NHKスペシャル 昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~  を見る

  番組紹介のコピー
「日本の占領期の第一級史料が発見された。初代宮内庁長官として昭和天皇のそばにあった田島道治の『拝謁記』である。1949(昭和24)年から4年10か月の記録には、昭和天皇の言動が、田島との対話形式で克明に記されていた。敗戦の道義的責任を感じていた昭和天皇は、当初「情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」としていた。さらに、1952年の独立記念式典の「おことば」で戦争への反省に言及しようとする。しかし、吉田茂首相からの要望で、最終的に敗戦への言及は削除されていく。その詳細な経緯が初めて明らかになった。番組では、昭和天皇と田島長官の対話を忠実に再現。戦争への悔恨、そして、新時代の日本への思い。昭和天皇が、戦争の時代を踏まえて象徴としてどのような一歩を踏み出そうとしたのか見つめる。」

 「拝謁記」は、とても興味深い内容であった。従来、昭和天皇の気持ちは、大体知られていた事で、そうだろうな~、という感じで見ていたが、本当に詳しく生々しい言葉が記録されていて面白かった。

 この初代宮内庁長官の田島道治はこういった人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E9%81%93%E6%B2%BB
 色々な面で見識の高い一流の人であり、経済人でもあった訳だ。だからこそ昭和天皇も本心を話したり出来たのだろう。またきちんと正確に記録もされている第一級の資料だ。孫が保管していたもので、研究者達が番組に向けて調査した。

 天皇の戦争を悔やむ言葉の中で特に興味深かったのは、
 日中戦争中に起こった南京大虐殺について、戦争中、天皇は正式なルートでない、何か下の方からそういった情報を知っていたそうなのだが、あまり深刻に考えずにいたという。ところが東京裁判でこの事件の内容を聞き、衝撃を受けた。なぜもっと聞いた時にちゃんと注意を払わなかったのだろうか、悔やまれる。というような言葉だ。
 この「下」の方から聞いた、というのはどんな人からどんな風に情報を聞いたのだろうか?

 また、張作霖の爆死事件の時に、どうしてあの時点で、暴走する軍部を断固とした行動で罰し、止めなかったのか、と反省していた事だ。
 それから直ぐ、関東軍による満州事件が引き起こされたのだから、本当にそうだろうなと思う。2,26事件についても同様だ。
 昭和天皇は、軍部による「下剋上」を抑える事が出来なかった事に、責任や後悔を強く持っていた事がよく分かる。また軍部の暴走をとても嫌っていた事もよく分かる。

 朝鮮戦争が始まり、再軍備が行われた時に、旧軍の関係者が加わって行く事で「軍閥」の復活、軍部が力を強める事をとても心配していた事も分かった。
 また、天皇は北朝鮮の侵攻など共産主義を恐れていた事も分かる。北朝鮮軍(ソビエトを後ろ盾とした)が釜山まで迫ってきた状態では、そう考えるのは当然かもしれない。国が独立するためには、再軍備を必要とは思っていて、それには憲法を改正して矛盾の無いようにやりたいと思っていた事も分かった。(この時点では核戦争の時代では無いので、天皇も通常兵器の再軍備が必要と思っていたのだろう)

 日本独立の記念式典で、本人は真剣に述べたかった自分の戦争への責任を吉田首相に削られ。述べられなかったため、その後の日本での、戦争に関わっていた人々の『戦争責任』があいまいになってしまった事につながっていると識者は語っていた。

 あの頃に、天皇がもっと自分の戦争に対する反省と後悔の気持ちを率直に国民に語れていたらどうだっただろう。
 多分、今のように『南京大虐殺』は無かった、などという人が出て来るような世相にはなっていなかったのかもしれない。

 ネットを見ていたらこんな記事も紹介されていた。ちょっと本文とずれるが関係あるので。
https://www.dailyshincho.jp/article/2015/12080705/?all=1