裁判所の正体 瀬木比呂志✖清水潔 を読む(6章)

 第6章 民事司法の闇

 この章の最初の2つの節は、「名誉棄損裁判の高額化」「スラップ訴訟」というもの。
 これを読み、私は初めて知ったというか、認識した事なのだが、ジャーナリズムが色々と権力などを批判することがあるのだが、それに対抗して権力側がする名誉棄損の裁判で、高額な慰謝料や賠償額が請求されるようになってきたのだという。これは、例えば雑誌などが政治家の色々な問題について、暴露したりする、などの事がある訳だが、それを抑えるために、政治側からの要望に応え、賠償金額を高くする方向になってきたのだという。
 さらに、賠償を訴えられるのは、会社では無く告発者の著者の様な一人の弱い立場の人間をねらってくる。そういう方法によって、権力を批判するという表現の自由を委縮させ、結果として権力者への批判を減らす、そういった手助けを裁判所が行っているのだという。
 政治家や有名人はいわば公的な物なのだが、プライバシーの侵害などという内容で、賠償請求などで訴えてくる訳だ。

 スラップ訴訟というのは、力を持った権力や会社が何かしようとするときに、反対派の人の反対運動を潰すための「恫喝」として訴訟を起こす事で、現に沖縄で、ヘリパッドの着陸場建設反対の住民や支援者に対して、沖縄防衛局が「通行妨害禁止仮処分」を申し立て、2名が仮処分になった例が語られていた。
 これも個人を狙ってくるので、高額な賠償金などを請求されて訴えられると、批判する気力も萎えてしまい、表現の自由などの雰囲気が社会から消えて行くという。アメリカで始まったのだが、アメリカでは害が分かり、法的に制限がかけられるようになったが、日本ではそれが無いという。
 そして、両方とも最近は、権力者というか力のある方、大きな組織や、財力のある方などが有利な判決になるような傾向が大きいのだという。

 次に「一票の価値の平等」、「国家賠償訴訟で国が有利な理由」、という節では、一票の価値はなぜ重要かという事について語られ、これは民主主義の根幹に関わる問題にも関わらず、「違憲状態」という最高裁は変な判決を出しているが、それは外国では全く通用しないような判決で、それをマスコミも問題にする力が無いという。そういった最高裁の判断については、最後の憲法の節でさらに批判している。

 国家賠償訴訟では、水害の訴訟について述べられている。「統治と支配」の根幹に関わるような問題の場合は、国の意向を汲み、最高裁事務局総局が協議会、研修会というような形で国側の意向にそった方向で裁判官を統制していくという。それに逆らった判決を出す裁判官は報復される訳だ。
 
「原発訴訟と裁判官協議会」という節では、原発再稼働をめぐる問題が書かれている。こちらは、私も何となく今まで知っている内容と同じ事が書かれていて、もちろん二人の述べている色々な批判に同感した。
 そして、また新たに知った内容としては、先日の福島原発事故の東電に対するおかしな判決が出たのも、先に書いた『最高裁事務総局』というのが裁判官を統制していて、ここでも、福島事故以前、裁判官は良識や勇気のある裁判官がまれに抵抗する例があるくらいであり、さらに、原発事故直後、一時、良識的な判決の風潮も許されたが、現在、原発事故以前に戻る方向なのだという。

 大飯原発の稼働差し止めの判決を下した福井地裁の樋口裁判長は家裁へ左遷され、その後に、それを取り消した判決を出したのは、入れ替わりに赴任してきた3人の裁判官で、その3人は、最高裁事務総局勤務経験があり、それらの裁判官によって取り消しの判決が出たのだという。
 こういった露骨な最高裁事務総局の統制によって現在の裁判が続けられていくのだ。
 
 この章の最後の節には、「憲法訴訟について」「押しつけ憲法論の不毛」という事で、憲法についての最高裁判断や、憲法についての事、安倍首相の考え方などが、二人の対談で話されているが、色々なテレビの何だかモヤモヤしたような解説と違い、さすが法の専門家と気鋭のジャーナリストの会話だけあり、とても分かりやすくスッキリと根本的な本質を話していて、憲法について考えるなら、変なテレビを見たり、ネット情報を探すより、この本のこの部分を読めばスッキリよく分かると思う。