氏で無ければ全くピンとこない。そういった事をよいこととして東電は国民から不都合なデータを隠していた事がよく分かる。

 データの保管と、情報公開の大切さがこういう所からもよく分かる。
 

 

福島第一原発は津波の前に壊れた 木村俊雄を読む1

 しばらく前、古賀茂明ツイッターを見ていたら、この記事が出ていた。
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/08/30/109618/
 文芸春秋の9月号に東電の原発炉心の専門家の告発が出ているという。

 文芸春秋という雑誌は買ったことが無いのだが、この記事を読むためだけに、1000円出して買って読むのもためらわれ、ちょっと待ってアマゾンで古本が出てから買ってみた。
 菅官房長官と小泉進次郎の対談や、韓国批判の評論などが最初に大きく出てきて、初めから3分の1くらいの場所にやっとこの記事が出ていた。
gennpatu.jpg

 一読して、これは本当に津波ではなく地震によって炉心が壊れ始めた事が明らかな証拠が出たのだ、また他にも原発という物についての重要な証言が書いてある事が分かる。
 
 新聞を見ると、原子力規制委員会が、中断していた原発事故の原因調査を再開するという。しかし、規制委員会は国会事故調の見解を否定し再調査でも津波が原因という姿勢を示しているという。

 原発事故直後だったら、こんな記事は大きな反響のあるものだっただろう。
 しかし、木村氏の告発は、本当の原発炉心の専門家のものであり、とても重要な証言だと思う。
 8ページほどの内容だが、4つの段落に分かれているので丁寧に読んで順にこのブログに内容を紹介していきたい。

 『木村俊雄氏(55)は長年、東電の技術者として原発の仕事に携わってきた。東電学園高等部を卒業後、1983年に東電に入社、最初の研修先が福島第一原発だった。
柏崎刈羽原発を経て、1989年から再び福島第一原発へ。2001年に退社するまで、燃料管理班として原子炉の設計・管理業務を担当してきた“炉心屋”である。
 東電社内でも数少ない炉心のエキスパートだった木村氏が、自身が手に入れたデータをもとに、福島第一原発であの日、何が起こっていたのかを解説する。』
 

憲法9条への3項の自衛隊加憲は、日本会議幹部の発案

 憲法学者 水島朝穂の「直言」を読んでいたら、リテラのこの記事が紹介されていた。

 題は、安倍首相の「9条に自衛隊明記」改憲案は日本会議幹部の発案だった!「加憲で護憲派を分断し9条を空文化せよ」
https://lite-ra.com/2017/05/post-3147.html

 そこには、
『この安倍の“2020年新憲法施行宣言”にはもうひとつ、とんでもない問題が潜んでいる。それは、この宣言で打ち出した9条への「3項加憲」案が、ある“日本会議幹部”が昨年ぶち上げていた狡猾な改憲戦略の丸写しだったという事実だ。』
 とある。

 これも、マスコミが一番重要な事を「スルー」しているのだと分かる。
 私は、テレビなどで見ていて、「公明党は加憲を提案している」というような事を聞いているから、9条3項の自衛隊加憲案は、公明党が提案した事かと思っていた。

 ところが、公明党は憲法改正に積極的では無い感じで、それは良かったなと思ったのだが、「あれ、公明党が加憲と言っていたのでは?」と不思議な感じがしていた。
 ところが、実際は、「日本会議」が提案した事だったのだ。
 なるほど、『日本会議』の案だったので、公明党は関係ない訳だ、公明党は他の部分の加憲と言っている訳か。

 水島教授が、もし、自衛隊が9条3項として付けくわえられたらどうなっていくかについて解説していたが、「日本会議」が提案することだからもうその狙いは戦前の日本への逆行だ。歴史から学ばず、あの歴史を繰り返させようというのか。

 マスコミは、よ~く、国民に「安倍首相の9条への自衛隊の加憲は、日本会議が提案した物ですよ」と知らせるべきだ。
 でないと、私のように公明党が提案したと誤解してしまう。
 私のように誤解する人がいるのだから、公明党も、よく、その辺の事を国民に説明した方がいいですよ。

本物の言説

 先日、一人暮らしの弟が用事で家に来た、現在の政権のやっていること、またそれを無批判に受け入れていく世相などへの腹立ちをお茶を飲んでいる時に話し出し留まる事を知らなくなった。
 そんなにお喋りでない弟なのだが、私もいささかうんざりして、「分かってるよ、それならオレみたいにブログでも始めてそこへ書けばいいじゃないか」などと言った。
 そのうち、「ああ、今日は言えてスッキリした」と言って止ったのだが。いつも一人暮らしでそのウップンを晴らせなかったからだろう。

 とは言え、私も同じ気持ちで、この気持ちを話す人もあまり無く、毎日ネットを見ては、現在のこのおかしな状況について何か真実の情報が無いのか、変わるための指針がないのか、という気持ちでネットの中を探し回って情報のかけらを見ては、関連した本を読んでみたりしている。何か情報を見つけると「拡散」という意味でブログに書いている。

 もちろん、我々が知らない政権側の隠されている真実も知りたいという気持ちもあるが、問題な事は感じるが、どこがどう問題なのか、より根本的に理解し、分かりやすくその本質を示してくれる言葉も求めているのだろう。
 
 先日、日航123便の事故についてその真の原因を追究し訴えている青山透子の本を読んだのをきっかけに、それを支持している早大法学部の教授がいる事を知った。
 その人は、水島朝穂という法学者であり憲法についても、なぜ今の政権が憲法をいじる訳とその危険性をしっかりと示してくれている。HPの直言というのや、ツイッターを読んでみると、とても良く本質的な事を知らせてくれているように感じた。
 今後、この人のHPをじっくりと読んでみたいし、時々このツイッターも見てみようと思う。

 取りあえず、最近の事でそうだな、と共感したこれを紹介(直言の記事)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/0826.html

 水島朝穂ツイッター
https://twitter.com/hashtag/%E6%B0%B4%E5%B3%B6%E6%9C%9D%E7%A9%82



空恐ろしいような時代に突入したのかも

 マスコミでは小泉進次郎が大臣に入閣したと騒ぎ立てている。将来の総理大臣は国民が決めるのでなく、テレビのマスコミが決めるようである。

 前々回の長野県参院議員選挙の時に、私は現在の立憲民主党、杉尾議員をネット上で勝手に応援?して色々とネットの情報を見たりしていたが、その時、相手候補の応援演説のために小泉議員が上田駅前にきて応援演説をしたユーチューブ動画で見た。

 小泉議員は、ご当地の言葉を取り入れた巧みな演説、と言われているのでどんなにすごいのか、恐る恐る見ていると、動員で集まったらしいおばちゃんたちを笑わせるような冗談を言っただけで、後は特別なるほどとか、敵ながらこれは手ごわいぞ、とか感心するような事は何も言っていなくて、党の主張を言っていただけのような感じで「ああ、この人のイメージは親の七光りとマスコミが作り上げた虚像なのだな」と私には感じられた。
 今回、環境大臣になったわけだから、もし本気で取り組むなら政権の進める色々な問題な物との対決となってくるだろう。その結果どうなるだろう。ぜひ私が話を聞いた時の印象を覆してほしいものだ。

 ネットを見ていたら内閣情報調査室の北村滋という人が国家安全保障局長という人事が発表された。
 「北村滋」といったら、詩織さん事件で、"安倍官邸御用達"ジャーナリスト・山口敬之氏が逮捕される寸前だったのを命令でやめさせた人物ではないか!

 これについてリテラでは、
https://lite-ra.com/2019/09/post-4956.html
 これを読むと本当に恐ろしくなってくる。日本国民は本当に目を覚まさなければダメだ。
政治には関心が無いのでなどと冷めて、投票率50%以下、なんてことを続けていたからとうとうこんな事になってしまった。

 文科省の萩生田大臣も、そう言えば何かの事件の時に、関わっていた人ではなかったのだろうか?ブログに前書いたような気がして探してみたら、以前のブログこんな事を書いていた。
https://js30.at.webry.info/201706/article_9.html
 こんな人が文部科学大臣!?

 リテラにもさっそく記事が載っていた
https://lite-ra.com/2019/09/post-4960.html

 前川喜平氏のツイッターにも
『やっぱり萩生田文部科学大臣か。ひどいことになるだろう。彼の議員会館の事務職には、教育勅語の大きな掛軸が掛けてあった。』
『萩生田新文科大臣には、加計学園問題への関与をしっかり質すべきだ。特に、2017年6月20日に文科省がその存在を認めた2016年10月21日の日付入り文書「10/21萩生田副長官ご発言概要」の記載内容については、本人から納得のいく説明を求めるべきだ。』
とある。

 こういった「日本の教育」そのものへの逆投資というか、政権による文科省や日本の教育へのイジメのような事は、これから何年、何十年後かの日本に大きなダメージをあたえるのではないか。早く何とかしないといけない。



日航123便 「墜落の波紋」そして法廷へ 青山透子著を読む

 先日、小田周二著の「524人の命乞い 日航124便乗客乗員怪死の謎」「日航機墜落事故 真実と真相」の二冊を読んだ。
 
 こんなに良く分かるように書かれた真実があるのにどうしてマスコミなど世の中、騒ぎ出さないのか? 現在、何か動きが無いのか、と思ってもう一回アマゾンの本の所を見ると、こちらの本が、今年出版されている事が分かり、法廷へ、とはどういう事なのか知りたいと思い、さっそく買って読んでみた。
P9105139.JPG
P9105140.JPG

 前半では、著者は、日航機事故の遺族に22名の外国人がいる事を知り、イギリスにいた遺族と連絡がとれ、会いに行った事や、その遺族がどのように亡くなった日本人と出会ったか、その後の苦難の人生なども取材し、共感しあい共に行動しようとしている話があり、

 さらに、青山氏の著書を読みそれについて論文を書いたイギリス人教授と会い、それらの人達とさらにBBCのジャーナリストや政治コンサルタントや弁護士などへ、この事故を訴える会合を持ったり、次には、国際航空安全調査協会(ISASI)航空作業部会議長を務めたりICAOのATC(航空情報通達)メンバーという本物の専門家である人とも会い、話を聞いてもらい感想を聞いたりアドバイスをもらう。
 それらの人達の意見は、もちろん、日本の日航の関係者や専門家や官僚のとは違っているなあ~という感じだ。全くまともに青山氏の話を聞いて意見を述べている事が分かる。

 航空専門家の人の話では、ボイスレコーダーは「コピーアンドペースト」した物だろうという事や、海底で撮影された映像を見た時には、これはAPU(補助動力装置)とそのまわりにある物だとつぶやきながら、このような重要な証拠物を水深160メートル程度で引き上げていないという事実に大変驚いて、日本の事故調査委員会は何をしているのか、と呆れていた様子が書かれている。イギリスにも遺族がいる訳だから、イギリスでもこの事件の解明を同時に進めていけばよいとアドバイスを受ける。

 後半は、「情報公開への道」という内容で、
 情報公開のプロ中のプロと言われる三宅弘弁護士が取り組んでくれる事になったという事や、また早稲田大学の水島朝穂教授も、この青山さんの行動をずっと支持してきていたという事も分かった。森永卓郎氏が前著の帯に書いている事は分かっていたが、このシンポジウムでも話されていた。

 その内容をここで、色々と書くより、これを見てほしい。
http://www.kawade.co.jp/news/2019/07/716-123.html
 今年の7月にこういった事が行われていたのだ。
 その様子については、著者自身のブログがあった。
http://tenku123.hateblo.jp/entry/2019/07/20/133621
 どのようなシンポジウムであったのか分かったのだが、その文の下の方に。『「誤(ご)報には六(ろっ)法を―映画『新聞記者』に見た違法な実態と私の体験談」』という題で映画「新聞記者」の事が書かれていて、青山氏もほとんど同じ体験をされたことが生々しく書かれてる。
 
 昨日のブログに書いたように、「なぜ奴隷ではだめなのか、それは腐ってくるから」という事の意味がこういう事だと分かる。

 さらにそのシンポジウムの詳しい内容は、早稲田大学の水島朝穂教授のHPの中のこのページに書いてあり、とてもよく分かる。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2019/0722.html

 ところが、これほど事態が動いてきているのに、これらの動きを知らない私は、(大部分の日本国民も同じだろう)今年の夏の日航機墜落事故の日には、御巣鷹山への慰霊登山の様子がいつもの通りテレビで放送されているだけだったので、何となくそれを見ているだけだったり、それも例年だんだん時間が短くなってきているなあ~などと感じていただけだ
 こういったマスコミなどの動きは、群馬県の上毛新聞以外には、まるで、参院選の時に「れいわ新選組」がネット上で話題をよんだり、都市部で大きな動きになっていたのにマスコミが一切取り上げなかった事にも似ている。

 しかし、この青山氏の本によると、「墜落の新事実」の本(私も昨年読んだ本)が、全国学校図書館協議会選定図書となって、全国の高校生や大学生が読んでくれて青山氏に骨太の感想文が届くこともあるという。ある高校のリベラルアーツクラブでは一年かけてこの問題を取り上げ文化祭で発表したのだという。出版社にその様子がたくさん届いてくるという。

 それに比べて、日本のマスコミや大人たちの有様は何というだらしなさだろう。
 やはり若者はちゃんとした感受性があるのだろう。
 
「おわりに 次世代へ」の章の最後に
 この本の最後には、遺族である小田周二氏が自分の著書を、英国在住の遺族、スゥザンさんに贈った際に、彼女から届いたお礼のメールとそれを青山氏が訳したものが載っていることを書き(実際にのっている)
 さらに、
『~今後、国際的にも日航123便のような不透明な事故調査とならぬよう、国際的な法律の制定を働きかけることが私たち遺族の使命である、と結んでいる。特に軍事同盟が絡む場合、なすべきことをなさない国家に対する市民たちの力が試される時である。
 多くの市民の力でこれらを成し遂げたとき、きっと日本は変わる。いや、そういう未来を創るために、今こそ変わらなければならないのである。』
 と、終わっている。今後、この情報公開の訴えはどうなっていくだろうか。
 青山氏、水島氏、のブログやHPを時々チェックしていれば分かるだろう。



  

「なす」好調です

 9月9日の「なす」の様子
P9095136.JPG
 昨日の収穫
P9095137.JPG
 今日の収穫
P9105138.JPG
 いつもの年だと、8月の終わりころにはわが家の家庭菜園は完全に終了となるのだが、今年は、苗を3本植えただけのナスがまだまだ好調で自給体制が続いている。(きゅうりはもう完全に終わり、他の野菜の足りない部分はJA青空市場で)小さいうちに取るので毎日、美味しい「ぬか漬け」を食べている。年寄り3人の食卓にはこれで充分だ。

 好調の原因はよく分からないが、春先にシルバーの方に頼んで耕運機で耕してもらったり、肥料はいつも通りにまいたが追肥などもやったからなのか、なすはこの畑では今まで作っていなかったからか(接ぎ木苗ではある)、ちょっと原因は分からない。秋ナスという言葉があるからもともとなすは、遅くまでなるのだろう。

戦後史の正体 孫崎享を読む

  この本もアマゾンのカスタマレビューでたくさんの投稿があり、しかも高評価であったので興味を持って買ってみた。

 著者の孫崎享は、1966年、外交官となり、西側陣営から「悪の帝国」とよばれたソビエトに3年。「悪の枢軸国」とよばれたイラクとイランに3年ずつ勤務し、その後、帰国し情報分野を歩き、情報部門のトップである国際情報局長もつとめたというまさに混沌とした外交の現場で働いてきた人だ。その後、2002年、防衛大学校の教授になり7年間勤め、その間に、自らの体験を振りかえるとともに、戦後の日本外交を研究する機会を持ったという経歴の人だ。
1.jpg
2.jpg
 (本の帯)

 この本は、出版社の人から「戦後の日米関係を、高校生でも読める様な本にしてください」と相談されて書いた本だという。
孫崎氏は、防衛大学校の教授になり初めての授業で、「安全保障」の講義を張り切って始めると、大学二年生である生徒の三分の一が見事に眠りはじめたそうだ。高校生と大して変わらない年代の生徒たちは訓練や運動で肉体的に疲労困憊し、眠るのも当然という事で、それから七年間の防衛大学校時代は、生徒をどう眠らせないかの工夫の連続だったという事が書かれている。
 という事で、この本は、私が読んでもとても分かりやすくかつ面白く書かれている。今まで知らなかった事が出てきたり、政治家や民主運動への常識が覆されたり、なるほどそうだったのか~、という事の連続で眠くもならず、とても面白く読めた。

 この本は、私が今まで読んだ次の三冊の本、
・日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか 
・日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか  矢部宏治 著    
・国体論 ―菊と星条旗―  白井聡 著

 などと、本質的には同じ問題意識で書いているのでは、という気がした。(それぞれの方が、色々と違った立ち位置はあるのだろうが)
  前書きに、
 『~そのなかでくっきり見えてきたのが、戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、米国から加えられる圧力と、それに対する、「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、相克だったということです。』

 後書きには、
「戦後史の正体」を書くなかで確認できた重要なポイントの中に、
『②  米国の対日政策は、米国の環境の変化によって大きく変わります。
代表的なのは占領時代です。当初、米国は日本を二度と戦争のできない国にすることを目的に、きわめて懲罰的な政策をとっていました。しかし冷戦が起こると、日本を共産主義に対する防波堤にすることを考え、優遇し始めます。このとき対日政策は、180度変化しました。
そして多くの日本人は気づいていませんが、米国の対日政策はいまから20年前、ふたたび180度変化したのです。』
と、冷戦期のように、とにかく米国のいうことを聞いていれば大丈夫だという時代はすでに20年前に終わっている、と言っている。

 対米の「自主」路線と「追随」路線のせめぎ合い、という点から戦後日本の政治史が描かれているのだが、表面的な歴史で無く、その裏側を分析してもらうと「仮説と実験結果」を聞くように見事に実証がされているような気がした。
  米国の意志に反対したり、日本の国益を考え自主的な動きをしたりする首相には、必ずアメリカから圧力が働き、その政権を潰していく。そしてスキャンダルが浮上したりし、「検察」が動き出し、「大手メディアの報道」などが一斉に連動し、それらがアメリカの意に沿うのに非常に大きな役割を果たしていた事がわかった。
 この頃の、検察やマスコミが政権の意を汲んでやっているのはいかにもミエミエでそうだろうと分かったのだが、その流れというものは、戦後ずっと続いていた、という事が良く理解された。

 このように、アメリカは、自分の気に入らない日本の政権〈主として自民党の首相について書かれている〉を潰してきたのだが、最近では、民主党の鳩山政権潰しに見られるように、日本の国内で各界が自動的(日本自ら)にアメリカの意にそって働くかのようなシステムになってしまっているようだという。
 安倍首相の長期政権もそういった背景があるのだろう。ただ、安倍首相が調子に乗ってイランとの交渉に乗り出した途端、余計な事をするな、と日本のタンカーを攻撃させたのはおそらくアメリカが裏でやっているのだろうなあ、という感じがこの本を読むとそんな気もしてくる。

 しかし、やめさせられたといっても次の首相を選ぶのは日本の民意で、アメリカの望む人間がなってくる訳では無い、そしてそういう事は世界でもよくある例だという。

 後書きの最後にも
『 そうです。先にのべたとおり、米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことが
できます。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を反映した政権です。ですからその次の首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、またがんばればいいのです。自分を選んでくれた国民のために。
 それを現実に実行したのが、カナダの首相たちでした。まずカナダのピアソン首相が米国内で北爆反対の演説をして、翌日ジョンソン大統領に文字通りつるしあげられました。カナダは自国の10倍以上の国力を持つ米国と隣りあっており、米国からつねに強い圧力をかけられています。しかしカナダはピアソンの退任後も、歴代の首相たちが「米国に対し、毅然と物をいう伝統を」もちつづけ、2003年には、「国連安保理事会の承認がない」というまったくの正論によって、イラク戦争への参加を拒否しました。国民も7割がその決断を支持しました。
 いま、カナダ外務省の建物はピアソン・ビルとよばれています。カナダ最大の国際空港も、トロント・ピアソン国際空港と名付づけられています。カナダ人は、ピアソンがジョンソン大統領につるしあげられた事実を知らずに、外務省をピアソン・ビルとよんだり、自国で最大の飛行場をピアソン空港とよんでいるわけではありません。そこでは、
 「米国と対峙していくことはきびしいことだ。しかし、それでもわれわれは毅然として生きていこう。ときに不幸な目にあうかもしれない。でもそれをみんなで乗りこえていこう」という強いメッセージがこめられているのです。』
 と終わっています。

 確かに、ネットにカナダのトルドー首相と日本の安倍首相を比べてそのあまりの違いを嘆くツイッターを見た記憶があるがその差は、そういった国民の歴史の積み重ねの差があるのだ。

 この本には、「国体論 ―菊と星条旗― 白井聡」を読んだ時にも書いた、白井の言っていた言葉、「「奴隷的な状況でも生きていけるからいいじゃないか、という考えに対して、奴隷的な状況ではあらゆるものが腐ってくる、だから奴隷的な状況ではいけないのだ。」などと共通する思いを著者は根本に持っているからこそ、こういった本を高校生も含めた日本国民に向けて書いたのだろうな、と私は感じた。  


チョ・グク氏の事より日本のタマネギの追及を

 今朝のTBSテレビ、サンデーモーニングで、コメンテーターの一人「谷口 真由美」が韓国のムンジェイン大統領側近のチョ・グク氏の問題をテレビでやたら取り上げている事について、「どこのテレビでもそんな問題を延々と取り上げている、そんな暇があったら、どうして日本の問題を取り上げないのか、今、問題になっている厚生労働政務官の事や、今までの文章改ざんの問題など、これから国会が始まるという時に、取り上げなければいけない問題がたくさんあるのではないか。マスコミはおかしい。」と発言して、司会者や他のコメンテーターの多くも大きくうなずいていた。

 全く同感する発言で、そう思っている日本人も多いのではないか。自国の政権に対しては何も言えず、他国の政治家の所は「タマネギ男」などと失礼な事を言っているのは本当にみっともない。

 このサンデーモーニングの「風を読む」のコーナーでは、「炎上商法のメディア」という内容で現在の偏った一部の報道を、ミッドウエーの敗北を大勝利との大本営発表をそのまま国民に流したり、発行部数を重視し、敵愾心をあおって戦争遂行に協力した過去の大新聞の例をあげて、国民に警鐘を鳴らしていた。

上田泥流の 二つの学説を調べてみた

 最近、ふと「上田泥流」をグーグルで検索したところ、私が2013年の2月に書いた訳の分からないようなブログの文章が色々な話題の下の方に出てきた。
 https://js30.at.webry.info/201302/article_1.html
 こんな文章を書いた事すら忘れていて読んでみると思わず恥ずかしくなった。当時は東日本大震災や福島原発の事故の後で「反原発」の気持ちでブログを書いていたので何でもそこに結び付けて書いていたのだろう。(今でもその気持ちは変わらないが)
上田泥流の起こった原因について、その説が色々ある事を、当時、本気で調べてみたいというほどの気持ちは正直、私には無かった。

 その後、2016年NHKで「真田丸」が放送され、「ブラタモリ」が上田に来た。テレビを見ていると、Y先生が出てくると思いきや、県の環境研究所の人が出てきてお城の下の崖で「上田泥流」をタモリに説明していた。なので、私はあまり注目せず何かしながら見ていた程度なのだが、その後、前のブログに書いたY先生こと地元の地質研究家の山辺邦彦氏とお会いする機会があり、先生も喜ぶ事と思い「上田泥流の事、ブラタモリで取り上げていましたね!」と聞くと、「あれは、私の説とは違っているのです。」と言われ、「まずい事を言ってしまったかなあ~」という出来事があった。

 「そうか、あのブラタモリの説明が、前にブログに書いた二つの説のうちの山辺氏の物でないもう片方の説なのか」とその時に、はっきりと認識した。
 簡単に言うと、二つの説は、その泥流の給源の場所も起こった年代も違っている。
 ○山辺説は上田泥流の元は、「深沢爆裂火口」から説、で1万6千年より新しい出来事。
 ○富樫説は「古黒斑火山」から説、で2万4千年ほど前の出来事。

 なお、山辺氏は学生時代からずっと第四期の火山灰研究を続けて来て、現職中も各地の地誌など依頼されて上田周辺の地域の地質を火山灰編年法なども使い調べ続けたり、地学を生かした色々なユニークな教育実践もされ、小学校校長を退職してからも火山岩を粉砕して造岩鉱物を調べ岩石を分類する独自の手法を開発されたりしている地元の地質研究者で、講演されたり印刷物の出版もあり、子ども向け鉱物講座などもされ、地元では知られた方なのだがネット上には全くその実態を見る事が出来ない。

 私は退職前、小学校の教員だったので子供向けにやさしく書かれた「上小理科物語」などの本を通して以前から山辺氏の上田泥流説の方は知っていて、池の平のカルデラ湖の東側が噴火とともに崩れて中の水が岩屑とともに流れ下ったというイメージも面白く、山辺説ももっとネット上に出ていても良いのでは、また、それぞれの説の理解も深めたい、と思ってこのブログを書くことにした。

 上田城の乗っている上田泥流の地層の給源が、ブラタモリの「古黒斑山火山の崩壊」か、はたまた山辺氏の「三方ケ峯と高峰山の間の深沢爆裂火口」か、という問題は、上田の住民にとっては、興味の持てる純粋に地史的な科学の問題である。自然や歴史、科学に興味のある方々ならきっと興味を感じる事だろう。
そんな点で、これは純粋に科学的に論じられねばならない事柄であり、研究されている当事者の方々も一般の我々の興味が高まるのは望むところだと思う。

 そこで、今回、それぞれについて、出版された印刷物や、ネット上に公開されている資料を読み、また、山辺氏とは面識があるので、いただいた資料なども利用してブログに紹介してみた。私は全くの素人なので専門的な地学の知識もほとんど無い。ピント外れになってしまったり間違いを言ったりしているかもしれないが大目に見ていただきたい。

 まず、「上田泥流」とネットを検索すると、トップに富樫氏の2015年の論文が公開されていて読むことが出来る。

 長野県環境保全研究所研究報告
 『上田盆地の地形発達と上田泥流の起源』 富樫均・横山 裕
 富樫氏は長野県環境保全研究所 横山氏は上小地質談話会、とネット上にある。論文は、一般の人が自由に見てほしいという事だろう。リンクは貼らないからネットで検索して見てほしい。それほど長くないのですぐ読めるからぜひ読んでから次に進んでほしい。

 論文にもあるように上田高校地学班の研究結果(1975年)から続いている古黒斑火山崩壊を給源とする説の流れを受け継ぐものだろう。

 一方、山辺氏の三方ケ峯と高峰山の間の「深沢爆裂火口」泥流説は、「上田市誌 自然編 ① 上田の地質と土壌」の中、117p~121pに渡り載っている。ネット上では見る事が出来ないので。ここに118p~120pをコピーした。
a.jpg
a2.jpg
a3.jpg

 二つの説の概要については理解していただけた事だろう。さらに詳しくそれぞれの内容を見ていきたい。

 まず、富樫説の方では、結論として、
・上田泥流の上にあるお城の場所から1km以上北に離れた太郎山麓に近い所のNo1,No2の地点のボーリングで上田泥流の直上の地層の木片の放射性炭素を計ったら、2万2千~2万3千年前という結果が出ている事。
・水流等が関与したような級化層理やラミナ(葉理)等の堆積構造が泥流の地層に見られないので、水流は関与していない火山性の岩屑なだれであると思われる事。
・上田泥流の岩石と黒斑火山の岩石が同じという先行の「岩石学の研究」がある事。
(高橋・三宅(2012) は上田泥流が黒斑火山の山体を構成する火山岩の礫を含むことを記載岩石学的な対比によって確かめた)
・上田高校地質班(1975)の調査では、上田泥流の上流延長として少なくとも小諸市滋野までは千曲川沿いに連続的に分布が追跡されるとしている事。
 などを上げている。
 したがって上田泥流の年代は上記のように2万2千~3千年前であり、起源は黒斑火山の崩壊という事になるという。

 論文の証拠の一つにある「記載岩石学」の内容は何かと探すと、以下の関連の論文をネット上で見る事が出来た。

 日本火山学会講演予稿集 2012年(P47とP48)
 この問題と関係した内容として、並んでこの二つの論文が載っている。
 ○P47『長野県佐久市およびその北方に分布する岩尾層について : 高峯山周辺を起源とする岩屑なだれ堆積物である可能性(ポスターセッション) 三宅 康幸, 内掘 俊佑, 西前 健一, 藤原 幸介   信州大学理学部
 ○P48『長野県上田市周辺に分布する上田泥流の給源(ポスターセッション)』
  高橋 康, 三宅 康幸 
(ポスターセッションとは学会の会場でポスターにはって発表するもの)

 P48の方が上田泥流についての事。 詳しい分析の方法など私は知識が無いので本当の所、説明の内容が分かっていないのだが、上田泥流内の火山岩(複輝石安山岩)を三つのグループに分け、(P47と同じ方法でと思う)それぞれが黒斑山で採集した火山岩の三つのタイプの岩石に対応して存在しているので、そこから供給されたという結論になっている。

 P47の方は、黒斑山崩壊の塚原岩屑なだれの下位に分布する岩尾層というのが、山辺説で給源としている、高峰~三方ケ峯の間のくぼ地部分の崩壊した物であるとしている。その理由は「岩尾層」と「高峰、三方付近」の双方の岩石(複輝石安山岩)をこちらも、やはり3グループに分かれ、検鏡、化学分析し、それぞれの3つのグループとも「岩尾と高峰のある部分」が対応しているとする。三つのグループというのは、かんらん石の含有量とかSio2のパーセントによって分けているようだ。   
ただ塚原岩屑の岩石(黒斑山起源のもの)とその下の岩尾層(三方~高峰起源としたもの)とは、岩石の成分などがわずかな違いしか無かったと書いてある。
 この論文によれば、岩尾層は塚原層の下にあるので、黒斑山の山体崩壊以前に、三方~高峰の山体崩壊の方が起こった事になる。

 以上が、ネットなどで見れる範囲で富樫説の根拠が書いてある所なのだろう。

 さて、ここまでで、山辺説の方と比べると、火山学会の論文には、P47の論文には、『上田泥流を小諸軽石層が覆っている』と書いてあるが、これは地層的に上田泥流層より軽石層が上にあると読める。山辺説では119pに軽石が混じっている事を写真で指摘している。泥流層の上に軽石だけの層が上田の現場のどこかにあるのだろうか?
 また、富樫論文には、『~また年代については上田泥流に含まれる軽石を浅間軽石流の軽石に対比した根拠が示されていないことから,上記の山辺(2002)の解釈は,方法の妥当性を含め再考が必要である.~』
 とあり、批判的な文面の中にだが火山学会の方の論文の軽石層のような『覆っている』という見方はとっていない。(または別の場所でそういう所があるのかも?)

 時間的流れを見ると、上田高校地質班(1975)山辺(2002)高橋・三宅(2012)富樫・横山(2015)
 となっている。ブラタモリに富樫説が出て来たのが(2016)である。

 これらを受けて、山辺氏も再調査や批判に答える証拠を再度調べる、などを行って、その結果、2018年の2月に信州理科教育研究会の上小理研総会で、「上田泥流について」という演題で話している。(私はそういった会員ではないので聞いていない)ただ、その後、山辺氏が現場で一般人向けに小説明会を開くと連絡を受け、参加してみた。
 その時の資料を以下にコピーする。
b.jpg
c.jpg
d.jpg
e.jpg
f.jpg
g.jpg
 この資料を見ながら、数人で現場で説明を受けたのだが、私は、事前勉強が不足していたのでいまいち「ガッテン」という感じでは無かったが、「これならやはり山辺説の方が正しいのではないかなあ~」という印象は持った。
 今回、あらためて色々とまともに調べて見ると、双方の主張も分かり、山辺氏の主張も納得のいくものに感じられる。学生時代から火山灰編年法などで、火山灰に入る鉱物を研究し続けてきて、退職後は火山岩を砕いてその鉱物を調べる方法を考案し、それが力を発揮しているように思える。

 富樫論文の『地質対比の記載が乏しく,先行研究に関する参照もない.また年代については上田泥流に含まれる軽石を浅間軽石流の軽石に対比した根拠が示されていないことから,上記の山辺(2002)の解釈は,方法の妥当性を含め再考が必要である~』
という批判に対して、地質対比、先行研究(富樫論文や他の研究者の成果を踏まえている)、浅間軽石の根拠、などの点でこの資料は、論文の形こそとっていないが、実質、充分この批判に答えていると思う。

 今度は、山辺氏の反論に対して富樫氏・横山氏の方が答える番なのではないだろうか?

 何と言ってもコピーした資料にもあるように、
『・泥流に浅間第2軽石流の軽石を取り込んでいる
 ・泥流に仏岩溶岩の黒曜石を数多く採り込んでいる。
 ・雲場火砕流が泥流直下にある。』
など、それらを現場で確認し、さらにそれらの特徴として先行研究の結果を踏まえ、造岩鉱物の点から確認しているなど、説得力がある。

 また、資料では、富樫論文のボーリングから出た2万2千年前の有機物も、上田原湖成層の物と考えられる事についても示されている。

 また、私は、現場で山辺氏に説明を受けた時に、「雲場?」「仏岩?」と言った知らない言葉が出てきてピンとこなかったのだが、今回、これを書くにあたって、ネットを見てみると浅間山の噴火の歴史のイメージがわいてくる論文がいくつかあった。
 古黒斑火山の崩壊についても正確なイメージが出て来る。これを読んでから今回の山辺説(資料の方)を見るとやっと流れが理解できた。
「浅間火山の地質と活動史」これは、論争に直接関係しないのでリンクを貼っておこう。
http://www.kazan-g.sakura.ne.jp/J/koukai/03/takahashi.html

 以上、色々と書いてきたが、これを読んだ皆様はどう思われただろうか?

 素人考えだが、良く考えてみると、上田泥流は泥流にせよ、火砕流にせよ、中に炭化した木片など何か有機物を取り入れている訳だから、富樫論文のように離れた場所などでなく、上田泥流の露頭を良く探すとか、上田泥流の露頭がはっきりしている場所でその物の上から少しボーリングして、直接そこから炭化した有機物を探して放射性炭素の年代測定をするのが一番良い方法なのではないのか。
また、それが無理なら、今、ウィキペディアの「放射年代測定」というのを見たら、フィッショントラック法というのは、黒曜石などガラス質の物質なら下限が1万年まで計れるようだから、山辺説で見つかった泥流内の黒曜石が仏岩火山の物か年代測定も出来るのではないか?
 どなたか、地質に興味のある方、研究されてみられたらどうか?
 年代についてはそれで完全に決着がつくことだろう。

 給源については、どうなのだろうか?上田高校のかつての調査で、上田泥流は小諸市滋野まで追跡できる、という事は逆に山辺説の深沢爆裂火口、池ノ平カルデラ湖崩壊説を裏付けているのではないか?
今、二万五千図を見てみると、ちょうど池の平の東側の一角が崩れて、さらにカルデラ湖の水がそこからドッと流れ出て斜面を壊して削ったような谷の跡が見れる。1万年前ころといえばその位な痕跡は充分残っているのでは?などという気がしてくる。
 また、「浅間火山の地質と活動史」を見ると、「仏岩火山」の噴火が最大級とあるので、それの岩屑というか泥流という可能性は無いのだろうか?年代的にも合っているが。

 火山学会の論文の方の岩石の比較の方は、私には理解の範囲外であり、ここで色々とコメントできない。そちらでは、崩壊のイベントが起こった順番は逆になっている訳だ。まだまだ決着はつかない事だろう。

  ぜひ、さらに調査、研究が進み、この面白い課題が解明される事を願っている。
 
 

日韓歴史共同研究報告書は、見る事ができる

 公益財団法人 日韓文化交流基金
http://www.jkcf.or.jp/projects/kaigi/history/
というHPがあり、そこに、日韓歴史共同研究報告書
 第1期(2002~2005年)報告書(2005年6月公開)第2期(2007~2010年)報告書(2010年3月公開)がPDFですべて読むことが出来るようになっていた。日韓双方がお互いの論文についての批判文やコメントものせていたりする。

 ウイキペディアのこの「日韓共同研究」についての解説を見ると、韓国側の態度が偏っていて困ったような事が書いてあるが、そういう事もあったのだろうが、すべての分野では無かったのだろう。

 試しに、『◾植民地朝鮮における近代化と日本語教育 山田寛人  批評文(柳承烈) 批評文へのコメント(山田寛人)』というのを読んでみると、韓国での日本語の教育という物について、やはりぼんやりとしたイメージしか無かったが、ある程度詳しく知ることができた。

 こういった物を、日韓両国民が一応、知ったうえでさらに理解を深める努力をコツコツとしていかなければならなかったのに、やはり、「ドイツ・フランス共通歴史教科書」を作った独仏のようなレベルにまで持っていく力が無いのはリーダーの見識や政治力の差なのだろう。
 アマゾンを見ると、その教科書がどんな本か表紙は見る事が出来た。
 
 今、こんな歴史研究をやろうとする若い学生にはきっと日本では予算が今の状態ではおりないだろう。いいかげんな嫌韓本がはびこる現状がいつまで続くのだろうか?
 本を買わなくてすむから、この報告書を年代に沿ってぼつぼつと読んでみるかな。
 

日韓は、自由と民主主義、市場経済という理念を共有する関係

 今日の地方紙(信毎)に韓国の識者の意見が出ていて、読んでみると自分がぼんやり感じていた事が「そうだよな」とよく分かるように書いてあった。
 チョン・ジェジョンというこの方は、韓国の歴史学者のようで、東大の大学院にも留学した事がある人で、2002年~10年に日韓首脳会談の合意によって運営された「日韓歴史共同研究委員会」に参加していた方、現在はソウル市立大名誉教授との事。
1.jpg

 今回のこの日韓の対立の事態を、日韓双方が互いに相手の重要性について「無知」だという事の結果だ。と述べている。私は知らなかったのだが、2000年代の初めには、「日韓歴史共同研究委員会」が運営されて、2回にわたり報告書をまとめていたのだ。
 そういった努力を着実に積み重ねてきた人達にとっては本当に歴史が逆行するような悔しさを感じているのだろう。
 大体、そういった努力の結果が、政府、文科省、マスコミなどが、ちゃんと取り上げて国民に広めてきたのだろうか?

 チョン氏は次のようにも述べている。

『~「歴史認識の差」という難しい課題を解きほぐそうと、両国は知恵を出し合ってきたのだ。この共同作業の根底には、日韓が自由と民主主義、市場経済という理念を共有する関係にあるとの認識があった。~』
『~戦後、日韓が積み上げてきた相互依存の経験に目を向けなければ、「無知」がもたらす愚かさを繰り返してしまうことになる。~』

 日韓は、「自由と民主主義、市場経済という理念」を日本と共有している国だという事は、一般国民は良く分かっているからこそ、今まで通り民間レベルで交流を続けたい、また、観光や輸出入も今まで通りにやっていきたいと思っているのだろう。若い人達の感じ方も前にちょっと伝えられていたのをブログに書いた。

 政権は、一時、北朝鮮のミサイルについて「国難」と騒いでいたと思うのだが、今度はミサイルが発射されても「大して問題は無い」などと首相は言っている。竹島など韓国のすぐ近くの島の事を取り上げて返って韓国があたかも仮想敵国かのような騒ぎぶりである。
 何と言うご都合主義なのだろう。自分の政権の維持に有利となれば、真の国益などどうなってもいいという姿に本当に腹が立ってくる。

 今後の東アジアを考えると、朝鮮半島が何らかの形で統一の方向へ向かうかもしれないし、中国と香港や台湾との関係など、今後どのように激動の時代が始まるかも分からない。日本と韓国が本気で心を開き合って同じ理念で力を合わせて事態に取り組んでいく事が一番大切なのではないだろうか。

 「北朝鮮」の政治体制や、中国の政治体制、などと見て行くと、どれもその強権体制は我々が望んでいる世界とは言えないだろう。ロシアだってそんなに良い国には思えない。
 問題は、最近の日本が「韓国」というより、中国、ロシア、北朝鮮、のような雰囲気の強権的な国を目指しているのではないか?という気がしてくる事だ。報道の自由度ランキングが世界でもとても下がってきている事を見てもその事が言えるだろう。

 「嫌韓」「反日」などと叫んでいる人たちや、韓国を馬鹿にしたようなコメントをだしているテレビのコメンテーター達は、「自由、民主主義、市場経済、という理念」を共有する自由に物を言い合っている韓国のような国よりも、強権的な中国や北朝鮮などの指導者、プーチン首相(トランプ大統領も含まれるのか?)のような指導者に支配される方に喜びを感じている人達のように思える。
 

地方紙の良心

  テレビの昼のワイドショーでは、コメンテーターと言われるような人達が、口汚く韓国をののしるような事を言って、安倍政権が引き起こした日韓の対立を煽る様な事を言っているそうだ。(ネット情報によると)
 現在の日韓対立で一体、普通の国民のだれが利益を得るのだろう?
 そういった番組は不愉快になるので、最近スイッチを切って見ないので良く実態が分からないのだが、スイッチを切る前にちょっと見れるので、「ああまた始まった」という感じで内容は想像がつく。

 ネット情報では、これも最近、安倍政権の批判をやめてしまい、私も見なくなったテレビ朝日の「ニュースステーション」で、その原因となった、政権批判をするキャスターなどをどんどんやめさせた、安倍首相の意をくむ社長の息のかかったプロデューサーだかが、番組関係者へのセクハラ、パワハラ、がひどく辞めさせられたという話が出ていて、その実態の想像もつく。

 そういった昼のワイドショーなどのテレビを見て楽しんで煽られている国民もいる訳で、そんな様子は、ローマ帝国末期の「パンとサーカス」状態なのだなあ~という気がしてがっかりしてくる。

 そんな気分の時に、昨日の日曜日、地方紙(信濃毎日)の4面、5面、の識者の論説や社説の面を見たら、「これはいいな、テレビやネットを見ない主義の人でも、暇も無く読書や、テレビやネットなどの細切れ情報を色々と見ていない人でも、こういった人たちのまともな最先端の考えを知る事が出来るなあ~」と感じた。
1.jpg

論説は、・保坂正康の『「昭和史もの」多角的検証を』
   ・金子勝 『増税の秋 重なる経済リスク』
   ・森永卓郎 『畑付きの家に農業の可能性』
社説は、『日韓と強制動員 果たすべき責任はなお』
 
 といった物で、私が暇な時間を費やして、テレビやネットで見た物や、断片を見て「そうだな」と思ったり、疑問に思っていた事についての答えだったり、日韓問題についても、いまいち完全にとらえられない全体を、俯瞰して良く分かるように説明がなされていた。

 東京新聞などは、さらに面白いのだと思うが、テレビもこのくらいな地方紙レベルの良心があれば、日本も変わっていけるのにと思わざるをえない。


日航機墜落事故 真実と真相 小田周二著を読む

、  この本
1.jpg
2.jpg
 なぜ、この本を読んだかというと、同じ著者のこちらの本を読んだからで、その感想は先日、ブログに書いた。
https://js30.at.webry.info/201908/article_22.html
 もう少し詳しく知りたいと思いこの本を読んでみた。

 写真にもあるように、大型の本で、装丁もしっかりし、厚さも表紙を抜いた本文だけで3cm以上になる、読み物というより論文や報告書といった感じの物だ。しかし無味乾燥な物では無く、著者の血のにじむような悲しみ、怒り、祈り、また最後まで乗客を救おうとした機長の行動への感謝、のような物が混じった叫ぶような文章が詰まった物に思えた。
 表紙の写真は、日航機に搭乗する前の、著者の中高生の子供二人と小さな甥と姪の二人を、著者の義妹が撮った写真だ。

 航空機の構造や操縦についての知識、海外の事故事例や日本での過去の航空機事故ばかりでなく自衛隊が関わった事故、また事故調など事故の調査に関わる組織のアメリカと日本との比較、自衛隊法、警察法、当時の中曽根首相の状況、等々、本当に様々な関連の分野についても広く深く学んだ上でこれを書かれている事が分かる。
 ただ、日航機の事故についての本を全く読んでいない予備知識の無い、暇のない方には、前著をまず読むことをお勧めする。

 この本にある前書きで分かったのだが、日航123便の事故については、世の中では一部にずっと疑問が持たれ続け、多くの人によって著作がなされていたのだ。この本にも、主な物として、1985年~2010年にかけての11冊の本や報告書が紹介されている。

 著者も、これらの書物を購入して読んでいたのだが事故から時間がたっていない頃は放心状態で内容が身に入らなかったという。その後、あらためて徹底的に目を通してみると、それらの著作の主張を整理すると以下の様な物だったという。

・日航機墜落事故は圧力隔壁の破壊が原因ではない。
・日航機の垂直尾翼は自衛隊標的機が激突して破壊された。
・尾翼を破壊された日航機は手動で操縦出来、横田基地に着陸出来た。
・自衛隊、政府が着陸を許可しておれば、乗客・乗員の殆どは助かっていた。
・長野県側に飛行したのは、川上村レタス畑へ不時着するためであった。
・日航機が御巣鷹山に墜落した原因には自衛隊が関与している。
・自衛隊は御巣鷹山で事故機に向けてミサイルを発射し、撃墜した。
・墜落場所の確定に時間をかけたのは自衛隊がその証拠残骸の回収、および生存乗客乗員全員に対する加害行為を行うための時間稼ぎである。
・自衛隊だけでなく群馬県警も遭難者救出を阻害する行為に加担した。
・もっと早く救出していれば数十名の命が助かっていた。
・米軍アントヌッチ中尉(当時)の救助活動に中止要請を出し、この事実を国民に隠蔽、隠蔽の目的は自衛隊の意図的な救助放棄をごまかすためである。
・事故調の「航空事故調査報告書」は間違っている。
・日本航空、ボーイング社は、政府権力者から強制的に押し付けられた代理の加害者である。
・日航機事故は「事故」でなく「事件」である。
・事件の動機は、「自衛隊標的機の日航機への衝突を隠蔽する」ことであった。

 という事で、私は、前著を読んだ時、この著者が一人でこういった事を調べたのかなあ~と思っていたが、そうでは無く、事故当時からずっとこの事についても疑問が多くの人の間にあり、色々な人によって真相を究明しようという努力がされていたのだという事を知った。

 この本にも、著者は、『~、また上記の著者の皆様方の志は「空の安全性向上」を目指すことにあると考え。勝手ながら皆様を共同著作者のような存在として小田は考えている次第である。どうかご理解をお願いしたいのである。~』
 と書いてある。そういった意味で、今までの色々に書かれた物すべてに目を通して、もちろんご自分でも様々調べられて、これが書かれている事が分かる。

 私の印象としても、もう、この日航事故の真相は、「トンデモ本」などというレベルの物ではなく、「日航機事故学」とでも言えるようなちゃんとしたレベルの分野に到達していて、この事故・事件を考えると、そこには、航空機の安全性はもとより、日本の政治や組織、歴史などの根本に関わった大きな問題が横たわっているように感じられた。
 この日航機の事故の真相や真実が解明されないかぎり、日本の真の民主化とか独立とかそういった事はなされていない状態なのだろうな、という事だと理解された。
 
 この本には、前の本には書いてない詳しい内容も色々と含まれている。前著には詳しく書いてなかったそのうちのほんの一部を紹介すると、
『 究明されるべき墜落現場での奇怪な事象 という節で、
 ようやく捜査活動が始まると、次のような不思議な出来事が起きている。
① 8月13日の朝9時~10時頃、地元上野村の消防団が獣道を伝って墜落現場に登っていく途中で、沢伝いに下ってくる中年男性3人と中学生くらいの男の子4人連れに遭遇している。墜落現場から来たというのに、挨拶しても返事もないし、何も語らない不気味な沈黙の集団だったと消防団のメンバーは記憶しているという。(飯塚訓著「墜落現場 遺された人達―御巣鷹山、日航機123便の真実」より)
② 公式に生存者とされる4人の女性以外に、3名ないし4名の生存者が目撃されている。生存者4名の現場から、さらに200メートルの急斜面を登ったところにいた朝日新聞社の社会部記者が「今さらに3人の生存者救出!2人は担架にのせられているが、1人は担架が必要ないほど元気な女の子で、救助隊員に抱かれている」と無線で報告している。(朝日新聞社会部記者)
③ 「1人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。他の2人は毛布を被されているため、男女の別や怪我の程度は、はっきりしない」と元気で無事救出された女の子のことを報告。だが、その後、女の子はどうなったのか?突然、その存在が消えてしまう。(朝日新聞前線キャップ・木村卓而氏)
④ 13日午前。7,8歳くらいの小さな男の子が走り回っているところを自衛隊員に発見されているとの報告が無線でただちに流された。報道関係者もこの無線を傍受しており、「男の子発見」のニュースが流れた。「現場は惨憺たる状況です。まもなく担架に乗せられた7,8歳の少年が運ばれて来ます」と生中継している。しかし、その後、この男の子に関する情報は途絶。まるで神隠しにでもあったようにこの小さな男の子の消息はいっさい表に出てこない。(フジテレビ「ニュースレポート」で山口アナウンサーがマイクで生放送)
 以上の事象は新聞社などが確認しており、自衛隊、警察の検証が必要である。』
 
『 救助を急いだ自衛隊員が射殺される事態が発生!?の節では、
 前述したように事故当時の20時頃、NHKで「救助に向かおうとした自衛隊員を別の自衛隊員が射殺した」とテロップによる臨時ニュースが流れた。
 さらに事件後に撮られた現場写真には、森の中で首吊り状態にされた自衛隊員2名が写っている。
 足場がないような高い木に吊られているその様子はきわめて不自然そのものである。おそらく、彼らは勇気を出して真実を語ろうとした自衛隊員であり、それが判明したために自殺を装ってこのような目にあったのではないだろうか。そこに隠されたメッセージは、「秘密を暴露するとこのような目にあう」という、他の自衛隊員への見せしめとしか考えられない。~』

 また、『自衛隊特殊精鋭部隊の存在とその行動の目撃証言』の節では、いち早く現場にかけつけたM氏の目撃証言として、
『 匿名は生命の危険回避のための処置である。~中略~ M氏は大学を卒業した社会人だが、ちょうど夏休みに実家に帰省している最中に日航機事故を知り、墜落現場は南相木村の東方向と見当をつけ、オフロードバイクに乗って友人と2人で現場に向かった。
 この時には長野県警の警察官もバイクで追走して来ている。山と尾根を乗り越え、墜落地点上空を飛ぶヘリの音と光を目標に直線距離8キロメートルのところを約6,7時間かかて13日の早朝4時頃に墜落地点に到着した。
 M氏はそこで100名ほどの自衛隊員を目撃している。
 同時に、墜落現場では事故犠牲者とおぼしき人々の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきり聞こえたという。声の響き方から推測すると、少なくとも4,50人の生存者の呻き声がしたそうである。
「実際に苦しそうな声を上げている人を私も間近で何人か見ています。自衛隊の人たちがいる以上、自分が出来ることは負傷者のいる場所を教え、早く救助して貰うことだと思い、呻き声のするあたりを探してはその場所を隊員さんに伝え、早い手当を頼んでいました。ただ、自衛隊員さんの対応には不信感を覚えました。『下手に動かすと危険なので、後から来る部隊が手当てをすることになっている』というだけで何もしようとしないんです」
 その周囲ではすでに到着していた100名ほどの自衛隊員が黙々と何かを回収して大きな袋に詰めていたという。彼らの装備は暗視ゴーグルを付け、片手には抜き身のアーミーナイフ、靴は急峻な山での作業に適した短靴であった。上空にはヘリがホバリングしており、集めた袋を吊り上げていた。
 M氏は生存者の中に軽傷の人も発見している。しかし自衛隊員は一向に生存者の手当てをしようとしなかった。通常、救助に来たならば負傷者に声を掛けて励ますのだが、彼らはそうした行動を取らなかったという。彼らが救助に来たのでないことは明らかであり、M氏らが山を下りる時には生存者の呻き声はいっさい聞こえなくなっていたという。
 それから約1時間後、多数の自衛隊員が到着。彼らは山では歩きにくいブーツを履き、遺体搬出作業と残骸回収を始めたという。
 こうした目撃証言から、13日早朝に到着した自衛隊部隊は、その装備から見て特別の訓練を受けた特殊精鋭部隊であると推測できる 
~中略~ 事故から二十数年経った頃、M氏はスゲノ沢の上流付近で携帯用VXガスのものと思われる容器(直径6センチメートル×長さ7センチメートル)を見つけている。容器には微量の液体が残っており、持ち帰る際、何重にもビニール袋で密封した。が、調査を依頼された職員2名が密封を解いた途端、2人とも気分が悪くなり、数日間にわたって寝込んだそうである。
 この容器の内容物がVXガスであるとは断定できないが、無色透明、揮発性の劇薬であることは間違いない。それが果たしていつ使われたものなのか、考えるだけでも悪寒が体中を駆け抜けるのである。
 M氏の冷静かつ真摯な目撃証言から判断できることは次の4点である。

① 自衛隊先遣精鋭部隊は13日未明に現場に到着した。
② M氏らが現場に到着した段階で多数の生存者の呻き声が充満していた。
③ 短時間の間に呻き声が消えた。
④ 二十数年後現場で発見された謎の猛毒液体の容器。

この部隊は救助が目的でなく、何らかの回収が目的であったのである。
~』

 著者がその後、真実を調べようとしても、すべて「国家機密に関わる情報で答えられない」という返事が返ってくる。この日航機の事件のどこが国家機密だというのだろうか?自衛隊が関係しているからこそ「国家機密」になるという事を示しているという。また、この本には、現在の特定秘密保護法も、このような事件についての防御の意図もあるのでは、と書かれていて納得した。
 事故調や日航の対応など、公務員など組織の体質についても現在の日本とも関連して本当に同じ事の繰り返しなのだという事が分かる。

 繰り返しになるが、やはり、この事件の真相解明がされないかぎり、現在の日本の独立、民主主義や繁栄は砂上の楼閣にすぎないのだなあ、だからどこかおかしな世の中になってしまっているのだなあ~とつくづく感じられた。

 この本の著者と同様に、なぜ、野党やマスコミはこの事件をきちんと調査して、追及しないのだろうか?という怒りを感じる。自衛隊を追及する事は、国民の支持も、視聴率も取れないと思うのだろうか?
 しかし、真実が無い所で何か国民が努力してみたところで、内部から腐り、本当に砂上の楼閣となってしまう事だろう。そしてまたいつか来た破滅への道を歩むことになる。やはりどんなに苦しくても日本は、土台からやり直し、積み直していく以外方法は無いだろう。
 そんな読後感をいだく重たい内容の本であった。

 

8月末の不登校、子どもの自殺問題に関係して

 この頃、8月の終わりになると、夏休み明け学校が始まるために不登校が始まったり、学校へ行くのがいやで自殺をする子が出ては困るとテレビ番組でその予防の内容が放送される事が多くなった。どこの先進国でもこんな風なのだろうか?

 その訳は、ここにきて不登校が過去最高になったという事と、現に休み明けの子供の自殺が多いのだという。
 学校がいやだという気持ちは、たいていの人が良く理解できると思うのだが、こういう状態は本当に何とかしたいのだが、問題が大きすぎて何かをすればすぐこうなる、というようなお手軽な解決方法など無い。

 自民党の文教部会?だかの、「道徳教育」をやって教育勅語を暗唱させ、歴史教科書から日本の加害の歴史を削れば教育問題はすべて解決する、などというような発想は、病気を治すのに祈祷師に祈らせる程度の話だ、という事は、まともな人ならだれでも見当がつく。

 今年の晩春、私は東京駅を通過して首都圏へ親戚の用事で出かけた事があった。いつも着ている本当に気楽な服よりもちょっと余所行きくらいな恰好をしていった。(セーターか何かを着て行ったのか?)このくらいでいいや、という気持ちだった。ところが、時期的な事もあったのだろうか、東京駅などで出会う人々の服装は、皆、フォーマルというのだろうか、例えば我々の様な爺さんでも最低でもブレザーを着ていて、もちろんビジネスマンらしい人たちは男女ともピシッとしてスーツを着ている。私はブレザーも着ていかなかったら、そういった感じの人はほとんど見当たらなかった。
またその服の色合いもリクルートスーツほどではないが、暗っぽい色だった。
 もちろん、これは田舎者が流行おくれの恰好をしていったという事だけの話なのだろうが、私の若い頃の記憶では、もうちょっと東京駅を歩く人々の服装は多様でラフな感じがした気がする。昔もこんなだったっけ?いや違うよなあ~。といった感じだ。

 世の中の右傾化が言われているが、こういった所からも世の中が窮屈に住みづらくなってきているのだろうか?
 多様化の時代、などと言われているが、実際は日本社会の「同調圧力」とでもいった物がじわ~っと高まっているのか?という印象がしたのだが・・。いかがでしょうか。
 そう言えば、マスコミなども昔はもっと自由に政権批判などをしていたのだと思うのだが。

 不登校の原因について、色々な面から考えられるのだと思うが、本当に根本的な事を言えば、この間の参院選で「れいわ新選組」から立候補した東大の安富教授が言っていたような気がするが「学校は軍隊です」という所だろう。戦前は文字通り富国強兵の軍人や産業兵士を育成するための機関であり、戦後も企業にとって有用な人作り、といった雰囲気が濃厚な場所と言える。
 まあ、そこまで言ってしまえば実も蓋も無い事になってしまうが。

 やはり根本的な改革が必要で、何度もこのブログで書いてるが、震災後NHKで「地球イチバン」という番組をやっていて、(どういう訳か、すぐにその番組は無くなった)世界で一番子供が幸福な学校とか一番学力のつく学校、などという事で、「オランダ」や「フィンランド」の学校の事をやっていたと思うが、それらに学び、オランダやフィンランド並みに、小中学校の制度などを変えればいいのだ。
 それには、本当にそういった考えの出来る政治家や政党が政権を取り、根本的な改革をする以外手が無いと思われる。小手先のちょっとずつの改革ではもう間に合わないと思う。
 イージスアショアや戦闘機などアメリカから買うのをやめ、リニア新幹線やカジノ産業のような事に金を使うのでなく、教育に集中的にガンガンと予算をつぎ込めば、全く不可能な絵空事では無い。戦前、国民の血をしぼりとるようにして巨大戦艦を作ってその結末はどうだったか。
現在でも、日本は先進国の中では最低レベルの教育予算だとどこかのグラフで示されていた。(GDPと教育予算の割合の比較だったかもしれない?)
 新学期に子供の自殺を心配しなければならないような状況を、もう一度、国民は落ち着いてかんがえてほしい。

 また、これからは私の考えだが、これからの学校はお昼まででいいのではないか。現在の子供達は何と言っても自由が無さすぎる。子供達が自由に遊べる空間や施設、環境を本気で予算を注入して作る。
 また、現在、学校と同じくらいな比重を持ってきている、塾や様々な習い事、スポーツなどの活動、またフリースクールなどを、ある程度公的な感じに位置付けて、しかも現在のように『学校と塾』『学校と習い事」『学校とスポーツ』で子供のすべての時間を埋め尽くすようにせず、子供たちが学校や塾以外に、「自由に遊んだり」「自由に学んだり」できるための時間と施設、環境を作って、そこですごせる時間を十分に確保する。また事故防止のために見守るためのあるていどの人間も必要と思うが。
 (もちろんそれは、ゲームセンターのような場所の事を言っているのではない事はお分かりだと思うが。)
 そして、高学年や中学生になるにしたがって、その子のやりたいその子の個性にあった活動の場所で過ごす時間を増やしていく。
 良く、現在の若者や子供は、耐える事が出来なくて、ちゃんとやっていけないから、という意見を聞くが、子供の時代に本当に自由に自分の時間をすごせなかったからこそ、もろくなっていく面があるのではないか。
 現代の学校は、富国強兵や産業革命時代と違うし、さらに学校へ行かなければ知識を学べない、という時代では全く無くなってきているので、本当に根本的にフレキシブルな発想で考えるべきだ。
 
 不登校から自力で抜け出した人たちは、良い人と出会ったり、良い場所を得て、又は自力で、そういった事を自分で見つけていった人達なのだろう。

 自由が無く、いじめなどが横行するような「軍隊のような学校」では、だれでも行く気がしなくなる。もちろん、そんな学校ばかりでは無い事は言うまでもない事だが、不登校が過去最高に増えてきている、という事は学校がそういった方向へ向かっているという事は確かなのだろう。
 もし、新学期に学校へ行くのがいやで自殺したいと思うような子がいたら、あまり深刻に考えず、それは自分が原因では無く、その学校のその場所が原因だし、現在では学校に行かなくても全然関係なく世の中で活躍している人もいるのだから、ここらへんで思い切って色々な相談機関が多くあるのだからいくらでも相談してみたらどうでしょう。フリースクールのような良い場所もけっこう出来て来ているのではないか。

 その方が、無理して軍隊的な学校の場所へ行くよりずっと面白い良い人生が開けてくる事でしょう。
 
 
 

 
 
 
 

今朝のNHKアサイチで石垣島を取り上げていた

 今朝、NHKの朝ドラを見た後、いつもはテレビを消すのだが、ちょっとテレビをつけっぱなしにしていたら、以前出ていた柳沢秀夫元キャスター(現在は民放のキャスターらしい)とアッキー(篠山輝信)が、石垣島へ行った事を放送するらしい、ちょっと見ていたら基地問題なども出てきたので、ああ、だから柳沢キャスターが出て来たのか、と見ていた。

 石垣島は、今、観光客がけっこう来ていて、アジアからの観光地としてけっこう注目されているらしい。あらためて地図で示されると本当に台湾に近い位置なのだなあ~と分かる。
 現地のショッピングセンターや、新鮮な魚、様々なフルーツを紹介した後に、直ぐに港に碇泊している海上保安庁の巡視船が何隻もつながれている場所が出てきて、柳沢キャスターが漁師に聞いている場面や、自衛隊のミサイル基地が、島の中央にそびえる於茂登岳の麓に作られている事に対する、賛否の旗がたっている場面とか、基地によって水源が汚染されるおそれとか、農家の若者が、この基地問題が起こっているのに島の人がそれに物が自由に言えない雰囲気が問題と、バンドを作って訴え、住民投票をしようという運動を起こした事を紹介していた。住民投票は島の議会で僅差で否決されたとの事だが、これを機会にその水源問題などが注目されるべきだろう。現に沖縄の米軍基地でも現在、そういった問題が起こっているタイムリーな問題でもあると柳沢キャスターが語っていた。

 一番は、基地問題が起こってきたが、島民がそれについて自由に話せる雰囲気が急に無くなり、その事自体が問題と若者たちは考えているようだった。

 また、島の漁民たちに聞いた柳沢キャスターの話では、尖閣諸島の国有化がされる前は、島の漁民も尖閣諸島周辺に自由に漁に行けたり、台湾の漁師たちとものどかに海上で交流があったりしていたらしいが、国有化となってから、危険防止のため、周辺海域には立ち入りが禁止され、返って近づけなくなってしまったという。国有化の結果、問題が起こったため政府間の取り決めで台湾の漁船が尖閣諸島周辺に入って良い事になり、返って問題が起こっているという。
 尖閣諸島国有化の問題は、きっかけは石原東京都知事が、尖閣諸島のことを都で買うとか色々と言い出し、それに右翼的な議員や人々が乗っかり、騒ぎを大きくし、時の民主党野田政権が国有化に踏み切るという誤った判断をしたために、こうなってしまった。
 いつの時代でも、トップの誤った判断や、それに扇動される一部の国民によって、結局そのとばっちりは一番は現地の人にふりかかり、またさらに広がって日本国民全体へと害をおよぼしていく。
 今の、日韓問題も同じ構図だ。

 番組では、石垣島のマラリア戦災について紹介されていた。第二次大戦の沖縄戦で石垣島は、米軍が上陸しなかったのだが、軍が一般住民は邪魔になるからと山奥に避難させた。当時、マラリアが有るので、人々は山奥へは入らない場所だったのだが、米軍の沖縄上陸とともに強制移住させられ、たちまちマラリアに罹り何千という人が亡くなった。(現在マラリアは撲滅されている)現在でも慰霊祭が毎年行われている。その様子も紹介されていた。マラリアの事件は、授業でも扱われていて小さな子も知っていた。
 当時、12歳だった人がアッキーを現地の近くまで案内し、インタビューに応じて、当時の絵を見せて説明してくれていたが、具合が悪くなって前に住んでいた家に戻ろうとすると軍にスパイ扱いされて帰る事も出来ず、大勢が山中で亡くなり、火葬されたという事だった。
その老人は「軍隊は我々を守ってはくれなかった」と言っていたが、本当に戦争になれば軍隊など国民を守ってくれるとは限らない事があらためて実感させられる。

 番組を見るのは途中からやめたのだが、ちょっと前、久米宏が出てきて、NHKの方針を批判していたが、番組制作者の姿勢もそうなのだと思うが、アサイチの現在のキャスターたちも、それに答えて、偏る事が無く、国民の側にたったちゃんとした番組にしよう、歯に物がはさまったようないい方でなく、はっきりと物を言うように、と心がけている姿勢がうかがえて気持ちよく見る事が出来たし、色々と国民が知るべき事実を知る事が出来る有意義な朝の時間だった。

 

NHK ETV特集「三鷹事件 70年後の問い~死刑囚・竹内景助と裁判~」を見る

 番組はこのような内容(番組紹介のHPからコピー)

『1949年7月三鷹駅で無人電車が暴走し6人が亡くなった三鷹事件。当初検察は、国鉄の人員整理に反対する共産党員ら10人を起訴したが、東京地裁は党員9人を無罪とし、犯行を自白した竹内景助の単独犯行と認定した。その後、竹内は無罪を主張したが、最高裁で死刑が確定。再審請求中に病死した。2011年長男が新証拠を提出して再審請求を行ったが、東京高裁は認めなかった。事件の背景、竹内景助と長男の70年を見つめる。』

 三鷹事件の最近の再審請求審で、東京高裁(後藤真理子裁判長)は31日、再審開始を認めない決定をした。というニュースに、私もあまり知らない三鷹事件の事だが、何だか歴史上スッキリ解決していない、謎の様なイメージの事件なのでこの機会にしっかり再検討が行われるのだろうな、良い事だ、と思っていたところ、再審を認めないとなった事に「おかしいな」という気持ちが高まった。最近、司法がおかしくなっているのでその一環なのだろうか?

 とは言え、三鷹事件という物についてほとんど知識が無いが、最近興味を持っている戦後間もなくの時代の事でもあり、ちょうど良い機会とこの番組を見る事にした。

 三鷹事件は、1949年(昭和24年)、米軍統治下で起こった事件だ。この年には、国鉄下山総裁不審な事故死、三鷹事件、松川事件、などが起こって「国鉄三大ミステリー事件」と言われるという。
 今、初めて私は、このうちの一つである松川事件のウイキペディアを読んでみると、とてもこの三つの事件の構造をうまく解説していると思った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6#20%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A2%AB%E5%91%8A%E4%BA%BA%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%88%A4%E6%B1%BA
 多分、三鷹事件も同じような構造の感じのものだったのだろう。

 時代背景としては、三鷹事件のウイキペディアの中の記述をコピーすると。
『当時、国共内戦で中国共産党の勝利が濃厚となり、日本の国政でも日本共産党が議席を伸ばしており、共産化を警戒するGHQの下で、その後始まるレッドパージの動きを先取りするように、共産党員やその支持者が当時多かった国鉄の、人員整理が進められている最中に起きた事件であった』

 番組を見て感じた事は、どう考えてみてもこの竹内景助は無罪である。という事だ。なぜ彼が自分がやったという自白を最初の頃してしまったかという気持ちも番組を見てよく理解できた。

 共産党員9名と、党員で無い彼、が逮捕された。初めは断食してまで抗議していたという。しかし、共産党員の一人が自分と彼が共同でやったと自白した、と聞かされてから、自分一人でやったと言ってしまった。
 共産党員の一人は、警察の尋問から逃れようとウソを言ってしまったようだ。後のその党員だった人のその後の時代のインタビュー場面がちょっと出てきたが、色々と警察にやられてあることない事を言ってしまったような感じに話していた。(はっきりとは言わなかったしカットされていていまいち分からなかったが)その後、共産党員側は、共産党の弁護団がついて、しっかりフォローしたため全員が無罪を主張し、法廷でそれが認められ無罪となった。ただ、竹内景助を助けようとは共産党の弁護団は考えていなかったという。当時の弁護団の一人が番組で話していた。

 竹内景助は、当時、国鉄の大量首切りに反対していただろうし、共産党員では無かったが,機関士だったから、首切り反対へも、共産党員へも共感を持っていたようで、自分が罪をかぶって仲間を助ける、という気分になっていたようだ。
 後に精神鑑定医として彼を診断した加賀乙彦は、彼は英雄気取りで共産党員を助けてやる、という気持ちだったと初めの頃の診断書に分析されていたが、その通りだと言っていた。
 また、共産党員側の方でも、面会に来て、「革命は近い、もしお前が一人で罪をかぶってくれるなら、革命のあかつきにはお前は英雄だから、罪をかぶってくれ」などと言っていたのだという。

 先にも書いたように、当時は、アメリカ占領下の1949年であり、中国共産党も建国し、日本の共産党もソビエトなどの影響もあった?ような朝鮮戦争勃発前夜の日本でも共産勢力が拡大して本当に革命が起こるか?みたいな雰囲気もあった戦後間もない混乱期であり、今の人が考えるとそんな馬鹿な事を言うはずが無い、と思うかもしれないが、一種の浪花節的な義侠心でそんな事を口走ってしまった事は何となく理解できる。(共産党員側も警察も、彼が自白を決意した時、ニセの自白を良く言ってくれた、良く言ったなどと褒めたのかもしれない?)
 裁判では、堂々と「私一人でやりました」と発言している姿が番組であった。

 1950年いよいよ朝鮮戦争が始まると、すぐに判決が出て、自白と目撃情報から有罪となり、一審で無期懲役、翌年、高裁で証拠調べもせず死刑となったが、死刑を目の前にして彼は事の真相に気が付き、それからは一貫して無罪を訴える。共産党側も彼が無罪を主張し出したら関係を断ったようだ。景助は、当時の組織を守ろうとした共産党に裏切られたという気持ちを持ったのは当然の事だろう。
 これらの事件を機に、組合活動や共産党勢力は急速に退潮していったのだという。

 彼の妻は、事件が起きた時に現に彼は家にいたのだから当然ずっと無実を主張し続けていた。
 最高裁で上告棄却となるが、その時の判事15人中8人棄却、7人は棄却に反対だったのだという。刑が決まってからも再審請求をしていたのだが、10年間放置されていて、これは放置すべきでないという高裁の裁判官が再審を認め、事態が動き出したのだが彼は脳腫瘍が悪化し、亡くなってしまう。
 脳腫瘍で具合が悪くなっている時に、弁護側が体調がおかしいから治療せよと、検察だか刑務所だかに求めても拘禁反応、詐病だ、といって治療もされなかった。亡くなってから妻はその治療さえうけさせなかった対応について国に賠償を求めたが、それは認められた。

 彼の妻 竹内政は、72歳で亡くなる。その後、家族は無念の気持ちを抱いて、特に政が亡くなってからは子供達は世間に知られる事をおそれてひっそりと生きて来た。

 最近になって、今は老いた息子の竹内健一郎の所に、人権派の高見澤昭治弁護士が訪ねてきて、こんな疑問の多い判決に、遺族がなぜ再審請求をしないのか?と訪ねて来た。
 息子の健一郎は、「とうとう来てくれた、涙が出るくらいうれしかった、これで再審が始まる」という気持ちになったのだという。
 そして、弁護団が結成され、2011年、高裁へ再審請求をしたのだという。

 裁判の論点は、開示請求で出て来た、事件当時の捜査資料について争われた。
まず、彼の自白調書の通りとすると、二両目の電車のパンタグラフが上がっているはずが無いのに、写真では上がっているのはおかしい、という事だ。しかし、これは現在の専門家の意見では、衝突のショックで上がったのだろうという事で関係ないようだった。

 また、現場近くで彼を見かけたという人の目撃証言では、弁護側は、夜の薄明かりで顔が判断できるか、同様の場所と条件を作り、実験を行った結果によると、80%以上の人が間違ってしまうという結果になった。しかし、裁判官は、当時の調書で顔が分かったと言っているから分かったのである、と思考停止の結論であった。

 最後が、まさに今回の却下の判断がおかしいという証拠なのだが、電車事故が起こった時に、事故の影響で、停電が駅周辺で起こっていた。それは、初めに短い間隔で2度起こり、しばらくしてから長い停電が起こっていた。その間の時間も詳しく分かっている。
 景助の初めの証言では、家にいた時に、その通りの停電が起こり、その後、銭湯に行ってそこで長い停電にあったと語っている。その時間間隔も正確で、とうてい家に実際にいなければそれは分からない事だ。それが逮捕された最初の調書には記録されていたのだという。そしてもちろんそれは妻も一緒にいたという主張とも一致している。
 しかし、その後、自白した後の証言は事件を起こしたように都合よく変わっていて、そちらの方の自白後の証言を高裁では採用して、検察の言い分を全面的に取り入れて却下したのだという。

 まともに事実を取り上げて考えていないなあ~それでも裁判官か、というのはだれでも感じる事だろう。
 当然、現在、高裁の別の判事が行うように異議申し立てをしているところだという。

 番組では、おかしな事として、当時の駅前の交番に、「今日、事故が起こるから」という情報が電話で入り、警官は事前に避難していたのだという。当時の警官が証言していた。
 仮に、景助がやったとして、そんな事を事前に交番に言うのか。また、共産党の革命を起こそうとする過激分子がやったと仮定しても、そんな事を国家権力の側の警察にサービスするはずが無い。

 また、事故後すぐに米軍のMPが来て、現場から人を遠ざけてしまった事もおかしな事だった。これも当時の体験者が証言していた。
 当時、マッカーサー元帥は配下のウイロビー少将は、日本のスパイ組織を作っていて、そのスパイ組織の長は、旧軍人の有末中将で、良く知られている右翼の大物、児玉 誉士夫(こだま よしお)などもその組織に加わっていた。
 この本で、その事も最近知った。ブログにも書いた。
https://js30.at.webry.info/201905/article_15.html

 そんな事で、当時の米軍の対ソビエト対策、日本の共産化阻止の一環として事件が起こされた事は確かな事なのだろう。
 この、現在の再審拒否した裁判官は、そういった歴史的な勉強はしていないような、六法全書と司法試験合格のための勉強秀才で、広く考えられない人なのだろうか?我々ふつうの人が感じる様な疑問は全く感じない不思議な人間のように思えた。

 

「524人の命乞い」 日航123便 乗客乗員怪死の謎 小田周二著 を読む

 昨年の夏、ふとネットで見た記事から、アマゾンで探した本を読みブログに書いた。
https://js30.at.webry.info/201808/article_11.html

 今年の夏も日航123便が墜落した日になり、テレビではその追悼式の様子や御巣鷹山の様子などが放送されていたが、あの本の内容について何も世の中では話題にならず、ネット上でもそれが大きくなる気配も無い。
 ちょっと残念な気持ちもあり、日航123号機事故の本の所を見てみると、昨年読んだものと違う遺族自身が書いた本もある事に気が付いた。その本のカスタマレビューを見ると大勢の人が高評価で、かつその感想が尋常の物で無い。

 この本はただ物では無い。そう感じて注文して読んでみた。
1.jpg
2.jpg

 上記の昨年読んだ本を読んでいなくて、さらにもっと前なら、「そんな自衛隊が関わって撃墜されたなんてありっこない」と思っただろう。
 ところが、昨今の日本の状況を見れば、政権の都合の悪い事実はその資料は廃棄され、ウソを強引押し通し、しかもNHKはじめマスコミは政権の意に従って一斉に動く姿が「可視化」されている。日航機事故の時代は今のようにインターネットが発達していなかったから、こんな大事件でもそういった隠ぺいや世論誘導がある程度、可能だったかもしれない。
 そんな気持ちが強くした。今も昔も日本の根本は変わらないのだ。

 「524人の命乞い」の本は、日航123便墜落事故で、高校1年生の次男、中学1年生の長女、義妹と二人の甥を亡くしたプラスチックメーカーの研究、技術開発者だった人が、その後半生をかけて事故の原因をあらゆる角度から追及し、自衛隊のミサイルの無人標的機が垂直尾翼にぶつかり破壊し、最後は、その日航機を自衛隊機が撃墜して証拠隠滅を図った。時の内閣総理大臣と自衛隊がそれを決定し、国家権力を使ってその事実を隠そうとした。という戦慄の仮説を導き出していた。

 著者は、普通のサラリーマンというより、大阪大学の工学部も出て研究職などもやっていた本格的な技術者だった人だ。この本は、いい加減な内容ではない。2年前に出版した少し難解な技術論文でもある「日航機墜落事故 真実と真相」を分かりやすく、一般の人にも読みやすく編集し直したものだという。とても読みやすかった。 

 当初から、多くの人が事故原因に疑問を投げかけていたのだという。そして、99年11月には、運輸省(現国交省)は総重量1160kgもの墜落事件関連の資料や証拠類を破棄したのだという。そして、それは、まさに制定されたばかりの「情報公開法」が施行される直前に行われたのだという。
 こんなところからも森友・加計学園、など一連の事件と同じ雰囲気が漂うが、これはさらに重大な事件で、過去のこととは言え、「三鷹事件」ではないが歴史的にもきちんと解明されなければならない事件だ。

 この本は現在の日本人にとって必読の書だと思う。「絶望の裁判所」という本で著者の元エリート裁判官の瀬木 比呂志教授が、「日本人は崖の縁で無邪気に遊んでいる子どものようだ。」と書いていたが、この本はその崖の暗い深淵の存在をまさにのぞき込んでいる貴重な書だ。
 著者は、事故から30年を経た2015年3月に「日航機墜落事故 真実と真相」を出版し、遺族、友人だけでなく、マスコミ各社、および政党代表に配布したが、何もどこからも『受理した」という連絡すら無く、本当に落胆したのだという。
 自民党が無視したのはわかるが、マスコミや野党はなにをしているのか。

 プロローグの最後の部分にこうある。『引用部分』
『考えてもみてほしい。
 愛する者が失われた惨劇をできれば忘れたいとさえ思っている遺族が、31年も過ぎてなお、みずからこのような仮説を世に問わねばならないのはなぜだろうか。
それは政府が「結論」と称する事故原因なるものが。遺族をはじめとする万人を説得できる内容を持たず、検察までもが責任追及の役に立たないと批判するような代物だからだ。
(中略)
私がたどり着いた仮説が真実か否か。それを検証する義務と責任を負うのは私ではない。それを追うのは、多くの疑問を突き付けられながらこれまで再検証を忌避し続けてきた政府だ。その義務と責任を負うように政府に求めること。願わくば読者一人一人が本書をきっかけとして、政府に責任ある再調査と再検証を求めて声を上げてくださること。それこそが、一人の遺族である私が本書を世に問う目的である。』

 この本を読むと、色々と我々が知らなかった様々な事実が伝えられている。昨年読んだ本に無い情報も多くある。
 事故の時間にそって順に事実を検討して行くと、事故調の報告や、公的な報告などの言っている事は本当におかしいなと理解されてくる。また、色々な目撃情報や関係者からもれてきた情報、また、この事件の前に起こった雫石の自衛隊機と日航機衝突事故など、その当時の政治情勢も含めて、科学的、社会的なとても広い知識,視野から考察していて、昨年の本よりさらに鋭く包括的な内容だと思う。

 例えば、ある方から得た一つの情報として、この本にあるのは、
『85年8月12日、123便が墜落したその日、ある航空自衛隊の基地司令官(当時)から一人の男性に電話が入った。この司令官は、電話の向こうで男性にこう語った。
「えらいことをした。標的機を民間機に当ててしまった。今、百里基地から偵察機2機に追尾させている所だ」
この司令官と男性とは、第二次大戦中に同じ部隊に属した戦友だった。昔の戦友に「やっちゃったよ」という感じでアッケラカンとして語っていたという証言もあった。

 このオレンジ色の標的機が近づいてきた時、機内では機長たちは再びシートベルト着用を乗客に告げ、ぶつかった瞬間に、元自衛隊のパイロットだった機長は、迷わず「スコーク77」(要撃されたという緊急事態を意味する遭難信号)を発信しているのだ。
 もちろん、事故調の言う圧力隔壁は壊れていず(壊れていたら機内にすごい空気の流れが起こる)、ベテラン機長の技術を駆使して何とか操縦可能で米軍横田基地に向かっていた。もちろん横田基地では受け入れを許可していた。

 雫石の事件を誤魔化したばかりの時、自衛隊や中曽根政権の危機を招きかねないこの機体に標的機の残骸がべったりついていた日航機をそのままにしておく訳にはいかない。自衛隊機は横田基地への着陸を妨害し、さらに撃墜してしまったと考えられる。
 その辺りの様子が、様々な場所からの目撃情報や、改ざんされてしまって、一部開示されたボイスレコーダーから注意深く解明されている。もちろん著者の言うようにそれは仮説だ。しかし、事故調や公にされている資料は、まったく仮説にもなっていないような代物であり、この様々な目撃証言や、著者の仮説にどう反論できるのだろうか。
 捜索段階でのほころびはさらに大勢の人たちの目に触れている訳で、注意深く見ればとても大きなものがあったのだ。ただ、日航、警察、マスコミなどの誘導で人々には誤ったイメージが定着してしまったのだ。

 ぜひ、皆様も一読してご遺族である著者の思いにぜひふれてみていただきたい。
 この本の仮説に意義のある方はこの本をちゃんと読んだうえでぜひしっかりした根拠を持って反論してみてほしい。

 また、マスコミはぜひこの本を国民に知らせてほしい。さらにNHKでは、真剣にこの本の内容を取り上げ、NHKスペシャルなどで検証番組をぜひ作ってほしい、野党や現代史の歴史学者もこの事件について研究してほしい。こんなにまともな土台がすでにあるのだから。
 私も、さらに「日航機墜落事故 真実と真相」の本も読んでみたいと思う。



 
 

「なぜ必敗の戦争を始めたのか」 陸軍エリート将校反省会議 半藤一利 編・解説を読む 

 先日、本屋に行ったら、嫌韓本のとなりにこの本が並んでいたので、つい買ってしまった。
 これは、終戦後だいぶたった昭和51年(1976年)に米英戦争開戦当時の陸軍中央部の中堅参謀が「偕行社」という所に集まって、虚心坦懐に当時の記憶や思い出を語ったものを元にして、半藤一利が取捨選択、解説なども入れて分かりやすく書いているものだ。
1.jpg
2.jpg

 この座談会に出席した人達は、すでに全員が亡くなっているという。戦前、戦中も政治家たちや陸海軍のトップの様子などが知れる立場にいた人達だが、戦後にこういった座談会に出てこようとする人達だから、特に主戦派という感じでなく、客観的に状況を見ていた人たちのような感じだ。物資などがとうてい戦争が継続出来る状況ではないと上司に進言した人もいた事が分かる。アメリカとの国力の差なども良く自覚していた。
 参加者は、戦後、軍隊を辞めた人だけでなく、自衛隊の陸将などになった人も幾人かいたり、企業の幹部などになっていた人もいる。

 従来、陸軍が悪玉で海軍が善玉、という風に言われていたのだが、それは、陸軍がドイツとの三国同盟を推進しようとする時に、海軍大臣の米内光政、次官の山本五十六、それと軍務局長の井上成美の3人が、そうすると米国と対立し、国力の差も自覚していたし、米からの鉄や石油が入らなくなる事を恐れて強く反対したので、そんなイメージが広まっているが、この本を読むと、それは海軍全体の考えという訳では無い事も分かる。

 陸海軍とも、好戦的な一部の中堅参謀などの勢いや、それに押される感じの上層部がいた事も分かる。それらがイニシアチブを握って好戦的雰囲気を作り上げ、全体としてそのムードに逆らえず、戦争へと進んで行った事もわかる。

 また、両方ともナチスドイツの力を妄信して、そこから他人任せの政策を考えたり、そういった点も、強硬派は軍部の中での学校成績優秀者が多かったようだが、どうして勘が鈍く、本当に重要な事が分からなかったのだろうか。そういった優等生には何か欠陥が生じるのだろうか?(現在の経産省の官僚も同じなのか?)

 好戦的な雰囲気の軍人の例が出てくるが、何か現代の日本の政治家にもけっこういそうであるし、自衛隊の中にもこんな感じの人が次第に増えてきたら恐ろしい事だ。

 これは、ノモンハン事変で失敗して中央に返り咲いた陸軍の辻政信参謀の様子、ちょっと引用すると、
『~若い参謀が反論する。好機南進はかならず米英との戦争となる、独ソ戦の見通しもつかないうちに、日本が新たに米英を相手に戦うなど、戦理背反そのものではないかと、と。
 辻参謀が、とたんに大喝した。
「課長にたいして失礼なことをいうな。(中略)課長もわが輩もソ連軍の実力は、ノモンハン事件でことごとく承知だ。現状で関東軍が北攻しても、年内に目的を達成するとはとうてい考えられぬ。ならば、それより南だ。南方地域の資源は無尽蔵だ。この地域を制すれば、日本は不敗の態勢を確立しうる。米英怖るるに足りない」
 若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、誤算があるのですか」。
 辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。今や油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」』
 そんな感じの軍人が増えていったようだ。

 海軍の方でも強硬派がいて、有名なのが『第一委員会』というのがあるという。戦後、半藤が調べようと旧海軍軍人に聞くと、皆「良く知らんなあ」とか、海軍良識派といわれた高木惣吉元少尉は、「そんなことは、半藤君、知らなくていいから、余計な詮索はしない方がいいと思うよ」と忠告されたという。
 神がかったような強硬論者に海軍が引きずられていった事を公にするのは、海軍だった者にとって恥だったのだろう。

 海軍の方を引用すると、
『~こうして海軍中央は有事の場合の準備をすすめるとともに、人事や機構の整備も完璧をめざし、15年春にはほぼ陣容をととのえた。
 (中略)
 ~かれらは事あるごとに、第一次大戦に敗北した祖国の復興をかかげて邁進するドイツを賛美した。人間はすべて創造者になれるというニーチェの思想を、行動原理とするヒトラーをたたえた。石川大佐は言った。
「ナチスはほんの一握りの同志の結束で発足したんだよ。われわれだって志を同じくし、強固に団結しさえすれば天下何事かならざらんや」
 柴勝男中佐は昂然としていうのを常とした。
「金と人(予算と人事)をもっておれば、このさき何でもできる。予算をにぎる軍務局が方針をきめて押し込めば、人事局がやってくれる。自分がこうしようというとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる」
 井上成美中将に面と向かって「三国同盟の元凶」と叱責されたこともある柴中佐は、「理屈や理性じゃないよ。ことを決するのは力だよ、力だけが世界を動かす」とうそぶいた。』

 そして、これらの委員会などのメンバーには、海大首席卒業の恩賜の軍刀組の秀才が多かったという。
(人事を自分の目的に使うなど、現在の内閣官房のような感じなのだろうか?)

 半藤一利の言葉に、
 『永野軍令部長総長の「いまの若い連中はよく勉強しているからな」という言葉が、何ともバカらしく響きます。明確な目的意識のないままに、海軍首脳は陸軍に張りあうために第一委員会を甘やかしすぎたのではないでしょうか。』
 とあります。

 最後に次の事が書いてあります。

『~昭和16年12月に大日本帝国が対米戦争をはじめるときの海軍中央の陣容をみると、エッと驚くことがあるのです。なんと、薩長出身の対米強硬・親ドイツ派の連中で固められていたのです。永野軍令部総長の高知(土佐)出身を筆頭として、まず山口県(長州)出身は左のとおり。(中略・5人の名前が書いてある)鹿児島県(薩摩)出身も多いのです。(中略・5人の名前が)
 第一委員会のメンバーのほとんどが親独派の薩長出身。これにたいして対米協調派の協力トリオの米内政光が盛岡、山本五十六が長岡、井上成美が仙台で、いずれも戊辰戦争のときの賊軍派出身の面々。これに加えて鈴木貫太郎も千葉県関宿で賊軍派です。「“官軍が”はじめた昭和の戦争を”賊軍“が終わらせた」といって、よく識者に笑われるのですが、あながち出鱈目をいっている訳で無いのです。』

 これは本当に偶然ではないような気がする。徳川幕府を倒し、薩長が明治政府を作ったのだが、その根本精神の一つに「尊王攘夷」的な感じで「国威を海外に進展させていく」という吉田松陰などの思想が根本にあり、しみついていた訳だから。

 読み終わって、現在、こういった雰囲気の政治家も増えているような気がする。自衛隊の方はどうなのだろうか?田母神俊雄などという方もいた事を思い出す。イラクへ行った髭の隊長も現在国会議員だ。大丈夫なのだろうか?
 安倍首相も長州出身者だ。

 朝鮮半島情勢もまだまだ不安定な時、嫌韓どころの話ではないではないか。しっかりと客観的に状況を見る事の出来る政治家や官僚が日本のかじ取りをしなければ。
強硬派の軍人も今聞くと、おかしな事を言っていると思うが、当時は、マスコミもそれを先導し、国民が熱狂的に支持したのだろう。強硬派は、そちらからも自信を得ていたのではないか。
 現在も、世論が嫌韓を支持しているというが(本当か?)同じような歴史はくりかえしてはいけない。