裁判所の正体 瀬木比呂志✖清水潔 を読む(5章)

 第五章 冤罪と死刑

 4章からの続きで、冤罪事件について書かれている。飯塚事件というのがあり、これは古いDNAの調査が間違っているらしい事が、足利事件で報道されたら、この飯塚事件の被告で無罪をずっと主張していた久間三千年(みちとし)さんという死刑囚が同じ古いDNA調査で死刑判決になっていたのだが、急に死刑執行がなされてしまったという。
 その後、半年後に足利事件のDNAの調査が科学的に間違っていたという結果が出たのだという。
 どうしてこんな時期に死刑執行をしたのか、という事で、もし、そういった間違ったDNA調査の事に関連して死刑が執行されたのなら非常に問題だと、話し合う。
 無実の人を国家が殺してしまう事になるからだ。なぜ、この例の場合、はっきりした結果が出てから考える事をせず、急に死刑を執行してしまったのか、二人は大問題と考えている。そして、日本のマスコミなどがその時に、全くそれを問題にしなかったことに衝撃をうけたという。
 この久間さんについてもDNA以外の証拠というのは車の目撃証拠くらいしかなく、それも有罪に出来る様な確固たる証拠ではなかったのに。

 裁判官は、色々な面で、こういった清水氏のような鋭く的確な見方が出来ないという事から次のような文が印象に残った。
『 瀬木 ~ところが、裁判官は捜査の現場を知っているわけではないし、心理学等の社会科学の知識も乏しい。刑事系の判決を見て気付くのは、飯塚事件でもそうですが、「調書の方が整然としていて法廷供述は混乱している、だから後者は信用できない」という言い方は非常に多いことです。でも、そのあたりについては、捜査の実際というものに対する想像力があまりにも足りないのではないか、また、社会・人文科学的なセンスが乏しいのではないか、という気がするんですよね。
 清水 本当にそう思います。
 瀬木 たとえば、冤罪事件についてジャーナリストが書いたもの、また、内外でこれまでに蓄積された文献等を読めば、いかに被害者の側が弱いか、操作されやすいかということは、わかるはずです。それなのに、常に、検察、警察寄りでやってしまう。そういう刑事裁判のあり方には、大きな疑問を感じます。
 日本の裁判官についてもう一つ付け加えると、意外なほど一般教養がない人が多いんです。自然・社会科学も思想も芸術も知らない。あるいは、これで裁判官かと思うような浅薄な知識、理解しかない。だから想像力も乏しい。ことに事務総局系エリートといわれるような人々には、残念ながら、その傾向の強い人が多い。そういう人が最高裁判事になるから、最高裁も冤罪についてはきわめて鈍感。そういうことになります。
 それこそ、陪審でやったほうが、ずっとまともな結果になるんじゃないかと思うんです。』

 本当にそうなのかもしれない。最近の福島原発の裁判でも、裁判官は本当に原発の様々な事や、地震や津波に関する色々な科学的知識など全く考慮に入れていなくて判決を書いているところを見ると、この瀬木氏の言われている事が真実なのかもしれないと感じる。

 次にこの章では、死刑制度について二人で話し合われる。死刑について、私はあまり本気で考えた事が無かったが、歴史や色々な考え方を知る事が出来る。
死刑が廃止されている国では、「絶対的終身刑」というものがあるが、日本の終身刑と言っても、死ぬまで入るという感じではなく出てきてしまうという。
また、世界の趨勢は、やはり死刑を失くす方向だが、日本は最近、逆に多くなっている方向で、死刑が多い中国と書いてあったが、ちょっと中国と似ているのかもしれないなと思った。

 最後の部分は、「ジャーナリズムと司法の劣化は相似形」という節で、マスコミなどジャーナリストも、そういった権力側に立ってしまっていて、記者クラブなどの存在で記者も検察側の協力者となっている現状を書いている。
NHKが国営放送化し、民放テレビなどのマスコミも政権の広告塔のようになっている現状を見ればそれも当然な日本の姿のように見える