「なぜ必敗の戦争を始めたのか」 陸軍エリート将校反省会議 半藤一利 編・解説を読む 

 先日、本屋に行ったら、嫌韓本のとなりにこの本が並んでいたので、つい買ってしまった。
 これは、終戦後だいぶたった昭和51年(1976年)に米英戦争開戦当時の陸軍中央部の中堅参謀が「偕行社」という所に集まって、虚心坦懐に当時の記憶や思い出を語ったものを元にして、半藤一利が取捨選択、解説なども入れて分かりやすく書いているものだ。
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 この座談会に出席した人達は、すでに全員が亡くなっているという。戦前、戦中も政治家たちや陸海軍のトップの様子などが知れる立場にいた人達だが、戦後にこういった座談会に出てこようとする人達だから、特に主戦派という感じでなく、客観的に状況を見ていた人たちのような感じだ。物資などがとうてい戦争が継続出来る状況ではないと上司に進言した人もいた事が分かる。アメリカとの国力の差なども良く自覚していた。
 参加者は、戦後、軍隊を辞めた人だけでなく、自衛隊の陸将などになった人も幾人かいたり、企業の幹部などになっていた人もいる。

 従来、陸軍が悪玉で海軍が善玉、という風に言われていたのだが、それは、陸軍がドイツとの三国同盟を推進しようとする時に、海軍大臣の米内光政、次官の山本五十六、それと軍務局長の井上成美の3人が、そうすると米国と対立し、国力の差も自覚していたし、米からの鉄や石油が入らなくなる事を恐れて強く反対したので、そんなイメージが広まっているが、この本を読むと、それは海軍全体の考えという訳では無い事も分かる。

 陸海軍とも、好戦的な一部の中堅参謀などの勢いや、それに押される感じの上層部がいた事も分かる。それらがイニシアチブを握って好戦的雰囲気を作り上げ、全体としてそのムードに逆らえず、戦争へと進んで行った事もわかる。

 また、両方ともナチスドイツの力を妄信して、そこから他人任せの政策を考えたり、そういった点も、強硬派は軍部の中での学校成績優秀者が多かったようだが、どうして勘が鈍く、本当に重要な事が分からなかったのだろうか。そういった優等生には何か欠陥が生じるのだろうか?(現在の経産省の官僚も同じなのか?)

 好戦的な雰囲気の軍人の例が出てくるが、何か現代の日本の政治家にもけっこういそうであるし、自衛隊の中にもこんな感じの人が次第に増えてきたら恐ろしい事だ。

 これは、ノモンハン事変で失敗して中央に返り咲いた陸軍の辻政信参謀の様子、ちょっと引用すると、
『~若い参謀が反論する。好機南進はかならず米英との戦争となる、独ソ戦の見通しもつかないうちに、日本が新たに米英を相手に戦うなど、戦理背反そのものではないかと、と。
 辻参謀が、とたんに大喝した。
「課長にたいして失礼なことをいうな。(中略)課長もわが輩もソ連軍の実力は、ノモンハン事件でことごとく承知だ。現状で関東軍が北攻しても、年内に目的を達成するとはとうてい考えられぬ。ならば、それより南だ。南方地域の資源は無尽蔵だ。この地域を制すれば、日本は不敗の態勢を確立しうる。米英怖るるに足りない」
 若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、誤算があるのですか」。
 辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。今や油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」』
 そんな感じの軍人が増えていったようだ。

 海軍の方でも強硬派がいて、有名なのが『第一委員会』というのがあるという。戦後、半藤が調べようと旧海軍軍人に聞くと、皆「良く知らんなあ」とか、海軍良識派といわれた高木惣吉元少尉は、「そんなことは、半藤君、知らなくていいから、余計な詮索はしない方がいいと思うよ」と忠告されたという。
 神がかったような強硬論者に海軍が引きずられていった事を公にするのは、海軍だった者にとって恥だったのだろう。

 海軍の方を引用すると、
『~こうして海軍中央は有事の場合の準備をすすめるとともに、人事や機構の整備も完璧をめざし、15年春にはほぼ陣容をととのえた。
 (中略)
 ~かれらは事あるごとに、第一次大戦に敗北した祖国の復興をかかげて邁進するドイツを賛美した。人間はすべて創造者になれるというニーチェの思想を、行動原理とするヒトラーをたたえた。石川大佐は言った。
「ナチスはほんの一握りの同志の結束で発足したんだよ。われわれだって志を同じくし、強固に団結しさえすれば天下何事かならざらんや」
 柴勝男中佐は昂然としていうのを常とした。
「金と人(予算と人事)をもっておれば、このさき何でもできる。予算をにぎる軍務局が方針をきめて押し込めば、人事局がやってくれる。自分がこうしようというとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる」
 井上成美中将に面と向かって「三国同盟の元凶」と叱責されたこともある柴中佐は、「理屈や理性じゃないよ。ことを決するのは力だよ、力だけが世界を動かす」とうそぶいた。』

 そして、これらの委員会などのメンバーには、海大首席卒業の恩賜の軍刀組の秀才が多かったという。
(人事を自分の目的に使うなど、現在の内閣官房のような感じなのだろうか?)

 半藤一利の言葉に、
 『永野軍令部長総長の「いまの若い連中はよく勉強しているからな」という言葉が、何ともバカらしく響きます。明確な目的意識のないままに、海軍首脳は陸軍に張りあうために第一委員会を甘やかしすぎたのではないでしょうか。』
 とあります。

 最後に次の事が書いてあります。

『~昭和16年12月に大日本帝国が対米戦争をはじめるときの海軍中央の陣容をみると、エッと驚くことがあるのです。なんと、薩長出身の対米強硬・親ドイツ派の連中で固められていたのです。永野軍令部総長の高知(土佐)出身を筆頭として、まず山口県(長州)出身は左のとおり。(中略・5人の名前が書いてある)鹿児島県(薩摩)出身も多いのです。(中略・5人の名前が)
 第一委員会のメンバーのほとんどが親独派の薩長出身。これにたいして対米協調派の協力トリオの米内政光が盛岡、山本五十六が長岡、井上成美が仙台で、いずれも戊辰戦争のときの賊軍派出身の面々。これに加えて鈴木貫太郎も千葉県関宿で賊軍派です。「“官軍が”はじめた昭和の戦争を”賊軍“が終わらせた」といって、よく識者に笑われるのですが、あながち出鱈目をいっている訳で無いのです。』

 これは本当に偶然ではないような気がする。徳川幕府を倒し、薩長が明治政府を作ったのだが、その根本精神の一つに「尊王攘夷」的な感じで「国威を海外に進展させていく」という吉田松陰などの思想が根本にあり、しみついていた訳だから。

 読み終わって、現在、こういった雰囲気の政治家も増えているような気がする。自衛隊の方はどうなのだろうか?田母神俊雄などという方もいた事を思い出す。イラクへ行った髭の隊長も現在国会議員だ。大丈夫なのだろうか?
 安倍首相も長州出身者だ。

 朝鮮半島情勢もまだまだ不安定な時、嫌韓どころの話ではないではないか。しっかりと客観的に状況を見る事の出来る政治家や官僚が日本のかじ取りをしなければ。
強硬派の軍人も今聞くと、おかしな事を言っていると思うが、当時は、マスコミもそれを先導し、国民が熱狂的に支持したのだろう。強硬派は、そちらからも自信を得ていたのではないか。
 現在も、世論が嫌韓を支持しているというが(本当か?)同じような歴史はくりかえしてはいけない。