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上小三十山の「最近の風景」と「山道の自然」を中心に、伝えます。
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NHKスペシャル「スクープ平成史D」を見た

2019/02/19 10:33
 今回のものは、平成の初めにノーベル賞を受賞した島津製作所の会社員の田中耕一氏の受賞当時から現在までを追い、以前クローズアップ現代で司会をしていた国谷裕子氏がインタビューするという番組。国谷氏は昨年ノーベル賞を受賞した本庶佑氏のインタビューも今回、行っていた。

 久しぶりに国谷氏のインタビューする姿を見て、また登場人物の話が聞けて、まともな人が出て来るまともな番組を見た気がしたが、それでも何か肝心な部分がカットされているのでは、なんていう気がしてしまうこの頃のNHKだが・・。

 番組は、田中氏が比較的若い年代でノーベル賞をとった後の人生を縦糸に、横糸は平成時代の日本の科学技術力、イノベーション力の低下について考えていくような番組であった。

 田中氏は、ノーベル賞を受賞した時に、その発見が実験中の偶然によって見つかった事であったため、またその発見を使って実際の成果に結びつけた人は他の外国の受賞者であったなど、自分としては達成感が無かったのだという。それゆえ世間の騒ぎ方など、心からは喜べなかったようだ。マスコミをずっと遠ざけていた田中氏が今回のインタビューでは当時の本心を語っていた。

 受賞後、勤めていた島津製作所の社長は、田中氏の発想を発展させるために研究施設を作り、会社の予算も大きく投入していく。ノーベル賞を受賞した原理の研究を進め、血液を調べるだけであらゆる病気が分かるようにという発想で田中氏は研究を進める。しかし中々結果は出ず、周囲の期待が田中氏にとって重荷ではあったようだが、着実にがんばり続け、何年後かには国の重点研究にも指定され大きい予算がつけられ、さらに田中氏も海外や他の研究機関と連携したりそこから学んだりし、若い未完の才能にも注目し、優秀な人材を多く研究所にも引き入れ、その活躍にもより、血液を調べるだけで、アルツハイマー病の発症が分かる方法、治療へと結びつく大きな発見をする。昨年ネイチャーにも取り上げられた、再び世界から大きな注目を浴びているという。

 田中氏の研究は、まさに平成の時代に行われた研究の成果で、次の時代のノーベル賞級の成果なのだが、一方、平成になっての日本の「ノーベル賞ラッシュ」それは昭和の遺産であり、平成時代の成果では無かった。昭和の時代に若手、中堅だった人たちの活躍によってなされた成果だった。
平成に入ってからの日本の科学技術力や科学研究の力は、世界的には凋落の一途をたどっているようだ。色々な表などでその状況が示され、平成の時代とは本当にそういった時代だったのだと寂しさとともにやはりなあ〜と実感した。

 こういった危機感を、平成の時代に表舞台に立ってやってきた官僚たちや現在の政治家たちは、本当にちゃんと理解し、問題としてとらえているのだろうか?到底そのようには思えない。

 最近の様子を見ていると、こういった本道の問題点に取り組まず、まるで、目先の権力闘争や、時代錯誤の間違った方向に国を漂わせようとしているとしか思えない。マスコミもかつてのクローズアップ現代のような批判精神を失って大本営発表的な政権の宣伝のような事をしている。

 平成時代の凋落の原因としてあげられているものに、国立大学の法人化により、今まで、国立大学へ配分されていた「基本的な御飯」とも言える予算がきちんと配分されていたものが、年々減らされて行き、競争力のある研究に重点的に配分するという方針、名目もあって、徐々に少なくなってしまった。そのため博士課程を過ぎても大学などに勤め口が無く、そういった方向へ進むとする人も少なくなってしまい一気に力が低下していったようだ。
(以前、クローズアップ現代で取り上げられた番組の様子が紹介されていた)

 これは、バブル崩壊とか、小泉内閣から始まった構造改革によって起こってきた事のようだ。きっと新自由主義の「成果主義・競争原理」といったような政治的発想が単純にこういった場にも適応され、その悪影響を及ぼしているのだろう。
 社会の色々な場において、そういった新自由主義の負の面が日本社会を大きく傷つけていったような気がする。もちろん良い面もあったのだとは思うが。

 最近、ノーベル賞を受賞した本庶佑氏が、こういった日本の研究体制の危機をノーベル賞受賞の時にインタビューなどで多く語っていた。番組でも、それを聞いていた国谷さんが、今回、本庶氏にインタビューしようと思ったと語っていた。本庶氏は、「科学というのは、未踏峰にだれが最初に登るか、という競争の世界という面が元々ある訳だが、どの試みや、やっている事が成果が出るとか道があるか、などと言う事はだれにも分かっていない。だからとにかくやってみないと分からないのだから、「予算のばらまき」という面も必要である。明治からの日本の科学の積み重ね、流れがあってここに至っているのだから、この凋落で終わるのでなく、若い力に重点をかければまた復活していくだろう。」というような意味の事を言っていた。

 とにかく若い研究者が色々と挑戦できる場を整備するのが国のつとめだろう。
 アメリカの言いなりにミサイルなど導入に無駄な莫大な金を使うべきでない事はいうまでもなく、従来の様な原発やダムやリニア公共事業などにいつまでも大金をつぎ込んだり、ミエで世界に無駄金をばらまいているようでは、「売り家と唐様に書く三代目」となるのは子供でも分かる事だ。
 私も。本庶氏がノーベル賞を受賞した時のインタビューを聞いてこんな事をブログに書いていた。
https://js30.at.webry.info/201810/article_3.html

 田中氏は、イノベーションというのは技術革新という訳が日本ではされているが、本来の意味は、新しい考え方が生まれるとか、発想が転換するとか、そういった開かれたような事であり、若い人達の今後の挑戦に期待する、というような事を言っていた。
田中氏のように修士や博士でない普通の会社員で科学のノーベル賞をとった人はいないのだという。現在も島津製作所の研究所長だが、エンジニア・会社員という立場だ。研究を追及していく中で非常に開かれた自由な考え方の人の様な気がした。こういったこともイノベーションには大きな要素なのだろう。

 この番組では、かつてのクローズアップ現代がきちんと時代の大きな問題をとらえていた事を示していると思う。その国谷氏も現政権に番組を追われてしまった。
 おりしも安倍首相はトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦したとのニュースが入ってきた。こんな人が日本の政治家たちのリーダーである国、そういった政治家しか選べない国民。こんな国にもうまともな科学技術や社会のイノベーションが起こるなどと期待する方が間違っているのかもしれない。

 









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韓国国会議長の発言への反応を考える

2019/02/14 09:48
 韓国国会議長の発言について、政府は批判を強めていて、安倍首相も予算員会で、「多くの国民が驚きや怒りを感じたと思う。文議長はその後も同趣旨の発言を繰り返しており、極めて遺憾。引き続き謝罪と撤回を求める」と強調している様子が、NHKの夕方のニュースで伝えられていた。

 一つ不思議に思う事は、このニュースが伝えられたしばらく前だったか、民放のニュースでは、韓国議長の「総理大臣や天皇陛下が一言謝れば、解決する問題」という言葉が伝えられていたが、いつの間にか、総理大臣は抜けてしまって、天皇陛下だけになってしまっているが、これはどういうことだ?

 A「総理大臣や天皇陛下が謝れば」と言った韓国国会議長に対して安倍首相が腹を立てている姿と、
 B「天皇陛下が謝れば」と言った韓国国会議長に対して腹を立てている安倍首相の姿と、二つ並べて比べて見ると、
Aの方は、自分の事を言われてカッとなっている様子に見えるが、Bは、いかにも天皇陛下に失礼な事を言った相手に対して怒っている忠君愛国の士、といった感じの印象を出せる。
 NHKやマスコミはその辺のイメージを忖度して「総理大臣」という言葉を抜いているのだろうと思わざるを得ない。
 ちゃんと『正確な情報』伝えてほしいものだ。

 それと、『多くの国民が驚きや怒りを感じた』と言っている事だ。本当に多くの国民がそう思っているのだろうか?

 私は、別にそれを聞いても驚きもしなければ、怒りも感じない。
 朝鮮半島の歴史をしっかり学べば、韓国の人は、そんな風に考える事も当然あるだろうな〜、と思うだけで、それを驚いたり、怒る気持ちは全くない。逆に、韓国国会議長の言うように、総理大臣や天皇陛下が、本気でちょっとそんな風に謝ってでもくれたら、一件落着ですべてが簡単に解決するかもしれないな、と思うだけだ。まあ、常識で考えてもそんな事はありえないのだが。
 今、半島情勢が流動化している時に、日韓両国でそんなもめ事をしている暇があるのだろうか、とあきれるばかりだ。

 天皇陛下は、もし政治に口出しできるような立場だったら、「それですむのなら私が心から一言、謝りましょう。」と言ったかもしれないが、当然それは憲法上出来ない話だ。
そんな事言うはずが無い、天皇陛下だって怒っている、と思う方がいたら、思い起こしてほしい。
 初めての沖縄訪問の時に、沖縄訪問反対の過激派に火炎瓶を投げつけられても、その後も繰り返し訪問して沖縄を学ぼうとしている姿勢や、長崎市長が右翼に拳銃で撃たれた時のコメントで、『言論の自由が大切で、天皇制の可否についての議論も禁じるべきでは無い』という意味の発言もされていた事を記憶している。
きっと朝鮮半島の歴史も良く学ばれて、色々と思う所があるのだと思う。

 今回の韓国との問題をマスコミが大きく取り上げるのは、参院選、国民の意識向けの「選挙参謀」の作戦による政権側プロパガンダの一つだろう。おりしも、政権御用達の作家による様々なおかしな歴史認識の本も続々発売されているような感じだ。民主党政権から自民党政権へ政権交代した時には、『尖閣諸島、竹島』の問題が大きく取り上げられて安倍政権誕生に大きな追い風になったのだと思う。

 野党も、もたもたしているとまた同じ事になるだろう。
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TBS報道特集で「AI時代を生き抜く教育 」というのを見た

2019/02/12 11:02
 番組の紹介はこのような物
『東大を目指す人工知能の研究と調査からわかったこと。それは人間の子供たちの読解力のなさだった。AI時代を生き抜くために必要な教育とは。研究者や教育現場の取り組みに迫る。』

 番組では、「東ロボくん」というAIを開発し、東大の入試問題を解かせ,合格レベルまでにいく試みをしていたが、AIも、だんだん成績があがってきて、偏差値も上がり、入れる大学が増えてきたのだがどうしてもある程度のところまでいくと頭打ちになってしまう。数学や世界史などは成績が良いのだが、国語などで文章を読み取って考える問題が出来ないのだという。テレビでは、会話のつながり具合から判断できる問題で、人間なら当然分かるようなものだが、AIにはできないという事をやっていた。AIは意味が分からないまま、膨大な過去の資料などの積み重ねを瞬時に計算して答えを出そうとするがそういった方法ではうまく読み取れないようだ。

 ウイキペディアを見ると、この開発についてや、研究内容が分かりやすく書かれていた。
『東ロボ君』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%81%8F%E3%82%93
『新井紀子』(東ロボくんのプロジェクトリーダー)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%B4%80%E5%AD%90

 番組では、開発の中心者である女性の教授が、AIと同じように人間の子供に同じ読み取る力のテストしてみたところ、相当、理解していない事がわかり、例えば学校の数学の問題でそもそも、その問題の文をちゃんと読み取っていない事も明らかになってきた。
 原因として、テレビやゲームなどの影響も大きな原因のようだが、番組ではそこを取り上げるのではなく、新井教授が、現在の子供達の状態へ危機感をいだいて、AIの成績を上げる取り組みをいったん止めて、子供たちの読解力をつける研究に方向を変えて取り組んでいる姿を追っていた。

 私のような数学が弱い頭の悪さに自信のある者にとっては、AIが大学入試レベルの数学が良く出来る力があれば、文章の論理性や正確さなどは簡単に分かるのではないか?という気がするのだがそうではないという事なのだ。その辺の事が私には本当は良く理解できない。

 教授による、現実の4年生の子供達への授業の様子が放送されていた。オセロの白黒の石の並び方を文章でどう表現するか、あいまいさが無く、正確にその並び方を表現するには、どのような文章にしたらよいかを考えさせる教授の手作りの授業をやっていた。また、その教授と共同研究をしている小学校での、その学校の教師による、接続詞について考えさせる6年生の授業が紹介されていた。こちらは国語の教科書にある文法などの単元を利用している?ようだった。
 どちらも、子供達も熱心に取り組んでいて、文章について、正確さ、論理性といった面を育てるのに有効だろうなと思えるようなものだった。実際、学力へ結びつく成果が見られてきたという事だった。

 この、番組での小学校の国語の授業の様子は、とても頭がすっきりするような気持ちの良いものなのだが、先生が問題を与えて生徒が考えて答えていくようなある意味一方的な授業である。(もちろんここで、だからそれが悪いと言っている訳では無い。集中的にその力を付け、他教科へも波及するよい方法と思う)

 だが、この番組を見ていて、思い出した授業の様子がある。それは、「斉藤喜博の島小学校」の授業だ。これは、1950〜1960年代の事で、私は、まだ子供だったから実際それを見た訳ではない。
『斉藤喜博』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%96%9C%E5%8D%9A
この島小学校に、当時の文部大臣が見学に行く事になったのを校長の斉藤は断って、当時若い作家であった『大江健三郎』を招いた。その大江健三郎が「未来につながる教室―群馬県島小学校」というレポートを書いている。

 私の若い頃、買って大して読みもしなかった大江健三郎の「厳粛な綱渡り」というエッセイ集にそのレポートが載っている。国語の授業の様子が描かれているのだが、そしてそれは文学作品を使った授業なのだが、今それを読んでみて教室での授業の様子を想像すると、こういった授業が「人間しか出来ないような文章の読み取り方を鍛えている」のではないかなあ〜という気が強くしてくる。

 授業方法においても一方的に与えられる形では無く、子どもたちが自分で学んでいく方法や、話し合う場面もあり、より内容の濃い物のように感じられる。こういった授業では文章に対する問題となっている論理的な面ばかりでなく、感情など様々な面など色々な要素で子どもにとって良いのだろう。文章を論理的に正確に読み取る力だけでなく、他の学力や心理的な良い面も一緒に育ってくるのではないか?

 若き大江健三郎がその授業の内容を表現しているのだから、私がここで変な事を書くより、それを直接、読んでもらった方がいいだろう。今、アマゾンで検索してみたら、500円以下で中古本がある。「厳粛な綱渡り」の中の「未来につながる教室」は私の本では12ページで短いから、暇のない関心のある方は読んでみたらどうだろうか。

少し前に話題となった、この授業方法も同じような要素を持っているように感じる。
https://js30.at.webry.info/201104/article_22.html

 大江健三郎が、AIが出る前に名付けた「未来につながる教室」は、文字通りAIのある未来をも含み、越えているのではないかと思われた。


 
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日韓関係を憂う

2019/02/10 21:19
 テレビを見ていたら「日韓問題」がこじれてきた事を報じていた。
ソウル市では、「抗日の歌集」が学校で配られる事になったと報じていて、驚いたのだが、その内容を聞いてみると、日本の植民地時代に抗日運動をした時の歌などらしい。

 これは、韓国の、日本からの抗日運動、100周年記念に向けての活動の一環で、現在の情勢と関係なく、「愛国心を醸成するため」の教材であるとしているようだ。日本人としては気持ちの良い物ではないが、かといって冷静に客観的に考えて見れば、世界のどこの国でも、植民地にされた国が、植民地にした国に対して独立運動を起こした事はその民族の誇りでもあり、独立記念として祝うのは、別にいやな事と目を三角にするほどの事では無く、普通の事でもある。例えば、アメリカは独立記念日などに大々的に記念日で華やかに祝うのだろうが、それについてイギリスは、いちいち問題だなどとテレビ番組で報じるだろうか?

 本当は、現在の日本人がそんな事を気にする必要は無いのだが・・。
もっとも、現在の日本人は外国に占領され、そこから独立した経験が無いから、そういった事に対する共感も生まれようはずが無いと言えばそのとうりなのかもしれない。現在も独立国とは言え、アメリカの属国というようになっていても、それが恥でなく良しとするような人が多い。独立したことのない人にとっては「独立運動」など理解外の事だろう。

 でも、ソウル市でそういう歌集を配る事は、良い事とは思わない。
日本でも、明治維新でもって、外国からの干渉をはねのけて独立を保ったことを、いつまでも「すごい!」と言って繰り返しテレビドラマでやったり、安倍首相は桜島をバックに演説をするのに利用していたりするのと、この韓国の抗日運動を盛り上げようとする勢力の姿勢はちょっと似ている感じだ。

 要するにこれは、政治家たちが同じ事をやっているのだろう。「愛国心、ナショナリズム」を利用して自分の政治的に有利な状況を作ろうとしているのだろう。一部マスコミもけっこうそれに協力していると言える。

 さらに冷静になって客観的に見てみると、日本は明治維新を機に、アジアを植民地化しようとした訳で、明治維新がそれほど「アジアにとって目出度いこと」では無い事は、幼い子供でもなければ理解できる事だし、一方、韓国も、考えてみると、日本からの独立は、アメリカに日本が負かされたから、出来た事だから、日本を憎いという気持ちは変わらないが、心の底ではそれほど「すばらしい!自力で独立」と誇れるような気分なのではないのだろうか?

 お互いに日韓ともある種のコンプレックスがあって、それを見つめず、お互いを攻撃し合えば、それを考えずにすみ一時の満足感が味わえるのかもしれない。だからいつまでも日韓の感情のしこりは残るのだろう。

 おまけに、朝鮮戦争では同じ民族同士で殺し合い、太平洋戦争当時より死者などは多いのだろう。また、その戦争で日本は大いに儲けたわけだ。
 同じ民族が殺し合うような事態にいたったのは日本の植民地化に責任があるのだろうか?

 そうとばかりは言えないと思う。例えば、同じく国が植民地化されその後、南北に分かれて戦争をしたベトナムのフランスに対する気持ちを考えてみると、それほど気にしていないようだ。 やはり植民地時代の日本の圧政のひどさに原因があるのだろう。慰安婦の問題、徴用工の問題、等々、日本の植民地時代の記憶と朝鮮戦争の悲劇と火事場泥棒的に儲けた日本への怒りもあり、それらが入り混ざり合ってさらに倍加した怒りが日本に向かってくるのだろう。

 日韓両方のお互いの政治家が、それほど全面的にすばらしい事では無いような歴史を、ナショナリズムを煽るために使うのはもう止めにしたらどうか。

 そして、しっかりと歴史の客観的な姿を認めるべきだろう。特に日本は一方的に被害を与えた方だから、よほど考え深く客観的に見て歴史的に検証する必要があるだろう。

 「いじめ」問題などでも、やられ、威張られた方は、それこそ一生残る様な心の傷を受ける場合もあるが、やった方は、そんな事あったっけ、などと忘れてしまうような事がよくあるが、それと同じ事だ。
 ところが、日本の多くの政治家たるや近代の歴史など全く勉強しようとせず、その知識は嫌韓本の知識くらいな物のようだ。そんな事で物事が前に進んでいく訳が無い。

 囲碁の才能ある可愛い日本の少女が韓国人の世界チャンピオンと勝負する映像がテレビに出てきているが、こういった民間の交流の方がよっぽどこれからの日韓の国民の関係にプラスになる。
 以前、流行った韓流ドラマも同様な働きをしている。

 政治家はこういった事を本当に見習ってほしいものだ。また、国民も、ちゃんと歴史を学び、政治家や一部のマスコミのナショナリズムを煽る放送に洗脳されて戦前のような事にならないよう心すべきではないか。まずは今年の参院選に利用されると思う。野党は統計問題などつついている暇があるのだろうか?

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統計問題についてさらに

2019/01/30 22:31
 良く見る「ジャーナリスト同盟通信」というブログに、この統計問題の本質について識者が解説された物が出ていて、先日、私が書いた物より、より本質的な見方であると思うので、ここにその一部を『コピー』してみる。

 『行政統計などの基幹情報は、人間関係資本、自然資本、文化資本などの「共有資本」に関わるものであり、社会の安定を支える社会的規範を守るものである。 このような共通資本は、市場経済とは別の秩序やリズムをもっているが、市場経済を下支えするものでもある。 しかし、共通資本は、市場経済が生み出す商品などとは異なり、明確な姿かたちとして表れてこないので、その重要さが分かりにくい。』

 『新自由主義が軽視した公共資本
毎月勤労統計の不正が2004年頃より厚生労働省内で、組織的に継続されてきたことは、何を意味するのか。 この不正が開始されたのは、「小泉・竹中構造改革」が声高に叫ばれ、「効率−公平モデル」を掲げて規制緩和や自由化へとわが国が巻き込まれた時期と符合する。 このような新自由主義では、市場の自由を重視するあまり、ともすれば共有資本を無用の長物と見なし、規制緩和に邁進するのである。
公共資本をないがしろにしても構わないとする新自由主義の機運が、毎月勤労統計の業務に影響を与えなかったのであろうか。 時の政府からはさほど重要とはみなされていない行政統計であり、しかも当該統計データを収集するのには膨大な労力を要するとなれば、手抜きが許され、そのことが勤労統計の処理を効率化することに繋がるとの合意が厚生労働省内で成立したのではないか。』

 『行政統計は公共資本を形成するものであり、それが信頼を失ったとなると、とどのつまりはわが国の安心・安全が危機に瀕していることになる。 行政統計には専門知が欠けているばかりか専門家としての真摯な姿勢もうかがうことができないとしたら、何を頼りに国家の未来を構想しなければならないのか。』

 旧民主党政権下でも、修正されずにこの行政統計が続けられたわけだから、こういった事は、野党の追及も、自己反省を含んだり、統計行政が国民の「共有資本」である事に国民が気が付き、新自由主義的なその他の問題にもつながっている事に気づかせるような考え深い追及でなければならないのではないか?

 
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毎月勤労統計不正問題について

2019/01/24 16:47
 このごろ、昼のテレビ番組を見ていたら舛添元東京都知事が、「実際の調査は東京都がやるので、事業所などから調査を面倒臭がられ、東京都側が、その調査の大変さを厚労省に言い、厚労省ではその圧力に負けて抽出調査にかえたのだろう。」という意味の事を言っていて、私もそうなのだろうなあ〜、という気がした。

 問題は、そういう状況なら、現場での調査のその大変な状況をきちんと問題として都や国はとりあげ、それを行政や政治の問題として、ちゃんと話し合い、方法を工夫するとか、法律を変えていくとか、正式な手続きをとって進めて行くべきで、そうしていなかったので「不正」となってしまう。

 もう一つは、今回の問題で、この基本調査の結果が、色々な面で大きな影響を持っていた事が私にも分かったのだが、役人も、私と同じレベルで、そういった広い視野を持って調査の本質をとらえていなかった事が今回の事で分かる。

 こういった二つの傾向は、日本の社会の中にけっこうあるのではないか?

 まず、一つは『現場』の問題から出発しないという事。現場の問題をしっかりつかんで、そこから出発して大きな所に行かない「現場無視」の傾向。
 現場での問題が、一番重要なのに、何かレベルの低い事であるかのように取り扱われる。

 これは、常に「上意下達」の中で生きていたり、それこそ、前に「ゆとり教育」の所でも考えたのだが、「総合学習」などで自分の生活の中から出発して学んでいくといった教育方法でなく、与えられた物を憶えたり上手にこなす事を重視する教育によって培われてきてもいるのだろうか。民主主義が本当に根付いていないところも関係しているのかも。

 そして、「広い視野」からの判断が出来ない事。これも同様な根から発生している事なのだと思うが、与えられた物をうまくこなしたりするだけでは、狭い目の前の状況を操作して解決しようという風になってしまう。
 そんな風にならないようにするには、個々の興味から出発して広い世界を体験させるような、より考えられた手間暇かかる教育方法が必要なのだろう。
 見識や理想の無い頭では、今が良ければれば原発やカジノが国や国民に良い事だ、などとなってしまう。

 ただ重箱の隅をつつくような物を学ぶ、そういった詰め込みに耐えられる、受験技術の優れた学生が国家の官僚となって国を動かし、そしてまさに「現場」というものを知らずに育ってきた三代目政治家と相まって、国を動かしているから、さらにミジメな事になってしまうのではないのか?

 
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日本国民の意識は?

2019/01/16 22:07
 ネットを見ていたら、この言葉が紹介されていた。

 アメリカの政治学者ローレンス・ブリット博士による『ファシズムの初期の兆候(Early Warning Signs of Fascism)』で、ワシントンD.C.のホロコースト記念博物館に掲げられているものだという。
 これは、以前、前川喜平氏が、どこかで紹介し、私もブログに載せたような気がするが、これは他の方が紹介していたものだった。もう一度、紹介すると。

 ファシズムの初期の兆候
・強力で継続的なナショナリズム
・人権の軽視
・団結の目的のため敵国を設定
・軍事優先(軍隊の優越性)
・はびこる性差別
・マスメディアのコントロール
・安全保障強化への異常な執着
・宗教と政治の一体化
・企業の力の保護
・抑圧される労働者
・知性や芸術の軽視
・刑罰強化への執着
・身びいきの蔓延や腐敗(汚職)
・詐欺的な選挙

 そして、さらにここでは、ヒトラーやゲーリングの言葉も紹介されていた。

ヒトラーの発言(『わが闘争』より)
『大衆の理解力は小さいが、忘却力は大きい』
『効果的な宣伝は重点をうんと制限して、これをスローガンのように利用し』
『最後の1人まで思い浮かべることができるように継続的に行わなければならない』
『民衆の圧倒的多数は冷静な熟慮よりむしろ感情的な感じで考え方や行動を決める』
『肯定か否定か、愛か憎しみか、正か不正か、真か偽りか』
『何千回も繰り返すこと』

ゲーリングの発言(敗戦後、獄中での発言)
『一般人は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツも同じことです。ですが、政策を決めるのはその国の指導者です。それに人々を従わせるのはどんな政治体制であろうと、常に簡単なことです』
『国民に向かって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けているし、国を危険に晒していると非難すればよいのです。この方法はどんな国でもうまくいきますよ』

 北朝鮮問題の読み違え、原発輸出や株価操作、トランプ大統領とすべて一致、など様々な事が間違った失敗政策であった事が次第に明らかになりつつある。沖縄基地問題やモリカケ問題も継続している現在、客観的に見れば、どう考えても現政権のおかしさがあらわなのだが。
 韓国との色々な問題をマスコミで大きく取り上げている事の背景には、今年の選挙に向けての、現政権側の危機感から、国民の目をそこからそらすためにマスコミの力を総動員して我々の意識に働きかけているような気がする。

 テレビを見ていたら、世論調査では、国際捕鯨連盟から脱退した事を支持した人が不支持よりわずかであったが多かった。
 そのくらいだから、おそらく韓国問題も政権の意図する世論操作が成功している事だろう。
 北方領土問題が、平和条約締結と2島返還とでも決まれば、安倍政権の支持率は70%くらいに上がって、憲法改正(改悪)も簡単に出来てしまうのだろうか?
 日本国民はそんな程度のものなのだろうか。
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 何かおかしいぞ、日韓問題

2019/01/11 18:42
 現在の日韓の徴用工問題などが騒がれる事について、何か変だなあ〜という感じがしていた。

 ムンジェイン大統領が、「国家間の問題として取り上げるべきでない、また歴史の認識をふまえて日本はもっと謙虚に」という言葉は、何となくまともな発言に感じた。
 しかし、法的には日本の言っている事が正しいような気がするのだが、しかし何か腑に落ちない感じが続いていた。

 そこで、久しぶりにこういった政治問題についてネットで調べてみると、やっぱりちゃんとした事実があった。
 日韓請求権問題は、国家間の賠償で、個人の被害への請求は認められる、との韓国の最高裁の判決は、日本側でも以前はそのような見解を言っていて、あながちこじつけでは無かったのだ。
 また、今までも、今回も、当事者の会社が、徴用工などと個別に賠償を行おうとすると、日本の外務省や法務省など政府がストップをかけていたのだ。
これを読むと事実がよく分かる。
https://lite-ra.com/2018/11/post-4345.html

 今回の色々も、安倍政権の圧力が当然あったのだろう。
 そして、マスコミが一斉にそれに協力している感じだ。これはもしかしたら、色々な事が明らかになって、アベノミクスも虚構で、北朝鮮問題もネタに出来なくなり、参院選へ向けて政権に何とか追い風を吹かせるための作戦という面があるのかもしれない。

 現に、かつて民主党から安倍政権が政権を奪取するために、「尖閣諸島問題」を大きく取り上げ、日本が右傾化する雰囲気を高めるのに大きく貢献した事を思い出せば良い。
 現在だって、尖閣諸島周辺は中国の船が当時と同様に航海しているのだろうが、何もマスコミは取り上げていない。

 野党は、こういった政権やマスコミを使ったプロパガンダについてもしっかり分析し、事実を明らかにして鋭く追及すべきだ。こんな状態ではいつまでも安倍政権に勝てない事だろう
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テレビ見すぎ?の年末年始

2019/01/06 19:04
 1月6日、小寒で昨日より肌寒い日となっている。空は曇りだが弱い冬型のようで、雪は降っていないし、風も吹いていない。
 ちょうど散歩に良いと思い、昨年末に根橋さんと歩いた尾野山城址付近を歩いてみた。
 この前は気が付かなかったが、祠の横に、山城研究家の方の解説がついていた。
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 根子岳、四阿山方面
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 烏帽子から三方が峰方面
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 これはこの前も気が付いていた
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 こちらは今日、気が付いた
 
 年末、年始とTBSで、平成を振り返るという報道番組というか、関口さんが司会の番組をやっていて、(今日はサンデーモーニング)どちらも完全に見た訳ではないが、現在の時代というものが何となく分かってくるような良い番組だったのではないか。

 バブル崩壊後、日本は全く産業力が低下の一途をたどっている事が良く分かったが、それは従来の路線から、それを乗り越える発想や力が国民から出ていない事のようだ。

 「里山資本主義」の藻谷浩介が、現在の異次元の金融緩和が続いている状況を、もし何か非常事態が起こった場合はひどいインフレが起こる可能性があるのだが、国民が選挙でその道を選んでいるので、それは国民の責任でもある事を自覚すべき、と言っていたのも印象的だった。
 そんな風になったら年金生活者の我々は悲劇だ。

 世界的な貧富の差の拡大やインターネットの拡大が、世界の政治体制を劣化させている現状も伝えられていた。
 AIの発達は、それをちゃんと使いこなせる人間側の力が必要で、日本の平成の時代の三代目の世襲貴族政治が、昭和の時代のバブルの夢を再びというような、時代遅れの事しかできなく、新たな道を踏み出す能力が無いというような意味の意見も述べられて、そうなのだろうなあ〜、と納得した。

 それらの番組とは別に、昨晩、NHK・BSで、「大江戸」という番組をやっていて、これは以前の再放送だったのだが、その内容は、ほとんど忘れてしまっていたのだが、昨晩思い出しながら興味深く見ていた。

 この番組の中で、印象的だったのは、江戸時代初期の武士たちの基本計画のすばらしさもさることながら、最近の海外の研究で、江戸時代の中期以後、日本の経済成長率は、世界でトップクラスだったという事だ。そしてそれは、当時のイギリスやオランダのように植民地を持たないのに達成されていたという事が驚きだ。
 番組では、江戸の職業の多様化、細分化とか、1700年代の世界的天候不順などによる凶作で、貧しい民が暴動を起こすのだが、フランスではそれによって革命が起き、王が倒されるのだが、日本でも、暴動が起き、打ちこわしなどが起こるが、それを機会に町民の富裕層がお助け米など莫大な備蓄を貧しい人達のために行うという、貧者に無関心で贅沢を続けたフランスの王や貴族たちとは違った行き方をしたため、その後の日本の経済発展も続いていったという事が解説されていた。

 明治維新が外圧によって起こり、その後の日本は、この西欧の歩んだ植民地主義を取り入れてアジアへの進出を行った訳だが、もっと落ち着いて江戸時代の良い面を延長させていっても良かったのだろう。
 江戸時代、植民地を持たない日本がそういった経済成長をとげることが出来た要因の一つに日本の自然の豊かさという物がある事も確かだろう。(原発を再稼働させて、一旦地震で事故でも起きたら日本の豊かな自然をダメにし、それこそ国民がどこかの国の不毛の地へ移民せざるをえないような可能性を選んでいる現在の政治と比べてみよう。しかも「美しい国日本」がその政治のスローガンなのだ。)

 日本に来た西欧人が江戸末期や明治初期の日本人の礼儀正しさや質素でも幸福な生活ぶり、自然との調和のとれた生活などに感銘を受けているが、そういった物も打ち壊されてしまい、荒々しい攻撃的な国家ナショナリズムなどが叩き込まれたのだろう。

 グローバリズム、新自由主義、というものが、現在の混乱の原因とすれば、日本はもう一度、鎖国の中で高度な経済成長を成し遂げ、資源循環型の体制を作っていた江戸時代の日本の良さも再認識しても良いのではないのか、などとも感じられた。
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鯨よりイノシシや鹿を食べたら

2018/12/24 13:02
 先ごろ日本が、国際捕鯨委員会IWCを脱退するというニュースを聞き、まあ食文化を守る大切さとか、外国人がクジラだけを可愛がる?変な習癖のようで、日本の捕鯨を目の敵にする姿勢も身勝手な事なのだろうとは思うが、とはいってもクジラの肉などもう食べなくなっているから、捕鯨はそろそろやめてもいいのではないか、とは誰でも感じている事ではないのか。

 老人の部類に入る私などの年代(68歳)でも、学校給食ではクジラの揚げ物?がよく出たり、家でクジラ肉の缶詰を食べていたりした。
戦後の食糧を得るための南氷洋での捕鯨船団の活躍などノスタルジーを感じる事はあっても、現在たまに食べてみたいとは思っても、あえて鯨大和煮の缶詰を買って食べることなどは無い。
 現在では高いしそれほど美味しい!というほどの物でもない。

世の中を見回してもそんなにクジラ肉を食べる事に拘っている人はいないだろう。
逆に生態を見るホエールウオッチングなどで観光に生かす所が多いのではないか。

農水省はなぜそんな決断をしたのだろうか?こんな決断は、自民党の二階幹事長が和歌山の出身なので、票稼ぎのためなのだろうか?
 ネットを見ても、こういった意見が出ている。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13824230.html
農林官僚や政策決定の政治家は、本当に客観的な国際的な利害とか日本の食料の現状とかを天秤にかけてきちんと日本全体の政策として考えているのだろうか?
 最近の日本の官僚や政治家は大丈夫なのだろうか?本当に心配になってしまう。

 IWCからの脱退などして国際社会からの非難を浴び続ける事に耐えてクジラ肉を食べるための捕鯨を続けるエネルギーを考えるならば、捕鯨は止めて、その分のエネルギーを「ジビエ産業」の育成に農水省は力を入れたらどうだろう。
 
 現在、日本の中山間地はもちろんの事、山に近い普通の農村地帯でもは獣害によって損害を受けている。中山間地などでは深刻だ。イノシシや鹿をとってそれを食肉にするなら、「ジビエ」の美味しい肉もとれるし、一番は中山間地の農業の獣害に効果があり、それこそ農水省の政策の重点のかけかたとしても一石二鳥で良いのではないか。

 現在、鹿やイノシシは、狩猟する人の減少や、害獣駆除で殺されても、処理の方法や施設などがちゃんとしていないから大部分が土に埋められたり、焼かれたりしているのだろう。
 
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NHKスペシャル 秘録 小選挙区制導入を見た

2018/12/23 09:43
 昨晩放送されていた、このような内容の番組

『シリーズ「平成史スクープドキュメント」。第3回は、それまでの政治の形を大きく変えた、1994年(平成6年)の小選挙区制導入をめぐる知られざる物語。今回、わたしたちは、政治改革を主導した後藤田正晴の未公開の日誌など、小選挙区制をめぐるさまざまな一次資料を独自に入手した。番組では、制度導入のプロセスに深く関わった当事者たちの証言を重ねながら、平成政治の姿を遠望していく。
インタビュアー/リポーター 大越健介・NHK報道局記者主幹』

 政権交代があったり、小選挙区制が導入されたりというこの時代は、私は仕事の事が意識の中心で、政治については現在のようによくニュースを見たり、今ほど関心は高く無かった。
 それでも、政局が動いて「さきがけ」が出来た頃、自分の小選挙区で現在の無所属の国会議員、井出ようせいのおじさんである、さきがけの井出正一へ投票してみた記憶があるし、小選挙区制なんて大丈夫かなあ、社会党や共産党が相当不利になってしまい批判勢力が衰えてダメではなか、という不安は大いにあったように記憶している。

 この番組を見て、初めて色々な状況が分かった。この選挙制度改革ははじめは、後藤田正晴などが、当時の政治状況の与野党の状況はこれではいけないという危機意識から提案された物だったが、それが自民党の権力闘争となってしまい複雑な迷走をし、政権交代などを通り過ぎ、何とか決まって現在の形になってきた事が分かった。

 私が、番組で印象に残った事は、当時の自民党はアメリカ的な共和党、民主党のような自民党の中の2大政党をめざしていたのに対して、当時の社会党に影響力が大きかった総評委員長は自民と革新政党的な2大政党を考えて実現できるかと考えていた事。
また、当時、社会党の参院議員で、これでは少数意見が切り捨てられてしまうと絶対に小選挙区に反対していた人が、社会党執行部はじり貧の状況で政党助成金が欲しくて、それを飲んだ事を語っていた場面だった。

 また、小選挙区比例代表併用制は、さきがけの武村代表がそれほど深く考えた訳でなく提案したものだという。しかし、昨日の番組を見て驚いた事は、その案は、小選挙区250人比例代表250人と半々であり、比例区も現在は地域ブロックだか、原案では参院の全国区のように全国を範囲としたものだったのだ。

 それが、当時の下野していた自民党と細川内閣との交渉で、一旦、参院で否決された物が、急きょ交渉で、細川内閣が河野、森、の自民党側の考えに妥協して、小選挙区300比例区100となり、比例区もブロックで行われるように変わった事が分かった。
 その人数割りが変だなあという印象があったが、その妥協の産物だったと分かった。

 番組では、この選挙改革がされてから、投票率がどんどん下がってきている事が示され、国民の選挙に対する意欲が下がる制度の現状を示していた。後藤田の理念からしても制度は絶対の物ではなく変えて行くべき、というメッセージで番組は終わっていた。

 小選挙区制はダメだからまた中選挙区制に戻せ、ではなくて、まずは、衆院選、この小選挙区250人、比例区250人で全国区、という武村の考えた原案に戻してやってみたらどうか。この方がずっと分かりやすくスッキリしているし良い。民意も大分ちゃんと反映されるだろう。

 番組では、大越さんがインタビュアーとして出ていた。そんな事も番組の価値を高めていたような気がした。
 
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尾野山城跡へ根橋さんと

2018/12/21 21:29
 今年も、「山岳巡礼」の根橋さんとの、恒例の「忘年・年末山歩き」の時期となった。

 上田市の小牧山にある尾野山城跡へ行ってみた。
 ここは、尾野山地区の人達が、「尾野山史跡巡り遊歩道」を整備していて、よいハイキングコースが出来ている事は知っていたが、まだ行った事が無かった。

 その整備がされるずっと前、尾野山城跡があると知って、愛宕神社まで行き、そこから登ろうとしたがヤブで止めた事があり、今年になって初めて歩いた場所だ。

 今回は、御嶽神社付近まで車で行って、西側から城跡を往復しただけだったが、展望がとても良く、道も整備されていてとても良いコースになっていた。
 駐車場所から城跡まで1kmも無い。ゆるやかに下っていく(帰りはゆるやかな登り)

 尾野山城跡から北を見る。展望図が作られていた。(人物は根橋さん・標高は734.5mとある)
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 城跡にある神社と説明板
 
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 御嶽神社から北東を見る。遠く白いのが浅間山 眼下に見えるのは「下ノ池」、「信州音楽村、付近」も見える
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  前回のフスブリ山登山は、私がさそった山で、さらに水を忘れてきて根橋さんのスポーツドリンクをいただいて私が全部飲んでしまったり、その登山の後に根橋さんの踵の痛みが出てきたので、反省していたのだが、根橋さんの踵の痛みも今日お聞きすると、ほとんど消えてきたという事を聞いてホッとする。
 
 山から下りて、食事をしたり色々と話したりした。考えてみると根橋さんとは、信州百名山の難しい山にご一緒していただいただけでなく、折にふれてこの15年以上、一緒に山歩きを続けている。
 小学生であるお孫さんの話を聞きながら登った山の記憶があるが、そのお孫さんも現在は大学生で、お互い年をとった物だなあ〜、と実感する。

 来年は初登頂の山にこだわらず、適当な良い山やコースを二か月に一回ぐらいは歩きましょう、という事でお別れした。 とてもおだやかな天気でよい山歩きでした。

 
 

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NHK。BS アナザーストーリーズで「ゆとり教育」をやっていた

2018/12/19 22:53
 NHK BSのアナザーストーリーズは、時々見る番組なのだが、この頃、ちょっと取り上げる事の切り口が変わってきて何か面白くなってきたような気がするのだが、前と同じなのだろうか?
 先週は、「ゆとり教育」についての番組だったので、見てみた。
 内容は、以下の様なもの

 『アナザーストーリーズ 運命の分岐点「ゆとり教育〜戦後最大の教育改革〜」

 2002年、戦後最大の教育改革というかけ声で始まった「ゆとり教育」は、猛烈なバッシングを浴び、わずか9年で終わった。1970年代に校内暴力や落ちこぼれ問題が表面化して以降、求める声が高かったゆとり教育。それはなぜあのタイミングで実現し、わずか9年で揺り戻しに至ったのか?実は本格導入の直前、既に方針は揺らぎ始めていた…。文部科学省の官僚、学校現場、学習塾らの証言でひもとくアナザーストーリー。』

 私は、長野県で小学校教師をやって、定年退職してから8年たっている。2002年から9年間というと、ちょうどこの『ゆとり教育』が教員生活の終わりの方で始まって、定年退職とともに終わったという感じである。
 土曜日が休みになった事や、「総合学習」が出来た事などは記憶にあるが、特に教育現場で「ゆとり教育」という意識は無く過ごしてきたような気がする。私は土曜日が休みになるのは自分のゆとりが出来てありがたかった事だとか、『総合学習』は自分の指向ともあっていたので、何となく色々出来そうでうれしかったくらいで、それほど急激に何かが変わった意識は無かった。

 番組の冒頭の方で、長野県の『伊那小学校』の総合学習の現在の様子が紹介されていた。
番組を見ると伊那小学校では1970年代から総合学習に取り組み出していて、ずっと続けてきていた事、「総合学習」導入の時に参観者であふれかえった事など紹介されていて、そういった流行とは無関係に現在も続けられている事が紹介されていた。

 私も長野県の小学校教員だったから伊那小学校の実践は知っていて、今はどうなっているのだろう?と、時々思い出す事もあったが、昨日のテレビを見ると、ちゃんと継続されていて、以前、伊那小に勤めて実践されていた教師が戻ってきてベテラン教員として現在やっている様子が紹介されていたが、本当にすばらしい教育が行われている事が分かった。
 伊那小では、文科省や世の中の流れとは別に、教育の本道が学校ぐるみで続いているのだなあ〜と、とても感心した。

  番組では、「ゆとり、総合学習」が、現場の混乱や、社会の批判にさらされて縮小の方向へ向かう様子も紹介されていたが、番組で、現在の伊那小の校長が、(昔、伊那小で総合学習にも取り組んでいた人なのだろう)「当時、参観者に、教科とリンクさせないとうまくいきませんよ、と忠告した」と話していたが、本当にそうだろう。総合学習を何か新しい事や物を新たにと考えてやろうとするとおかしい事になってしまう。

 ネットで調べてみると、大正自由主義教育や、戦後間もない頃の生活単元学習という物は、この総合学習的な考え方と同じ感じの物と言うような事が書いてあったが、私もそんな感じがする。
 その後、高度成長時代の系統的に詰め込む方向がずっと求められ、それの詰め込み、落ちこぼれ、の反省として、総合学習が出てきたとあったが、さらにそれの揺り戻し的な雰囲気が現在なのだろう。テストの結果などの評価の重視など、新自由主義的な世の中の動きにも影響されている感じだ。
 長野県では、大正自由主義教育や生活単元学習への指向や尊敬が割と強かったような気がする。その歴史の積み重ねが、総合学習も経て今でも伊那小でちゃんと続いているのだろう。
 
 現在、小学校の授業の時間数などはどうなっているのか、とすでに忘れてきた頭なので、調べてみると、総合学習もまだ多少あったり、私が勤めていた頃無かった、道徳や5年生からの英語がある事が分かった。

 そう言えば、低学年で『生活』というのが教員生活の終わりの頃出てきて、これは、理科や社会科、などを含んだ物?で、低学年では、理科や社会科などといっても知的教科としてはかなり無理があったので、生活科となり、とてもやりやすかったなあ〜などと思い出した
 その発展として総合学習があると考えられていたのだろうか?両方とも理念はもっと広いものなのだろう。

 総合学習でも、伊那小のような全校規模のきちんとしたものでなくても、伊那小の校長が言うように、教科の発展の時間にリンクさせて総合的に使っていればより自由がきいて楽なのだが、実際は、担任が自由にそういった時間を使えなくて、学校や学年で総合の内容を統一するとか、つける力がうんぬん、などと色々なワクを教師自らが作ってしまって首をしめていったのだろう。伊那小では時間のチャイムも無く担任の自由に使えるようだ。

 フィンランドの義務教育の教員になるのは、大学院を卒業しないとダメと以前、聞いたが今でもそうなのだろうか。教科書も国定では無く、自由に選べるような気がしたが、そういった、色々な面での「自由」があって、それを使いこなせる教員の力が無いと本当はうまくいかないような気がする。

 軍事費などに何十兆円も金を使うのでなく、教員養成とか教員の待遇とか、学校に自由を与えるとか、そういった本当の国民の基礎に重点的に金を使う事が、本当は、国力を高め、しいては国を守る事になるのだろう。

 番組では、「ゆとり世代」の人達が、世界的に活躍している事を紹介して、『本当は総合学習的なものが大切だ』と番組制作者は、言いいたいような気がした。
 
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バックトゥーザヒューチャーPart2と原発輸出政策の破たん

2018/12/18 09:18
  この2,3日、夜、ぼや〜っとテレビを見ている事が多い。

  昨晩も、NHK・BSのプレミアムシネマという古い映画をやる番組で、バックトゥーザヒューチャーPart2をやっていたので思わずぼやっと見ていた。
 私は、1の方は、テレビで見た事があったが、この2からは見た事が無い。
 もちろん、映画が流行っていた当時は、映画館へ見に行くような習慣は無かったのでリアルタイムには見ていない。

 これは、1989年制作の物だ。Part2で行く未来が2015年となっていたので、当時の人の未来観がどのくらいなものかな、と興味深く見ていた。映画では車が空を飛んでいたが、そんな物はまだ出来ていない。(ドローンの発達はあったが)ただ、紙の新聞を見てニュースを知っている様子がいくつも描かれていて、パソコンやスマホなどの情報端末の発達は、当時も全く予見していないくらい現在進んでしまっているのだなあ、と実感した。
 
 大リーグの弱いチームが優勝した時に、この映画でもそれが描かれていて話題になった事があったが、トランプ氏が大統領になった時にも、このバックトゥーザヒューチャーに出て来る悪役のモデルがこのトランプ氏だと出ていて、その映画の場面が少しニュースに出てきていたのを憶えていたが、その場面もあり、なるほどなあと分かった。

 過去が改変されてしまい、そのトランプ氏がモデルの悪役が力を持つ世界は、巨大な「カジノ」がバーンと建てられて、町は犯罪や享楽で荒れ果てて、暴力がはびこっている感じに描かれていて、笑ってしまったが、「カジノ法案」が通る日本でもトランプが大統領となるアメリカ同様、笑えない2018年の現実なのだろう。

 おりしも、現在の日本では、日立が英国の原発計画を凍結というニュースが流れて、「原発輸出」というすべての計画がこれでダメになり、安倍政権の成長戦略の根本がダメという事がだれの目にも明らかになってきた。
 原発輸出は民主党政権下で決められた事のようだが、福島原発事故以後も方針転換しなかった国や政府の愚かさがもうはっきりと露呈している。
「カジノ」も同じ末路だろう。もし出来ても、この映画のように、周りを荒廃させるような結末に終わる事だろう。

 映画では、過去のある時点での何かのきっかけが、未来を良い方向に向かわせたり、悪い方向に向かわせたりするという、その面白さが物語を作っているようだが、現実の世の中でも、何かの一つの出来事が未来を作っていく出発点になっているのかもしれないなあ〜、などと思いながら楽しんで見ていた。
 一つの決断、一つの発明、一つの○○、そんな歴史のターニングポイントとなるような事が現在も起こっているのだが、その未来が私の様な凡人には見抜けていない事が多いのだろうなあ〜。
 それでも、沖縄辺野古の埋め立て強行や防衛費の歯止めない増加、など悲惨な方向への歴史のターニングポイントになるのではないか、本当に心配になる。原発輸出のように途中であきらめて止まってしまうのならいいのだが。

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その行きつく先は

2018/12/02 08:49
 2025年に大阪万博が決まったというニュースが先日あった。
 7年後という事になる。

 会場の作られる場所をニュースで見てまず第一に頭に浮かんだ事は、今年、台風が来て関西国際空港が水浸しになった様子だ。
 同じ場所なのではないか?

 NHKテレビのニュースなどでは、全くそんな心配には触れず、もっぱら喜びの声などが報じられていた。今、これを書こうとネットで調べてみると、そういった懸念がネットニュースなどで少し出ていた程度だった。
 
 それより何より、東南海地震について発表されている内容が以下の通り
「地震の規模  : M8〜M9クラス
 地震発生確率: 30年以内に、70%〜80%」
 松井知事は喜んでいたが、後7年の間には、東南海地震が起き、大阪に津波が来る確率はきっと0%と政府や大阪府では想定しているのだろう。

 夏に東京でオリンピックを開く問題や
 原発の再稼働と同じ構図だ。

 先日は、秋篠宮が代替わりに行う大嘗祭について、政教分離や、もっと質素にやれという趣旨の発言をした事が報じられていた。全くもっともな正常な考えで、国民の大多数が、あんなへんてこりんな「高御座」とかいう物にこの今、十何億円もの金を使って、「馬鹿じゃないか」とだれもが思う事を指摘していたのだと思う。

 秋篠宮の意見は、きっと天皇家全体の気持ちなのだろう。
 ところが、皇室が政府の考えと別な事を言うのが問題だという声が出ている。
 この頃は、政府が変なので憲法の問題もそうだが、皇室も一生懸命で正しい道へ戻そうとしている感じがする。
 ちょうど、昭和の初めの頃の世相や軍部と天皇の関係を連想してしまう。

 水道法の問題とか、入管法改正の問題とか、色々と将来に禍根を残すような事態がどんどん進んでいるのではないか?

 ニッサンのゴーン会長の問題も、何十億という金額の話だ。それに比べると、安倍首相の関わった森友学園の話は1億円か、という感じで、影がうすれてしまった感じだ。
 ゴーン問題が出てきた時に、「21世紀の資本」のトマ・ピケティがインタビューに答えて、富がどんどん偏在して貧富の差が出来て来る現在の資本の構造の問題を話していたが、現在の政権は、そういったゴーンのような冨の偏在を認めた経済界の立場を基盤にしてその意向にそって動き、さらに自分の考えにも合った右傾化の気質で世界や日本のその潮流にも乗って動いているのだろう。

 その行きつく先がどこへいくのか。手遅れにならないうちに・・。
 

 
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初冬の独鈷山に登る

2018/11/30 18:24
 久しぶりに独鈷山の山頂まで行ってみた。
 独鈷山は山頂の近くまでは良く行くのだが、最近、山頂まで登った事がなかった。
 「登山道整備」の鳴海さんから、「独鈷山には山頂に山名の標識が無いから友達に作るのを協力してもらって標識をつけた」という話を聞いていたので、それも見てみたかった。
 今日は良い天気だったので思い立って出発した。
 西前山から10時に登りだして、12時頃到着した。
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 字の部分が彫って塗料をつけてあり、これなら長持ちしそうなものだ。なかなか本格的な山名標識だった。
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 晴れていたので四方が良く見渡せたが、アルプス方面はやや曇っていた。これは塩田平の方向。
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 小春日和の初冬の山は枯葉も落ちて見通しが良く、雪も全く無かったので登りやすかった。
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紅葉も散る

2018/11/23 09:57
 庭のモミジも散り残った葉が最後の輝きをみせています。

 11,18
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 11、23
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 今朝は、家から見える2000mくらいの山の山頂付近が冠雪していました。
 本格的な冬が目の前です。
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テレビから色々と連想

2018/11/06 21:32
 しばらく前だったか、NHKのETV特集で、日本人の戦争でのPTSDについての番組をやっていた。皇軍兵士はそんな物にはならないという建前だったのだが、現実にはもちろん存在していて、軍はそれを隠して研究もしようと、なった兵士が日本に帰され関東のある陸軍病院に入って治療、研究されていたが、敗戦とともにその患者のカルテを焼くように命令された。しかし、医師たちは大切な物と、隠しておきその記録が残され、それを元に新たに調べたり、証言を聞いたりしたもので番組が構成されていた。

 もちろん、本土まで送り返されて入院できた人は、戦場全体からすればわずかなものだろうが、それでも病院の患者は何千という数だった。初めは中国戦線での患者が多く、太平洋戦争が始まってからは色々な場所からであった。過酷な戦場でのストレスや、中国民衆を殺してしまった呵責。また、軍隊内でのシゴキというかイジメでのPTSDは日本軍に見られる特徴だと語られていた。軽度の知的障碍者も戦場に送られ、軍隊内でいじめに合っていた例も紹介されていた。

 病院に入った人達は、回復する事は少なく、地元に帰ってもうまくいかなかったり、大半は国立の施設でその一生を終えていた。もし戦場へ行かなかったら、まじめに平穏に一生をすごせたような人達であったという。

 以前読んだ、保坂正康の「戦場体験者」沈黙の記録 の本にも、PTSDなど発症しなかった人達でも、その死に際に突然、こういった行動をとる人たちもいたという事が書いてあった。
保阪が老人医療に携わっている医師から聞いた話によると、『引用』
『〜すでに部分的に書いた事ではあるが、昭和50年代半ばから60年代、そして平成に入ったころに、〜中略〜 「不思議なことがあるもんですねえ。私にはとうていわからないのですが・・・」と言われて幾つかの話を聞かされた事がある〜』と、死の間際でベットで静かに死を待つ老人患者が突然全身を起こしてベットで土下座して謝ったり、必死で叫び声を上げて怯えて空中を払いのけようとしている患者がいた話を医師から聞き、保阪が調べると、家族には全く話してないが、その老人たちは中国戦線や比島作戦に従軍していて、激戦地や戦場での掃討作戦に従事していた人である事が分かったのだという。』
 深い心の傷というのは文字通り脳に残る重大なダメージなのだろう。
 
 私など定年退職してからすでに8年くらいたっているが、今でも仕事でうまくいかなく焦っているような夢を見て目が覚め、ああ、もう退職しているのか良かったなあ〜、などと胸をなでおろす事がよくある。仕事に対する能力が無かったり、気が弱く小さいせいもあるが、私のような人間が戦場になどいったら、きっとPTSDになっていただろうことは想像に難くない。

 そんな事を考えていたら、昨晩、これまたNHKの番組なのだが、プロフェッショナル仕事の流儀で、「傷ついた親子に幸せを〜小児児童神経医 友田明美」という番組をやっていたのを途中からだが見た。番組の内容はこういったもの。

 『ADHDや自閉症、虐待による心の傷など、子どもの“心”を診る小児神経科医・友田明美(57)に密着。その診察室には切実な思いを抱えた親子が訪れ、友田との対話を通し、心の重荷を下ろしていく。友田は、虐待が脳に与える影響を世界で初めて実証し、研究の分野でも最先端を行く。児童相談所への相談件数が過去最多の13万件を記録する中、親子を励まし、時には10年以上にわたって伴走する友田の流儀に迫る。

【出演】福井大学教授…友田明美,【語り】橋本さとし,貫地谷しほり』
再放送 11日(日)午後1時5分〜

 といった内容で、その友田明美という先生の取り組みが紹介されていた。
番組では、友田先生が、親など家族が変われば子供への対応が変わり、それによって子供の脳の働きも変わり行動が改善されていく、という体験や科学的信念の元に、捨て身で家族に飛び込んでがんばっている姿が感動的だったのだが、その番組の中で児童虐待が年々急激に増え続けてきている表が紹介されていた。
児童虐待はニュースに取り上げられるだけでなく、統計上も年々増え続けているのだ。

 これは、どういう原因でそうなっているのだろうか?
 マスコミにしても政治にしても、ここのところをちゃんと追及しているのだろうか。
 番組の中で自閉症の姉妹を持った親が登場していて、先生が大変な親をサポートする姿が取り上げられていたが、子供の発達障害があって親がそれに対応できない事と、父親の仕事が大変で余裕が無い家庭状況、などの大変さが見えた。

 児童虐待が増えるという事は、一番は、子供の発達障害の数が増えているので、親が育てずらくなって、親の余裕なさもあり虐待に走っているという事は無いのか?
もちろん現代が、厳しい世の中になってきた社会的状況、親の養育能力や周囲の環境が昔のようで無くなっている、などの問題は、常に指摘されているのだが、それだけが根本原因なのだろうか?

 子どもの発達障害の原因については、一番根本の所は、有名な『奪われし未来』にあるような現代の生活で使われたり排出されているような微量な化学物質による環境汚染が一番の原因なのではないのだろうか?(放射能もその一つだ) そんな気がどうしてもしてしまう。

 いずれにせよこれらの番組を見ても脳に問題の根本がある事は確かだ。虐待によって傷ついた脳も、友田先生は子供への周囲の接し方でその脳の発達も良い方に変わって来る事の科学的研究もされていて、希望の光が感じられるのだが。
こういった分野の臨床研究や、合成化学物質などの脳への影響など、そういった分野の基礎的な研究は国家的に力を入れなければいけない事なのではないのか。

 今、外国人労働者の問題が国会で取りざたされている。
ニュースを見ていると、研修生制度で入国した外国人が、日本側の働かせ方によって年間何千人も逃亡しているという現状を伝えていたり、また外国人を雇っている店などの店主が「日本人は仕事が続かなくてダメだ、外国人の方が頼りになる。」と語っているのも放送されていた。
 なぜ、そういった働かせ方をする日本人や、がんばれない日本人、になってしまっているのか。

 現在、お金があるからと、外からの人に頼ってやっていても、我々日本人自体が次第にダメになってしまえば、結局、現在、中国からの人達が減ってきたというが、母国が発展すれば外国から来た人たちも去っていき、衰え荒廃した日本が残るだけのような気がする。

 まずは、日本の子供達やそれを育てる家庭、また社会環境など自分の足元をしっかり見つめて、そこに予算をつぎ込み、本当の基礎をしっかりさせる事が必要なのではないのか?

 十万以上という児童虐待が増え続けるような国に、軍需費ばかり増やし、経済的にその時だけよければいい、教師の負担を増やすだけの「道徳教育」など言葉で言い聞かせるくらいで子供が良くなるなどというような、全く考えていない、その日暮らしの政策ばかりやっていては日本の将来は危機的だろう。



 
 
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11月2日の国会中継とNHKニュース

2018/11/04 16:29
  先日、珍しく『国会中継』を見ていたら、「辺野古の埋め立て承認撤回の一時停止」について共産党の赤嶺議員が質問していた。

 それを聞いていると、「行政不服審査」というのは、文字通り行政のやり方に不服な国民側が行政に不服を申し立てるための法律であり、それを沖縄防衛局が同じ考えの国土交通省に行政不服審査など出来ないという事を言っていて、法律にもその事が書いてある。私はこの事が良く分かっていなかったので、どうなっているのか、いまいちな感じだったが、赤嶺議員の質問で良く分かった。行政法の専門家たちも大勢がそれはおかしいと言っているのだという。(しかしそれに対する政府側の答弁は、それは学術的問題!である、との事)

 金子勝ツイッターを見てもこう書いてあるが
『辺野古の埋め立て承認撤回の一時停止は無効だ】防衛局=国交大臣の内輪のやらせ行政不服審査を使った沖縄県の埋め立て承認撤回の効力停止はどう見ても無茶である。これでは、国民の利益より政府の利益を上に置くことになり、どんなデタラメもまかり通ってしまう。もはや法治国家ではない。』

 まさに、そういう事なのだと理解できた。

 ところが、その日の夕方のNHKニュースを見ていると、二人のやり取りは、その赤嶺議員の政府を批判する質問の本筋には触れず、他の部分を使っていたが、安倍首相が批判の本筋と無関係に発言している部分をあたかもスムーズに議員の質問に対して答えているような雰囲気に切り取って流しているので、全く国民には何をやっているのか内容は分からない。

 国会中継を昼間から逐一見ることが出来る様な時間のある人しか国会中継の内容がちゃんと分からないのだなあ〜、としみじみ実感した。
 
 
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ヒサシゴーロ尾根から剣が峰へ

2018/10/10 09:06
 従弟とのリハビリ登山、などと言ってこの何年かたまに登っていたが、以前からガンガン山歩きをしていて年も若く(といっても60台前半)、現在も登山を多くやっている従弟はすぐに私などついていけないような体力に回復したので、この夏にも高山に誘われたが「私にはそのコースをそんな計画では無理だよ」と断っていた。

 今回、浅間山の「剣が峰」へ「ヒサシゴーロ尾根」から登ってみようと誘われた。国土地理院の地図を見ると、「剣が峰」は分かったが、「ヒサシゴーロ尾根」というのが分からなかったが、ネットで調べると色々な情報が出ていた。剣が峰から南西方向へ一直線に下っている尾根で、ちゃんとした登山道は無いが、けっこう人が登っていて目印も多く、迷う程ではないようだ。ネットの写真や動画などを見ても気持ちの良さそうな尾根だ。
 登りだしの浅間山荘から2281mの山頂まで標高差は875mで1000mは無い。
 地図で見ても登り出しを除き、なだらかそうな斜面だ。先日の根橋さんとの登山で自分の体力低下を実感したので、ここはちょっと体を鍛えるためにも登らねば、と一緒に登ってみる事にした。

 浅間山荘から広い登山道をほんの少し行って橋を渡り谷川の左岸の登山道をちょっと進むと、右手の斜面の林の木にネットで見た黄色の矢印の登り口があり、横に踏み跡のような道があった。剣が峰登山口などの標識は一切無い。浅間山を目指す登山者が間違って入り込まないようにしているのだろう。
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 登りだすと、黄色いテープや赤いテープがあったり、赤や白などのスプレーで印が所々につけられていて、トラロープまでちょっとついている所もあり、注意深く見ながらゆっくり登れば道を外れる事はほとんどない。とは言え、ちゃんとした登山道とはいえない感じだが、「踏み跡」というよりは登山道に近いような、その中間ぐらいな感じの道だろうか。二人で道を見失い、こっちか、あっちか、などと検討しながら登る場面もけっこうあった。
 もっとも若く体力がうんとあるような人にとっては、この程度の状況なら道などあまり気にせず尾根さえたどっていけばいいのだろうが・・、私には道が無いヤブや岩場に入ってしまうと急激に体力を奪われるし危険なのでそんな事はとうてい出来ない。
 登りだしからやや左側に進み、はっきりと尾根に出た感じの所に標識があった。この木の下に何合目という標識もあり、頂上の下の9合目まで標高や何合目の標識もついている。国土地理院の地図に出ている1924mや、2101mの標高点付近もそれぞれ何合目となっている。
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 私は、地図上の2101m標高点くらいまで行ったら従弟が山頂を踏んでくるのを休んで待っていようなどと思っていたが、本当にゆっくりと登らせてもらったので何とか山頂までバテる手前ぐらいで登れた。先週の根橋さんとのフスブリ山登山で体が登山に慣れてきたせいもあったかもしれない。
 山頂では、ちょうど雲が出てきて前掛山や火口の方は残念ながら見えなかった。
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 この尾根を登って山頂に行ってみると、この山が、黒斑山と同じ浅間山の外輪山の一部ではないかな、という感じがして、帰ってきてウイキペディアで浅間山を調べてみると、以下のような事が書いてあった。
『〜外側の外輪山には、黒斑山、牙山、剣ヶ峰などがある。〜』
『黒斑期(約13-約2.6万年前)〜現在の黒斑山は東に開いた馬蹄形カルデラである。この馬蹄形カルデラは約2.8万年前の塚原・塩沢・応桑岩屑なだれの発生によって形成されたと見られている。山体崩壊した体積は4 km3と推定されており[8]、カルデラ形成以前は現在の湯の平付近に中心火道を持つおよそ2,800mの富士山型の成層火山であったと考えられている。〜』
 との事で、黒斑山と同じ時期の外輪山の一部なのだと分かった。
 写真は、頂上から少し下って黒斑山の方を見たところ。
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 尾根は、最初は林の中を登っていくが、だんだん樹木の背は低くなり、ザレ場なども多く出てきて、中腹より上は見晴らしの良い明るい印象の尾根だった。
 ちょうどカラマツやドウダンツツジなどの黄葉や紅葉がきれいで、紅葉のクロマメノキには紫の実がたくさんついていた。鹿の鳴き声も聞こえた。夏にはこんな日当たりのよい尾根はバテてしまってとうてい登る気がしないが、春や秋にはちょうど良いのではないか。

 ネットにも色々と情報は豊富にあったので、参考にして登れば良いでしょう。この尾根は、斜面が直線的で、一旦登って下り、また登り返すような所が無く、文字通り標高差は山頂から浅間山荘を引いた数値なのも登りやすい要素だと思う。
 

 

 



 
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