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上小三十山の「最近の風景」と「山道の自然」を中心に、伝えます。
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北海道の地震で改めて実感する原発のリスク

2018/09/07 13:24
 北海道の地震では多くの方が犠牲になっている。マグニュチュードだって6.7で、それほど大きくはない地震だったが、それでも震源地に近かったり何かの構造で局地的にこういった震度になる。あらためて他人事でなく、日本中どこでもこういった大きな地震災害が起こる可能性を教えてくれている。明日は我が身かもしれない。

 地震とともに北海道全土がブラックアウトとなってしまった。それでも電力会社の必死の努力で現在次第に回復しつつあり良かったなあ、と思う。
 ブラックアウトの原因は、震源に近い所にあった北海道最大の苫東厚真火力発電所(165万キロワット)が止まってしまい、その関係で全体の電力のバランスが崩れてなったのだという。
 
 昨日も紹介したのだが、飯田哲也ツイッターの発言、こういった日本の電力の構造自体も問題なのだが、
『北海道が震度6強の地震で苫東厚真火力発電所が停止して全域停電した。「完全復旧まで1週間以上」は大規模集中型発電の弱さが露呈した。デンマークのように、太陽光・風力・コジェネなどによる小規模分散型発電だったら、絶対に起こりえないこと。』

 そういった日本の電力の根本的な変革で無いとしても、効率の良い火力発電所が脱原発のつなぎとして有効である事を認めるとした場合、原発と比べると、火力発電所がいかに『安全な発電所』かという事が実感させられた出来事だった。

 ニュースを見ていたら苫東厚真火力発電所は震源の近くにあり、でも震度6位なものだったのだろう。もちろん最新式だから耐震装置なども装備されていて、震度6くらいには耐えられる「設計上は」なっていた事だろう。しかし停止した後で再開しようとしたら、タービンから火が出たとか、ボイラーが傷んだ、とかで一週間くらいは修理に必要、という事だった。消防自動車などが3台くらい構内に入っている様子が上空から撮られていた。

 とは言え、中で火事が起こったり、ボイラーが壊れたりしても、修理に何とたった『一週間!』で正常に戻るのだ。

 これが、もし原発だったらどうだろう。中で何か機械が壊れる様な事態になったら一週間でなど戻る訳が無い。修理する人達だって「決死」の覚悟でやらねばならず、そもそも普通の修理、などという作業が可能なのか?周辺の復旧など立ち入り禁止になって何も出来ない。

 まして、巨大地震で広範囲に揺れて、本格的なブラックアウトなどになっていれば冷却も出来ない。福島原発だって機械が壊れたのでなく(と、東電は言っているのかな?)ただ電源喪失で燃料を冷やすことが出来なかっただけだとしても、今にも続くあのような大事故になってしまった事を考えてみよう。

 そんな日本滅亡のリスクを抱えたまま、この地震・津波・火山国日本で、「原発再稼働」などどうしてやろうとするのだろうか?本当に「信じられない!!」と言いたくなる。
 
 

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北海道の地震に垣間見る「国難」

2018/09/06 10:25
 台風の被害に続いて、北海道で地震が起こった。

 猛烈な台風は地球温暖化の影響があるだろうし、地震は今、日本列島は「大地動乱の時代」(石橋克彦)だから、当然の起こるべくして起こる出来事なのだろう。

 そんな中、戦争の出来る国へと憲法を変えたいという自己の野望からなりふり構わず北朝鮮や中国の脅威を煽り、イージスアショアやミサイルの購入など軍事費を拡大させ続ける安倍政権。
 東南海地震など様々な自然災害の恐れ、政権の過ち、「国難」は、まさに日本の国土の中にあるのであって、北朝鮮や中国などには無い。

 今回の北海道の地震では、火力発電所が停止したため北電全体で停電したようだ。そのため、泊原発への電力の供給が止まり、燃料プールの冷却をディーゼル発電に切り替えたという。泊原発はもちろんずっと停止しているし、震源と離れていて震度も2だった。それであっても、こんなリスクが起こってくる事にあらためて気がつく。
 
 地震や、津波の心配がさしあたって大いにある九州や四国では、川内原発や伊方原発などが現在稼働している訳だからものすごい「リスク」を抱えている事にもあらためて気がつく。

 電力が足りないので仕方ないのかと思えば、最近では九州電力管内では、太陽光発電が増えて電力が余ったから、太陽光発電の制限を求めるというニュースだ。電力が余ったらまずは『南九州全滅のリスクのある』川内原発を停めるのが本筋だろう。
 全く本末転倒だ。

 電力会社の経営のため原発を稼働させたいという経産省の方針のようだが、命より贅沢を大切にする事だし、原爆を作る可能性を保持したいという政府、自民党などの考えもあるのだろうが、核戦争という事自体、もう国家の滅亡なのだから、核兵器など使えるなどという考え自体が想像力の欠如だ。

 こういった考え方も福島原発事故以来、識者から繰り返し主張されている。

 飯田哲成ツイッターから
『北海道が震度6強の地震で苫東厚真火力発電所が停止して全域停電した。「完全復旧まで1週間以上」は大規模集中型発電の弱さが露呈した。デンマークのように、太陽光・風力・コジェネなどによる小規模分散型発電だったら、絶対に起こりえないこと。』
 
 経済が良くなった?という事だがこんな事実を見ると何となく恐ろしくなってくる。
 原発事故と同じような事が経済面でも起こってくるのではないか。

 金子勝ツイッターから
『【沈黙するメディア】第二次アベ政権発足時に、112兆円だった日銀保有の国債は468兆円を突破。株購入は20兆円増。さらに年金、郵貯、共済にも及び、年金と合わせるだけで64兆円超え。売れないまま購入し続け、その花見酒予算を原発、兵器購入、五輪、リニアで費消。』

 こういった様々な事が『国難』でなくて何なんだろうか。

 今朝の地震に関する6時台?くらいのNHKの放送を見ていたら、安倍首相が歩いて来てマイクを向けられてコメントを求められた場面が放送され、首相は北海道の地震が起こった事を言い「〜、心肺停止、土砂崩れ、〇〇、○○、が起こっている、〜」
とコメントを出していた。
 〇〇の所にはいわゆる災害の種類が入っていたと思うのだが、最初に「心肺停止」が出てきて驚いてしまった。
 「心肺停止」と「土砂崩れ」などの災害の種類が並列で出て来るのはおかしいでしょう。
 しかも。その時点では死亡者は無く、連絡が取れない人、何人と出ていただけだと思う。

 「人命の危機が起きている」というような事を言おうとしたのだと思うが、いかに安倍首相の頭が寝ぼけて働いていないかが良く分かるコメントであった。
 そして、7時台のニュースになったら、何と「心肺停止」の所から前はカットされて放送されていた。

 まさにこれがNHKの「忖度」(そんたく)だなあと思った。

 細かい所で上げ足をとるようで気が引けるが、我々凡人ならそんな程度の間違いは良くあるし許されると思うが、一億の民のトップに立つ人がこれでいいのか?
 こういったリーダーがこの地球温暖化、大地動乱の原発列島の日本で君臨して日本をどこかへ連れて行こうとしている事じたいがまさに『国難』なのではないだろうか。

 
 

 
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NHKの「国難」の真の定義

2018/09/02 14:52
 『森友スクープを連発した相澤冬樹記者が“左遷”… →「記者続けたい」とNHKを退職 → 今後は大阪日日新聞へ』
 というニュースがネット上に出ていた。森友問題を追及した有能な記者が、露骨な圧力が上からかかっているのだろう。まさに戦前のようだ。
 その方のフェイスブックの書き込みもネット上で見る事ができる。

 また、NHKニュースでは、
『翁長知事の死去に伴い来月行われる沖縄県知事選挙をめぐり、自由党の玉城デニー幹事長が、無所属で立候補することを表明しました。これにより、翁長知事を支持していた共産党や社民党などが支援する玉城氏と、自民・公明両党が支援する佐喜真淳氏の対決の構図が固まりました。』と伝えていたが、これについて、こんな意見もネット上に出ていた。「なんだ、この偏向報道は。玉城デニー氏を推しているのは社民、共産だけじゃなく自由も立民も国民も無所属の会も、そして沖縄の風もなんだけど。もう「公共放送」ではないよ。」と、

 私もそのニュースをテレビで見ていた時に「社民、共産だけ?」そんな風に感じた。

 そして、自民党総裁選では、桜島をバックに総裁選に出馬する安倍首相の映像が、生中継でNHKが放送していたという。
 私もその映像をニュースで見て、そういった「いかにも」という演出を行うチームだか広告代理店だか知らないがNHKも含んだ金がらみの大きな周辺勢力が感じられて、ゲッペルス宣伝相だかのような何かヒトラーが国民に向かって演出的に宣伝している姿の映像を連想してしまった。
 そういう演出にうっとりする国民もいるのだろうか?

 一方、防災の日の昨日のNHKスペシャルを見ていたら、「南海トラフ地震」についてやっていて、その内容は、以下のようなもの。
『6月の大阪北部地震を機に、改めて警戒意識が高まる「南海トラフ巨大地震」。今後30年以内の発生確率は70〜80%、最大M9.1の地震による激烈な揺れと大津波で死者は最悪32万3千人、経済損失は1410兆円に上るとも試算される。「Xデー」はいつなのか?いま研究者たちが最注目するのが、震源域で起き続けているゆっくりとした岩盤のずれ動き、「スロースリップ」だ。その発生場所が次第に巨大地震の想定震源域に近づきながら、地震の原動力となる「ひずみ」の蓄積を加速させている可能性が見えてきた。“その時”は刻々と迫っていると、科学者たちは緊張感を高めている。〜』

 といった内容であり、番組ではまさにこれは『国難』であり、もしその災害が起これば、その被害想定は東日本大震災の比ではなく、もしそうなれば日本は世界の最貧国になる。その日が確実に近づいて来ている。と断言していた。
 
 番組では予知の研究や命だけは守る事について色々と伝えられていたが、本当にこれが『日本にとっての本当の国難』だと良く理解できた。

 まさに、桜島の前で「明治維新」などのイメージを持ちだして演出したり、北朝鮮の脅威が「国難」だ、カジノだミサイルを購入だ、などとたわごとを言っている暇な場合では無いだろう。
 原発再稼働などトンデモない話でもある。

 NHKは公共放送の役割を政治的ニュースの面では全く果たしていなくて大本営発表のようだが、こういった番組ではまともな事をやっているのだと思う。

 まさに茶番ではない本当の「国難」はこちらですよ、と国民に大きく警告しているのだから。
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七輪でサンマを炭火焼き

2018/08/30 17:06
 スーパーでサンマが百円台なので買ってきたと聞いたので、炭火で焼いたのを食べたいなと思っていたら、「山岳巡礼」の根橋さんのよもやま日記にもサンマを焼く話が出ていました。

 家の周りは田んぼや畑などで人家は少し離れていて多少煙を出しても大丈夫。さっそくやってみました。
 七輪は昔から家にあったもの、昨年、七輪を使って焼き芋をやろうと炭をひと箱買ってきたのがたくさん残っていたので、さらに魚を焼く網を買ってきて(200円台でした)サンマを焼いてみました。
 この炭は「備長炭、業務用」などと書いてあるもので値段もそれほど安くは無かったのですが、炭を粉状にして中心に穴の開いた筒状に固めた物です。新聞紙と割り箸を使って火をつけ、うちわであおぐと直ぐに炭に火が付くしけっこう長持ちもするので使えるものでした。

 気のせいかサンマが美味しく感じました。
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 もう少し安くて大きいサンマが出回ってきたらまたやってみようかな。
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日航123便 墜落の新事実 −目撃証言から真相に迫るー 青山透子著を読む

2018/08/28 17:21
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 日航事故の起きた8月12日頃、良く見るネットの掲示板を見ていたら、何か日航機事故についての項目が出ていた。
 私は、日航機の事故は同機のしりもち事故による圧力隔壁の修理ミスだ、というNHKスペシャルや、それが前提で書かれた小説「クライマーズハイ」などを読んだりテレビドラマを楽しんでいたから、、全く疑うことなくそれが真実だとおもっていたので、何か自衛隊のミサイルがあたったなどの説は、いわゆる「嫌韓本」の類のようないかがわしい説だと思っていたので、そこをクリックしてよく見る事もなかった。

 しかし、アマゾンの本の紹介メールにこの本が入ってきたので、その本のカスタマレビューを読んでみると、この本の著者は、当時の客室乗務員の同僚の一人で、その思いが根底にあり、後に東大の大学院も出て博士号もとり、大学講師も勤めたような人で、いいかげんな内容ではない、という事が書いてあり、それでは読んでみるか、と注文して読んでみた。

 ちょうど、「国体論」白井聡著を読んで強い印象を受けたばかりだったので、この日航機の事故も、まさにその根底の不気味な根っこが一瞬、地上に現れた姿かのような印象を受け、また記述も心がこもり納得のいく物で、著者の決意や人柄も良く分かり、本当に一気に読んでしまった。
 肝心の圧力隔壁もどういうわけか、現場にちゃんと残っていたのに現場で切り刻まれて運ばれていたのだ。

 あの事故があった時は、私は30代であったので事故当日、テレビなどの情報を良く見ていて、確かにどこに落ちたのか分からないような状況がずっと続いていて、レーダーもある時代に自衛隊とか米軍が分からないはずがないのになあ?変だなあ、と漠然と感じていた事を思い出した。

 この本の著者は当時の日航客室乗務員であり、同僚でありこの事故に大きな衝撃と悲しみをいだく。そして、
『〜 私自身も自衛隊の誤射やミサイルという言葉すら不愉快で違和感を覚えていた。しかしながら、現場を知る人たちへのインタビューや膨大な新聞等の資料を読み込み、目撃情報や現場の証言をもとに考察を深めると、公式発表に対して違和感を覚えるようになっていった。そして、それを語るとすぐに陰謀説と烙印を押されかねない状況を感じた。〜』
 という事だ。

 この本は、この方の前著「天空の星たちへ―日航123便 あの日の記憶」を読み、自分の疑問や目撃を伝えようと、さらに情報を寄せてくれた人々の内容も加えて書いている。

 公式報告に無い自衛隊機が二機、低空で飛ぶ日航機を追尾している、その時日航機の胴体に赤い色がついていたという目撃情報。また上野村の小中学生の作文集が語っている、事故直後、報道ではどこに落ちたか不明となっている時に、すでに自衛隊関係のヘリや車両が沢山目撃されている事、上野村の人達が上野村付近に落ちた、とNHKなどに知らせても取り上げられなかった事など、子供たちのウソのない作文などを見ると、どこに落ちているのか分からない、と言っていたマスコミ情報がやはりおかしな物であった事が分かる。
 自衛隊は相模湾上の事故の直後から知っていたとしか考えられない。
 著者は証拠隠滅をはかるために現場で火炎放射器が使われて現場が焼かれた可能性も遺体の状況などから書いている。

 また、ボイスレコーダーは、全部が公開されたという訳でなく、部分的にしか公開されていないのだという。また、著者はそれが事故原因とは言い切っていないが、当時、相模湾内で護衛艦の短距離艦対空誘導弾テスト中だった事も表などから分かるようになっている。
また、当時の政府の動きや、また当時の関係者の証言からも、興味深いものが数々書かれている。

 そして、当時の首相はあの中曽根首相だった。中曽根首相の日航事故の時の回顧録もおかしな物であるようだ。

 アメリカでも民間機の事故がミサイルの誤射によって起こった事故があったというので、『そんな事は起こるはずが無い』と頭から考える事も科学的ではない。

 著者は、原発事故の事、最近の公文書改ざんの事件、等にも触れ、現在明らかになってきているこの国の体質からもこの事故の真相解明を求めている。 筆者の思いは真っ当なものであると思えた。

 それでも「まさかそんな事、ある訳が無いでしょう。」と思われる方も多いと思う。
 ぜひこの本を一読してみたらどうでしょう。


 

 
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国体論 −菊と星条旗ー 白井聡著 を読む

2018/08/26 09:08
 先日、BSプライムニュースで、白井聡という若い論客を初めて見て、その発言に驚いた事を書いた。
 その人の「国体論」―菊と星条旗― という本を読んでみた。
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 テレビでの発言の印象と同じで、とても本質的な事を的確に言っているように感じられ、真実が分かった時の感動にも似たワクワクとした気持ちも起こってきた。

 以前読んだ 『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』矢部浩治著 とも共通する内容だが、さらに明治維新から現在までや、過去の日本の歴史もふまえ日本を広く深く考察している。

 明治維新から大正期、そして昭和の敗戦、までの期間と、敗戦から経済大国、そして現在、までが、ちょうど同じ年月がたっているのだ。そしてそれぞれの時期の「国体」の状況が相似形をなしている事、現在の状況が敗戦の破滅へと向かっている時代と同じという事を述べて日本人に警鐘を鳴らしているようだ。

 テレビでも言っていたが、「奴隷的な状況ではあらゆるものが腐ってくる、だから奴隷的な状況ではいけないのだ。」「奴隷は他の人間が自由な思考と意志をもつことを許さない」などの発言の意味がこの本を読むと明らかになってくる。

 本のカバーの裏側折り込みの紹介文
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 本のカバーの後ろ面にある識者の評
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北穂高岳に登る

2018/08/24 12:21
  涸沢へは、34歳の時に、岳沢からバリエーションルートのコブ尾根を登り、奥穂高山頂を通って涸沢カールに下り、涸沢小屋に泊まって上高地に下山してきた体験が唯一のもので、それは、中学生の時の燕岳集団登山しかしていない私にとって、懸垂下降の場所も一つあるような北アルプス本格登山の初体験であり、とても印象的な登山だった。
 当時、登山をかなり熱心にやっていた福島の弟に連れて行ってもらった登山で、若かったからこそ出来た登山だった。(懸垂下降もエイト環など使わない肩がらみで下りたことを思い出す)

 奥穂高はその後、もう一度岳沢から天狗のコルから登ったが、その時は前穂の方を回って重太郎新道で岳沢へ戻ったので涸沢カールへは行かず、北穂高もまだ登った事は無い。福島の弟もその後体調を崩して岩登り的登山からはずっと遠ざかった事もあり、涸沢カールはそれ以来、よその稜線から眺めるだけだった。

 テレビ番組などで涸沢カールが取り上げられることもよくあり、またいつかは行ってみたい、また行くからには登山もと思っていた。 私は今年68歳、だんだん高山登山が苦しい年にもなってくるし、猛暑のこの夏に丁度いいだろうと、まだピークを踏んでない北穂高岳へ兄弟3人で登る事にした。福島の弟にとっては、穂高や涸沢カールは大学時代のサークルでの思い出の地でもあり喜んで計画にのってきた。


 気楽なテント生活がいいのだが長時間の重荷は背負えないので、食事は山小屋でして、涸沢まで一気に行かず徳沢で行きかえりに泊まるようにしたら、と私が提案したが、「食事も基本的には自分たちで持って行くよ」と千葉の弟が言うので担いでくれるのなら、と弟二人が食料もテントなどの装備も持ち、私はほとんど個人装備だけのおんぶにだっこ的登山をさせてもらう事になった。
 
 19日の朝、それぞれの場所から上田に来て、私の車に乗って8時頃出発した。途中のコンビニで昼のおにぎりを買っていった。沢渡では、お盆明けだが日曜だったせいもあり、上高地が目的の観光客で非常に混雑していた。それほど待つことなくバスに乗って12時頃には上高地へ到着した。
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1時間ほど歩いて明神でベンチに座っておにぎりでお昼にした。

 さらに1時間ほど歩いて徳沢へ到着。時間はまだ午後2時頃だった。私は個人装備だけだったが初めてのテント3泊という事で着替えや行動食など何かと色々あり、私のリュックは小屋泊まり用のリュックだが、パンパンに満タンになってしまい、けっこう重く感じられた。最近は、登山と言っても日帰りでいつも飲み物と雨具とお昼くらいしかもって登ることしかしていないので重い物を背負う事が無い。弟たちの方が私のリュックよりさらにずっと重いのだが、千葉の弟は遅いペースの私にじれったくなって早く歩いて徳沢で先に手続きを済ませていた。
福島の弟は一人用、千葉の弟は二人用テントを運び私もそこに入る。
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 食事は、弟たちが色々と用意したレトルト製品や、インスタント製品を試したり、山小屋の食事と違って自分の体調や好みに合わせて臨機応変に飲食できてその点は良かった気がする。
 標高1500mくらいの徳沢のテント場では想像もしていなかったのだが、その夜はけっこう寒くなり、私の昔買ったシュラフは小さくて軽くて良いのだが安物らしく全く暖かく無い。下着を重ねたり雨具までつけてシュラフに入ったが寒さで良く眠れなかった。他の二人も寒かったと言っていたので、その夜はけっこう寒かった事は確からしい。明日からの登山の緊張もあり、私は良く眠れないまま次の朝となってしまった。

 朝食をとり、テントを片付けて7時頃出発した。途中、前穂高岳の稜線が良く見える場所があった。福島の弟が色々と説明してくれた。
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 横尾に8時頃到着、少し休んで涸沢に向かって出発した。後で考えると、時間もあったのだから我々は一日目は横尾でテント泊にするべきだったかな〜。徳沢から横尾までの朝1時間分の荷物を運ぶエネルギーを使っていなかったら・・・。
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屏風岩を横目に見ながら、本谷橋へ向かった。
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 涸沢に向かうこの道は、昔、下ってきた時の記憶がぼんやりあるだけで、その時は下りでもあり若かったし特にくたびれた記憶も全く無いが、昔に比べてずいぶん道が整備されているような感じがした。まるで遊歩道レベルのようだ。日本を代表する登山道だからだろうか。
 そんな良い道でもやはり荷物が肩に重く感じられて「快調」に飛ばす、などとは程遠い歩き方だった。
 今回、周りを見渡しても、我々より若い人が多く、重荷でスタスタと昇り降りしている人が多く、60代登山隊の我々(特に私)は自分たちの体力や年齢も意識せざるを得なかった。
1時間以上かかって本谷橋に着いた。大勢の人が休んでいる。我々も休憩して飲み物を飲んだり、ちょっと何かを口に入れたりしてしばし休憩した。この写真の時間を見ると9時35分だ。
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 ここからちょっと急な登りとなり、私は荷物がさらに重く感じられ、ゆっくりと登らざるを得なくなった。屏風の頭の北西側をトラバース的に登っていくのだが標高はあまりかせげない。横尾谷の上部の圏谷が見えてきたり、ガレ場などを過ぎ、奥穂の尾根が遠くに見えだしてくるが中々標高は上がらない。涸沢ヒュッテは標高2300m程度だ。弟の高度計でまだ1900mだなどと言っていて、私は中々足が進まなくなってきた。
 弟たちに休憩を求めて何度か休んだりバテては困ると水分を補給したり何か口に入れたりしながら登っていく。
 ゴゼンタチバナやオオカメノキは赤い実をつけ、道端に少しあったチングルマも綿毛となり、山はすでに秋に向かいつつある雰囲気だったが、その自然をゆっくり楽しむ余裕もない。
 しかし休憩している時に、オコジョが現れ、置いてあった弟のリュックに食いついてきたのには驚いた。非常に素早い動きで周りを動き回ってうまく写真に撮れなかったが、リュックの中の食料の動物性の臭いに引き寄せられたのだろうか?涸沢のキャンプ場などで人に慣れているのかもしれない。
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 涸沢ヒュッテの吹き流しが遠くに見えだし、灌木帯の背も低くなり、春には雪で覆われているであろう斜面になってきた。折から日差しも強くなってきて木陰の涼しさも無くなり暑さも出てきた。
 千葉の弟は先に登っている事にして、福島の弟と私で休みつつゆっくり登っていったのだが、涸沢小屋への分かれ道くらいになり、もうすぐそこなので福島の弟も先に行き、私はゆっくり登り続けた。階段のように石が積んである登りやすい道なのだが、苦しくなってきた。そんな所で休むのもかっこが悪くもう少しと思いちょっとがんばって登り切る。

 涸沢ヒュッテの入り口とその上の屋外テラスの所にやっと到着。二人の弟は椅子に座っていた。私もそこに座る。12時少し過ぎくらいだった。涸沢カールの印象は、雪が少ないなあ〜、という感じ。8月20日のお盆過ぎになるとこの位なものなのだろうか?
 私が34歳の時の思い出の風景は、8月はじめだったような気がするがザイテングラードから涸沢小屋へトラバース的に下っていく道も雪に覆われていたし、カール全体に雪が多く残っていた印象がある。千葉の弟の記憶によるとザイテングラードの初めの部分も雪が積もって歩くところが溝になっていたと言っていた。「お盆過ぎはこんな感じなのかな」「温暖化の影響があるんじゃないかな」「今年の暑さじゃ溶けるよな」などと話す。何となく以前よりちょっと貧相なカールの風景に思えた。
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 弟二人は昼として、「カレー」と「おでんセット」を注文して美味しそうに食べ始める。福島の弟はビールを美味しそうに飲みだす。
 ところが私は、弱い吐き気が出てきてとうてい食欲がわいてこない。ちょっとおでんの大根の欠片をもらって口に入れてみたが食欲が出てこない。まずいなと思っているうちに貧血的な感じになってきて視界が白けてきた。「これは困ったな」と思いつつ、何とかテント場に移動、二人がテントの場所を探しテントをたてている横で石の上に横になっていた。テントが立つと、中に入って寝させてもらう。
 「あ〜、困ったな〜単なるバテかな〜、高山病かな〜。標高2300mで高山病とは情けないなあ〜、これでは明日は登るどころでは無いぞ、さらに荷物を背負って下りられないようならどうしよう。やはり年を取るとこういうことになるのかな〜」などと悲観的な考えが頭を巡る。
写真は、寝ている私を弟が「こういう所、撮っておけ、」と私のカメラで撮っていたもの。
幸い1時間ほどぼんやり横になっていたら気持ち悪さは無くなってきた。貧血的な症状も消えた。
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 3時からテント受付という事で、それを弟たちが済ませ、昨晩、私の寝袋が寒くてダメだったので寝袋も受付で借りてもらったり、ヘルメットも私はつけたかったので小屋で借りてもらったりした。(もちろん代金が必要)
 ひと段落して、私も一緒にヒュッテのベランダへ行き、少し食欲が出たのでカレーを頼むと、まあ美味しく食べる事が出来たので、ホッとする。
「やれやれ。」

 テントで休んでいるうちに雨が降り出してきて、降ったり止んだりといった天候になってしまったが、小雨位でも登ろう、という事で腹を決める。
 テント泊の人も涸沢ヒュッテのトイレや水場などを利用するがそれらもとても快適だった。天気状況も小屋のテレビなどで確認できる。携帯は圏外となっていた。テント場では全国から来ているらしい高校山岳部などのグループが楽しそうに食事の用意をしている声が聞こえてきたり、夜に水場に歯磨きに行くと売店前のテーブルには小屋どまりの韓国人登山者や日本の登山者のグループが楽しそうに飲んで談笑していたリ、など涸沢は活気にあふれていた。お盆過ぎなのでテントの数はそれほど多くないように思えた。

 その夜は、雨は止んで霧がおおうような天候だったが気温は昨日に比べ暖かく、シュラフを借りなくても自分の物で大丈夫であったくらいだった。またコンパネを借りたのだがそれがしっかりした物で、寝る時とても快適だった。この夜は多少は寝る事が出来た。

 朝、4時頃には起き出し朝飯を食べ準備して明るくなり出した5時過ぎに出発する。少し登って見下したこの写真は5時34分だ。
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 これは下りて来てから撮ったものだが、北穂への一般ルートは、涸沢小屋の上の南稜を直に登る。
下から見ると険しそうに見えるが、コースは整備され険しい所には足場がしっかりつけられたりクサリやはしごなどもあったり、また高度感のある怖い場所があまり無い。足場の岩がしっかりしていて不安感が起こらない。
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 私達が徳沢に着いた日に、この南稜で転落死亡事故があったようだが、その方は何か体調が悪いとか、足を滑らせ踏み外したかしたのだろうか?普通の状態ではあまり危険なコースでは無いだろう。山を下りて来て家人からそのニュースを聞いたが、新聞を見るとやはり60代のグループ登山の方だった。分かっていたら現地で冥福を祈れたのに。
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あれが東稜のゴジラの背だと福島の弟が大学時代の思い出を話す。
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 途中、韓国人の登山グループとすれ違ったりして、私も「アンニョンハセヨ」などと声をかけ挨拶をかわしたりした。

 急な斜面を登り切ると稜線からなだらかな尾根があり、そこはテント場ともなっている場所だそうだがテントは一つも張ってなかった。私達が少し登り出した頃、登ってきた高校生の登山隊の一団が、追いついてきた。とてもキビキビした感じの良い高校生たちだった。
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 稜線に出ると道はしばらく山頂まで稜線のちょっと下をトラバースしていく。滝谷の険しい岩壁が見れる。
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 間もなく山頂に到着する。8時40分ころだった。ヘリの荷下しなどの関係か、山頂は広く平らになっていてすぐ下に北穂山荘があった。槍ヶ岳は霧にかかっていたが南岳くらいまでは良く見えた。
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 山頂で写真を撮り、山荘へ行ってみる。まだ朝の静かな感じで、登山客が一人だけ外のベンチに座っていただけであった。コーヒーを注文していただく。とても美味しいコーヒーだった。
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高校生たちもやってきて休憩し出す。我々は下山を始める。朝のうちに北穂高に登る事が出来、気分も良く下る。やはり荷物が軽いという事は楽だなあと実感する。
余裕が出てきて道ばたにわずかに残った高山植物にも目が行く。
今日、徳沢に下り徳沢ロッジの風呂に入ろう、という事で予定通り下山する事にした。
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 テントを片付け、借りた物を返し、最後にテラスで「おでんセット」を食べて涸沢カールから下山する。写真は下る方向の屏風の頭の谷の方。
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下り出したら直ぐに小さな女の子を連れた親子連れと行き会った。聞いてみたら4歳との事、「ここまで歩いてきました」とお母さんが言っていたので、背負う事も無く歩いてきたのだろう。すごいなあと思うとともに、やはりここまでの道がとても整備されている事もあるのだろう。

 徳沢についたのは3時か4時頃だったか忘れたが、横尾からは千葉の弟が先行し、私は福島の弟とのんびり話をしながら後から行った。徳沢に到着し、徳沢園でソフトクリームを食べたり徳沢ロッジの方の外来入浴できるお風呂に入ったりして疲れをとった。

 翌朝は7時頃には出発した。すぐに前穂のピークが朝日に浮かび上がって見える場所があった。やはり穂高は日本離れした山だなあと思う。
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明神からは右岸の自然観察道の方を通って上高地へ戻った。
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バスは空いていた。沢渡からは自家用車に乗り換え、千葉の弟が探しておいた入浴施設
「安曇野みさと温泉 ファインビュー」という所へ行ってみたが、とても良い所だった。そこで入浴した後、山形村の「唐沢そば集落」というのも車で近くだったので行ってみてお昼にしたが、そこもとても良い場所であった。
上田の家には3時頃到着した。

 今回の登山は、私は初めてのテント3泊の登山だったが、弟たちのおかげで何とか無事に登る事が出来、あらためて北アルプスの槍穂高、涸沢カールなどの周辺のすばらしさも実感した。しかし体力の低下も痛感した登山だった。

 登山道では韓国人登山グループばかりでなく、欧米系の外人にも良く出あい、上高地では英語、ハングル、中国語、などが標準的に掲示されている。こういったすばらしい日本の自然を海外の人も求めている時代だ。カジノなど作るより、アルプスの自然を生かしたような物や日本の本来の良さを生かした観光が必要ではないのかとも感じた。

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終戦の日 NHKスペシャル「ノモンハン責任無き戦い」を見る

2018/08/15 22:15
 番組の内容はこのようなもの(番組HPから)

 『79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。
今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。』

 番組の途中、家の用事で最初の部分を少し見なかったのだが、番組紹介であるように復元されたソ連軍のカラー映像や、現地をドローンで上空から撮影すると塹壕の跡やソ連軍の掩体壕の跡など遺跡のようにはっきりと残って見える映像や、当時の関係者の大量のテープ(カセットテープの前のリールに巻かれているものだった)などによって、よりはっきりとイメージ化されたり、その証言テープを中心に回顧録なども含めて取材された物で、ノモンハン事件の本質(全滅に近いような日本軍敗退の現実とトップではその責任が取られず、現場に押し付けられた事)が以前よりはっきりと分かってきた。(半藤一利の「ノモンハンの夏」などの本は以前読んでいたが)

 私は、この番組を見て一番感じた事は、この番組を作っている人たちを突き動かしていた気持ちは、今の日本を再び無謀な戦争に踏み出させてはいけないという危機感と、当時の軍隊組織がいかに危機感が無くいいかげんで、気分的に判断し、結果に無責任になって、しかも失敗がそのトップが責任を取らずに、現場の指揮官のような人が責任を取らされたり、かり出された一般人の兵隊がものすごい被害を被る事、(昨晩のNHKスペシャルでは戦争にかり出された商船や漁船の乗組員の悲劇的な損害についての番組だった)それが現在の日本でも同じ事だ、という怒りのような物なのではないか、と感じられた。

 振り返ると、朝鮮半島の緊張についても、全く荒唐無稽な非科学的、非軍事的な考えで平気でおかしな政策を進めて行ったり、(Jアラートシステムなどまともな人ならだれでも役に立たない物と分かるはずだし、始まれば核戦争時代、イージスアショアなど本当に役に立つのか)など、普通の頭で考えてもおかしな事を思い付きのように実行して行ってしまう政府。

 原発事故は、原発を推進していき、危険を指摘されても無視した政治家や、経産省の役人、電力会社の役員の責任は追及されず、福島の人達や周辺の地域が深刻な被害を被り、さらにその反省も全く無く再稼働や原発輸出しようとしている。
 
 先ごろの森友学園の問題では、現場である近畿財務局の職員が自殺していたり、籠池理事長が留置所に一年も入れられていたのに、一番の当事者の首相や首相夫人が責任が無いとされ、またさらに首相を続けようとしていたり、森友、加計学園の問題などでも官僚のトップが平気でウソをついてちゃんとした責任を取らない。それも官僚たちはノモンハン時代の参謀のような日本の秀才たちである。(というか内閣官房が昔の参謀なのだろう) そんな現在の日本の姿が、この79年前のノモンハン事件でも同じように見られている事を言おうとしているように思えた。

 ノモンハンの反省がなされなかったため、それが太平洋戦争の悲惨な結果へと直線的につながっているのだが、その戦争の反省も中途半端だったために、同様の事が今の日本で起こっているのだろう。

 だからNHKは終戦の日の今日、この番組を国民に向けて放送したのだろう。「もういいかげん目を覚ませ」と。(同じNHKの今日のニュースでは超党派の国会議員が靖国神社に参拝する様子が報じられていた。)

再放送 8月19日(日)午前0時05分〜1時18分(18日深夜)

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驚いた。こんな人が自民党国会議員なのだ

2018/08/15 17:02
 先日、終戦の日に向けてのシリーズだと思うがNHKスペシャルで、小野文恵アナが自分の祖父のフィリピンでの戦死の跡を訪ねる番組をやっていた。

 良い番組だと思って自分のブログにちょっと書いたのだが、今日、ネットを見るとそのNHKスペシャルの番組について自民党の国会議員(NHKの出身者だという)人がネットで批判しているのだという記事が出ていた。
http://lite-ra.com/2018/08/post-4189.html

 このNHKスペシャルは、きちんとした事実を元に、我々一般の人に良く分かる切り口でフィリピンのルソンでの戦争の現実を穏やかな感じで伝えようとしていたと思う。決してセンセーショナルな感じやイデオロギー的な物などは含まれていない事実の姿があり、日本国民が戦争について考えるために、すばらしいという程ではないが良い番組である。

 こういった番組すらを何か国家に対する反逆的にとらえるような国会議員がいること自体、昭和の戦争間近のような本当におそろしい時代になってきているような気がして背筋が寒くなる感じだ。

 こういった国会議員を取り巻きに重用しているのが安倍政権の現実なのだろうか?
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これだけは知っておきたい 「日本と韓国・朝鮮の歴史」 中塚 明 著を読む

2018/08/13 21:44
  最近、この本を読んだ事をブログに書いた。
https://js30.at.webry.info/201808/article_1.html
 さらに、日本と朝鮮半島の近現代の歴史についてこの著者が書いた物を知りたいと思い、この本を読んだ。
画像

 前読んだ本でも感じたが、この人の本は、とても分かりやすい。本質的な事をしっかり指摘してくれるからだろう。
 
 本の冒頭、勤めていた女子大の一般教養の歴史の授業で、歴代朝鮮王朝の「高麗」「朝鮮」のところを空白にして聞いたり、在日韓国・朝鮮人の人数はおよそ何万か、とか、イギリスの都市名と南北朝鮮の都市名、どこでもよいから5つ書け、とやってもイギリスの都市名は多く書けても、朝鮮半島の都市名は2つくらい出てくるのがやっとだという。
 奈良女子大(とは書いてないが著者が勤めていたのはそこ)といえば優秀な女子大なのだが、そんな感じなのでましてや一般の我々では、韓国・朝鮮の近現代の歴史などについては知らない、といった感じの現状だ。

 ところが、この本を読むと、日本の近現代の歴史は朝鮮半島の近現代の歴史とは別物では無く、むしろ一体の物だった事に気づかされる。

 長州の吉田松陰は、「神后(神功皇后)の三韓を征し、時宗(北条時宗)の蒙古を殲し、秀吉の朝鮮を伐つ如き、豪傑というべし」「朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂栄の諸島を収め、漸に進取の勢いを示すべし」という教えであって、それを信奉していた明治維新の立役者たちにとって、征韓論は当然の思想で、薩長政権はそれを推進していった。
 この本には書いてないが、江戸時代に発達した尊王攘夷思想がその基盤にある。
 明治時代になって、日本政府が発行する紙幣に人物の肖像が印刷されるようになり、その第一号が「神功皇后」だったのであり。まさに朝鮮へ攻め入るのが国の暗黙の大方針であった。

 決して大河ドラマ的な情熱的な正義の改革派のような吉田松陰や維新の英雄たちであった訳では無い。(部分的にはドラマと合う部分がもちろんあるのだろうが)そして司馬遼太郎の言うように日露戦争までの日本は正しく、昭和になって道を誤った訳でもない。

 朝鮮を植民地にすべく、朝鮮の王妃を惨殺するような事や、朝鮮王宮に攻め込んで王に言う事を聞かせたり、人民が立ちあがれば皆殺し的に弾圧したり、恐怖政治的に支配しようとしたりした。戦時中は多くの人を労働者として内地へ連れてきたり、軍隊では慰安婦にしたことは良く知られているが、その前段階があったのだ。
日中戦争や太平洋戦争中に行われたアジアでの残虐行為の始まりがすでに朝鮮半島で行われていたのだ。
 まさに朝鮮半島は日本帝国が勢力を拡大するための踏み台(植民地)とさせられていた事が実感される。日清、日露戦争は,清やロシアとの戦争だが内実は日本が朝鮮半島を支配下に置くために起こった戦争である事が良く分かった。こうしてしっかりその事実を知ってみると、その方法も、あまりにも人道に反したようなやり方だったので、バルチック艦隊撃破などの話を気分よく見るのと違って、やはりそれを直視できない人々がいるだろうことは想像できる。

 敗戦で、なぜその過ちを原点からしっかり見つめるようにならなかったかと言えば、それは、敗戦時、アメリカが占領政策をうまく進めようとし、天皇の戦争責任を問わない事にし、天皇制を認めたからである。昭和天皇が自ら最高責任者として戦った戦争の責任をいっさい取らなかった事が、この明治維新からの根本的な見直しが出来なかった原因と著者は述べている。
 日清・日露はじめ近代日本のすべての戦争、そして朝鮮の植民地支配を実現した「韓国併合条約」もすべて天皇の名において行われた訳で、そのすべての責任を取らず、反省もしないという事になった事が、明治時代の根本からの歴史の見直しがなされなかった大きな原因であると。

 確かに、天皇の個人的な思いとは別に『天皇制』の下で行われたことすべてが、あいまいなままで生き残ってしまった事が、現在のおかしな状況を招いている事は確かだろう。
 韓国併合時の条約についての考え方も、サンフランシスコ講和条約締結の時に、日本、韓国、政府の間では考え方が一致しないまま現在に至っているとの事だ。

 その結果、歴史を無視したような国会議員の発言が続いたり、おかしな歴史教科書まで作られるようになってきてしまった。
 著者は、例えば「紀元節」の復活などについての反省で『〜 例えば、こうした研究とその歴史教育での実践が、もっと多面的に、しかも、繰り返しておこなわれる必要があったのではないか、と私は思っています。』
 と、古事記や日本書紀の成立などについての戦後の科学的な歴史研究の積み重ねが、一般的には知られるようにならなかった事が問題だったとも書いている。(例えば、「父が子に語る近現代史」などのような一般向けの啓もうが広くなされなかった事を言っているのだろう)
『〜 さまざまな「歴史の偽造」が、日本人のものの考え方にどんな結果をもたらしていたのか、自分自身の学問の方法にまで立ち入って「戦前日本」を自問自答し批判的に検討する点で不十分であったのではないか、〜』
 とも書いてあり、思想史や歴史学・歴史教育の歴史についての全面的な考察が必要です。と問題にしていますが、確かに定年退職した弟〈大の大人〉が、定年後の脳トレ?の活動で中学社会科の教科書の日本近現代史の所を虚心に読んでみて、朝鮮半島への日本の進出について、どうしてそうなるのだろう、その辺が分からない、と疑問を持った事からでも、歴史教育の問題点が分かる。
 自分の事を考えてみても、最近までこういった本書のような類の本を読む事はなく、せいぜい「司馬遼太郎史観」の段階でとどまっていた。

 この本の「あとがき」で、最後に著者は次のように述べている。
『 私はこの本で、日本の過去を告発しようとしたのではありません。二一世紀を、日本人が、とりわけ若い人たちが、韓国・朝鮮をはじめとするアジアの人たちとはもちろんのこと、世界の人たちと、たがいに理解し、相手を認め合いながら、協調して平和に生きていくことを願って書きました。
 相手を理解し、認め合い、協調して平和に生きていこうとするとき、過去のことをなにも知らないのでは、その目的を達することはできません。明治以後、日本の侵略でさんざんな目にあってきた、韓国・朝鮮の人たちをはじめ、アジア諸国の人たちとのあいだでは、とりわけそうです。まして侵略したのにそれを賛美したり、実際にやったことを隠したりするのでは、相手を怒らせ,不信感を大きくするだけです。日本サッカー協会副会長の川淵三郎さんもこういっています。
「私が敢えて言いたいことは。若い人達が歴史の責任を引きずる必要はないということです。しかし、それは日本と韓国の歴史をじゅうぶん理解した上でというのが前提です。・・・スポーツに政治や過去の歴史を持ち込んではいけません。しかし、歴史を知ることは絶対に必要です」』
 と、この本が出た頃、サッカーワールドカップの日韓共催の頃だったのか、そんな言葉も紹介されていました。

 本当にその通りだと思う。こういった本で、真実の歴史の姿を学ぶ必要があると、あらためて感た。遅かれ早かれ東アジアも冷戦構造が崩壊して新たな東アジアの局面に入っていこうとする時代に、マスコミも、もっとこういった視点を広く、深く、国民に知らせるべきだ。再び歴史の過ちを繰り返さないという事もあるが、差し迫っては、現在では日本が一人、様々な面で周辺国や世界から色々な経済、科学、文化などの面でも遅れて取り残されてしまわないためにも必要な事だろう。

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NHKスペシャル 祖父が見た戦場 〜ルソン島の戦い 20万人の最期〜を見た

2018/08/12 08:36
 番組HP
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180811

 という内容。BS放送ではなく、NHK総合テレビの番組だった。

 「家族に乾杯」や、「ためしてガッテン」などの番組でおなじみの、小野文恵アナがフィリピン戦線で亡くなった祖父の足跡をたずねる番組。小野アナの庶民的な感じが、日本人の家庭のどこでも起こっていた戦争の悲劇を、よそ事でなく身近な自分たちのものに感じさせいていたと思う。

 番組では、最近アメリカ公文書館で見つかったというアメリカ軍がフィリピンで日本軍の死体の数を数えた資料、戦場ごと日にちごとに詳細に記録された物、を元に、どのように日本兵が死んでいったか地図上に可視化されていって、とてもよくルソン島の戦場の全体像が分かった。莫大な数の兵が死んでいった事が実感される。
 アメリカ軍は、この調査を日本軍の戦意をくじくための宣伝工作に使おうと行ったのだというが、こんな使われ方をするとは当時は思いもよらなかっただろう。

 また、番組で印象に残ったのは、従来のこういった番組にはない、フィリピンの人達への日本軍の加害者としての側面もかなり伝えられていた。小野文恵アナウンサーが気になっている事として現場に行って実際に確認する場面もあった。スパイに疑われた一般人が地下室に集められてガソリンで焼かれたり、若い女性が集められてレイプされた出来事の被害者の話を聞いたり、それほど時間は多くは無かったが、しっかりと伝えられていて日本人として見たくない内容であるが、番組の姿勢としては非常に好感が持てる物だった。
 
 最後に、小野アナが今回の旅で戦争について知らなかった事が多かった事をあらためて意識し今後もっと戦争について考えていきたいと語っていた。終戦の日が近づくと放送される番組の一つだが、戦争について考える良い番組だったと思う。

 再放送は、19日の1時20分(18日の深夜)からだ。
 
 
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日本経済の不安は日本の未来と直結

2018/08/09 12:18
  あんなひどい安倍政権の支持率がそれほど下がらず、自民党総裁選も3選される?なぜか、それは経済が一時より良いように見えるから。株価も下がらず、求人率も低くならずに民主党政権時代より景気が良いように見えるからだろう。

 しかし、経済の事が全く分からない私のような者ですら、現在の政治情勢を見ると何となく「こんなで日本経済は大丈夫なのだろうか?」と不安になってくる。しかし、経済の知識も無い私ではちょっと書かれた物など見てもいま一つ分からない。

 しかし、デモクラシータイムスのこの対談を見ると、現在の状況がどういう事なのかよく分かる。
 私と同じように感じている方々、一見の価値があるのではないでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=fkTRy-Qtnoo

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アグルーカの行方 角幡唯介 を読む

2018/08/08 07:58
  角幡唯介という人は探検家で、ノンフィクション作家でもある。先日、NHK・BSの「英雄の選択」という番組にコメンテーターとして出てきたので、初めて知った人である。
https://js30.at.webry.info/201807/article_10.html
どんな人かとアマゾンで著書をみたら、この本があり、カスタマレビューを見ても高評価だったので読んでみる事にした。
 内容は、北西航路の探検中に遭難、全滅したフランクリン探検隊の跡を追って、同じようなルートを北極圏の探検家と二人で踏破した記録だ。
(本の裏側の紹介文)
画像

 小学生の頃、「世界探検物語」という本を読んだ記憶がある。偕成社のこのシリーズの本だったと思う。https://js30.at.webry.info/201708/article_8.html
 そこに出ていたフランクリン探検隊の様子の悲惨な絵と内容が何かぼんやり今でも記憶に残っていて、フランクリン探検隊の遭難とは本当はどんな事だったのか知りたい、という興味もあり、久しぶりにこういった種類の本を読んでみた。

 北極圏の探検や登山に限らず、最近はテレビなどの映像でいわゆる「探検的・冒険的」な内容の物がどんどん放送されるので、もう、「探検」という行為を文章で書くという意味があまり無くなってしまったかのごとく私は考えていた。

 文章を読みだしても何か直ぐには文章の中に入りづらかったのだが、少し読み続けると、引き込まれて最後までやめられなくなってしまった。

 映像としては、本の最初に地図や探検の内容の写真などのページが何ページかあるだけで、(地図は途中の章の最初に、その部分の詳しいものが出てくる)後は文章だけなのだが、読んでいるとその北極圏やツンドラの様子、その中での二人の様子が何か非常に臨場感を持って浮かび上がってきた。(今まで見た探検や自然のテレビなどの映像が再構成され、頭に浮かび上がってきたりもしていたのだろうか?)

 よく、文学作品などで、「原作」を読んで感動して、映画化された作品を読むと、いまいちでがっかりする事が多くあると思うが、最近の「探検物」は映像〈映画化?された記録〉しかなくて「原作」にあたるもの(探検者の自ら綴った文章)をあまり目にしないので、この本は、まさに、その「逆」である訳だ。「原作」の生の文章からイメージがグングンと広がってくる。

  植村直己や有名な登山家など日本の探検家、冒険家などは、かつては大勢いたのだが、今はあまりいなくなってしまったのかなあ、などと思っていたが、そんな事は無く、こういった若い多様な探検家が色々と出てきているのだろう。

 「探検とは」といったズバリそのものの意味ばかりでなく、ツンドラの生態的な実像や地球温暖化についてなど、歴史的、学術的な意味でも価値のある作品なのではないだろうか。

 
 

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BSフジプライムニュースで白井 聡という人を知る

2018/08/03 22:42
 今日、チャンネルを回していたら、偶然、BSフジプライムニュースという所で、白井 聡、という人が出てきて話している場面だった。時々、この番組にチャンネルを合わせる事もあるが、本気で見た事は無かった。ところがその人の言っている事に思わず見入ってしまった。

 「国体」という事についての回だったようで、コメンテーターに富岡幸一郎と白井聡という方が出ていて、白井という人はとても若い(調べたら40歳だった)のだが、私のような年寄りがもやもやと感じたり考えたりしている事を、スッパリと目の前に快刀で切り裂くように本当に分かりやすく説明していた。聞いていて「そうだよなあ!!」と何度も同感した。

 さっそくウィキペディアで調べてみるとこのような人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E4%BA%95%E8%81%A1
 第35回 石橋湛山賞も受けている人であった。

 アマゾンで著書を見ると、
・「永続敗戦論」・「国体論 菊と星条旗」などという著書があり、カスタマレビューを見ても面白そうだ。
 最近読んでいる、明治からの日本の歴史のいくつかの本の内容とも本質的に少し関係もしている感じがする。
 白井 聡というこの若い方の本も順次読んでいきたい。
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「司馬遼太郎の歴史観」 中塚 明、を読む

2018/08/01 21:54
 先日読んだ「父が子に語る現代史」小嶋毅 の中にこの本の紹介があり読んでみた。
2009年に出版された本である。著者は「中塚 明」という日本近代史の学者だ。
画像


 なぜこういった本を読んでいるのか、私のブログに繰り返し書いたのだが、もう一度しつこく繰り返すと、

 『 定年退職で暇の出来た弟が、中学の全教科書を素直にもう一度読んだり、その例題を解いたりしていたのだが、その中で、日本の歴史の部分で、明治維新の後に日本が朝鮮半島を植民地化したり大陸へ進出していった理由がどうもスッキリ分からないという。
「朝鮮半島を植民地にし、朝鮮の人に日本語を押し付けたり苗字も日本風にさせたりなど、逆の立場で考えたらとうてい考えられないような事をした訳でしょう。どうして当時の日本人がそんな事をしようと思ったのか、本当の理由が教科書からではいま一つ分からない。」
と話していた事があり、私も一応、「帝国主義の時代で」などと説明を試みたが、いまいち自分でも納得できない感じが残った。』

 というこの問題。

 この本の内容は、『司馬遼太郎の歴史観 −その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問うー』
 という内容なのだが、上記の疑問について大変わかりやすく書かれていて、ずっと小骨がのどにつっかかっていたのが取れた感じがした。それが読後感の第一である。

 何事でも、土台がしっかりしていないと結局、崩れてしまう。今後の日本の進路を考えるに当たり、この本に書かれている日本と朝鮮の近代の歴史の事実を日本国民は目を開いてきちんと知るべきところから出発しないとダメなのだなあ〜、と実感した。

 我々多くの一般人や、司馬遼太郎のような国民的作家や文化人、戦後の有名な政治家や、左翼的な人までが、明治維新から日露戦争までの日本は正しい道を歩み良かった。昭和になって軍人が日本をおかしくしてしまった、と考えている。
 それは正しいのか。
 日露戦争以前は本当にそうか?という事について書かれている本だ。

 後書きに、この本は、「第43回「建国記念の日」に反対する奈良県民集会」で、著者が「日本の近代とどう向き合うのかーNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を問う」と題して話をした、その内容が出発点となっている、と書いてあった。
 一般の人向けの講演内容が基と言う事で、本当に分かりやすく書かれていて「父が子に語る現代史」よりも、上記の疑問への直接的な回答についてはこちらの方がわかりやすいかもしれない。「父が子に語る」の方はその背景の「尊王攘夷」的な思想の起こりについて詳しく分かるのだと思う。
 これ以上書くと、本を読む楽しみが無くなってしまうのでやめておく。

 ネットで著者の事を調べてみたら、岩上安身の2013年の中塚氏へのインタビューがあった。最初の部分だけが出ていたが、岩上氏も中塚名誉教授の本を読んで、初めてその歴史の真実を知り、インタビューを申し込んだと語っている。歴史の教科書にちゃんと出ていない、という事も冒頭で語っている。

 こういった重要な歴史的事実の解明が一部のアカデミックな世界や出版だけにとどまっていて「坂の上の雲」や大河ドラマではないがマスコミで大きく取り上げられず、一般の我々などに知られなかった事も、現代の日本の政治状況を招いているのだろう。
 マスコミの責任も大きい。

 これがそのインタビューの冒頭部分
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/58397

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NHK・BS英雄たちの選択 「辺境の声を聞け!探検家 笹森儀助の挑戦」を見た

2018/07/27 20:44
 沖縄を扱った続きの第二弾なので見てみた。内容の番組紹介文は以下に。

 『明治12年琉球藩は廃止され、沖縄県が誕生する。しかし、人々は、重い税と風土病に苦しんでいた。探検家・笹森儀助は、沖縄の島々をめぐり、その窮状を世に訴えた。

 探検家・笹森儀助は、青森県弘前の士族の家に生まれた。日本中を旅行し、北海道の千島探検の記録を出版して、天皇に奏上されるほど評価を得た。これを契機に、時の内務大臣から、沖縄の調査を依頼され、沖縄探検に出発する。ハブとマラリアの地への決死の思いの旅だった。ところが、現地で、笹森が眼にしたものは、厳しい自然だけでなく、人頭税という重い税に苦しむ人々の姿だった。探検家・笹森儀助の苦悩に迫る。

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】赤坂憲雄,角幡唯介,飯田泰之,【語り】松重豊 』

 この番組では、その道の専門家は知っているのだろうが、我々普通の人が知らないような人々を時々、取り上げるのだが、そのどれもが「へ〜、そういう日本人がいたのか」と目を開かせてくれたり、日本の未来を考えるに当たってのヒントになるような人物を知る事が出来る。
 今回は、杉浦アナが石垣島の現場などへも足を運び実感もこもった司会ぶりになっていた。

 この笹森儀助は、弘前藩の藩士だったがいわゆる幕末の志士的な心情を持った人だったのだろう、藩主に現状を直訴したため咎められ、明治3年までは許されなかったという。その後、明治時代には、地方の役人となり下北半島に赴任する。そこで下北半島に国替えさせられた会津藩士たちの窮状も目の当たりにし、そんな事もあって役人をやめ自ら故郷の弘前で武士達を救おうと牧場経営を行ったりした。

 帝国議会が始まり、笹森は大いに期待して東京へ出て毎日、議会を傍聴するが、政治家の党利党略を争う姿が現実の人々の問題を解決する事には結びつかない、と失望する。そして貧乏旅行と称して日本全国を自らの足で調査することを始める。

 番組紹介の文にあるような国の軍艦に便乗して回った千島探検ではアイヌ民族の中に入り込み、政府の誤った政策によってアイヌ人が半減するような厳しい状況に陥っている事を知りそれを訴えた。
その記録が認められ、内務大臣に沖縄の調査を頼まれる。それは沖縄での砂糖の生産についての可能性を調べるという国家的な要請の内容だった。
 当時の沖縄は、ハブやマラリヤなどの危険も大きく、全島を回り詳しく調べるのはまさに探検だった。

 笹森儀助は、奄美大島から与論島までの島々を調査し、沖縄の人たちの中に入り込み、国の要望を調べるという事もだが、現実の沖縄の状況に衝撃を受ける。当時、沖縄では明治維新を過ぎて何年もたっているのに「人頭税」という人が移動できないように土地に縛りつける薩摩藩以来の法がまだそのまま明治政府によって行われ人々は疲弊しきっていた。マラリアなどの風土病にも昔のままの対処しかなかった。

 視察を命じた大臣に忖度などせず、そんな国の政策の問題点を笹森儀助は鋭く指摘し報告し、大変話題となって国会でも取り上げられるようになっていく。現場で感じて行動を起こしそれが人々を動かしていく。

 その後、奄美大島へ役人として赴任して、島民の生活のためにつくしたりもした。儀助は西郷隆盛を尊敬していて、以前、奄美大島へ流された西郷の後を継いで、実際に大島の製糖を立て直した人とも紹介されていた。しかしその後の日本のアジアへの拡大政策とは儀助の考えが合わず、探検家としての本領はしだいに薄れていった。だが最後は弘前市長なども勤めたりした。

 笹森儀助は、東北諸藩の心情にも寄り添い、ただ勝者である薩長の意識にそう、というような人では無かった。また、危険で人々の近づかないような現場に飛び込んでそこから直接に感じ、そこの人達のために働く探検家的な情熱がありその資質を持った人である、「尊王攘夷」とかそういった観念に殉ずるのではない現場から出発する思想を持っていた、などがコメンテーター達によって語られていた。

 こういった方向は最近の日本でも同じ事なのだろう。ほとんどの重要な政策決定の内容が、現場から出発しているのでなく、何か為政者や権力者の都合や考えでどんどんと行われているように見える。

 最後に磯田教授が「今回番組を作ってみて、あらためて沖縄は日本の存在の、いつもその矛盾が先駆けて象徴的にはっきり現れる場所ということに気が付く、沖縄で起こった事は必ず日本本土にもやってくる」とか「本土から沖縄を見た視点で無く、沖縄から出発した視点の番組をつくらなければいけないと今回反省した」などの話があった。

 現在、アメリカ軍基地を大量に沖縄に押し付けて平気で生活している本土の私たちだが、それが今の日本の矛盾点だという事もあらためて感じたり、関係ないなどと考えていると、この方向が今後どんどん本土でもそうなっていくのかもしれない。朝鮮半島の戦争への一触即発の危機は現在取りあえず去っているが、そうなる前は、有事の本土の沖縄基地化を図ろうとしている安倍政権であった。軍備費の増大やイージスアショアの導入など、その危機はまだまだ去ってもいない。
 このまま、また歴史を繰り返させるのだろうか?

  
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NHKニュース、公共放送の役割果たせず

2018/07/24 18:38
 今日の地元紙(信毎)を見たら「五輪競技はできるのか」という記事があり、この暑さの中で行う予定についての中で、 『近年の夏季五輪は夏場の開催が定着。米プロフットボールNFLや、米プロバスケットボールNBAなどのシーズンとの競合を嫌う米放送局と国際オリンピック委員会(IOC)の意向があるとされる』と書いてあった。
 
 まさに商業化され、金メダルの数ばかり騒ぐような、国威発揚に利用されるようなオリンピックも、もう考え直す時期が来ているのではないか。

 そして、「カジノ法案」について、法案成立時にテレ朝の「報道ステーション」だったかで、カジノはトランプ大統領の最大の支持者である米カジノ王の意向がトランプ大統領に働き、それを安倍首相に約束させた、というニュースを伝えていたが、それであんなに問題が指摘されていた物を急いでゴリ押ししたのだと納得した。

 ネット上で探してみると、この記事があった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201807/CK2018070602000130.html
こういったような、真実の原因を伝えてくれるのがジャーナリズムなのではないのか。

 政権の意向や当たり障りのない懸念表明だけしていて、国民の本当に知りたい事を何も伝えないNHKのニュースでは、大本営発表と批判されても反論できないだろう。

 これが受信料をとっている「公共放送」なのか?
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東京オリンピックまだ夏にやるつもりか?

2018/07/23 08:32
 御嶽海が出てくるかな、とNHKの夜のテレビ番組、サンデースポーツの最初の部分をちょっと見ていたら、司会の大越キャスターが、この夏の暑さについて話し、前の東京オリンピックは10月に開催されたのだが、競技者やボランティアなど参加する人の立場から、今回の東京オリンピックも実施期間を変更する事も検討される必要もあるのではないか。
 と、語っていて驚いた。

 さすが大越キャスターで、世の中のテレビ放送では、だれもがそう思っていながら、だれもその事を口にしない。まさに忖度状態である。
 そして、こんな異常気象を目の前にしてもまだ夏の開催を前提で、色々な小手先の暑さ対策をまじめな顔で語っている。

 大体、安倍首相が「アンダーコントロール」などとウソを言って、またウヤムヤになってしまっているが、IOCの委員への賄賂などの日本からの裏金が動いた事も言われているようなオリンピックだから返上するのが最も良いと思うのだが、最低ゆずって開催するとしても、この夏の時期ではなく、もっと良い気候の時にするべきだ。
 ネットを見ると、『五輪招致委員会は、招致時に、「この時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるためアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」とIOCをだました、』と書いてあったがさもありなん、というところだ。
  期間の変更など主張すれば、招致委員会の姿勢そのものを正面から批判する形になるから忖度が働くのだろう。

 時期は夏に行うと最初聞いた時にも「え〜」と思っていたのだが、地球温暖化が待ってくれている訳も無い。そしてどうして秋などの良い季節にやらないと言えば、ヨーロッパだかアメリカだかどこかで何かスポーツの大会だかがあり、それと重なってテレビの放送に不都合だからというような競技者や参加する人たちのための事情とは関係ない商業的な理由からだと聞いた。
 このオリンピックを誘致しようとした勢力が、いかに科学的な「先見の明」が無い人たちであるかが良く分かる。原発事故の時もそうであった。

 まともな頭で普通に考えたら、大越キャスターの言う通りだ。
 どうして日本では、大越キャスターのようなマスコミ人が増えないのか?
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「父が子に語る 近現代史」 小嶋毅著を読む

2018/07/22 09:04
 
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 この本は、「天皇と儒教思想」を書いた小嶋毅という東大教授が、高校生くらいの若い学生たち対象に書いた本である。アマゾンのこの本のカスタマレビューを見ると良い本との評価が非常に多かった。読んでみるとその内容そのものや、自分の娘に語りかけている文体で分かりやすく書かれている事もあり、一気に読むことができた。
 この本の前に、「父が子に語る日本史」があり、その続きとして書かれた物だ。

  以前にも自分のブログに書いた事があるが、定年退職で暇の出来た弟が、中学の全教科書をもう一度読んだり、その例題を解いたりしていたのだが、その中で、日本の歴史で、明治維新の後に日本が朝鮮半島を植民地化したり大陸へ進出していった理由がどうもスッキリ分からないという。
「朝鮮半島を植民地にし、朝鮮の人に日本語を押し付けたり苗字も日本風にさせたりなど、逆の立場で考えたらとうてい考えられないような事をした訳でしょう。どうして当時の日本人がそんな事をしようと思ったのか、本当の理由が教科書からではいま一つ分からない。」
と話していた事があり、私も一応、説明を試みたが、いまいち自分でも説明できない感じが残った。

 NHKの大河ドラマを始め、テレビドラマに出て来る明治維新のヒーロー達は、皆、西洋列強から日本を守る正義感とヒューマニズムにあふれた人のように描かれているのも、まあドラマだからな、と何か不自然だと思いつつ、そういった人たちがなぜ朝鮮半島へ進出していったのか、そんな事を深く考える事は無かった。

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKでドラマ化された時も、私は、わりと良く見ていた。司馬遼太郎は、明治維新から日露戦争までは日本は正しい道を歩んでいたが、日露戦争の勝利によって軍が慢心し、その後、誤った方向へ行ってしまった、という考えだったようだ。
私も、当時、そんなような感じを半分ぐらい持っていた気がする。ドラマでは日本海海戦のCG映像を楽しんで見ていた。

 ところが、そういった事ではダメだな、と感じるようになったのは、このところの日本の社会の風潮や政治情勢だ。
安倍首相は、「美しい国日本」だとか「日本を取り戻す」などというスローガンとともに、その支持母体である「財界」や特に「日本会議」などが「教育勅語」を唱えるような小学校を作らせようとしたりしたのを大いに支持したのである。国会議員は超党派で靖国神社に大勢でお参りしている。
 マスコミでも以前は考えられなかったような歴史を無視したような発言を言う人たちがたくさん出てきたり、ネット上には、あたかも戦前の国粋主義のような言説がどんどんと平気で出て来るような状況になってしまっている。
日本は、どこで、このような間違った方向へ進みだしたのだろう。その大元はどこにあるのだろう。
その事が、弟がその疑問を話し、私も何か心に引っかかっていた根っこだった。

 結論から言うと、この『父が子に語る 近現代史』小島毅著 を読むと、そういった疑問の答えが提示されていて、この頃のモヤモヤ感が消えて行く感じがした。

 この本の中のいくつかの言葉を引用してみよう。
20章 歴史に向き合うということ
『 目をそむけるな
 暗い話が続きますが、辛抱してください。こうした「耳にしたくない話」を避けて、日本の歴史(特に近代の歴史)を語ろうとする人たちがいます。彼らは、本書のように「大日本帝国」がアジア諸国に対してしてきた所行を述べることを、「自虐史観」といって批判します。でも、それはそういう人たち自身の、自信の無さを示しているのではないでしょうか。彼らは「僕たち(の祖先)も決して悪人ではなかった」ことを示す証拠を集めて、精神的に安心したいだけなのです。下品な表現でなんですが、僕は彼らの歴史認識を「自慰史観」と呼んでいます。 〜
明治以降、日本がアジアのなかでなした所行を知れば知るほど、恥ずかしくなってしまいます。そのことを実はよくわかっているからこそ、「自慰史観」の人たちは、「健全な青少年にわざわざそんなことを教えるな」と主張するのです。君たちには、日本の歴史の美しいところだけを見せておけばよいというのです。
でも僕はこうした意見に大反対です。どんなに不健全なことでも、それが事実である以上、僕たちおとなは君たちに、包み隠さず知らせる義務があると思います。もし君たちが、それで(彼らが怖れるように)日本という国を嫌いになってしまうとしたら、それはそれでやむをえません。でも、いくら嫌いになったところで、君たちがこの日本という国に生まれてきた事実は変えようがないのです。この事実を直視し、自分たちが周囲の国々の人たちからどう思われているかをきちんと認識することから、日本人としての君たちの将来が始まるのです。〜』

23章 大正デモクラシーと「常民」の発見
『〜 近代日本における常民たちの思想と行動を、きちんと理解することなくして、なぜ日本がああした歩みをしたかは、解き明かせないでしょう。そして、ここで僕が、繰り返し柳田の用語である「常民」を使うのは、これを「人民」とか「大衆」と表現すると、別の意味になってしまうからです。これまでも、人民の歴史や大衆運動を記述した書物はたくさんありました。しかし、それらもまた、合理主義と科学精神の立場から「人民」「大衆」の行動を語るものにすぎません。「権力者によって不当に虐げられているが、正しい指導者を得て立ち上がることによって、自分たち自身を解放出来る存在」− 人民とか大衆とかいう語には、そういったニュアンスが含まれています。僕はこうした見解には納得できません。ふつうの人たちというのは、そんなに立派なものではないでしょう。
僕は昭和の戦争にいたった責任は、ふつうの人たちにこそあると考えています。』

24章 「吉野朝」と国家神道
『〜 国家神道は、天皇や皇族を神々として再編成することで、「帝国臣民」の忠誠心を確実なものにしようとしていました。でも、それを政府側の一方的な押しつけだとみなしているかぎり、事態の半面しかつかめていないのではないかと僕は思います。「常民」の側に、進んでそれを受け入れようとしていた精神構造があったこと、そしてそれを、(柳田のように)「日本古来の信仰」と非歴史的に解釈するのではなく、江戸時代後半になってから培われ、歴史的に形成されてきたものとして、きちんと分析することが必要です。そうすることではじめて、昭和の戦争にいたる過程や、まもなく僕たちが直面するだろうことになる問題の根っこが、見えてくると思います。本書がペリー来航からではなく、寛政の改革から語り始めたのはそのためです。』

 など、引用していると、どんどん長くなっていってしまいます。

 「君たちはどう生きるか」がベストセラーになっていてとても良い事だと思いますが、それは現代の世相が、それが書かれた時代とどこか似ているからだと言われています。
それならば、この本は、まさにこれを読むのは『今でしょ』という本だと思います。
学生が夏休みに読むのに最適です。

 中高校生から青年まで、そして我々のような年寄りまで、本の帯にあるように「わたしたちが、良く生きるために、必ず知っておかなければならないこと。」
そういう歴史の知識が書かれている本です。読んで損しない本です。



















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NHK・BS 英雄たちの選択 琉球スペシャルが始まった

2018/07/20 09:25
 「英雄たちの選択」で、琉球スペシャルが2回にわたって放送されるという。今回は第一回目だった。
 沖縄が扱われるという事でちゃんと見ないと、とBSを押してみた。

  内容は、
 『 琉球スペシャル第1弾「独立を守れ!島津侵攻 尚寧王の決断」』
 というもの。

 以下、番組紹介のコピー
『江戸時代初め、独立国だった琉球王国に薩摩の島津氏が侵攻、勢力下におく事件が起きた。なぜ島津氏は琉球に侵攻したのか。当時の琉球王、尚寧王の立場から読み解いてゆく。

もともと琉球王国は中国や東南アジア各国との貿易で栄えてきた。日本とも交流はあったが上下関係ではなかった。ところが豊臣秀吉が天下を取ると、琉球王国にも支配下に入るよう島津氏を通じて迫り、朝鮮出兵に協力させる。秀吉の死後も徳川家康は中国・明との国交回復に琉球を利用しようとするが、琉球は日本の支配下に組み込まれることを嫌い、返事もしない。島津氏からは武力侵攻も辞さないと脅迫される…尚寧王の決断は?

 【出演】上原兼善,千田嘉博,島田久仁彦,【司会】磯田道史,杉浦友紀,【語り】松重豊』

 沖縄の歴史については、ぼんやりとは知っていたが、今回の番組を見てあらためてその認識を新たにした。

 沖縄は、日本本土より先に、小規模な戦国時代のような状況を通り過ぎ、日本本土より200年くらい早く統一がなされて琉球王国が誕生していた。
 沖縄の特徴はその地理的な場所にあり、「明」から冊封を受けた王国となり、それを生かして中継貿易などで栄えていた。
 つまり、中国の周辺国として完全に独立した国であった事が良く分かった。

 進んだ中国文明を取り入れられる場所でもあり、沖縄の城は沖縄の小戦国時代を経て、高度な作りになっていた。司会者の2人も沖縄まで行き、城郭研究の専門家の千田教授の説明などを聞いて城の石垣などの進んだ作りに驚いている場面も多くあった。

 しかし、時代が進み、秀吉の朝鮮出兵など国際情勢が変わってきて、秀吉や島津氏からの無理難題の圧力が高まる。若き尚寧王は、秀吉からの要請を半分飲んだり、その裏で明に情報を流したりもする。朝鮮出兵は失敗に終わり安泰かと思われたが今度は、徳川家康の天下となり、微妙な情勢だったが、最終的に島津氏が家康から許可を得る形で沖縄侵攻をする。

 沖縄は抵抗して善戦するが、戦国時代真っ只中の戦慣れた島津氏に負け、王はとらわれ、薩摩藩や徳川幕府の配下となる事を認めさせられてしまう。

 コメンテーター達の意見では、もう少し尚寧王が独立国としてうまく交渉や準備で立ち回れたのではないか、などの意見もあったが、沖縄出身の研究者(上原氏)は、それは無理だったのでは、との意見もあったり、少なくとも明治維新までは一応、独立した国として存続できたし、徹底抗戦して大勢が死ぬような事もなかったので、コメンテーター達は全員として、まあよくやったのではという同情的な見方であった。

 沖縄史研究者の上原氏の話では、本土の博物館では「刀」が多いが、沖縄の博物館には「三線」(さんしん)などの楽器が多い。日本では床の間に刀だが、沖縄では床の間に「三線」がある、などその、日本のように「武」で生きていこうとしない沖縄の精神を語っていた。
 
 番組の最後に司会の磯田教授は、「沖縄で起こった事は、後に必ず日本でも起こってくる。沖縄の歴史は他人ごとではなく、日本もそれを教訓としなければならない。強国のはざまで生きた沖縄、日本も今後、中国とアメリカという強国のはざまで生きて行かなければならない状況だ。沖縄から学ぶ事が大きいのでは」と語っていた。

 勉強になった内容だった。この番組の内容程度の「沖縄の歴史」は日本人ならしっかり知っておかなければいけない常識レベルの話なのだろう。
 そういった事すらあまりちゃんと知らなかった自分であった。

 次回の沖縄の内容も面白そうである。

 
 
 
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