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上小三十山の「最近の風景」と「山道の自然」を中心に、伝えます。
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NHK・BS 英雄たちの選択 琉球スペシャルが始まった

2018/07/20 09:25
 「英雄たちの選択」で、琉球スペシャルが2回にわたって放送されるという。今回は第一回目だった。
 沖縄が扱われるという事でちゃんと見ないと、とBSを押してみた。

  内容は、
 『 琉球スペシャル第1弾「独立を守れ!島津侵攻 尚寧王の決断」』
 というもの。

 以下、番組紹介のコピー
『江戸時代初め、独立国だった琉球王国に薩摩の島津氏が侵攻、勢力下におく事件が起きた。なぜ島津氏は琉球に侵攻したのか。当時の琉球王、尚寧王の立場から読み解いてゆく。

もともと琉球王国は中国や東南アジア各国との貿易で栄えてきた。日本とも交流はあったが上下関係ではなかった。ところが豊臣秀吉が天下を取ると、琉球王国にも支配下に入るよう島津氏を通じて迫り、朝鮮出兵に協力させる。秀吉の死後も徳川家康は中国・明との国交回復に琉球を利用しようとするが、琉球は日本の支配下に組み込まれることを嫌い、返事もしない。島津氏からは武力侵攻も辞さないと脅迫される…尚寧王の決断は?

 【出演】上原兼善,千田嘉博,島田久仁彦,【司会】磯田道史,杉浦友紀,【語り】松重豊』

 沖縄の歴史については、ぼんやりとは知っていたが、今回の番組を見てあらためてその認識を新たにした。

 沖縄は、日本本土より先に、小規模な戦国時代のような状況を通り過ぎ、日本本土より200年くらい早く統一がなされて琉球王国が誕生していた。
 沖縄の特徴はその地理的な場所にあり、「明」から冊封を受けた王国となり、それを生かして中継貿易などで栄えていた。
 つまり、中国の周辺国として完全に独立した国であった事が良く分かった。

 進んだ中国文明を取り入れられる場所でもあり、沖縄の城は沖縄の小戦国時代を経て、高度な作りになっていた。司会者の2人も沖縄まで行き、城郭研究の専門家の千田教授の説明などを聞いて城の石垣などの進んだ作りに驚いている場面も多くあった。

 しかし、時代が進み、秀吉の朝鮮出兵など国際情勢が変わってきて、秀吉や島津氏からの無理難題の圧力が高まる。若き尚寧王は、秀吉からの要請を半分飲んだり、その裏で明に情報を流したりもする。朝鮮出兵は失敗に終わり安泰かと思われたが今度は、徳川家康の天下となり、微妙な情勢だったが、最終的に島津氏が家康から許可を得る形で沖縄侵攻をする。

 沖縄は抵抗して善戦するが、戦国時代真っ只中の戦慣れた島津氏に負け、王はとらわれ、薩摩藩や徳川幕府の配下となる事を認めさせられてしまう。

 コメンテーター達の意見では、もう少し尚寧王が独立国としてうまく交渉や準備で立ち回れたのではないか、などの意見もあったが、沖縄出身の研究者(上原氏)は、それは無理だったのでは、との意見もあったり、少なくとも明治維新までは一応、独立した国として存続できたし、徹底抗戦して大勢が死ぬような事もなかったので、コメンテーター達は全員として、まあよくやったのではという同情的な見方であった。

 沖縄史研究者の上原氏の話では、本土の博物館では「刀」が多いが、沖縄の博物館には「三線」(さんしん)などの楽器が多い。日本では床の間に刀だが、沖縄では床の間に「三線」がある、などその、日本のように「武」で生きていこうとしない沖縄の精神を語っていた。
 
 番組の最後に司会の磯田教授は、「沖縄で起こった事は、後に必ず日本でも起こってくる。沖縄の歴史は他人ごとではなく、日本もそれを教訓としなければならない。強国のはざまで生きた沖縄、日本も今後、中国とアメリカという強国のはざまで生きて行かなければならない状況だ。沖縄から学ぶ事が大きいのでは」と語っていた。

 勉強になった内容だった。この番組の内容程度の「沖縄の歴史」は日本人ならしっかり知っておかなければいけない常識レベルの話なのだろう。
 そういった事すらあまりちゃんと知らなかった自分であった。

 次回の沖縄の内容も面白そうである。

 
 
 
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志賀高原の赤石山に登る

2018/07/16 06:56
 昨日は、「山岳巡礼」の根橋さんと、志賀高原の赤石山へ登ってきました。
 
 下界は37度の猛暑でしたが、2000mの山頂は涼風が吹き渡り爽やかでした。
 登った時期も良かったのでしょうか、予想以上に自然も豊かで、変化のある良い山だなあと感じました。                  
                         山頂からの展望
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                        途中から見た山頂部
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 登山口の横はよく車で通過する事があるのですが、大沼池や赤石山は、今まで行ったり、登ったりした事がありませんでした。 距離はややあるのですが、標高差600mくらいで、ちょうど今の自分の体力で気楽に登れるコースにも思え、根橋さんにどうですかとお願いして今回、一緒に登っていただきました。
                        朝の大沼池
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                  大沼池にカメラを向ける根橋さん
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 ところが、登ってみると、気楽というよりは、ちょっときつく感じ、私にはちょうど、このくらいが限界で、これ以上きつい山だと夏の暑い時にはバテてしまうところでした。以前なら、この位のコースは、もうちょっと余裕を持って登れたことでしょう。
                           山頂間際の岩壁
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                       山頂標識は群馬県側
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     山頂の石祠は長野県側なのだろうか、それとも群馬県? 
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 根橋さんは、私よりも少し余裕を持って登っておられた感じだったし、風景にも若々しく感動されたり、山頂の岩場でも平気で高い所に登ったりと、とてもお元気でした。

 ふだんの日記には、「もうこれで山登りはおしまいでしょう」などといった風に書かれている事が時々ありますが、まだまだ今後ともお元気に山に登られる事と確信しました。

 赤石山を登って下りてきた大沼池の湖畔のレストハウス横の温度計を見たら、10時すぎの気温が24度でした。山頂部よりは気温が上がった感じでしたがそれでも涼しい。今回の登山は全くの晴天でしたが、もちろん標高もありますが、大沼池から赤石山は、登山道のほとんどがコマドリの声が聞こえるような良く発達した樹林の中をいくので、涼しく、ありがたかったです。

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「今回の災害、国の責任も」と怒りのメール

2018/07/15 19:29
 今朝、ある人から以下のようなメールが来ていた。
 よほど腹が立ったからだろう。
 現政権は防衛費を何兆にも増やして国民の何を守るのか。
 私も同感だったのでここに載せておく。

『 朝のニュースで今回の災害被災地の人が言っていた言葉
川が合流する地点で氾濫した地区の人だったが(ニュースで何度も取り上げられた地点)
「この場所は何年も前から国に改修するように訴えてきたがやってもらえなかった。」
「今回の災害は国に責任があるのではないか。」
このようなことをはっきりと言っていたのが印象的であった。
もっと声をあげ大勢の人が同じことを言い出せば、またニュースでどんどん取り上げられればいいなと思いました。

 災害警報が出ていたころ東京では自民党議員が集まり酒盛りをしていたことはすでに取り上げられ問題になっているのですが。
決定打が欲しいところへ今日の朝のこのニュース。(わずかな時間なので聞いていた人はほとんどいないでしょう。)
やっぱりな、これは想定外の災害ではなく、なるべくしてなった災害だったんだと思いました。
これからの関連死も合わせると今回の災害による死者は250人を超すでしょう。
これは天災ではなく人災なのです。
優秀な人が、国民のことを真剣に思い行動できる人が、日本の舵を取ってほしいものです。』
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テレビ、新聞でも報じられている

2018/07/11 10:48
 安倍首相らが今回の豪雨災害の時に、宴会を行っていたという情報とその批判が、ネット上で多く出ていて、私も目にしていたが、昨日の民放テレビでもほんの短時間ではあったが、そのニュースが出た。

 今朝の地元紙(信濃毎日新聞)にも、その記事が大きく取り上げられていた。
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 こんな時に防衛相や法務相もそんな所に出る神経が分からない。

 NHKや全国紙でも、これだけ世間で非難が高まっている事をどうして伝えないのか。

 福島原発事故の時に、当時の民主党の経産大臣だったか、原発周辺は「死の町」となっている、と言っただけで、当時の自民党に「不謹慎だ」と非難され辞職した事を思い出す。

 不謹慎どころか、先への予知能力に全く欠けた人々に日本のかじ取りを任せていいのか?
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今回の豪雨災害に対する安倍首相の対応 

2018/07/09 23:47
 ネット上では、7月5日の夜、すでに今回の豪雨災害が始まっている時、また翌日オウム真理教の死刑が執行される前に、自民党の酒宴に安倍首相が参加し、飲んでいた映像が自民党議員のツイッターに投稿されていて明らかになり、批判が高まっている。
安倍三選に向けて、そういった会合に顔を出していたようだ。

 非常の多くのツイッターやブログの批判が出ている。
 一つ二つ紹介
https://hbol.jp/170129

http://lite-ra.com/2018/07/post-4113.html

 今回の行動を見ていても、現在の安倍内閣、自民党政権はそういった未来への予知の力、危機管理能力は本当に無いと思う。大体、この政権には人命を尊重する気持ちや、自然災害などについての科学的な興味、関心という物が非常に薄いと思う。

 選挙の前に、北朝鮮の宇宙空間通過のミサイル発射実験に、それが国民の生命に全くと言っていいくらい直接的な危険はないのに、莫大な金をかけたJアラートを朝からガンガン鳴らして、国民を危機から守る、などと叫んでいたのは、ただ政治的に利用できるからやっているだけで、本当に国民の生命を心配しているのではない事が良く分かる。
「国民の命を守る」などと叫んでいる時は、もっと他の動機から言っているだけだ。

 今回のような地球温暖化による異常気象や地震や火山噴火にも大して関心がないのだろう。
 日本の地震や火山の危機について本当に関心があるなら、原発再稼働などしないだろうし、地球温暖化による異常気象に本当の危機を感じているのならパリ協定からアメリカを平気で離脱させたトランプへ、ベッタリのあんな姿勢はいくら芝居でも取れるわけがない。

 これから起こって来るであろう様々な自然や社会的、経済的な地球規模の危機的な状況にまともに対処できるリーダーや政権では全く無い事は確かだろう。

 原発事故の時に、ああ、それでも今回、民主党政権下でまだよかったのではないか、自民党政権下で原発事故が起こらなくて良かったなあ、と私は感じたものだった。

 イージスアショアなどの購入はいらない。防衛費の増加も全く必要ない。その金があったら、どんどん起こる日本の自然災害の復旧費や、日本列島での防災についての研究費と生命を守る行動などの教育、広報費、原発廃炉費用など未来に向けて金をつぎ込むべきだ。
 その方が経済面でもよっぽどプラスになる。

 安倍首相は、ネット上の批判が高まった事や、あまりに被害が大きくなってきた事もあり外遊の予定を取りやめたという。その判断も遅すぎる。

 国民は、それでもまだ首相を支持し続けるのだろうか。

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「天皇と儒教思想」 −伝統はいかにつくられたのかー 小島毅著 を読む

2018/07/06 14:49
 今年の五月に発行された本。 
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この本の「はじめに」の部分に、天皇のおことばや「生前退位」が問題になった頃に、

 『〜そのなかで一部論者によって伝統的な天皇のありかたという、一見学術的・客観的な、しかしそのじつきわめて思想的・主観的な虚像が取り上げられ、「古来そうだったのだから変えてはならない」という自説の根拠に使われた。そうした言説に対する違和感と異論が、私が本書を執筆した動機である。』
 と、書いてある。

 筆者の専門は中国思想史であり、その儒教思想などの広く深い視野があってこそはっきりと指摘できている事が分かる。
 我々は『宮中祭祀』などと聞くと、大和飛鳥、奈良、平安時代から連綿と続いてきているのかな、テレビなどでもいかにも神秘的に取り上げられていたりするので、そんな風に感じてしまうが、全く違うのだなあ、明治維新前後に創られた物が多いのだ、とこの本を読み、知る事ができた。

 よくテレビに出て来る、天皇のお田植や皇后の養蚕、などもそうだし、天皇が亡くなり、陵墓を作って土葬されるのも、江戸末期の孝明天皇が千年ぶりに復活させたことだった。
明治維新までの京の宮中には仏間もあり仏式の先祖供養もされていたという。

 この本では、農耕と養蚕、陵墓(皇族の墓、みささぎ)造営、宮中祭祀、皇統譜、一世一元、太陽暦を採用した事、など、明治維新前後に変えられ、創られた伝統について取り上げられ、それぞれが儒教を思想資源としてなされている事などを説明している。

 皇后の養蚕も、元は中国古代にあり、明治維新にあたって当時の日本の主要産業だった生糸の殖産興業に向けて重要なパフォーマンスと考えられて始まったとの事、大体、「虫めでる姫君」が変人扱いされた平安時代の姫君皇后達が蚕のような虫などいじる訳が無いだろうと書いてあり、もっともな話である。

 陵墓は戦国時代など乱れた時代は盗掘などされて多少荒らされたのだろうが、ある程度は連綿と尊重されてもきたのだろうと思っていたのだが、それは違っていて、江戸時代に入って、水戸派などの尊王思想が高まってきてから陵墓への関心が高まり、どの天皇がどの陵なのか、と調べられたり復旧しようとしだしたりし、その流れが明治時代に受け継がれていったのだという。
 江戸時代以前の豊臣秀吉なども陵墓への尊崇の意識は全く無く、あの仁徳天皇陵でしばしば狩猟をしたそうだ。また、千利休は仁和寺内の光孝天皇陵にあった塔を、自分の屋敷の庭の灯籠としたのだが、後に秀吉に切腹させられる理由にその行為の事は書いてないという。そんな感じで、陵墓への当時の人々の意識が伺えるという。

 最近、愛子さまが橿原神宮にお参りに行った、これは初めての事、などのようなニュースがテレビで放送されて、「へ〜橿原神宮ってよく聞くけどそんなに天皇と関係ある由緒ある神社なのかな?」などと私は思って見ていたのだが、この本を読んで無学な私は、初めてその訳が理解できた。

 何と、橿原神宮は「神武天皇」の陵墓に隣接して作られた神社だったのだ。
もちろん、神武天皇は神話の世界の人だから、実際の古墳などありはしないのだが、江戸時代から始まる尊王思想の高まりで、畝傍山がその地と想定され、そこにある山陵が神武天皇陵とされ、明治に入って付近に新たに橿原神宮が建てられたのだ。
つまり、ここが「明治国家神道」の新聖地となった訳だ。

 その陵墓付近に昔から被差別部落があり、空想上で創られた神武天皇陵のせいで、明治時代になって、その状況を非難するあたかも現代のヘイトスピーチを思わせるような尊王派?の論説なども影響し、そこの人たちは結果として立ち退かなければならなくなったという事も知った。

 このように様々な事が明治維新前後に創られていったのだが、それは儒教の思想、形式を運用して創られている事を詳しく説明されている。決して古来から連綿と続いて来ている物では無かった。そしてそれらは神仏分離令などのなかで、いわゆる神道形式と称されて行われるようになっていったのだ。
 深い儒教思想への知識がある著者だからこそ、色々と正確に分析できるのだろう。

 著者は、前書きにも書いてあるように一部の、学術的・客観的に見える「宗教的教義」が平然と政治的な場でも声高に叫ばれるような現在の風潮に危機感を持っているようだ。

 「元号」の章で、道草的に述べられている話に、平成27年(2015年)に国会で『「八紘一宇」は日本の伝統的な国是だから今の政府もこれを遵守すべきだ、』という国会議員による発言について、その発言についてあきれるとともに、「戦前の危険な思想だ」と批判する識者たちの発言にも違和感を覚える。

 「八紘一宇」は日本書紀の神武天皇の言葉に源があるが、日本書紀は奈良時代に漢文で書かれた史書である。
 神武天皇は、もちろん神話の世界の人であり、『神武天皇が即位したという辛酉の歳は、そのまま西暦に換算すると紀元前660年であり、弥生時代早期又は縄文時代末期に当たる。(ウイキペディア)』

 著者は、日本書紀について、
 『そもそも漢字がまだ大陸から伝来していない時代の天照大神が、どうやって漢字で「天壌無窮」と発言したのか、不思議ではある。』

 などと皮肉まじりに言っているが、ちょっと調べてみれば、神話の世界の「神道信仰」を学術的、客観的風に政治的発言でする事の時代錯誤が簡単に分かる。

 著者は、発言した国会議員が、そういった信念を信仰としていだいている分にはいいが、それを国政の場に適用させようとする行動は「政教分離」の憲法の原則に反すると言っている。
 この本を読む前は、私も、変な事を言っている、いやだな、程度にしか感じなかっただろうが、言われてみると「政教分離」という近代国家の原則からして見逃すことは出来ない発言だったのだ。

 彼女の発言は、公明党の議員が、『「南無妙法蓮華経」の精神を生かしてカジノ法案を推進すべし。』と言っているのと同じようなおかしな言動なのだ。

 ネットで調べてみたら、その議員は、「三原じゅん子」という元女優、歌手の人で、自民党の参議院議員であった。
 現在の自民党はこういう人が多いのだろうか。

 これも、「祭祀」の章で道草的に述べられている事だが、平家物語や中国の古典に関連させて書いてあるこんな部分があった。面白いので全文をコピー。

 『最初の趙高は、前三世紀、秦の二世皇帝に仕えたおべっかつかいの人物である。自分にさからう者を見分けるために鹿を馬と称して皇帝に献上し、不思議に思った皇帝が近臣たちに質した際、事実どおりに「それは鹿です」と答えた者たちを、自分にさからう可能性があるとして粛清した。〜 こうして皇帝に直言できるまともな政府高官がいなくなった秦は、民心にそむく政策をゴリ押しで行ったため、圧政に苦しむ人々が各地で蹶起してあえなく滅亡する。
 権力者に追従して保身栄達を図り、その結果、国を滅亡させてしまうような連中は、自分では利巧なつもりかもしれないが、昔も今もみな「馬鹿」なのである。』

 今話題の高級官僚の皆さんは、おそらく受験に関係の無い、こういった中国古典などの「馬鹿」という言葉について学びもしなかったのだろう。

 一方、前川喜平氏のような官僚は、やはり立派な人なのだなあ、と分かる。

 本題にはほとんど触れず、道草的な所しか紹介できなかったが、本文の内容はけっこう本格的で、儒教の説明など私には複雑で頭に入ってこない部分があったが、兎に角、本の帯に書いてあるような内容の本である事は、「ガッテン」と納得した。

 調べると、この著者の「父が子に語る近現代史」という本があり、アマゾンのカスタマレビューで見ると非常に評判が良い。こちらの本をまず読むのが私にとっては良かったかもしれないと、さっそく注文することにした。












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NHK BS 昭和の選択で気象学の父、岡田武松を知る

2018/06/29 07:50
 昨日のNHK BS 昭和の選択では、戦争の時代 天気予報はだれのものか ‐日本気象学の父・岡田武松の葛藤 という題であった。
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 私は、岡田武松という人も知らなかったし、気象台の歴史といった事も知らなかった。この番組では我々の知らなかったこういった大切な歴史の真実を分かりやすく知らせてくれている。

 内容は、
『岡田武松は、現在の気象庁の前身・中央気象台のトップとして日本の気象事業の礎を築いた。「台風」という呼び名を付け、日本に梅雨が現れる原因を解明し、はたまた日露戦争時には、日本海海戦の気象予報を担当、見事的中させた。そんな武松は、日中戦争が始まると、軍事作戦のために気象情報を独占したい陸軍から協力要請を受ける。非常時にあって、天気予報は軍のものか、それとも国民のためのものか?武松が取った行動とは?

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】一ノ瀬俊也,中野信子,饒村曜,山本晴彦,【語り】松重豊』

というもの。

 日本の気象台の歴史は明治8年、お雇い外人などにより始まる。明治17年から気象予報が始まるが、あまり当たらなかったようだ。
岡田武松は帝大で気象学を学び明治32年中央気象台に就職する。そして予報課長になっていた明治38年、日露戦争の日本海海戦の気象予報を行う事になった。朝鮮や中国にも観測拠点を設けて何とか予報を的中させた。「天気晴朗ナレドモ波高ルベシ」というのがその予報で、有名な日本海海戦の開戦の電報の末尾にその言葉が使われている。

 その後、岡田は中央気象台長となり、その当時多発していた海難事故の防止に取り組む。新興の海運成金たちに資金提供を求めたりするなど手腕をふるい、海外に観測拠点を作ったり無線で天気予報を船に送れるような施設を作ったりなど成果を上げて行った。
国民全体が天気予報の恩恵を受ける事が出来るように、新聞に天気図を載せるようにしたり、ラジオの天気予報を始めたりした。

 次に、岡田は台風や冷害に取り組もうとしていく。それには気象には地球規模の観測が必要だという事で、国際協力で観測をしようと国際的な取り組みにも積極的に加わっていった。ゾンデを上げて上空の高層天気の観測も初めて行い出した。

 岡田の考えは、気象観測を国民全体や人類全体のために役立てようという思想があった。
また、中央気象台での人材育成に力を注ぎ、その薫陶を受けた人々が各地の気象台で正確な観測を続けられるようになった。まさに「日本気象学の父」といった人なのだと分かる。

 ところが、昭和に入り軍部が力が強くなり、昭和8年に国際連盟脱退、昭和12年日中戦争開始などという時代になってしまう。
 航空機が戦争の重要な手段となってきて、陸軍は陸軍気象部を作り、岡田に人材を派遣するよう強く求めてきたり、当時文部省の管轄だった中央気象台を直接、陸軍の管理下に置こうと、圧力をかけてきた。しかし岡田は絶対に承知しなかった。もちろん岡田は気象情報を軍部へはきちんと提出していたり出来るだけ協力はしていたが、組織を丸ごと軍部の下に置く事は拒否したのだ。
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 軍が都合のいいことを言ってきた。と当時の岡田の日記に記されていた。

 日本海海戦で国家の命運を分ける様な重要な働きをしたほどの岡田は、そんな青年将校の脅しの言葉などにビクともしないような確固たる物を持っていたのだろう。
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 「岡田は暗殺しなければダメだ。」と憲兵が語った事を家の者が聞いていた話が親族に伝わっている。しかし、岡田は軍の要求を突っぱね続けていた。

 昭和16年、岡田は中央気象台を退職する。そしてその年の冬、太平洋戦争が始まり、
天気予報などはすべて軍の統制下でマル秘扱いとなり、国民には知らされないようになった。そのため、昭和17年の台風では大きな被害が起きたりした。
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 昭和20年、敗戦とともに間もなくラジオ天気予報が復活する。これは、岡田が最後まで頑張ったため、結局、人材はだいぶ軍に引き抜かれたが、天文台組織は文部省から運輸省にうつっただけで、独立して存続していたため、すぐに天気予報を復活させることが出来たのだという。
 今までの気象観測の大切な記録の積み重ねもそのまま残ったのである。

 ところが、陸海軍気象部の資料は、敗戦時の指令によってすべて焼却されてしまっている。もし、中央気象台の組織が直接、軍部の組織下に入っていたら今までの資料もすべて焼かれて無くなってしまっていたかもしれない。

 岡田は退職後も気象の人材育成のために養成所を作り、それが現在の「気象大学校」となっているのだという。現在も岡田の人材育成にかけた思想が「気象大学校」に生きている事を紹介していた。岡田の言葉として、青年期に陥りやすいのは自己陶酔であり、それを防ぐのは「智」と「明」である、という言葉から、現在の気象大学校は全寮制で寮の「智明寮」が紹介されていた。
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きっと昭和初期の戦争前夜の青年将校達のような「暗い自己陶酔的」な行動に走ってはいけない、と強く思った事もあるのだろう。岡田は昭和31年に亡くなっている。

 コメンテーター達の番組の最後の感想では、学問の自由と独立が大切だという事や、
現在の事を記録して後世に残していく事の大切さ、人材を育てる事の大切さ、などが語られていたが、
中野信子という心理学者が、日本の科学レベルは今、どんどん低下してきている。それは、学問の自由と独立と言った雰囲気の低下、こういった岡田のような徹底的な自然の法則追及への姿勢という事で無く、何か「忖度を求められる体制」というかお金を出してくれるものにデーターを合わせて行くような、サイエンスそのものの弱体化があるのではないか。という意味の事を言っていて、なるほどなあ、と思った。
論文ねつ造などの話題をよく聞くこの頃である。
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 国の政権のトップが、平気で自己の権力保持のためにウソをつき、事実を捻じ曲げているような姿の国、国の未来の安全や理想を目指すのでなく、カジノなど目先の金が大切にされるような国に、健全な「科学」が発展しない事は分かる事だ。

 現在の政治情勢では、「民主主義」の危機だけでなく、「科学」の危機でもあり、結局は国力や様々な面で日本が凋落していくのだろう。

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 「拉致問題」についての3つのユーチューブ映像

2018/06/25 06:43
 ユーチューブの映像を色々と見ていたらこんな動画にであった。どちらも最近の物で、安倍首相が、北朝鮮の「拉致」問題にどう関わってきたのか、このままではそれがどうなるのか、この動画ほどその真実がよく分かるものは無いと思ったので紹介します。

『2018,5、29 蓮池透氏抜粋映像 腐りきってる安倍晋三』
https://www.youtube.com/watch?v=-YAPUZe1VPI
 拉致被害者の蓮池薫氏の兄である透氏の話
 この日付は、米朝首脳会談が開かれる前、トランプ大統領が会談中止を言っていた時の蓮池さんの話だという事が分かる。蓮池さんの言っている事が歴史的にも正しい事が良く分かる。話の内容も私には全く同感する事が多い。

『「拉致」は解決するのか三つの視点@ 小坂浩彰さん「山田厚のここが聞きたい」6,18』
https://www.youtube.com/watch?v=5dstGrdkt5c
デモクラシータイムスのインタビューの物。安倍首相が北朝鮮問題を政治利用に使っているだけという事が良く分かる。

『「拉致」を安倍任せにしない 三つの視点A 小坂浩彰さん「山田厚のここが聞きたい」6,18』
https://www.youtube.com/watch?v=BEO7ofeRWTE&t=15s
 上の動画の続き。

 上の2種類の動画で言っている内容は多少は違いはあるが、安倍首相が「拉致」問題を政治利用しているだけであり、現在は三選に利用しようとしているだけで、本当にこれが「外交の安倍」の実態だという事が良く分かる内容だ。

 もっと、我々は目をさまして真実をきちんと知らなければいけないとしみじみ感じた内容だ。    
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戦場体験者 ―沈黙の記録― 保阪正康著を読む

2018/06/23 11:29
 
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 現在、戦争体験者が本当に少なくなってしまっている。戦争体験の中でもその最も中心となる戦場体験者はさらにそうで、戦争終了時に20歳だった人でも今は93歳となっている。

 現在79歳の保阪は戦争終了時、6歳くらいだから、戦場体験者ではない。その人がなぜ戦場体験に取り組むのか。

 彼は、昭和史の記録を残したいと、40年間、延べ4千人の人々に話を聞いてきた。40代のある時期、とくに3年ほどはほとんど連日、戦争体験の話を聞いていた事もあったという。
 それは、あの日本の戦争がただ単に東南アジアへの侵略という歴史であった、という程度の唯物史観的な概念だけでしか次の世代にこの戦争を語れないとすれば、あまりにも怠惰で愚かである。それでは自分の世代の役目を果たすことが出来ない、との強い思いで太平洋戦争の実態を出来るだけ精密に調べ、それを史実として次代に語り継いで歴史の教訓を残していくと決め、一生をかけて取り組んできたのだ。
 
 この本には数多くの、戦場体験者の声が登場してくる。私にとっては、今までも何となく聞いていたような話が多いのだが、その行為を実際に遂行していった人たちの生の声を知る事は今までほとんど無かった。また今まで日本でも全く知られていない日本軍の残虐行為の話もあった。

 保阪がこの本で取り上げた戦場体験者は自らの非日常的、非人間的な体験に苦しめられ、贖罪や反省の気持ち、そうさせてしまった軍隊の体制や国への怒りなどから、会を作ったり個人として何らかの活動、や発信したりしていた。こういった活動をしていた元日本兵の人々の存在は、私は初めて知ったものが多い。この本はそれらの人々の思いを保阪がきちんと記録として残した共同作業のようにも感じられた。

 読み終わると、重苦しさとともに保阪が一生をかけて取り組んでいる『記憶を父として、記録を母として、教訓という子を生み、そして育てて次代に託していく。』という意味が分かってくる気がする。

 「はじめに」の中で、
 戦後70年に出版されたあらゆる戦争関係の記録を調べると、戦争を推進していった中心部、大本営、参謀、師団司令部、軍司令部、など戦場から遠く離れたところにいた上級者から記録を書き始め、次第に戦友会などの戦史も出てくるが、それも尉官クラスが多く、戦場の本当の前線にいた兵士たちが筆を執って著す書は、とても少なかった。それも戦後50年ころになってやっと出て来る感じだったという。
 前線や現場で実際の戦争行為をさせられていた兵士たちの記録や証言などは一貫して軽視されてきたのだ。

 保阪はこのような一般兵士の体験を記録として残さない日本社会、その理由について不思議に思ってきたのだが、その疑問が解けたのは2000年頃になってからだという。
それは、『〜 戦友会の取材、そしてその内部に入っていくつかの事実を知り、いくつもの光景を目撃してからであった。戦後の日本社会は、一般兵士がその戦場体験を語ることを許さない暗黙の諒解をつくってきたのである。一般兵士たちに、「おまえたちが体験したことは銃後の国民には語ってはならない」という暗黙の強要が、とくに戦友会を通じて行われていたといってもよかった。そのために一般兵士たちは、単に語るのをやめただけでなく、語らないということで、従軍とは別の形で国家に忠誠を誓うことになったのである。』

 戦友会では、戦前の軍隊の階級が生きていて、日中戦争、太平洋戦争の正当化が暗黙の前提となっている。兵士たちはその中でお互いに行った非人間的な残虐行為の苦しい思い出を秘密裏に共有する空間として慰め合う心理療法の場にもなっていた。
また、戦友会は靖国神社へ収れんする慰霊や、恩給など生活互助の役割もはたしたり、選挙時の集票機関としての役割もはたした。
家族には絶対に話せないという事もあったり、そういった社会の風潮全体が兵士たちが自らの非日常的な戦場体験をきちんと社会化しなかった理由であるという。

 保阪が個別に何度も話を聞いたような人たち、(前述の自らの体験による贖罪やそうさせられてしまった怒りなどの気持ちから、独自の会を作って活動したり、個人的に原因を追究しようとした人々)の方がずっと少数者だったのだろう。
たいていの人は、深く考える事はやめて皆と同じ行動にそって動いていたのだと思う。しかし、死の間際になり、心の奥に抑圧していた感情が一気に吹き出て来る場面もあったようだ。 
 保阪が老人医療に携わっている医師から聞いた話によると、
『〜すでに部分的に書いた事ではあるが、昭和50年代半ばから60年代、そして平成に入ったころに、〜中略〜 「不思議なことがあるもんですねえ。私にはとうていわからないのですが・・・」と言われて幾つかの話を聞かされた事がある〜』と、死の間際でベットで静かに死を待つ老人患者が突然全身を起こしてベットで土下座して謝ったり、必死で叫び声を上げて怯えて空中を払いのけようとしている患者がいた話を医師から聞き、保阪が調べると、家族には全く話してないが、その老人たちは中国戦線や比島作戦に従軍していて、激戦地や戦場での掃討作戦に従事していた人である事が分かったのだという。

 戦争での非人間的な体験がいかに人々の心の奥を傷つけ続けるかが分かる。
現代でも、アメリカでのベトナムやアフガン、イラクの帰還兵の問題や、直接の戦闘行為とは関係なくても、日本でもイラク派兵された自衛隊員の自殺数が非常に多い事が知られている。軍隊は殺し合いの組織であり戦争は一部のマンガや映画のようなかっこいいきれいごとでは無い事を知るべきだ。

 この本の章は
第一章 「きけわだつみのこえ」と戦後社会
第二章 日中戦争の実態を伝える
第三章 元戦犯たちの苦悩
第四章 軍隊と性の病理
第五章 衛生兵の見た南方戦線
第六章 個人が残した記録
補 章 兵士たちの戦場体験をいかに聞くか
 となっている。

 第2章に「日中友好軍人の会」というのが出てくるが、この会は昭和36年に元陸軍中将の遠藤三郎という元高級軍人が作った会だという。この人は軍人という立場からこの戦争の過ちを悟り、また今後の日本の道を軍人としての冷徹な視点から考えて、護憲運動や非武装・中立路線・中国侵略の謝罪、などを訴えて、日中友好運動を進めてきた。
遠藤は「軍備亡国論」をとなえていた。
 この人の言葉の一つが紹介されていたが。面白かったのでここに紹介する。(まだ東西冷戦時代の時代背景の話ではあるが)
『今日、日本国憲法を擁護し、再軍備に反対し、日中友好を説く者を非国民とし、中ソを仮想敵国として、日米安保条約体制を進めるものが愛国者と自称するのは、あたかも尊王攘夷論者を愛国者とし、開国論者を反逆者とした幕末当時の短見者と相似たるものがあるのではないでしょうか』
 これは、まさに現在の情勢にもピッタリの言葉だなあ〜と思わざるをえない。
 戦後、こういう事を言っていた元陸軍中将もいたのだ。

 第4章を読んで感じた事は、現在、慰安婦問題などで日韓の雰囲気がいつも悪化している。その問題について色々と言う前にまずこの本の第4章を読めばよい。最低限この本のこの章を読んでから、それを土台として発言するべきであると感じた。
 日本軍と占領下のアメリカ軍の比較で、セクハラ問題が取り上げられている現在でもやはり遅れた日本の現状が思い浮かぶ。

 また、この本の中に繰り返し出て来る事に、日本軍は戦争犯罪に問われる事を恐れて、すべての記録を終戦時に焼却することを命じ、戦争でどんな事が行われたか、すべての記録が失われてしまった。そのため日本軍のやっていた事が公式の書類上では出てこず、体験者の話とかアメリカの記録でしか分からなくなっている困難点がくりかえし述べられている。

 第3章に出て来る話で、戦争中、上からの命令に忠実であろうと中国人の首を何人もはねた元戦犯の人が、刑を許され帰国後も贖罪の気持ちで活動をしている時の話で、
『〜彼は自らが置かれた立場を正確に記録するためにお茶の水界隈の古書店を日常的に回っていたという。あるとき古書店の主人から、「あなたは憲兵か」と強い口調で問い詰められた。そうではないと否定し、自分がなぜ古書店めぐりをしているか、自らの軍隊体験を語ったときに、その古書店の主人は、「実は憲兵だった者が古書店を回って、自分たちの罪業を綴った記録文章を買い漁っている。それを一か所に集めて次々に焼却している」というのである。〜それは、ある組織がありちゃんとした資金ルートがあり、某有力政党にスポンサーがいるという。〜』

 こういった風に、戦後の日本では、戦争がどのような実態のものだったかを隠そうとする大きな政治的な力もあったのである。(今もそうなのだろう)

 この本を読んでいて、今、問題となっている公文書を隠したり改ざんしたりするような姿勢、性の問題を男性中心に軽く扱う問題、など現政権とそれを取り巻く官僚、一部マスコミなどの集団では、程度の差こそあれ戦争の残虐行為の証拠を残さず命令に従って焼いてしまう70年前の当時の日本軍の本質と同じである事に気が付く。

 もし、ここで公文書を隠したり改ざんしたりするような事を認めてしまったらどうなるのか。戦前と同じ道を歩むのだろう。それは絶対に許してはいけない事ではないのか、この本を読むとそんな気持ちが起こってきた。

 
 
 



 
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加計氏の記者会見

2018/06/20 11:39
 古賀茂明ツイッターを見たら、こんなつぶやきが。

『一つの推理
加計氏は官邸の指示でコロンビア戦でニュースが占拠される今夜を狙って、今日の午後に直前告知で会見する予定だった
大阪地震が起きたのでその混乱に乗じようとさらに午前に繰り上げた
これも官邸の指示
誤算は、報ステクルーが大阪取材に来ていたので、岡山の会見に間に合ってしまったこと』

本当に、人々の耳目が他の方へ向かっている時に、また加計学園の問題を追及している記者が集まれないような状態をねらって会見を、それも地元記者に限って、しかも本当に短時間開いただけなのもどう考えてもおかしい。

きっと、加計氏が判断したというより、官邸からの指示があったのだろうな。今まで会見を開かなかった事など色々と官邸と連絡をとっているのだろう。

 ネット情報によると、加計氏は岸元首相の孫だという説が出ていたが、確かによく似ているなあ、とテレビを見て思った。ネット情報だし多分、全然違うのだろうが、あまりに安倍政権が国民を馬鹿にしてウソをつき通しているのでそんな気すらしてきてしまう。

 
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BS1スペシャル「被曝(ばく)の森2018」 を見た。

2018/06/18 11:14
 日曜の夜10時からBS1でやっていた番組。
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デジカメで電池が少なくなって途中で切れてしまい肝心の画面が撮れなかったが、再放送などを見て下さい。

 この番組は、原発事故以来、何度か継続して放送されているような気がする。7年たった現在の報告、という感じの物。
 生物学的な報告と、帰還が始まろうとしている人々の様子など住民の様子の、二つの面から問題点を報告していたが、ここでは生物学的な面の部分だけ簡単に報告する。
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 原発事故から7年、放射線量は大分少なくなってきたが、広大な帰還困難区域の線量は相変わらず強い。今回の研究はそこでなされているものだ。半減期の遅いセシウム137がまだ多く残っているのだという。

 放置され除染なども全くされていない森林の汚染の様子はどうなのか。
 研究グループの調査では、セシウムは森林の土や生物に残り、地下水となっては流れて行かない。森林の中で循環している事が分かってきた。地下水の汚染はほとんど無かった。
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 ところが、スズメバチの巣の線量が非常に高い事が分かった。これは巣の材料として木の皮を使っている事から起こる事であった。
 また、色々な森林の生き物のセシウムを調べる研究者のグループによると、森林の様々な生物、野鳥や植物の花や実などに循環して蓄積している事が分かってきた。
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 野鳥の脳にセシウムが多く蓄積しているレントゲン画像?は恐ろしいものだった。
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 さらに森からの広まりもある。
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 この付近で空気中のセシウムを計測して調べている研究グループによると、春と秋に線量が高まっている事が分かった。そして調べてみると、これはキノコの胞子によるものだった。
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キノコが放射性物質を貯め込むのは知られているが、このように拡散もするのだ。

 この地域は、事故前に林業が盛んで、「津島マツ」という松は銘木で一本何百万円もするような価値のある材木だった。チェルノブイリでの研究者と林業関係者が調査したところ、
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 セシウムは材木の中に入っていてとうてい林業の再開は無理と分かって、ガッカリしている林業関係者の姿も紹介されていた。

 帰還困難地では、一部、国の方針で色々な帰還へ向けての方法も取られて出しているが、それは一部で、見捨てられたと感じている地区の人や、汚染土再処理の地区に指定されたのを苦渋の気持ちで心ならずも受け入れている人々の姿も紹介された。

 ニュースをはさんで、第二部が放送された。こちらは鳥類や哺乳類などの動物についてが中心だった。
カメラの電池が無くなって映像は少ないので、詳しくは再放送を見て下さい。

 事故から7年、野生動物がどんどん増えていて、町は荒れ放題となっている。イノシシやアライグマが増えているのが印象的であった。
 特に、帰還困難地域で人がいない場所ではそれが目立っていた。外人の研究者がセンサーカメラで測定した結果では、野生の哺乳類は増えていて、放射能の影響で減少している、という風では無く、人がいなくなって野生動物にとって有利になった面があるので、数だけを見るのでなく、もっと詳細に放射能の影響の研究していく必要がある、という事だった。

 日本の研究者の色々な人たちが、さらに被ばくによる生物の影響や内部被ばくの研究を続けている。
 ウグイスを調べている研究者は、ウグイスの体に変異が起こってきていることを発見していた。頭部などの毛が薄くなっているものが見られるようになってきたのだという。
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 ウグイスはヤブの中に住んでなわばりを持っているのだが、捕獲して調べていた。その原因は、放射能によるストレスでは、と説明されていたがはっきりとは、今後の研究に待つのだろう。

 また、他の日本の研究者は、アカネズミやアライグマの染色体変異を調べ続けている。
 7年目となり、染色体の異常がはっきりと現れてきている事が分かった。
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 放射線によって染色体が切断される、するとそれを補修しようとくっついて働くのだが、その時に間違って変な風につながってしまうことがある。それがこの二動原体という形だ。
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増えているアライグマ
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 そして、また別の研究者が、ネズミの歯を調べていて、これによって個々のネズミの放射線被ばく量がはっきりと分かる事が証明された。
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 今、福島では原発事故当時生まれた子供たちが7歳となり、乳歯が生え変わる時期だ、その乳歯を調べると、個々の子供の被曝量が分かってくるのだという。すでに子供の乳歯を6000本以上集めているという。
 これによって原発事故当時の個々の被曝線量が明らかになりそうだ。
 染色体変異を調べている研究者と共同で、どのくらいの被曝量がどのような染色体変異を引き起こすかの研究を進めているとの事だ。

 次に、いよいよニホンザルの話となった。非常に高い放射能汚染の森にすみ続けている、人間に近い哺乳類のニホンザルも同様に調べられている。
(ここでデジカメの電池切れでその画面は無い)

 ニホンザルの骨髄で血液を作る細胞が減ってきている事は前回の調査で分かっていたのだが、今回、血液は異常が見られない事が分かった。それは骨髄の造血細胞から血管への過程で無理をして普通の状態にしようにとサルの体内でがんばっているのでは、と思われるのだという。これが今後その状態に適応していくのか、無理が破たんするのか、今後の調査を続けるようだ。

 また、ニホンザルの染色体に『転座』という異常が見られるようになってきて、これは細胞がガン化する元であるという。
 被曝は現在も進行中であると研究者は語っていた。
 また、住民にも、研究結果を分かりやすく伝えている活動も紹介されていた。

 以前も紹介されていた大熊町の「じじい部隊」は今年解散することになり、その責任者の方のりっぱな屋敷、それは時々帰って手入れもされているのだが、そこが中間貯蔵施設の予定地でいずれそれに飲み込まれる事になっている場面が出てきて、その方の複雑な心境も紹介されていた。

 放射能汚染の循環が、この先何をもたらすのか?7年たった現在の状況を伝える番組だった。

 番組を見て、印象に残ったのは、ウソやデタラメ、雑な心性で行われている政治の世界と違って、色々な研究者が本当に熱心に放射能汚染がどのような影響を生態系に及ぼしているのか、その危険を調べているのだなあ、と分かり、暗澹たる現状ではあるが、日本のそういったまともな力に少し希望を感じられた。
 御用学者や意味の無い研究をしている科学者ではなく、こういった真に意味のある研究に地道に取り組んでいる日本の研究者が多くいる事が分かったのだ。

 ただ表面的に見ていて「風評被害」などと言っているような事ではなく、本当に将来の子孫のために、注意深く生きて行かないといけないのではないか。番組の染色体異常の話を見て、以前やっていた番組で、広島の被爆者が長い年月の間、体に不調が起こって早く亡くなったりしたことと染色体の異常を結び付けた番組をやはり終戦特集の時期にNHKスペシャルでやっていた事も思い出した。

 また、あらためてこの価値ある福島県浜通りの広大な土地をこんな風にさせてしまった原発事故の責任をはっきりさせなくてはならないのだろう。何も使い道の無いような尖閣諸島の事を騒ぎ立てて、その反面このような広大な価値ある土地をダメにしてしまった罪は本当にどうだれが償うのだろうか?

 ネオニコチノイド系農薬の例や、地震も多発する日本列島で原発再稼働もどんどん進んでいきそうな今日、そんな事ではいけないのだろうと強く感じた番組であった。

 

 

 
 


 


 






 

 
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カジノ法案も強行採決

2018/06/17 09:09
 先週の金曜日、自民党や公明党、日本維新の会はカジノ法案を委員会で強行に通過させた。

 夜のニュースステーションを見ていたら、コメンテーターの人が、「この頃、別府温泉へ行ったら、昔の湯治場があり、そこにアジアの富裕層の人たちが大勢、来ていて、浴衣を着て、自炊もして楽しんでいた」という話をして、こういった大きなテーマパークのような物を作るという方法はもう古いのではないか、観光でも今ある物を生かしていく方が良いと言っていたが、本当にそうだと思う。

 今朝のサンデーモーニングを見ても、日本の良さを求めて外国から人が来るのであって、カジノをやりに外国から人がそんなに多く日本にくるのか?依存症など悪い事ばかりで、どうしてこんな法案を強行採決してやるのか?とコメンテーター達、皆の発言で同感だった。

 外国からの客などもそれほど来るわけでなく、日本の国民がギャンブル依存症になったり、暴力団などの温床になったりする事は目に見えている。箱物作りという発想の一種だろうか。
 原発と同じで、そんな物を作って古くなったらどうするのだろうか。古くなったら価値が出て来るような物を作るのならいいのだが。

 カジノもたまにはシンガポールやラスベガスへ行ってやる事が悪いとは思わないが、こういった「カジノ法案」に賛成する人たちが、「美しい日本」といったり「日本を取り戻す」だとか「道徳教育」「国を守る」などとことさら叫んでいたり、「平和の党」だったり、原発を次々に再稼働させている人たちなのだから腹が立ってくる。
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米朝首脳会談について思うこと

2018/06/13 22:14
 米朝首脳会談が開かれ、トランプ大統領とキムジョンウン委員長が会い、会談は成功したと伝えられている。課題は多いのだろうが、今にも戦争が起こるのか、原発にノドンが命中して日本滅亡か?といった状況からすれば何はともあれとても喜ばしい事だろう。

 「完全な非核化」と日本では言い続けているが、常識的に考えて、一旦開発したものをそう簡単に廃棄などする訳も無く、独裁政権の護身用にキム政権では秘密裏にいくつかの核弾頭やミサイルは隠しておくのではないか。
 核査察などの検証など次第に行っていく事だろうが、検証できない場所に少し隠しておいても誰も分からない事だろう。
「核兵器禁止条約」にも参加しなかった日本が北朝鮮の核兵器についてだけしつこく完全なる核廃棄を言うのは、安倍政権が推進した道徳教育で「ウソをつくな」とやっているような感じで変なものである。
 マスコミもあまり威張って北朝鮮にばかり完全な非核化などと言う前に、「核兵器禁止条約への不参加」や原爆何個分もの原料のプルトニウムを作ろうと思えば作れるんだとため込んでさらに原発再稼働している日本の原発政策を本気で批判しているのだろうか?

 だが、キム委員長は、もう核実験やミサイル発射などはしない、と決断した事は確かな感じだ。そして中国のような経済の改革開放路線に踏み出そうとしているという事なのだろう。
 北朝鮮の人民がキムジョンウンの独裁政権を今後支持するかどうか分からないし、残忍な面のある独裁者なのだろうが、安倍首相より上手に英語を話せるような能力のある人らしいからうまくいけば、北朝鮮は経済的発展をとげ、東アジアが平和になるのかもしれない。

 北朝鮮の人々は戦前の天皇制の日本のような雰囲気の感じだし、国民が一丸となって日本が戦後に経済発展したように豊かな国になるのかもしれない。
豊かになって落ち着いてから北朝鮮の人たちが自らの国の政治体制は自分たちで考えるべき事だろう。

 少し前、トランプ大統領が米朝会談中止を言った時に、安倍首相は意気揚々と「会談中止のトランプ大統領の決断を支持します。」などと言って、全世界で会談中止を支持したのは日本だけだとの事だが、その後、急きょキムジョンウン委員長が動き、トランプ大統領が会談をする事に決めたので日本は世界中に恥をさらした。

 今回の、米朝首脳会談に向けても、全く判断を誤り、何ら良い方向へ何も貢献していない事はどうひいき目に見ても明らかだ。G7の会合でも全く蚊帳の外で、ただアメリカの言う通りに動いて国益を、また世界の信頼を失っている事がネット情報からもよく分かる。NHKニュースの解説もほとんど安倍首相の実態を伝えていないようだ。

 どう考えてみても、強大なアメリカを向こうに回してひけを取らなかったキムジョンウンと比べてみても情けない「安倍外交」である。

 拉致被害者の問題に対しても蓮池透氏が安倍首相は拉致問題を政治利用しただけで、本心から救出を願って動いていない事を指摘している。現に、米朝会談後に朝鮮日報には、今回の会談で拉致問題について話し合われたという事は出ていないという。足元を見られている感じだ。

 今後の日朝関係でも安倍首相でやっていけるのだろうか?

 歴史や文学などの勉強も良くしなかったという安倍首相は東アジアの歴史認識が全く無く、どちらかと言えば、南京大虐殺は無かった、だとか、慰安婦は軍が関わっていなかった、などと主張する人たちと同じような感情を持っている事は間違いないようだ。
 選挙ではそういった考えを持った人たちが熱狂的に安倍首相を支持する事が知られている。

 「いじめ問題」でもそうだが、やられた者は一生忘れない記憶が残っていても、加害者側はそれほどでもなく忘れてしまったりするものだ。
 ましてや南京大虐殺のような大量殺人、レイプや慰安婦のような問題は、被害者側にとっては孫・子の代くらいでそう簡単に心から消え去る問題では無い事だろう。

 ウソばかりついて平然としていると国民に思われているような首相をどこの国のリーダーが心から信用して本気の交渉相手にするだろうか?

 これでは、今後、始まって来る東アジアの大きな歴史の動きの中で、「まともな働き」など出来る訳も無く、日本は停滞の中に低迷してしまうのではないか。

 外交問題にも関心の高い自民党支持者はこんな人が自民党の党首で、首相になって日本を導いて行っていいのですか?

 


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あまりにもみっともない安倍外交

2018/06/09 10:13
 ネット情報だから真偽のほどは確かではないが、北朝鮮とトランプ大統領が非難の応酬をして、あたかもアメリカが北朝鮮への攻撃をしかけるのではないか、一触即発と思われた頃のことだ。Jアラートを鳴らしまくっていた頃、安倍首相は戦争になったら真っ先にピョンヤンに乗り込んで拉致家族を救出する、と周囲に張り切って言っていたような話が書いてあった。

 「国難解散」までしてネトウヨの声援に応え、北朝鮮の脅威を叫んでいた人だから、そんな事を言っていてもぜんぜん不思議では無い。

 そして、最近もトランプ大統領が北朝鮮との会談中止を発表したら、世界でただ一か国?それを支持する、などと言って、すぐに情勢が変化してしまい恥をかいたばかりでなく、今回はトランプ大統領の言うがままに、北朝鮮に経済的支援を行う、などと言っている。
 日米首脳会談後の記者会見の様子をテレビで見ても安倍首相の目はキョロキョロとして全く怯えた飼い犬のように見えた。
 安倍首相には、ただただネトウヨと同じレベルの嫌韓的な考え方しか無く、後は自分の深い考えも無くアメリカの言いなりといった感じしかない。主体性とか熟慮とか、東アジアや日本の将来を見据えた構想とかいった理念が全く感じられない。

 どうしてこんな人を日本人はリーダーとしていただいているのだろうか?

 今日の朝日新聞の川柳欄に『しっぽ振り来れば邪魔でも頭撫で』というものがあったが蚊帳の外ではみっともないと焦ってトランプ大統領にお願いする様子は本当にそんな感じだ。
ただ、ニュースによれば トランプ氏は『安倍総理は、軍用機・航機・農産物など数千億円の製品を購入すると話した』との事だから、またトランプにお願いするためだけに国民の税金を湯水のごとくに使っているのだ。

 3代目政治集団による国の破たんがいよいよ現実のものになってくることだろう。

 昨日のニュースステーションに先日、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した「万引き家族」の是枝裕和監督がコメンテーターとして登場していた。

 この人の事は全く知らなかったし映画「万引き家族」にも興味が無かったのだが、作品についての話を聞き、興味を持った。
 是枝監督については、フランス有力紙フィガロが、パルムドール獲得について日本政府による祝意が示されていないことを疑問視する記事を掲載、国際的にも波紋を広げたのだそうだ。
 是枝監督は安倍首相を以前から批判していたので、安倍首相が無視しているとか、ネトウヨが「万引き家族」を批判している、などの事がネット上に出ていたが、そんな事もあるのだろう。そんな事から林文科相が動いたら、日刊スポーツによると、

『林は7日の参院文教科学委員会で、祝意を伝える意向を明らかにした。
 これを受け是枝は同日、「『祝意』に関して」と題した文書を公式サイトに掲載した。
 「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」と言った。』

文科大臣、林芳正からの祝意を「公権力とは潔く距離を保つ」とキッパリ断った是枝監督はテレビでの受け答えを見ていてもその通りの人格の人なのだなあ、という感じだった。

 前の文科省相事務次官だった前川氏やこの是枝氏のような人物も、我々はテレビなどでその話を聞いたり作品を見たり、その人間に振れる事のできる時代に生きているのだ。また国会での総理答弁も聞くことが出来る。
情報統制された戦前と違い、目の前にそういった本物を間接的にでも見る事が出来る時代に住んでいるのだから、あとは国民の判断だけなのだが・・。


 
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崖からずり落ちだした国民

2018/06/01 15:15
 以前、「絶望の裁判所」という本を読み、日本の裁判官がどのようにおかしくなってきているのか、という事を知った。その本で、著者は日本国民は、それを知らず、崖っぷちにいて呑気に遊んでいるような状況、というような事が書いてあったが、もう崖からずり落ちだしているのかもしれない。

 ましてや裁判所と同じ司法の世界だが『検察』は官僚の一部であるので、今回の元佐川局長以下、財務省の職員を不起訴にした、というのは十分予想された事であるのだろう。

 しかし、どう考えても納得できない。
 税金を何億も無駄使いさせようとし、首相が関わっている事を隠し、一年もの間、国会で嘘をつきとおし、公文書を改ざんした。そしてそこに関わらされた職員が自殺までしている。その事件が、法律的にも全く問題が無い事であるという話は、我々普通の人にはとても納得がいかない。

 検察というものが、すべてに渡ってこのように「いいかげん」なものであるのなら、「そんな事もあるだろうなあ〜」と納得いくものだ。ところが例の籠池理事長は補助金をウソを言ってだました事で、(本人は意図的ではないと言っていて、しかも妻まで)一年近く夫婦で牢屋に入れられていた。
 通常、そう言った事では牢屋などには入れられないのに、安倍首相に反旗を翻したらそうなってしまう。
 それと同様、検察は弱い立場の人には厳しく当たり、逆の方へは甘いという姿のようだから余計、納得がいかない。女性が勇気を持って訴えたレイプ事件を安倍首相のヨイショ本を書いた人だという事で起訴させなかった事も記憶に新しい。

 自殺した近畿財務局の職員はさぞ無念である事だろう。

 こんな状態で日本の国は「民主国家」と言えるのだろうか?もちろん言えない。選挙で自民党が過半数を占めているのだから、こうなっているのだが、そういった状況を国民の大半は良しとしているのだろうか?

 「選挙」というものを根本から一人一人の国民が考えて投票しなければ結果として北朝鮮となんら変わらない国になってしまう。そして現在、北朝鮮の指導者の方がまだ日本よりよほどましなのではないか、という気すら起こってくるような状況である。

 
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歴史秘話ヒストリア「ニッポンの信仰心」で分かってきたこと

2018/05/31 17:34
 先日、弟と山に登っていた時に、「最近ちょっと中学の教科書で歴史の流れを復習したが、明治維新の後に日本が朝鮮半島を植民地化したり大陸へ進出していった理由がどうもスッキリ分からない。朝鮮半島を植民地にし、朝鮮の人に日本語を押し付けたり苗字も日本風にさせたりなど、逆の立場で考えたらとうてい考えられないような事をした訳でしょう。どうして当時の日本人がそんな事をしようと思ったのか、本当の理由を知りたい。」と弟が話していたが、本当に私もそこの所が分からない部分だと話していた。

 大河ドラマなどで明治維新があたかも「古き悪しき封建時代を倒した正義の革命」であるかのように繰り返し我々の心を洗脳してきた結果、そのような現在になっている訳だが・・。

 唯物史観ではないが「持丸長者」的に言えば、明治期の新興の貧しい日本の資本主義が、欧米の帝国主義の圧力に対抗して植民地を求めて台湾や朝鮮半島、大陸へ向かったのだろう、朝鮮や大陸で一旗揚げ金もうけする、という欲が原動力なのだろうとは思うが、それだけで説明がつくのだろうか?

 そんな謎を解く一つのヒントになるのではないかと思ったのが、昨日のNHK歴史秘話ヒストリア『神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心』というテレビ番組だった。

 その内容は、
『初詣などで神社や寺に行く人は多いのに「宗教を信仰していない」と答える人が約半数…ニッポンの信仰心の謎を千年の時をさかのぼり解き明かす。古くからの神と、あとから伝来した仏。本来異なる存在をゴチャマゼに信仰する「神仏習合」。それは奈良時代、神の告白「神はつらいよ」から始まった!?しかし150年前、神仏習合は禁止され、その証しは破壊された…。春日大社など有名社寺の協力で、封印された歴史をついに公開!」』
(再放送6月2日 午前10時05分〜 午前10時50分)

 という物、飛鳥時代、日本に仏教がもたらされたが、仏教=進んだ文明でもあった訳で、従来からあった日本の宗教(神道的な)と対立というよりそれを取り入れる形に落ち着いて行った話をしていた。平安の末期には『本地垂迹説』という考え方が出てきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9
そういった神道と仏教のゴチャマゼの状態が江戸時代であった。
 
 番組では1000年の歴史のあるその神仏混合が、150年前の明治維新の時に古の日本の神が正しいという神社側の考え方により否定された、とやっていたが、その辺の所をウイキペディアで詳しく調べてみた。

 江戸末期に発生した「国学」では、
 『〜古道説は賀茂真淵・本居宣長により、儒学に対抗する思想の体系として確立されていき、主に町人や地主層の支持を集めた[1]。この古道説の流れは、江戸時代後期の平田篤胤に至って、復古神道が提唱されるなど宗教色を強めていき、やがて、復古思想の大成から尊王思想に発展していくこととなった[2]。』(ウイキペディア「国学」より引用)

 以下、重要なのでウイキペディア「国学」よりさらに引用すると・・。

『復古思想の流れ

真淵の門人である本居宣長は『古事記』を研究し、上代の日本人は神と繋がっていたと主張して「もののあはれ」の文学論を唱える一方で『古事記伝』を完成させた。この時点で国学は既に大成の域にあった。

その後宣長門人の平田篤胤に至って宣長の持つ「古道論」を神道の新たな教説である「復古神道」に発展させた。彼の思想は江戸時代後期の尊皇攘夷思想にも影響し、日本固有の文化を探求し、国粋主義や皇国史観にも影響を与えた。平田篤胤の弟子である経世家の佐藤信淵の著作『垂統秘録』や『混同秘策』等にはその傾向がよく現れている。

征韓論への影響

本居宣長は寛政2年に『馭戒慨言(ぎょじゅうがいげん)』を刊行したが、中野等によればこの書名は「中国・朝鮮を西方の野蛮(戎)とみなし、これを万国に照臨する天照大御神の生国である我が国が「馭めならす」、すなわち統御すべきものとの立場による」という[3]。内容も「日本中心主義と尊内外卑に立って」外交交渉の歴史を解説している[3]。佐藤信淵は『宇内混同秘策』において「凡ソ他邦ヲ經略スルノ法ハ弱クシテ取リ易キ処ヨリ始ルヲ道トス今ニ當テ世界萬國ノ中ニ於テ皇國ヨリシテ攻取リ易キ土地ハ支那國ノ滿州ヨリ取リ易キハナシ」と述べ[4]、出雲松江や長州萩、博多から朝鮮半島を攻撃するという具体案を提示している[3]。さらに「武力によって満州、支那、台湾、フィリピンを攻め、南京に皇居を移し、全世界を全て皇国の郡県となす」と世界制覇を夢想している[5]。吉田松陰は「朝鮮を責めて、質を納れ、貢を奉ずること古の盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋諸島を収め、進取の勢を示すべき」「国力を養ひて取り易き朝鮮、支那、満州を斬り従えん」と獄中から弟子たちに書き送り[6]、弟子の桂小五郎は征韓論を唱え、秦郁彦はやがて明治初年にはこれが具体化し征韓論が台頭したと主張している。[7]。』
 
 以前、吉田松陰の思想について書いた事がある。
http://js30.at.webry.info/201802/article_4.html
そういった吉田松陰の思想の元は、本居宣長からきているのだとここで分かった。

 幕府を倒そうとした人たちの主流は「尊王攘夷派」であった訳だから当然、こういった思想は根底にいだいていたのだろう。
 現在、我々は、明治維新を起こした人たちは「西欧文明に目を開いていた進んだ開明派」というイメージでとらえているが、その辺は、どうなのだろうか?明治時代と言っても、できれば「尊王攘夷」的な人、「和魂洋才」といった考えの人、西欧の思想もかなり深く理解していた人、(夏目漱石の「私の個人主義」だったか?の講演記録を読むと、本当に現代の我々に向かって語っているかのようだ)など様々で、実際は、ほとんどテレビドラマに出て来る人々のようでは無かったのではないか。
 
 さて、歴史秘話ヒストリアに戻ると、維新時の『神仏分離令』によって起こった廃仏毀釈
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88
により、多くの寺と神社が一体となったような当時の状況が破壊されたようすを伝えていた。ウイキペディアには当時の寺院が幕府の政策と一体となって既得権益を得ていた反発もあったと書いてあるので、そういった面も大きかったのだろう。

 こうやって、「尊王攘夷」思想などと結びついた『国粋主義』『皇国史観』などによって
「国家神道」が形成されていったと番組では伝えていた。なるほどなあ〜、と納得の話だった。
 「日本は天皇中心の神の国」と森元首相が言った事が伝わっているが、今でもそんな思想の政治家は最近多く存在しているようだ。

 今年の新年の朝のNHK番組で「伊勢神宮」を放送していたが、その中で、江戸時代は伊勢神宮の中に、店や神官の住まいなどあってお伊勢参りの人たちが活動するいわゆる「俗的な観光的な雰囲気」があったが、明治時代になるとそれらは取り払われ西欧的な一神教的な清浄な政治的空間へと整備されたという話をやっていた事を思い出した。
 安倍首相は世界の首脳に伊勢神宮をサミットで自慢していたが、あれは明治維新後に整備された姿で古来からの姿では無い。

 番組では最後に、世界の国々では、一神教的な純粋性を求める心性から結局それが戦争を起こしたりどうしようもなくなってくるが、日本のこのゆるやかに包摂できる物の方が何か今後の世界に役立つのではないか、最近、日本では江戸時代の以前のような寺と寺院が一緒に行事を行う、などといった動きも復活しつつある事をやっていた。
 最近、靖国神社への参拝者が増えたといったニュースが伝えられていたが、それに対してこれは逆の動きであるようだ。

 とは言え、江戸時代にはキリスト教を徹底的に弾圧したのだから、日本人が広い心を持っている、などという番組のような楽観的な事はとうてい言えないだろう。時の権力者のごまかしや圧力に屈しやすいご都合主義、長い物には巻かれろ的な心性からくるのかもしれない。

 色々と本当のところは分からないのだが、とにかく昨日の番組を見てウイキペディアなどをさらに見ると、冒頭にも書いた、「なぜ日本は韓国を植民地にし、大陸へと進出していったのか?」という当時の日本人の考え方、感じ方の根底が少し分かってきた気がした。
 
 
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報道特集でネオニコチノイド系農薬を取り上げていた

2018/05/28 08:46
 ふとテレビをつけた土曜日のJNN報道特集で、ミツバチの大量死と水田に使うネオニコチノイド系農薬の関係を取り上げていた。

以前から、指摘されていた事で、このブログでも以前、書いた事がある。
http://js30.at.webry.info/201508/article_13.html

 ミツバチの大量死の原因について、専門家の研究(大学の名誉教授だったか)がミツバチの害虫であるダニの影響が出ないハワイで実験したところ、高濃度では直ぐに死に、低濃度でも次第に減って最後は全滅してしまったという。
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EUでは、すでに最近、この農薬が全面禁止になったと伝えていた。
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ところが、日本ではヨーロッパと散布方法が違うとか言って農水省はこの問題を真剣に取り上げていない。

 なぜ、この農薬を使うかと言えば、これによって米につくカメムシを殺すためであるという。カメムシがつくとコメが茶色に変色したり汚れるというのだ。そしてその汚れた米の数によって一等米、二等米、といったランクが厳しくつけられ農家の収入に直結するのだという。それによって従来から有機リン系農薬を使っていたが、低毒性とうたわれているこの農薬に変えて使い続けてきているのだという。

 ところが、このコメの汚れは別に人体に害になるようなものではなく、単に「曲がったキュウリが売れない」というくらいの問題のようだ。現在では自動的に汚れた米や石を取り除く機械もあり、このコメの等級づけの意味が無くなってきているのだという。
 現に無農薬でコメを栽培している八郎潟の農家の方も無意味なこの農薬の散布に反対していた。
 
 番組では、ミツバチや他の受粉に働く昆虫類が死ぬことにより、色々な作物の受粉が出来なくなり食料生産の危機が起こる可能性が出て来ることを警告していた。
 そういった事、以外に他にも心配な事があるのではないか。

 低濃度のこの農薬は、ミツバチの神経系を冒して、ハチが巣に戻れないようになってしまい行方不明(死ぬ)になってしまうと言っていたが、これを聞いて一番恐ろしく感じるのは、昆虫という生物ですらそうなるのだから、哺乳類である人間の神経系に影響を与えないという保証はどこにもないのだろう。
 「沈黙の春」や「奪われし未来」ですでに以前から警告されているように、母親を通してこういった合成化学物質が胎児に取り込まれ、どういった風に他の生物や人間にも作用してくるのか分からない。

 日本では、そんな未来のよくわからないことより、製薬会社の収支経営の方が、政策決定に重視されるのだろう。 こういった事について「転ばぬ先の杖」ではないが、もっともっと注意深く、慎重に考えて、すぐにでも行動をとっていくべき時代になっているのではないか。そういったレベルよりさらに低レベルの『いつまでもウソツキを国のリーダーに放置している』ような、最低の政治後進国の日本であっては未来は絶望的だ。
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2泊3日、伊吹山と紀伊半島の百名山

2018/05/24 10:36
 新緑の季節も通り過ぎようとしている。昨年退職した千葉の弟と、今年はどこの百名山を登ろうかと考え、伊吹山・大台ケ原山・大峰山系の八経ヶ岳の三山を登ることにした。伊吹山と大台ケ原山は車を使いハイキング程度にして、八経ヶ岳は登山という風に考えた。

 5月20日(日)、前日から上田に着き泊まっている弟と、朝4時15分ころ家を車で出発した。空は晴れ、岐阜県に入ったばかりの恵那峡SAでは、雪をいただいている御嶽がはっきり見えた。濃尾平野に入ると伊吹山らしい山が見えてきた。伊吹山ドライブウエイに入ると、伊吹山の姿が大きく見え、その姿はやはり百名山だけの事はあるなあという感じだ。
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 ドライブウエイの道端にはタニウツギらしい赤桃色の花が点々と咲いていた。この花は以前、6月頃、奥裾花自然園への道端にたくさん生えていた記憶がある。伊吹山は雪が多いというからその辺りと風土が似ているのだろうか。道路が山頂部に近づくと、道脇に北側の深い谷の方に向けて三脚の望遠鏡にカメラをセットして、大勢の人たちがいた。帰りに聞いてみると「イヌワシ」を撮るためとの事。

 すぐに広い駐車場となった。山頂までは遊歩道で20分くらいの中央のコースを歩いた。今日は大台ケ原も行く予定なので、急いでの山頂往復なのだが、登山道の周りの山野草の花が色々と咲いていて、ここはお花畑なのだ、ということに改めて気が付いた。今ネットでちょっと調べてみると、こんなHPが存在していた。https://www.digitalsolution.co.jp/nature/ibuki/
百名山の数を稼ぐために、ちょっと山頂を踏んでくるか、などという気分でやってきたのだが麓から登ってじっくり味わうべき素晴らしい価値のある山なのだ。高山植物というより、山野草や高原の花といった種が非常に多そうだ。
 石灰岩の地質と豪雪、という条件でこういう豊かな植生が生まれるのだろう。植物の写真を撮る暇も無く、登山靴に履き替えず運動靴での山頂往復だった。

 山頂では天気が良かったので、四方の展望がすばらしく、関ヶ原古戦場の地形も上空から半分くらい見る事が出来る。琵琶湖も北の部分が良く見える。テレビの戦国時代を扱った番組を思い浮かべて下を見るが、大体の所しか分からない。こういった事も知識のある人に教わりながら解説してもらったら、四周の平野や湖水、街並みや山々について色々と面白いだろうな〜。
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 これから向かう紀伊半島の山々は遠くて全く分からない。この素晴らしい晴天を喜びながら兎に角、小カルスト地形といった気持ちよい雰囲気の道をそそくさと駐車場へと向かった。

 写真は、山頂だが、これを書きながら深田久弥の「日本百名山」を見ると『〜その伝えから頂上に日本武尊の石像が立っているが、尊にお気の毒くらいなみっともない作りであるのは残念である。』と書いてある。そんな事も意識せずただシャッターをきったが、もっとじっくり見てその「みっともなさ」を味わえば良かったなあ、などと残念だ。写真には撮らなかったが、深田久弥の時と同じように雪を頂いた白山も美しく見えた。
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 高速と一般道で奈良を通過、昼過ぎごろ、「道の駅 吉野路大淀iセンター」という大淀町の道の駅で昼食をとり、少し休憩。今回、長野県内と山道は主に私が、高速道路とくに都市部は弟が運転したが、この方法は中々良かったような気がしたのだが、ここから大台ケ原までは私が運転した。

 私は、吉野までは現役時代に仕事で一回来たことがあるが、それから南は全く行った事が無い。大台ケ原山に向かうが、道の両側の山々はますます高く、谷は狭い。トンネルも続く。ちょうど長野県の島々から上高地に向かう谷を思い出した。ただ、こちらの方が木々の緑が深くこんもりと繁り、まさに「深山幽谷」という言葉に近い。植林された針葉樹も多いようだ。吉野杉の本場なのだろう。午後もだんだん時間が過ぎて行くが、今日中に大台ケ原の駐車場に着き、最高点「日出ケ岳」への往復1時間を済ませたいので少し運転をあせってきた。
 カーナビに従い、道が国道を離れ、沢から山の斜面を登り出すが、『大台ケ原ドライブウエイ』という名から想像していた道とは違い。舗装はしてあるが、狭く見通しが利かない家の近くの裏山の林道のような感じだ。周りは杉の植林帯である。日曜の午後という事もあるのだろう。対向車が多く緊張した。尾根に近づくと次第に道が広くなり、周りの森林も自然の感じとなってきた。ここからが本来の「ドライブウエイ」の道なのだろうか?色々な広葉樹や針葉樹が混じって生え、しかもよく発達している。「良い自然林だなあ」などと思うのだが、なにせ時間に追われているのでそんな事もろくに目に入らない。霧も湧いてきて運転も大変になってきた。それでもやっと大台ケ原の駐車場に4時少し前に到着した。

 車が何台も駐車していて、帰ろうとする人々だろうか人の姿もポツポツ見える。今日の宿泊はこの駐車場のすぐ隣にある「心・湯治館」という宿で、5時頃チェックインと連絡していたので、急いで1時間の山頂往復を始めた。道はいくつかあるが一番短い道での往復だ。なだらかな登山道なので速足で登れたのだが、夕方も近づき霧が巻いてきて少し薄暗くも感じられ気持ちがせかされた。ところが霧の中の森林の様子が何とも風情がある。鹿の食害を防ぐために網を幹の基部に巻いてあったりして目障りではあるが、広葉樹と針葉樹が混じりあい、しかも大木が多い。木々には蘚苔類や地衣類がビッシリと着いていて、霧の中で文字通り「深山幽谷」といった雰囲気を醸し出していた。
 間もなく日出ケ岳山頂となる。一等三角点1695mだった。
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 登山者もまだ2,3人いた。展望台もあるが、霧で全く展望は無い。パノラマ図を見ると海が良く見える事が分かり、いかに海に近いかという事が分かる。今、地図で確認すると太平洋と直線距離で一番近い場所は10km程度なのだ。解説板では海からの湿った空気が山にぶつかって霧や雨になり日本有数の多雨地帯となる、と書いてあった。特に台風の時の雨量はすごいようだ。そんな大台ケ原の特徴がこの霧に浮かぶ森林なのだと思うと満足の山頂だった。
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 山頂部には霧の中、白い蕾を持ったツツジらしい木があったり、ブナらしい大木が霧の中で見えたりした。針葉樹の大木はトウヒやモミ類と説明板に書いてあった。
 テレビ番組でも見るが、西大台とか大杉谷などの方をじっくり回ればすばらしい体験になるのだろうなあ〜、などと感じた。登ってきた後、駐車場の所にあるビジターセンターを見る。これを書くため大台ケ原の自然についてのHPを見ると、
http://kinki.env.go.jp/nature/odaigahara/about/history/history_index.html
 大台ケ原の成り立ちや歴史や問題点が分かる。鹿害や森林の衰退が深刻であると分かる。
「日本百名山」にも書いてあるが松浦武四郎が晩年、大台ケ原を非常に愛していたという事だ。北海道の大自然や、日本の古来の幽玄な雰囲気も、探検的要素も、併せ持った当時の大台ケ原に惹かれたのだろうか。
 5時頃には、「心・湯治館」に到着できた。私たちの泊まった旧館は、山小屋と旅館の中間のような感じの宿であり、それほど混んでいなかったので落ち着いて泊まる事ができた。
 夕飯にはイノシシの肉も出た。

 21日(月)、朝4時過ぎには起き出し、作ってもらってあったおにぎりを少し食べ、5時半くらいには出発していただろうか。大峰山の最高峰である八経ヶ岳へは、行者還しトンネル西口駐車場からのピストンが日帰りコースとして現在知られている。大峰山の縦走などはちょっと私には難しいので、この日帰りコースで登る事になる。大台ケ原駐車場からこのトンネル西口の駐車場まで車で1時間くらいかかった。途中、道端にキツネやサルも見られるような奥深い山の道路だ。トンネルを抜けると広い駐車場では無いがトイレなどの設備は整い、管理人もいる駐車場があった。駐車料金は1000円。ここの標高がすでに1100m位だ。準備をし、登り出したのが7時20分頃だった。
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 まず行者還岳から弥山の間をつなぐ奥駈道の稜線へ出るための登りとなる。標高差は400mくらい。登り始めてまず感じた事は、ここの森林の多様性と、木々が良く発達しているという事だ。大木がとても多い。観察する暇もないが、ヒノキの仲間の針葉樹やブナの大木や色々な大木が生えているように感じられた。木の皮がむけたようになってツルツルの赤い幹の木も目立って、長野県に住む私にとっては珍しかった。以前、天城山に登った時にもこんな木が生えていたなあ、でもあの時は冬だったからよく分からなかったなあ、などと弟と話していたが、先ほど調べてみると「ヒメシャラ」という木のようだ。シャクナゲもちょうど花をつけていた。長野県の山で良く見るアズマシャクナゲではないだろう。図鑑で見ると紀伊半島にあるというツクシシャクナゲという種なのだろうか?
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すぐに尾根に出るか、と思ったら中々つかない。コースタイムどおり1時間ぐらいかかって尾根に出た。少し疲れ出す。尾根の手前辺りから、白いツツジの花が美しく咲いている。その木も大きい。ガイドブックには「シロヤシオ」と書いてあった。図鑑を見ると「ゴヨウツツジ」という種にアカヤシオとシロヤシオがあるのか?いずれにせよシロヤシオは盆栽のような感じでそれがそのまま大木となったようなすばらしい木が多かった。昨日、大台ケ原で見た白い蕾のツツジはこれだったのだろう。標高が少し低いこの位置でちょうど満開となっているのだろう。
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 少し休み、疲れをとり、シロヤシオに見とれながら尾根を上下して行ったが、そのうちに今度はカエデの若葉が美しい林に入った。これもガイドブックによると「オオイタヤメイゲツ」というカエデだった。ハウチワカエデのように大きな葉で、紅葉すればこの林はどんなにすばらしいか想像できる。また、蘚苔類やカブトゴケなど地衣類の豊富についたブナやミズナラなどの大木も混じって生えている。
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 天気は快晴で明るい尾根道だった。行者が修行して駈けて行く尾根なのだろうが修行の厳しさや汚濁にまみれた下界を離れて一時でも極楽の雰囲気を感じていたのかもしれない、それも苦しい修行を続ける動機の一つになったのではないか。苦行ばかりでは無かったのではないか、などと想像して歩いた。

 多少の登り下りのある尾根を進んでいくと弥山の頂上付近に弥山小屋の一部が見えた。かなり遠くに見える。こういった尾根が山頂部にぶつかって、さらにそこを急に登っていくコースは、わりあいバテた経験があるので不安になった。行者の像がある場所を過ぎ、急な登りとなる。だんだん疲れてもきた。しかし天気も良く新緑の木々もすばらしく、野鳥の声もして、また登山道がジグザグに切ってあったり木の階段がしっかり作ってあるため、アルプスの直登の厳しい道ほどではない。周囲の風景を眺めたり時々休みながら登る。
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標高差が300mくらいだったせいもあり、私でもバテきる前に、なんとか弥山小屋前についた。10時半くらいだった。ここまで約3時間かかっている。
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 八経ヶ岳の山頂が初めてその姿を現した。
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山頂までけっこう遠くで急に見えるがコースタイムが30分という事で、疲れてはいたが休まず登ってしまう事にする。周辺はシラビソの林となり、亜高山帯の植生となった事が分かるが、先ほどの大台ケ原のHPでは、氷河期には大台ケ原も八経ヶ岳もツンドラのような気候だったが、その後、温暖な気候になり、大台ケ原では、モミ類やトウヒなどは残ったがシラビソは消え、少し標高が高い八経ヶ岳ではかろうじてシラビソが残ったという事が書いてあり、ここのシラビソ林が本当にわずかに残った氷河期の遺物である事が分かる。ここのシラビソ林でのメボソムシクイの鳴き声が何となく数も少なく、わびしく聞こえていた。今後、温暖化でここの亜高山帯の植生はもっと厳しくなることだろう。少し急に下って鞍部に来ると、実は割となだらかな登りだという事が分かる。
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山頂部の最後の登りにかかった頃、害獣よけの柵が現れ、里山の入り口で良く見られるような入り口の戸を開けて山頂部へ入っていくようになった。説明板によると鹿からのオオヤマレンゲの保護柵との事。オオヤマレンゲってどれかなあ、などと話しながら登ったが、その付近に生えている灌木がいかにも鹿が食べそうな葉を出しつつあったので、これかなあ、などと話しながら登る。もちろん花は咲いていない。

 間もなく、山頂だった。何人かが下りてきたので、ちょうど我々がついた時は、だれもいない静かな山頂であった。
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ここからさらに続く奥駈道の尾根が延々と続いている。
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昨日、いた大台ケ原山の高原状の山頂が見える。
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弥山の向こうには、たどってきた奥駈道の向こうに行者還岳などの険しい山々の様子も分かる。遠くに山上ケ岳なども見えるようだ。大峰奥駈のテレビ番組を見た事が何度かあるような気がするがここから見て初めてどうなっているか分かった感じだ。『百聞は一見にしかず』なのだろう。
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弥山に戻り、小屋前のベンチで昨日コンビニで買ったアンパンや宿で作ってくれた朝飯のおにぎりの残りなどでお昼にした。快晴の天気なので心配も無く、のんびり話しながら下り、登山口には2時48分頃戻った。

 駐車場から洞川(どろかわ)の今日の宿へと車で下る。この道も舗装されているのだが、沢沿いの狭い危険な道で、対向車がほとんど無かったから良かったがけっこう疲れる道であった。家が現れ広い道に出てホッとする。洞川温泉は山上ケ岳(大峰山)への入り口なのだが、想像していた以上に活気があるような気がした。寺を見学していたら海外からの観光客に道を聞かれたから、けっこう今的に注目されているのかも?
 我々は、町外れにある「ゲストハウス一休」に泊まってみたが、とても清潔で心がこもっている宿で快適であった。龍泉寺を見て、風呂は洞川温泉センターで入り、外で美味しく食事をすませた。修験者の泊まるための温泉街の宿の作りなど独特の景観を見る事が出来た。山上ケ岳歴史博物館は月曜は休みだった。宿に戻って宿の方と少し話す中で、オオヤマレンゲの話が出たら、「家の庭に植えてあって昨年は花をつけました。今年はまだ蕾です。」と教えてくれた。見るとやはり八経ヶ岳山頂部でまだ葉が展開していないものと同じ灌木だった。そのゲストハウスに置いてあった大峰山の本を読むと、鹿の害で、以前は一面に咲き誇っていたオオヤマレンゲが、短い間に全滅的に少なくなってしまい、そのため防護柵などを設置して保護しているのだという。鹿害のない頃、一面に咲き誇るオオヤマレンゲはさぞすばらしかっただろうな、と想像される。図鑑で見るとモクレンの仲間なのだと分かる。
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 22日(火)、登山だけなら一泊二日で帰って来る事も出来たのだが、せっかくここまで来たので、紀伊半島の先端に出来た南方熊楠記念館へ行ってみる事にした。 
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/
 朝早く宿を出て、五條市、和歌山市へと高速で白浜まで行った。記念館は以前は植物園であったという半島の岬のような場所にあり、植物園の木々と元からあった植生がまじりあって、暖かい黒潮に洗われた独特の雰囲気の場所だった。記念館では、私は「縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫)」を読んでいるので、その本に出て来る色々な実物が展示してあり印象深かった。熊楠が昭和天皇を案内した神島も記念館の屋上から良く見えた。
記念館のある付近の様子。(写真の島は神島ではない)
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来た道をそのまま戻るのは面白くないので、紀伊半島を三重県の方を回って帰る事にした。途中NHKスペシャル「ジオジャパン」で出てきた「古座の一枚岩」というのも見てみようと熊楠記念館で場所を教えてもらい、通りがかりにそこも回って見た。一枚岩の対岸にはちょっとした道の駅も出来ていた。
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高速と一般道を乗り継ぎ、新宮、尾鷲、と進み、「道の駅紀宝町ウミガメ公園」で昼を食べ、名古屋から中央道へと入り駒ヶ根SAで弟と登山のシメにいつも食べるソースかつ丼を夕飯に食べて家に着いたのは夜の8時半ころだったか。

 今回の山行は、登山と旅の両方を楽しめとても印象に残ったものだった。
標高からして伊吹山や紀伊半島の山を馬鹿にしていた所があったが、すばらしい紀伊半島の自然に触れ、そんな考えは全く吹き飛んでしまった。南方熊楠を生んだ紀伊半島の風土の一端にも触れる事ができたような気がした。
いくら金をつまれても取り返しのつかないこの自然と人々の歴史あってこその日本の国である事をあらためて感じた。
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NHK・BS3 昨日の「アナザーストーリーズ」を見た

2018/05/09 16:16
 昨日のNHK・BS3「アナザーストーリーズ」という番組を見ていたら、ベトナム戦争の一枚の報道写真が戦争の真実を知らせ、米政府の言っている事のウソが明らかになって、批判が高まり、戦争終結への大きな流れを作る役割をはたしたという内容の番組だった。

アメリカのジャーナリストが政府の圧力に対して忖度せず、正しいと思った事を伝えている姿や、国立公文書館に当時の記録が現在もちゃんと残されていて、大統領やその周辺の間違った言葉や本音まできちんと残され、歴史の検証に耐えうるようになっている事も紹介されていた。

この番組の制作意図は、現在の日本の公文書管理など全く出来ていない問題や、北朝鮮など東アジアの問題などについて、ジャーナリストは政府の圧力への忖度をせず、きちんと真実の報道をするべき、そして、戦争など万一にも引き起こしてはならない、というNHKの一部のまともな勢力からのメッセージのように感じられた。

 再放送は、

5月14日(月) 午後11時45分
アナザーストーリーズ 運命の分岐点「ベトナム戦争 写真の中の少女」
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幕末漂流民を大河ドラマに

2018/05/08 08:58
 これも、先日、弟が置いて行った本の中の物。読んでみたらとても面白かった。

「椿と花水木 万次郎の生涯」 津本陽
「アメリカ彦蔵」 吉村昭
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 ジョン万次郎の事は、子供の頃「ジョン万次郎漂流記」という漫画を読んだ事や、「世界ふしぎ発見」などのテレビ番組で断片を見た程度の知識で、漂流記、などの面白い印象は強いが、ぼんやり知っている程度だった。アメリカ彦蔵についてはほとんど知らなかった。

 万次郎はこのごろ、幕末を扱った大河ドラマなどに良くちょこんと必ず出てきたりしている。今やっている西郷隆盛「せごどん」にもちょっと出て来ていた。

 この二冊は作者も違うのだが、ノンフィクション的でもあるので、幕末の日本について「大河ドラマ」的でない、今ではあまり意識されない本当の日本の姿が思い出され?とても興味深かった。

 ご存知のように二人とも幕末に水夫として日本沿岸で船に乗っていて、荒天で難破して漂流しアメリカの船に助けられ、アメリカで生活し、アメリカの人に愛され、文明を学んだ後に日本に帰る事が出来、日本の幕末や明治維新の中で重要な役割も果たしたような人たちだ。
 一種のタイムトラベラーという事ができるだろう。

 当時の日本の「封建的身分制度」や狂信的な「攘夷」、など日本の本当の姿が、平民の漂流民という、侍でない視点や、外国という視点から描かれている事により浮き彫りにされている気がした。

 今から150年前は、「封建的身分制度」「攘夷」的な物はやはり本当に日本人の心の中に
ずっしりと大きく沁みついていた。明治維新などの政変があって西洋文明が流入してきても、その変革は大きいとはいえ人の考え方の基本は急に180度変わる物でもないだろう。

 こういった流れは、戦前の「鬼畜米英」などと言って狂信的軍国主義ともいえる状況になってしまった事や、戦後にアメリカやソビエトがただただすばらしい、と感じてしまった様な心性ともかなりつながっていたのだろうな、という気がする。
 戦前のファシズムの隆盛が、幕末から7,80年たっている頃で、今から7.80年前の事だ。それからさらに7,80年たって現在の日本になっている。

 現在、ネット上にあふれているといういわゆる「ネトウヨ」的な心性も、この「攘夷」⇒「鬼畜米英」、⇒ などと言っていた排外的、狂信的な人たちの心性とどこかで共通するものがあるような気がする。自分の頭で考えず、上意下達の雰囲気や村社会の雰囲気に疑問を持たず、それに従い疑問も感じない人たちの感性も、徳川3百年の「封建的身分制度」ともどこかでつながっているのだろう。

 「大河ドラマ」の主人公が、いつも日本中心の、維新の英雄=正義の味方のようになってで出て来る話ではなく、こういったジョン万次郎たちのような平民の漂流民を主人公にした物語をやれば、日本の外部や足元からの視点から、当時の日本の真実の姿が描かれ、本当に時宜にあって有意義かつ面白いテレビドラマが出来るのになあ〜。



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