ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」を見た

 番組の紹介HP
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259675/index.html
  昨晩、これを見た。この番組の再放送は、15日午前0時(という事は14日の夜中か)
 そして、この「ひろしま」という映画自体、17日午前0時~(という事は16日の夜中か)に放送されるという。
それについてのYahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190806-00000047-nataliee-movi

 10日のETV特集で、この「ひろしま」という映画についての事が色々と分かった。
 この映画は、どうして作られたかというと、敗戦後間もなく、原爆については占領軍であるアメリカが、日本国民が反米感情をいだいてはいけないと、原爆に関する情報を検閲し、広まらないよう、知らせないようにしていたため、日本国民はあまり原爆について知らない状態であった。

 朝鮮戦争が始まって泥沼化し、マッカーサーが再び原爆を使う事を言うような状況になった頃、長田新という自身も被曝した教育学者が、何とか再び原爆が使われてはいけないという思いから、原爆の子供の体験を集めて本に出し、世の中に訴えようと考えた。
そして、その大学生たち(一人の方が証言者として出ていた)が、学校にお願いに回り、子供たちの体験を集め、それが岩波書店から「原爆の子」という本となって」出版された。
体験談は、1000人以上から集まったという。

 その体験談を書いた一人の子が、この本を映画にぜひ作ってほしいと考え、アドバイスを受けて、それを当時の日教組へ頼む。
 日教組は、終戦後アメリカの民主化の働きかけで出来るが、冷戦の始まりとともに、子ども達をふたたび戦場に送るなというスローガンの元、アメリカの方針と対立するようになっていた。日教組は、教師一人50円カンパで、今でいうと2億円以上の金がその映画化のために集まった。

 映画のため、一流の映画人が集まったという。私が知っているのは副監督に熊井敬の名があった。女優は当時人気があった月丘夢路が広島出身という事で、自ら会社の反対を押し切って無償で出演した。
 演技したのは実際に広島で被爆体験のある少年少女たちだった。「原爆の子」へ作文を寄せた子らも参加した。
 当時中学生だった番組に出た方が、映画の撮影時、過去の現実が撮影時にフラッシュバックされてつらく、吐きそうになった、などとそのつらさを話していた。その壊れた家などの舞台装置などもとても大掛かりに考えて再現され、現場の物なども実際の物も使われたり、焼けた衣類など、これは原爆で亡くなった子のものですと涙ながらに持ってきた母親もいて、そういった物も使われているという。

 2か月にわたって撮影が続けられ、次第に市民からも何か協力できないか、と多くの申し出もあり、最後の場面では、台本を変更、2万人もの市民が原爆ドームに向かって行進していく場面が撮られる事となった。

 こうして、1953年8月にこの映画が完成する。
 ところが、試写会の段階となり、大手映画配給会社が、「あまりにもこの映画は反米的だ。」として配給を拒否する。そこで自主的に細々上映され、国際的な映画賞もとったのだが、ネットなども無い時代、ほとんど人々には知られなかった。

 この背景には冷戦があり、当時レッドパージなどもあった時代で、メディアのアメリカやそれに追随していた日本政府に対する自己規制が行われた訳だ。まさに今の忖度の構造である。
 映画の「反米的な」その場面が少し写ったが、確かに今見ると、事実を言っている訳だが、いかにもといった「イデオロギー的な」雰囲気が感じられるのは確かだ。だが、この映画には実際の被爆の映像を再現した部分が30分以上もあり、当時の人々の「事実を再現して人々に知らせたい。再び原爆を使わせない」という強い思いの一番貴重な部分が、その事によって上映が拒否され、無駄にされた事は非常に残念な事であった。

 参加した子供達にも、「赤に利用されている」などと周りから言われたり、当時高校生で、協力していたが途中で止めた方の証言では校長室に呼ばれ、出ないように言われ、その方は自分で良いと思って出ていたのに、そんな風に圧力もかけられ、混乱し、映画が政治的に利用される雰囲気も感じて途中から転校、その後、原爆反対の運動などには関わらないようになったのだが、その方は60歳になってから、再び原爆に向き合い、原爆についての映画作りを始めたと番組では最後に伝えていた。

 映画が出来て66年たち、この映画が「国立映画アーカイブス」でひっそりと保管されていた。しかし、この映画作りに関わっていた小林太平という人の息子の小林一平という人が、この「ひろしま」の自主上映活動を始める。ところが68歳で亡くなってしまい、現在その息子の方が、その活動を引き継いでいる。
 この映画を見た映画館の代表の方の感想で、こういったすばらしい映画が日本に存在しているのは知らなかった。これは「新作」として発表されるべきだ、と語っていた。
 番組では、若い人にも見てもらおうと、大学生も参加する市民講座での上映風景も紹介されていた。
 
 ところが、この映画はフイルムが古くなり、映像がはっきりしなくなっていた。デジタル化して映像をクリアーにして復元したいのだが、それには多額の資金がいる。
 すると、3年前、この自主上映の映画が日本にある事を知った、アメリカ在住の日本人の映画プロデユーサーが動き、ハリウッドにある世界の良質な古典映画を扱う会社が、この映画の価値を認めて、資金を出しフィルムをデジタル化した。その会社のアメリカ人(多分)が、「これは一番すごい掘り出し物かもしれない、日本人だけでなく、アメリカや世界の人が見るべき映画だ。トランプがなぜ核兵器を使ってはいけないのか、と言っていたというのだが、それに対する答えがこの映画にある。」と番組で語っているのが印象的だった。
 現在、北米やアジア、等世界中で上映されつつあるという。
 オリバーストーン監督のこの映画についての感想が、番組の最初と、この場面でも出てきて、その意味を語っていた。

 最後に、2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の時にスピーチした「サーロ節子さん」が出てきて、彼女が大学生の時に広島でこの映画の試写会が行われ、見たのだが、その後、直ぐにカナダに行ったので、この映画が日本で人々に見られている物と思っていたのだという。
 彼女もあらためてこの映画を見、当時を思い出し、「核抑止論などという所から考えを進めるのではなく、人間の心に返ってもう一度考える事が出来る映画だ」と語っていた。
 また被爆者でもあり、映画にも出た方も、「現実の原爆はこんな物ではないが、原爆の記憶が薄れる今、一人でも多くの方に見てもらう一番良い教材だ。」と語っていた。

 17日の午前0時から放送という事なので、16日の夜中という感じなのだろうか。まずこの映画自体を見てみようと思った。

 また、この映画は、色々な立場の方が、録画しておけば、色々な所で原爆と戦争について考える良い教材としても使えるのではないか。