ひきこもりの原因に発達障害が多い クローズアップ現代+で

 一昨日、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」の番組で、発達障害に取り組む精神科医の番組をやっていたのだが、昨日は,やはりNHKのクローズアップ現代+で、『長引くひきこもりの陰で~見過ごされる中高年の発達障害~』という番組をやっていた。

 内容は、以下の様な事
『これまで1年以上にわたって、ひきこもりについて取材を続けてきたクロ現+取材班。そのなかで、当事者やその家族から数多く意見が寄せられたのが、ひきこもりと発達障害の関係だ。「小さいころのいじめがきっかけでひきこもりになった。30代で発達障害とわかったが、つまずいた原因がもっと早くわかっていれば、ここまで人間関係に悩まなかったのでは」。「家族が精神科の受診に拒否感を示し、診断が受けられなかった」。調べてみると、ひきこもり=すべての人が発達障害ということではないものの、以前から医療関係者や支援の現場ではこの関係性について指摘されていたことがわかった。また、発達障害が見過ごされたまま、ひきこもりが長期化し、合併症などで苦しむケースや、間違った対応で、より事態が深刻化してしまうケースも。当事者の声をきっかけに、医療、支援現場の実態を取材した。』

 引きこもりが増えて、「外国人労働者」の数と「引きこもり」になっている人の数が同じ数くらいになっているのに以前、気が付いたのだが、自国の国民が引きこもりになっているのを放置しておいて、その分の労働力をしかも低賃金で外国人にやらせる、というのは本末転倒で全くおかしな国だ。
この状況について今からでもいいから本気で重点的に取り組むべき問題だと思う。

 発達障害と小さい頃から診断がついていれば、先日の精神科医の先生のような方法など色々と力をつくしてその人の能力を発揮できるように持っていける。
この番組でも本人も「発達障害ともっと早く分かっていれば、このような状態にはらなかっただろう」と語っていたが、周りの人にとっても親にとっても同じ事が言えるのではないか。

 番組で、宮田裕章(慶應義塾大学 教授)という方が、以前のような、一斉に皆が同じような事をするとか、大量生産大量消費ではないが、そういった事で経済も回っていくのでなく、障害も個性ととらえるような考え方、現在、すでに社会全体が個にあった方法を取っていくようになりつつあり、それが経済の面でも本質となりつつある。障害の無い人にとってもその方が生きやすい。というような事(良くおぼえていないので、もしかしたら大分ずれているかもしれないが)を話していて、前の番組を見た時も、私も学校教育なども、もっと変化させないとダメな気がしていたが、確かにその通りなのだろう、と感じた。

 一方、石井光太(ノンフィクション作家)という方が、本人や家族が分かって良くなるというが、現実の場では。家庭内暴力があったりなど、とても厳しい状況があるとして、一例として、小学校の教員が(自分の子なのか、担任していた子なのかちょっと聞きそびれたが)発達障害と分かっていたりその事は正しく理解はしていて、30年間だったか、ずっとその子に関わって何とかしようとしてきたが、とうとうどうしょうもなくなり、その子を殺してしまった事件があった、そんなに簡単に解決できるものでは無いとも語っていたのも印象的だった。

 例えば重い自閉症などの場合を考えてみても、個性を生かして仕事をして生活するという事は無理な事であるし、それにはちゃんとした支援が必要となってくるのだろう。

 そういった「発達障害」などの原因を科学的に探るという事に、ちょうどガンの研究に世界中が力をそそいているように、力を入れたらいいのになあ、と思う。
「自閉症」のウイキペディアを先ほどみたら、最近では、その原因が科学的に大分、分かってきている面がある事も分かった。
前にも書いた事があるが、私の若いころなど、大学の心理学の先生も親の子育てが原因という仮説をたてて、プレイセラピーなどをしていた方もいたくらいだし、テレビの見すぎでなる、などの本が学者が書いて出版されて私も読んだ事がある。
 現在も、そのような考えの人が私以上の年代の人には多いかもしれない。少なくとも、『自閉症」のウイキペディアの内容ぐらい読んでおくべきだろう。

 とはいえ、色々と部分的に分かってきている事があるくらいで、現在でもまだまだ良くは原因が分かっていないようだから、結婚や妊娠の時に予防的には行動できるだろうが、治療法は無いのだろう。真の原因と重い自閉症の治療法が解明されたらまさにノーベル賞ものだろう。
 そんな所へも、軍事費を減らしてその膨大な予算を、そういった基礎研究にトライしようとする若い学者に回したらどれほど人類の役に立つだろうか。

 話が飛んでしまったが、子供がもっと小さい段階で、ゆとりの十二分にある豊かなレベルの高い教育環境で、将来を見据えて過ごさせたり、診断を早期にちゃんと行えるようにし、適切なケアを行うとか、そういった事に国が、その力を現在の数倍くらいかけたら、かなり引きこもりの数も減ってくる事は確かだろう。軽い発達障害などの子などはちゃんと育てれは返って個性的で独特の能力を発揮するような人が増えて日本の発展につながる事だろう。

 先進国中最低の教育予算で、かつ道徳教育などやる必要も無い事を教員や子供達にやらせて、その評価などを教員にやらせ出した現在の文教行政などでは、さらに引きこもり予備軍を増やすだけだ。

 早く現政権を替えなければ本当に日本の未来はダメになってしまうだろう。


NHKプロフェッショナル 仕事の流儀で、発達障害を扱う精神科医を

 昨晩の、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、発達障害をあつかう精神科医を放送していた。
 以下の様な内容。

『プロフェッショナル 仕事の流儀「精神科医・本田秀夫」』

『見えにくい障害”とも呼ばれる発達障害(自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害など)。信州大学医学部附属病院の精神科医・本田秀夫は、発達障害を専門にする日本屈指のスペシャリストで、乳幼児期から成人期まで長期にわたって診察を続けるという世界的にもまれな臨床経験を持つ。「“普通”とは何か?」「幸せに生きるとは?」そんな根源的な問いを胸に、自信を失った人々の生き方を肯定し、寄り添い続ける。
【出演】精神科医…本田秀夫,【語り】橋本さとし,貫地谷しほり』

 番組を見て印象に残った事は、本田医師は、発達障害を個性という風に位置づけ、その子の個性が生きやすく発達しやすいようにカウンセリングを行い、さらに人生全体という見通しを持ってサポートしていくという物だった。

 本田医師は若い時から精神科医を目指す。そして発達障害の子供に取り組むのだが、初めの頃は、その行動を治すという当時の風潮に従って努力するのだが、うまくいかない。
ある時、自分の父親が発達障害的な所のある人だが、様々な事に挑戦、人生を楽しみ充実の生き方をしている事に気が付き、発達障害を個性としてとらえて、さらに長いスパンで見て良い方向へ持って行くという風に方針を転換してやってきたようだ。

 本当に小さい頃から見ていた子供が大きくなって家庭での相談をしに来ている女性も出てきたり、小学校で不登校になっていた子が高校生くらいで個性や能力を発揮するがまだまだ不安定な行動をとるのをサポートできるようなカウンセリングをしている様子が紹介されていた。

 不登校が増えている事の原因に発達障害が増えている事や、義務教育の管理的な方向が少しも改善されず、ますますおかしくなってきている事も原因かなという気がした。

 私が義務教育の現場にいた時、まず「発達障害」という事を知る前は、単に態度が悪いとか、家庭の育て方が原因、といったような風にとらえてしまって、全く間違った方法で子供に接していた事があり今でも強く後悔しているが、そのうちに「発達障害」が原因で色々な学校生活での問題が起こって来る事を知り、その段階でまずちょっと目が開けた感じで、接し方を変えようとしたし、我々も知識を得る事で救われる面もあったのだが、行動を抑え、目の前の学校生活が普通に送れるようにるために「薬」に頼るとかが良い方法と私は思うくらいな段階で、退職となってしまったのだが、こういった番組を見ると、もっと良い方法を選んでいかなくてはいけないのだなあ、と分かる。

 私は小学校で担任した子を追跡してフォローしていった事は無いが、確かに、自分が小学校低学年で担任していた子が、中学生で部活で活躍するようになっていった子とか、中学になって不登校になったが、フリースクールに行き、才能を開花させて一流企業に就職して活躍している子の事など、伝え聞いたこともあり、やはり長い目で見ないといけないのだなあ、と感じてもいる。

 この医師のような考え方でないとダメなのだろうなあ、と思う。

 ただ、こういった医師にかかる事が出来る人がすべではないので、番組に出て来た子供達は、不登校になり、さらにこのような信大付属の病院で、こういった先生のサポートがあって成長していく訳で、日本全体がこういった方向を推し進めるには、現在の学校教育を大幅に改善していく必要もあると思う。
 そういう事によって普通の子にとってもより自由に自分の個性や能力を発達させることが出来るだろう。普通の義務教育の在り方も、クラスの人数をオランダとかフィンランドなどのように少なくし、また教員の数を増やし、質も高める事や、色々なタイプのフリースクールの存在を認めて国が支援していくとか、そういった全体としての大きな流れが必要だと思う。

 こういった根本的な事に関心が無く、道徳教育をやって愛国心を育てれば良い、教育は産業界の要請を重視すべきだ、などと言ったようなレベルの事しか考えられない政治家たちが文教行政で力を持って現場を動かそうとすれば、本当に悲惨な状況になってしまう事が分かる。しかし、前川氏などの話を聞けば、現在はそういった状況なのだろう。

 この頃、NHKでは「発達障害」についての番組を色々とやっているが、良い事だと思う。以前、発達障害の子への接し方を変え、それによって脳の発達が変化していく事を研究して実証もされてきた女性医師の事も、NHKの番組で取り上げ、私もブログに書いた記憶がある。あの番組も印象に残った。

 ただ、重い自閉症などの場合は、今回放送されたような方法だけでは無理なのではないかなと私は思うし、もちろん色々な場合についてそこでも研究されたりしているのだろう。
 今回の例は、今回の例なのだと思うが、今後、こういった医療や研究もものすごい予算を投入する価値のある事だと思われる。

 間違っても「軍事費」「防衛費」などに莫大な予算をつぎ込むべきで無い。それは全くのムダ金であり、さらに悲劇へと日本を招く金だ。過去の日本で戦艦大和など巨大戦艦につぎ込んだ金の顛末を考えてみよう。

信州の高原 10、28 現在

 信州の高原の現在をお知らせします。
 スキー場から見た北アルプス
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 北アルプスの高いピークには雪が積もっています。
 槍ヶ岳や穂高方面が見えています。 
 
 紅葉はこれは標高1500mくらいの道路脇の場所です。このくらいの場所でちょうど紅葉の真っ盛りでした。
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 もっと標高が低い所は、いよいよこれからが本番というところでしょう。
 マユミの実.jpg
 同じく道端にマユミの実がたくさんついていました。

 信州の温泉は、10月下旬から11月にかけて紅葉も楽しめます。
 今年は暖かかったせいか、紅葉の本番はこれからです。
 水害の復興支援にぜひ信州の温泉にどうぞ。(道路状況を確かめてからおでかけください)

19号の雨量のすごさをあらためて感じる

  土曜日に、上田市の角間渓谷にある角間温泉の場所へちょっと行ってみようと車で向かった。
 松尾古城のある山の尾根の南側を通る道に入ると、山側から道路に流出してきた土砂を片付けてあって、通行止めの看板もあったが、道端によけてあったので、行けると思いさらに進んだ。山の斜面から土砂が水と一緒にどっと大量に流れて来たような場所があって、斜面にあった墓地が埋まりそうになっていた。

 松尾古城の尾根と、その南の尾根が狭まってきて、沢沿いの道になろうとする所にちょっとした社があるが、そこに工事車両が止まって、人も何人かいた。
 道には土砂が残っているが車のタイヤの跡もあり、通行止めにもなっていなかったので、さらに沢沿いに進んだ。
 すると先の方に測量器具を持ったりしている人と工事車両がいて、沢の方を見ると大きく沢が削れて、大きな石がごろごろしていた。洪水時、沢はすごい状況だったことが分かった。
 そして直ぐに、道路の一部が沢に崩れて無くなっていて、完全に通行止めになっていたので、そこから引き返した。
 「角間温泉」(といっても一軒の旅館があるだけだが)は孤立していたのだ。

 千曲川にかかる上田電鉄の赤い鉄橋が土手が崩れて落ちてしまった様子は、テレビに出て来るだけでなく、最近よく横の橋を車で通って見ているが、上田市は広いので全体を見ていなかった。こういった山沿いの場所が数多く崩壊していたり、道や橋が崩れてしまっているようだ。

 やはり、台風19号の雨はすごかったのだなあ、と改めて感じた。中流部の上田周辺でも山沿いの場所はこんな風にその雨量の多さでの被害が分かる場所がたくさんあるのだから(上流部の佐久地方などはさらにあるのだろう)長野市での堤防が崩れたのも分かる様な気がする。
 19号が来る前、あの部分は千曲川堤防の補強がすでに終わっていたので、長沼地域の人は、これで絶対安全だ、というような気持ちになっていた事だろう。

 今のままでは地球温暖化が進んでいくばかりだから、これからは従来の常識を逸脱するようなこういった豪雨が頻発する事だろう。
 千葉県でも、昨日の雨が従来に無い雨量だったようで犠牲者も出ている。

 堤防などの防災のハード面を整える事も大切だが、水害に関しては、これからは、縄文時代や弥生時代のような古代の人間になったつもりで住む場所などは選ぶ必要があるのかなあ、などとも感じた。

 また、これからは、何と言っても使う事が無いだろう戦闘機やミサイル防衛システムなど、アメリカから押し付けられたからといって、そんな物に金を使ったり、首相が外遊して海外に金をばらまいたりするのではなく、高度成長期に作られて老朽化した色々な生活に必要な施設の作りかえや、こういった災害の手当てなどに税金を使わないと、本当に「終戦後の日本」といった状況に戻ってしまう事だろう。
 もう日本人はいいかげんに目をさまして、過去の時代とは違う事に早く気づき、自分の足元をしっかり見て今後の事を真剣に考えるべきだ。

 *別所温泉や北信の温泉など、良く知られた観光地自体は千曲川とは離れていたり、交通もほぼ回復していたり代替の交通機関があるのでほぼ以前と変わらない。もう台風も来ないから、安心して観光に来てほしい。ボランティアの労働に耐えられない方々もぜひ、長野県の東北信の温泉などに来ていただき、地元にお金を落とし「復興」にご協力ください。今年は暖かかったので、紅葉もこれからだし、けっこう空いていて穴場かもしれません。また、災害の傷跡を見るのも自然の脅威の良い学習となるかもしれません。
別所温泉 10月22日
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野党の追及もNHKクローズアップ現代+を見習ったら

 水曜日のNHKクローズアップ現代+では、「追跡 関西電力・金品受領の裏で何が?」という番組をやっていた。

 関電側が、これは最近の事件、森山氏の個人的な問題、といったような雰囲気で言っていたのだが、実際は40年以上前から、関西電力と町の助役の森山氏の関係は始まっていて、関西電力は原発を高浜町に作るための「根回し」のため莫大な資金を森山氏に投入して、森山氏はそれに答えて町に原発を増やしていくために辣腕をふるい、関電の莫大な資金を基に、町や関電側に強力な力をふるっていく様子が分かった。
 スリーマイル島の原発事故を機に町でも反対運動が起こったのだが、それを潰すための町の人への裏工作を森山氏は果たしていた。

 しかし、番組を見ていて私が感じた事は、「原発を作れば莫大な金が町にもたらされて、このような良い施設が出来たり、人々に仕事も増えて豊かな暮らしが出来る、」という言葉に従って原発賛成と言った人々が町の中に多く出てこなければ、これほどまでに森山氏が力を発揮する事は出来なかっただろう。

 新潟県の巻町だったか、住民の反対で原発が作られなかった町もあった事を思うと、この高浜町や、福島県の双葉町でも、おそらく反対した人もいただろうが、賛成した人の方が多かったからこそ原発が作られたのだなあ、とわかる。

 双葉町は原発のせいで町自体が無くなってしまう目にあった訳だが、おそらく高浜町も、現在、原発があったから町民が幸せになっているかと言えば、おそらくそんな事は無いだろう。
 原発の様な危険な物が身の回りにあり、本当に安全なのかも分からない現在、そんな物と一緒に幸せに過ごせるはずがない。町の自然や町民の能力を生かして、力を合わせて色々と工夫してやればそんなに贅沢な事は出来なくてもきっと良い雰囲気の町になっていく道もあっただろう。
 今後の廃炉なども考えると、事故など無くても、やはり危険な放射能に汚染される恐れのある土地となる可能性も低くないだろう。
 
 そういった事を考えると、ただお金だけで未来の選択をすると大きな間違いを起こす事が理解できる。
 
 どんな物に巨大な予算をつぎ込んでいくのか、巨大な建造物や施設であればあるほど良いなどという時代はもう過ぎ去った。本当に未来を見据えた物か、人々の生き方はどうなのか、そんな事をよくよく考えて色々な事を進めるべきだろう。

 国会では、このNHKクローズアップ現代+のレベルのように、もっと日本の構造の根本的な大きな所を鋭く追及してほしい。野党は議員の汚職の追及などに力をそそいでも、安倍首相から始まってウソを言い続けたりしても通り抜ける人達だから無駄な気がする

 
 

長野市への堤防決壊の連絡、正式には無かったのだ

 NHK始め、マスコミが、長野県の長野市の堤防決壊について、「国交省が堤防決壊を発表したが、長野市が住民に伝えなかった。」だから市に責任がある。市は何をやっているのか、問題だ、という感じの報道が行われている。
 各、マスコミが同様な放送を繰り返していたので何となく地元の長野市がボンヤリしていてダメな印象があり、あまり良い気持ちはしなかった。

 ところが、今朝の地元紙(信濃毎日)の記事を見ると、事実は、そういったマスコミ報道と少し違っている事が分かった。
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 記事によると、国土交通省から千曲川堤防が決壊した、という情報は地元の長野市には正式に伝えられていた訳では無いという事だ。
 避難指示などの方は、情報は、12日の夜には地元の千曲川河川事務所から伝えられた情報を元に長野市が出していたのだが、『堤防決壊』という河川事務所からの連絡は無かったという事が分かる。

 午前4時頃まで、河川事務所と市は、状況について盛んにやり取りしあっていて、「穂保(長沼地区)で住宅の2階まで水が来たとの情報があり、千曲川堤防の決壊の恐れがあります」と午前4時40ごろ、市の防災メールでも出していたのだという。

 国交省が堤防決壊を確認したのは午前5時半、6時に国交省北陸地方整備局が「堤防が決壊したもよう」とHPなどで報道機関向けに発表したという。ただ、この情報は市には直接伝えていない。

 水防法では、洪水の恐れがある時には、住民などに情報を周知しなければいけないとして、「氾濫危険情報」などの4種類の情報を出す元は市にも伝わっていたのだが、「堤防決壊」そのものを伝えるという制度上の規定というか項目は無いようで、そのため、市へは正式に伝えなかったようだ。
 河川事務所は、いつ決壊してもおかしくない事は何度も市に伝えていたという。ただ「今、決壊しました。」とは伝えていず、市長も「後から考えれば、確認すれば良かった」と語ったという。
 
 市が決壊を把握したのは、現場を映し出すNHKのニュース映像だったという。
 午前7時の河川事務所との電話連絡では決壊は既成事実化していたという。
 
 つまり、今回の連絡の不徹底は、第一に制度上の問題であり、また河川事務所と市の双方で、事務所側は市も分かっているような気がして規定にも無いので連絡をあえてしなかったり、(お役所的対応と言えるだろう)市側では、避難している住民が戻るという事について考えていなかったりなど、双方で想像力を働かせなかった対応が問題視されるので、一方的に市が悪かった、というような物では無い事が分かった。

 やはり、こういった問題は、「破堤自体も周知させる」といった項目が無いという制度上の問題点がある事を第一に指摘すべきで、何か長野市がボケッとしていて悪者だ、というようなNHKをはじめとしたマスコミ報道はおかしいのではないか?何となく「印象操作」の臭いすら感じさせる。

 そんな気がこの記事を読んで感じられた。
 特に、まずは国の制度的な問題は厳しく検討されるべきで、国民がこういった小さなことからしっかり考える様に出来る元を提供していくのがマスコミの役割なのだろう。一方的に悪者を作って国民の意識を誘導するような風になっては、まともなマスコミの役割を果たしたと言えないだろう。

無駄金を使う政権に防災を任せられるか

 今回の水害は予想以上に広がりを持っていてまだ被害の全容もはっきりしない感じだ。
 死者、行方不明者も大勢出ている。
 長野県だけでも被害総額は1297億円と地元紙に出ていた。

 西日本の水害の時は、離れていたせいか、私はちょっと他人ごとの感じがしてしまっていたが、今回は身近な場所で、地球温暖化もいよいよ大ごとになってきたなあと感じる。

 そんな今、思い起こすと腹立たしくなる事に、「J―アラート」のシステムがある。
 北朝鮮のミサイルにそなえて、全国にそういったシステムを作らせて、何度か実際に鳴らして危機を煽ったり、戦時中の消火バケツリレーにも匹敵するようなお笑いのような避難訓練などもやらせて、選挙前には『国難・日本を守る』などと叫んでいた事を思い出す。
 何が、国難だ。
 そんな予算やエネルギーがあったら、もっと自然災害に対する防災の調査、研究に予算をつぎ込むべきだという事は、今日になればだれもが気が付くだろう。
 今朝も、堤防決壊の長野市で、避難指示の放送以外に、『半鐘』を消防団員が鳴らしたのが避難に有効だったとテレビ、新聞で伝えていた。
 Jーアラートなど、この国難にどこに役に立ったのか。

 今回の人的被害が福島県や宮城県で多いのは、色々な状況があるのだと思うが、東日本大震災や福島原発事故の復興もせねばならないため、普通の大雨対策といった方に予算が回らなかったり、注意も向けられない事もあったのではないか。
 また、さらに東京オリンピックの準備のために工事関係者が東京へ行ってしまい、色々な面でそういった防災工事が手薄になってしまっている事もあるのではないか。

 増え続ける軍事費、先進国中最低の教育費、原発再稼働の政策、等など、日本の将来は大丈夫だろうか。

 今回、被災地に若い方々が被災地の力になろうとボランティアにどんどんと行く様子が放送されている。
 そういった志の高い若い方々に、今後の日本の防災のため、日本の国の政治的方面もしっかりした目で見て、変革していく力を発揮してほしいものだと切に願う。

 今回の水害と山中教授の番組

 時間がたち、状況が詳しく分かるにつれて、長野県の東信地域、北信地域を中心に、部分的に中小河川の堤防決壊とか堤防や道路が崩れたり、浸水した場所などがたくさんあった事が地元紙で報じられている。

 色々な場所で、すごい量の水が流れた事が分かる。

 きっと、戦前や、さらに時代が下った江戸時代以前ならば、さらに何千というくらいの大勢の死者が出たような災害だったのかもしれない。それでも、ダムとか堤防などがある程度しっかり作られていたり、天気予報や避難情報など、様々な文明の進化によって人命が守られた事も確かなのだろう。堤防の内側など昔なら人のあまり住まなかった場所にも現在は人が暮らしている事を差し引いても、きっと死者の数は今回の方が少なかったのだろう。

 とは言え、この巨大台風そのものが人間の文明(科学技術)の発達による地球温暖化によって引き起こされた事を考えると、いちがいに手放しで科学技術の進歩を称賛する事はできない。

 昨晩、NHK・BS3 の「100年インタビュー」という番組で、IPS細胞を作りノーベル賞を受賞した山中伸弥教授のインタビュー番組を見た。
 教授が人間の皮膚からIPS細胞を作る方法を発見した時に、万能細胞のこれを使えば、IPS細胞はすべての細胞の元なので、精子や卵子も作る事が出来て、新しい生命を人工的に作ることも出来る訳で、本当に慎重に考えないといけないと思った。と語っていたが、それも科学の発展のスピードが速く、数年の間に、現実の問題として目の前に現れているのだという。

 教授の話では、100年前、ダーウインの進化論やメンデルの遺伝の法則が知られるようになり、その結果を元に、『優生学』というものが考えられ、ナチスがその優生思想を使った事や、最近まで日本でも法律となっていた「優生保護法」などが行われ、間違った道、不幸な道に人間を導いた反省があるのだが、現在の世の中でも、政治の世界では、そういった時代と同じようなポピュリズムが再び登場してきている。
 その状況を考えると、科学技術は進歩したと言っても、それを使う人間の叡智、といったものは、以前と変わらないのではないかと、教授は語っていた。

 現在の科学の急激な進歩と、政治や世相など人々の意識を見ると、今後、人間はどちらの方向に進んでいくのか、今が人間の未来の幸不幸の分水嶺にたっているのではないか、と教授は述べていた。
 政治の世界のポピュリズムを心配しているのは山中教授もやはり同じなのだなあ、と分かった。

 地球温暖化、核兵器、不老不死へのあくなき欲望、等々、ポピュリズムの政治や世相と結びつけば、映画や小説、マンガなどに描かれるSF的な荒野のような世界が現実の目の前に現れるのかもしれないし、逆に科学技術をうまく使い、環境を大切にした、人間の欲望も「足るを知る」ような、スエーデンの少女が訴えている事が、世界の人々の支持を得て、世界が変わり、現在よりもっと人々が幸福な世界になれるのかもしれないし、その分水嶺に今があるという事なのだろう。

 ちょうど、今回の水害のあった時に、山中教授のインタビューを聞いた事で、100年後の人類といった事についても考えていく事が重要なのだな、と気が付かされた。

今回の水害について考えた

 今回の台風19号について、考えてみると、やはり地球温暖化によって出来た巨大台風が、我々の想像を超えたエネルギーを持っているという事が分かったという事だろう。

 長野県の場合も、長野市での堤防決壊は、あの付近は昔は、繰り返し水害が起こっていた場所で、堤防が整備されてからは千曲川の堤防が決壊することは無かったので、安心して宅地造成や、新幹線の車両基地なども作っていたのだろう。
 今回、堤防が崩れた場所も、下流の方から堤防を補強して来て、すでに補強工事が終わった場所だという。
 要するに、従来の工学的な予想では大丈夫となっていたのだろう。だからこそ破堤の可能性は無いと思い、新幹線車両基地なども作ったのだろう。
 東御市の田中橋という橋も、良く分からないが、そんなに古い物ではないのではないか。
堤防自体が崩れてしまえば新しい橋でも落ちてしまうのだろう。

 今回、気象庁は『19号は神奈川県で大勢の犠牲者を出した狩野川台風と同じなので、最大限の注意をしてください。』と台風が近づくと盛んに言っていた。
 最大限の注意を呼びかける点では良かったのだと思うが、「狩野川台風」という過去の台風のイメージを与えてしまったので、台風の中心から離れた地点では、『神奈川県あたりが危ないのだろう、ここではそれほどの事はないだろう』というイメージを持ってしまったような気がする。
 私も、まさか長野県や関東や東北の他の県でもこれほどの被害がでるとは思ってもみなかった。
 衛星画像を見て、テレビの予報で、その大きさやエネルギーを言っていても、やはり実感が乏しかったと思う。
 気象庁の「狩野川台風と似ている」という警告の出し方は良い面もあったが、良くない面もあったような気がする。
 気象庁の人も、こういった広域の影響は多分、イメージとして想像できなかったのだろう。
 このように、人智を超えたような巨大災害がこれからも起こって来るのだと思う。
 科学的に絶対とか、想定を考慮して作っています、などと言っても自然相手では絶対という事は無いのだと知るべきだ。

 私が、『上小30山』というHPを作った2000年の頃、すでに科学者たちは温暖化を警告していたし、色々な自然状況もそれを示していた。ところが、テレビ番組などマスコミは、「地球温暖化については科学的に違う説もあり、確定的な事は言えないが心配です。」というような言い方をする事が多く、何をのんきな事を言っているのかと腹立たしかった。

 今では、そんな事を言う人はいないと思えば、トランプ大統領のような人がいたり、先日のスエーデンの少女の発言を馬鹿にするような人たちもいる。
 こう見ると人間の愚かさはもう絶望的なのかもしれない。
 原発についても同じ事だ。

所さん大変ですよの 長寿者の健康の番組

 昨日、NHKテレビで災害の番組をつけっぱなしにしていたら、「所さんの大変ですよ」の特集で、長寿の特別番組をやっていた。
(弟に話したら、これは再放送という事だった。)

 最初に、104歳と、98歳だかの老夫婦の様子が出てきて、お互いが支え合って生きている幸福度の高い夫婦で、100歳を超えた男性が日常的に釣りをして奥さんのためにおかずとして作っている様子も驚いた。
 幸福度というのが長寿に必要な事なのだというのは、そうだろうなと思える様子だった。

 その次に、男性の長寿の第一位が沖縄だが、第二位が横浜の青葉区という事で、青葉区の男性の長寿者について取材していた。
 なぜ、横浜の青葉区でそんなに男性が長寿なのか、それを解明するために、番組では、青葉区に住む70代・80代・90代の代表的な人を一人ずつ選んで紹介していた。
 そこで探した3人の男性について、それぞれの人の様子がとてもいい感じで、見ていて元気がもらえた。
 
 70代の人は、退職後、家にごろごろしているのはいけないと思い、毎朝5kmのランニングをはじめ、フルマラソン完走を目標にして努力し、70代でホノルルマラソンの完走もした。そして勤めていた頃の月曜朝から活動するというリズムが大切と、通っているのがシニア男性合唱団、これは平均年齢77歳というものでしたが、皆、けっこう人数も多く、声も良く出ていて上手だった。そういった定期的に出て行く場がある事が大切との事だった。
 もちろん合唱自体も健康に良いし、前の地位に関係なく新たに皆で合唱を作り上げるという合唱団の考え方も歌に出ていていい感じだった。

 80代の人は、奥さんを最近、亡くしたばかりの人でしたが、意識的に前向きに生きようと、囲碁サークルに出かけたりしていますが、その人が最近、見つけた打ち込めるものに「料理」があり、市場まで出かけて新鮮な魚などを買ってきて、プロのような感じで、寿司を一から作り、囲碁仲間を招いて、寿司をご馳走する場面が出てきましたが、本格的な料理で、大勢に喜んでもらえて楽しそうな様子でした。人と関わり人と話す、という事が長寿には必要との結果も出ていた。

 90代の人は、これまたずっと前に奥さんを亡くした人でしたが、若い頃は体が弱く、かぜなどひくとすぐ寝込むような人だったが、運動や健康にずっと関心を持ち、現在は毎朝早くのウオーキング、広場での皆とやるラジオ体操、午後もウオーキング、という生活をずっと続け、健康に関する本や新聞、テレビなどの情報もちゃんと記録したりして、食べ物にも気を使い生活しているとても元気な人だった。
 90代とは思えない、体の柔軟さやキビキビした動きだった。

 横浜青葉区は、元サラリーマンというような人が多く、色々なそういった目標を持った人とか、交流の場がある様な地区で、そういった前向きな生き方をする人が多い地区であり、その結果、健康寿命が伸びているのでしょう。

 健康長寿という面から、色々な老後の暮らし方を見直してみるのも大切だなあ、と思いました。

 自分の身の回りにも、よく山にご一緒させていただく「山岳巡礼」の根橋さんのような、80代だが毎朝のかなりの距離のウオーキングやネットへの日記もかかさないし、難しいだろう認知症のグループホームへの訪問ボランティアを何年間も週2回もかかさず行っているような人もいるし、自分の好きな事や、得意な事、社会に役立つ活動など、継続して熱心に取り組んでいる人も何人も思い浮かぶ。

 自分を振り返ると、現在自分のやっている事が、自分が幸福で健康、そして、他人が健康、幸福、になる方向での生活や活動をしているのだろうか?全く何もしないで過ごしている訳では無いが、家の仕事も気が入らなかったり、だらだらとテレビを見たりして時間を潰してしまっている事も多く、やっている事の内容もこれでいいのか?食物の食べ方もいいのか?など反省も浮かんでくる番組だった。


東北信の水害 交通の復旧

 長野県の高速道路の状況は、今朝、7時現在、上信越道の佐久から松井田妙義までが通行止めとなっているだけで後は、全部通行可能となっている。

 また、新幹線も長野~東京間は、1時間に一本程度折り返し運転されるとニュースで伝えていた。長野~富山の運転はまだ再開は見通せないという事だ。

 テレビの映像で見る限り、千曲川の水流は、グンと減り、普段の少し雨の多く降って増水した時くらいの水量になっているように見える。

 長野市の堤防決壊した場所の様子もテレビの望遠の映像で見る限り、水が決壊場所から流れ込んではいない感じだ。水もかなり減っている感じだ。
(*「山岳巡礼」の根橋さんのお宅は、そこまでは水は来なかったという事で、普段通りの生活を続けていたという事だ)

 上田市の千曲川の決壊が心配されている場所も、水量が減ってきたので多分、大丈夫なのではないか。

 長野市で、昨日、避難要請があった人を助けたというが、助けられた人は600人以上いたようだが、避難要請があってその後、連絡がとれなくなった人が8人いたとテレビで報じていた。単に電池が終わって連絡が取れなくなったのならいいのだが、まだ状況は分からないという事だろう。

 午後から雨が降る予報だがあまり強くは降らないようだが、早くやんでほしい。
 現在の上田市の天気は曇りで、少し青空も見える程度だ。

台風19号 思いもよらない被害

 台風19号は規模が大きく、そのエネルギーは前に来た台風と比べると何倍にもなる、と事前の天気予報で警告していて、不気味には感じたが「まあ、そうは言っても長野県は、台風の中心とは離れているからそれほどの事は無いだろう。果物の落下が心配だな、」くらいに私は考えていた。

 ところが、雨雲の規模が桁違いで、中心と離れていても台風全体として台風に面した山脈に大量の雨を降らせ、千曲川上流部を中心に中流部や下流も含めた雨量が半端ない量だったのだろう。昨日の夕がたくらいには小諸あたりの千曲川の増水が報じられていたのだが、しだいに夜に入り、千曲川の中流で、堤防付近で浸水の所が報じられ始め、朝起きてみたら下流の長野市では、堤防が決壊して広い範囲で浸水している事が報じられた。

 私が住んでいる中流の部類の上田市でも、堤防が崩れ出しているという事で、そうなれば浸水する地区が多くなるだろう。何とか崩れないで保ってくれることを祈っている。
 これを書いている今も、千曲川、下流部での浸水などが多く報じられている。

 先日、ご一緒に焼額山へ登った「山岳巡礼」の根橋さんのお宅は、長野市柳原で、長野市の堤防決壊か所からそれほど遠い場所では無く、お電話してみたところ、固定電話に「留守にしています」と入っていたので、すでに避難されているのだろうと思うが、どの程度の浸水状況なのだろうか?

 今回の台風、事前に雲の映像などを見ると、大きく広がっていたので、長野県の方まで広がって来る事は当然分かっていたのだが、やはりこんな方までひどい被害が出るとは今までの台風のイメージからは、私には全く想像できなかった。

 東日本大震災以来、想定外といった自然現象が次々に起こってきている。
 昨日も書いたように、必要のないミサイル迎撃システムや戦闘機などに金を使うような事は全く無駄で、もっと、地震や津波、地球温暖化、異常気象など、自然について基礎的な研究をしたり、防災や減災についての備え、開発など、そちらへ予算を使うべきだ。
 自衛隊も軍隊的な『人殺し』的な方向へ発展させていくのでなく、多少は残しておいて、中心は「災害救援隊」的な組織に大改革し、日本ばかりでなく、世界的に救援に特化して活躍する組織にすれば良いのだ。

 政府は、トランプ政権に従って、核についても温暖化、プラスチックごみ、についても人類にとってみて、まともな方向と逆行するようなカビの生えたような古い方向をいつまでとっているのか。

 それこそ「日本の大川小学校化」が進んでいると言える。
 今回の台風を体験し、そんな事を感じた。

(このブログを書き終わってからしばらくしてテレビを見ていたら、上田から別所温泉に向かう電車の千曲川にかかった鉄橋が左岸の堤防が崩れかかり、そちら側の鉄橋が崩れ落ちている映像が放送されていた。大正時代くらいの昔から市民や観光客に親しまれた鉄橋、のどかな信州の象徴的な風物が、もろくも崩れてしまった。今、そういう時代になったのだと、さらに実感。)
 

大川小の裁判 県や市の罪が確定

 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた石巻市の大川小学校の事故について、市と県に責任があるとした最高裁の判決がでて、その罪が確定した。
 当然の判決だったと思う。

 この事故について、発生した当時から注目していたので、ブログにも二度、この事故について書いた。

 事故から二年後には遺族による本が出版され、それを読んだ感想を書いている。
https://js30.at.webry.info/201303/article_8.html

 東北地方の他の学校では、子供や教師の犠牲者は一人もいなかった。
やはり、その組織や集団を運営していくリーダーの科学的知識やとっさの判断力、行動力などその欠如によって、その集団の弱者も含んだメンバーの命運が大きく左右されてしまう、という現実を我々は見てきた。

 今回の判決は、「市、県」のレベルの責任を問う裁判だった。
 ところが、「国」レベルの方針に対して責任を問う裁判ではこうはいかないのではないか。

 東南海地震がそれほど遠くない時期に想定される中、福島原発事故の真の原因もちゃんと解明せず、多くの人の反対を無視して電力会社の経営優先で原発を再稼働させていたり、原発事故の真の原因を究明させまいとする力に忖度するような裁判所の判決が出されていたりする。そういう日本という国のリーダー達の姿がある。地球温暖化による台風の巨大化についてもしかり。
 ミサイル防衛システムや戦闘機などに金を浪費している場合ではないだろう。

 日本の『大川小学校化』は現在進行中だ

秋晴れの焼額山

 昨日、「山岳巡礼」の根橋さんと焼額山へ登ってきた。
 私は、焼額山はずっと前、一回だけ、大勢のグループで、ロープウエイで登って、山頂側からスキーで竜王の方に滑った事があっただけで、自分の足での登山は初めてだった。何となく登ってみたいと思っていたのだが今回、初めて登る事が出来た。今年は夏にアルプス登山もしなかったので、今年初めての2000m峰!である。
 南登山道の登り口に向かう。空は素晴らしい秋晴れ。
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 ダケカンバやブナの林を抜けると、スキー場のゲレンデ(コース)の中に道がついている。夏ならこんな道を登るのはとうていごめんだが、今は涼しく、また晴天なので気持ちよく登れる。展望も開けてきた。
 黄色い矢印は笠ヶ岳。写真には無いが、横手山や志賀山など志賀高原の山々が良く見える。根橋さんとあれは何山だ、あれは何山だろうか、などと立ち止まって見たりしながら登っていく。志賀高原の山々は切り開かれたスキー場(コース)が目印になる。あそこは良く行っていた場所です、あのコースの上の方はけっこう急でした、などと根橋さんがスキーの思い出を語る。
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 ダケカンバ林の道端にベニテングタケが生えていた。スキーコースの方にはイグチがけっこう生えていたが古くなってしまっていて残念。そのコースの横は植林されたカラマツ林だったのでハナイグチだったのか?帰りにおかずに新しいのが採れないかと見ると、カラマツ林の下はネマガリダケ(チシマザサ)で覆われているのでとうてい入って採る事は出来ない。菌類に詳しい人が、笹はキノコが生えられない物質を出しているから笹林の中にはキノコは無い、というような事を話していたような事をぼんやり思い出した。(記憶が正確ではないかもしれない)、スキーコースの方にまでカラマツの根が伸びていてそこに菌根菌のキノコが生えているのかな、と思った。

 ずっと若い頃、この奥志賀の雑魚川ぞいの林道からちょっと下りたあたりで、湯田中の義父に連れられてブナ林のキノコ採りに行って、ナメコやカタハ(ムキタケ)を採った事を思い出した。こちらはブナの倒木などに生えるキノコである。ムキタケという名前を思い出せず帰ってからやっと思い出す。二人の会話の中でも山の名なども思い出せない事が多くて「年ですね」とお互いに笑いあう。
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 岩菅山(オレンジ)とたぶん裏岩菅山(赤)が良く見える。長野冬季オリンピックでは岩菅山にスキーの大回転コースを作ろうとし、自然保護から反対運動が起こり、そちらにはスキー場が作られなかった。
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 代わりに焼額山がオリンピックの会場にもなりコースも作られたため、西武資本などでホテルやスキー場が作られ、全山スキー場だらけで、満身創痍の山という感じになっているのだが、秋晴れの山は気持ちが良く、そういった自然破壊の嫌な気分はない。なだらかな長いコースは冬の終わりか春の初めにでもスキーで滑りに来たいなあと思うようなコースだった。令和天皇一家が春先にこのスキー場へ毎年スキーに来ているような気がする。きっと気に入っているのだろう。

 登山道は大部分スキー場の中を登っているが、トレイルランのコースにも使われたようで、所々にその標識が立てられていた。
 コースぞいに外来種のオオキンケイギク(たぶん)が咲いていて種が靴について広がったのだろうかと思われた。図鑑を見ると花期は6~7月となっているがここでは今咲いているのはなぜか?こんな山の中も外来種に汚染されてしまっているのか。
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 焼額山はなだらかな樹林の山で、展望のあるピークや尖った岩稜が無いため、「360度の展望」といった場所は無いのだが、スキーコースには木が全く無いため、所々、狭い範囲の眺望だが良く見える場所がけっこうあった。そして何より今日はすばらしい快晴だ。かつ空気は良く澄んでいる。山岳展望がパズルのように出てくるのが楽しい。

 北アルプスはまだ雪がついていないのが「玉にきず」だが。これは南西の方角。
 黄、槍ヶ岳 赤、奥穂高岳 ピンク、乗鞍岳
(山名は、一応、20万の1図を6つ並べて見て、写真も元の大きなサイズで見て確認して書いてはいるのだが、展望のソフトなど使って正確に同定していないので、多分、間違いがあるとご承知ください。)
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 私が先にけっこうゆっくり歩いていたのだが、1時間少し歩いたら、疲れてしまい、「ちょっと休みましょう」と提案。飲み物を飲んだり、根橋さんにチョコをもらったりして大休止。駐車場所から私たちと大体、同じ頃に歩き出した2人連れと、3人連れの中年女性のグループがあり、その人達を追い抜かしていたのだが、その休憩で抜かれてしまった。
 根橋さんは私より疲れていない感じで、休む必要も無かったように見えた。

 そこから、しばらく行くと、プリンスホテルから出発するロープウエイの終点の頂上駅があり、その手前付近から山頂部へ入る登山道もあったのだがトレイルランの案内表示に導かれたため、その入り口に気が付かず、奥志賀高原からのリフト終点側にある山頂部への入り口の方に回った。しかし、そのため、東北東の方角の眺望が開けていて良く見えた。
 赤が苗場山、オレンジが鳥甲山、黄緑が良く分からないが地図で伸ばしていくと越後駒ケ岳あたりの方だ。ピンクは、谷川岳の方かさらに至仏山の方になるがどちらだろう?
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 ここからトレイルランの道を離れて山頂部の稚児池へと木道が向かうと、急に自然の雰囲気が高い樹林帯に入る。コメツガの貫禄ある老木があった。
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 すばらしい高層湿原帯の世界になる。手前の木はハイマツ。
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 この高層湿原から西側の方角の山々が見える場所があった。
 向かって右側から、黒、? 黄、黒姫山 オレンジ,乙妻山 赤、高妻山 ピンク,雪倉岳 黄緑、小蓮華山 緑、白馬岳 薄緑、杓子岳 青、鑓ケ岳 黒、不帰の瞼あたり? 黒、?
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「この池は前見たのとは違ってちょっと小さすぎるな」と前にここに来たことのある根橋さんが言っているところ。
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 その小さな池塘
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 直ぐ近くのこちらが稚児池だった。
  説明板のせりふ
『 山ノ内町天然記念物 稚児池湿原 面積約5、6ヘクタール
 この高層湿原は、焼額山、標高2009メートルの山頂にあり、泥炭層が厚く堆積し、雪どけ水や雨水で養われている。ミズゴケ類のほか、ヒメシャクナゲ、ワタスゲ、ミズバショウなどの花が美しい。湿原のふちにハイマツ群落があり、その先はオオシラビソ林への移行が観察でき、一帯の原始的な景観が見られる。
 注意、湿原内へ立ち入らないこと 植物・動物・土石類を採取しないこと 山ノ内町教育委員会 』

 これは、非常に小さいとは言え、苗場山の山頂などにある高層湿原と同じ物ではないかと思った。
 これが町の天然記念物?少なくとも県の天然記念物くらいに格上げした方がいいのではないか、という気がした。県は、冬季オリンピック誘致と開発のため、当時、その自然度を低めにしておいたのかもしれない?
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 池の縁に鳥居があり、小さな祠があった。おそらくこの山頂部の場所は神社の神域とされていて、古くから手を付けないようになっていたのではないか?
 スキー場側は、スキーコース以外の場所の樹林の様子を見ると、中腹より下は昔から湯田中の入会地(和合会とか共益会が有名)として利用されていた二次林のような感じがする。なので、スキー場にするのにも比較的抵抗が無かったのかもしれない。しかし、この山頂部の自然を守るには、山頂部のシラビソ、コメツガなどの樹林帯を東側にもう少し広く保護しておく必要があったのではないか。ゴンドラ山頂駅やリフトの終点をもう少し下に下げて、山頂部を守る樹林の緩衝帯をもっと多めに確保すべきだったと感じた。きっと貴重な自然の何かが失われてしまったか、失われつつあると思われる。スキー産業が錦の御旗の当時は、一旦、失われたら元に戻らないこういった場所の価値が大して重視されなかったのだろう。南アルプスのリニア新幹線工事も、きっと後の時代に後悔する事になるのではないか。
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 ムラサキ色っぽいミズゴケ。図鑑を見ると、ムラサキミズゴケというのとスギハミズゴケというのがこんな色をしていたが、採集してはいけないので何だか分からない。緑色のミズゴケはたくさん生えていた。水生昆虫も澄んだ水の中に泳いでいたし、池の底には生き物のはった跡のスジがたくさんついていた。植物も昆虫などの生物も貴重な物がたくさんありそうな場所だった。
 木道に腰を掛けてお昼を食べてから下山にかかった。
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 帰りに山頂部から、西南西の方向が見える場所があった。千曲市~長野市あたりから見ると、鹿島鑓の南峰と北峰が、きれいに並んだ双耳峰に見えるが、今見るこの方角だとそれがもっとくっついて見える。
 でもそれが鹿島鑓と分かるので、右横が五竜岳とすると、その間に見えるのは剣岳だと分かる。
 黄、五竜岳 赤、剣岳 ピンク、鹿島鑓 黄緑、立山かな?
 南北に延びる後立山連峰の五竜岳と鹿島鑓、その西側の山脈の剣岳と立山が、後立山連峰の隙間から見えているのだ。
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 大分下りてきて見上げると、
 黄、根子岳 オレンジ、四阿山 赤、御飯岳 黄緑、笠ヶ岳
 といった山々が良く見えた。
 この他、写真には写さなかったが、横手山が大きく見えていたり、浅間山も良く見える場所があったり、霧ヶ峰方面の後ろに遠く見えたのは南アルプスの山だったのか?
 登りは休憩も含めて2時間強くらい、下りは1時間くらいだった。
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 初めての焼額山、好天とお元気な根橋さんとご一緒に登る事が出来,、貴重なお話を直に聞きながら登れた事、山頂の高層湿原のすばらしさを知った事。現在の自分の体力にちょうど合った山でもあり、幸せな一日であった。
 



あいちトリエンナーレ 表現の不自由展 盛況

 今朝のNHKの朝のニュースを見ていたら、『表現の不自由展』が再開されて、名古屋河村市長が再開反対の座り込みをしているのが伝えられていて、河村市長は会場の前で座り込みをして、一緒に座り込みをする人達も写っていた。

 しかし、見学者がものすごく大勢来ていて、参加者がすごい盛況の様子も紹介されていた。
 初日には混乱を防ぐため、会場に入れる人を抽選で決めたのだが、22倍の倍率だったという。抽選に外れて残念そうな人の様子もあった。

 見学者へのインタビューでは、妨害があってそれで中止になってしまうようでは問題だと思うので今回はぜひ参加する事に決めた、と語る人もいたり、皆、色々と考えながら見ているのだなという感想であった。

 先日、「裁判所の正体」を読んだ感想を書いた時に、最後に、こういった一つ一つの小さな行動が本当の意味で日本人が欧米先進国的な自由を獲得する過程なのだと思うと書いたのだが、この『表現の不自由展』の再開への大勢の人が参加する様子を見て、日本はそんなに遅れていないのかもと、久しぶりに気持ちが晴れた。

 その後、今日の民放のテレビで昭和天皇の写真についての作品の批判がされていたようだ.。また、河村市長も天皇の写真がどうのこうの、と言っていた。
 何年か前、長崎市長が天皇に関する発言で右翼に銃撃される事件の時に、平成天皇が「言論の自由」について心配され、「言論の自由は尊重されなければいけない」と語り、記者が「天皇制の可否についてもですか」と聞いたら「そうです」とはっきり話されていた事が印象的だった。

 河村市長もそうだが、テレビでは落語家が自分のお父さんの写真、などという訳の分からないような事を言っていたようだが、「上皇」がどういう意味で発言されているか、その言葉をしっかり学んでから発言してほしい。

フジテレビ「バイキング」 教師の教師へのイジメ問題をやっていた

 昼食を食べながらテレビをつけるので、お昼のワイドショー的な番組は昼食をはさんで何分かは見る事が多い。
 よく、TBS系の「ひるおび」を見ることが多かったのだが、嫌韓のような内容や、取り上げるべき肝心の問題と外れたような内容を延々とやっているので、最近はフジテレビ系の「バイキング」という方へチャンネルを回す事が多い。
 といっても、ちらっと見る程度だが。
 ところが今日は、「教師のいじめ」という内容でやっていたので興味があり、そのテーマ30分くらい最後まで見ていた。
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 これは、教師が生徒をいじめるのではなく、教師が教師をいじめるという話だ
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 明るみになったのは、神戸市の小学校で、40代の女性教師と30代の男性教師3人が20代の新任の若い男性教師に対していじめをして、その教師は、休職してしまったという。
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 激辛カレーを無理やり食べさせたり、目にも入れたりして、しかもそれを撮影していた。テレビではその映像を入手して放送していた(どのように手に入れたのか?子供のいじめのようにSNS上に出されていたのか?)
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 いじめをしていた教師たちは学校の中心的な教師たちで、子供達からは人気があり、親からも信頼されていたという話だ。
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 この学校では、それらのいじめ教師は、「とろい」からと他の20代の男性教師に「トロちゃん」と呼んだり、20代の若い女性教師にセクハラをしたりしていたという事だ。
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 こういう証言を見ると、加害教師たちは、若い教師たちだけでなく、子供たちへの本当の思いやりや優しさは全く無く、一部の元気な子供達や親を味方につけて学級などをうまく管理する力があるようなタイプの教師なのだろうか?

 コメンテーターの一人が『体育会系部活でのいじめのような感じだ』と言っていたがそんな雰囲気だったのかもしれない。校長もそれらの職員をどうにもできなかったようだ。それも、クラスのいじめを放置した学級担任同様、責任が問われる事だろう。何とかしようとしても、子供に対するイジメより大人のイジメに対する方がさらに解決が難しい事だとは想像はつくのだが、もしかしたら校長もいじめる側の教師と同じような感覚だったのかも?
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 現在の他の学校でも、こういった事は大なり小なり良くあるのだという。

 コメンテーター達も皆、あきれはてた、という気持ちの発言が多く、「どこの世界にもこういった事はあるのだと思うが、それにしてもこの幼稚なというかあきれた行動は、「刑事告訴」のレベルだから、ちゃんと厳罰に処するべきという声が多かった。
 私もそれらの映像や取材内容を見て、気分が悪くなった。

 自分も小学校の平教員として定年まで過ごしてきたが、振り返ってみると、教師の世界だから模範的という事はもちろんなく、どこの学校でも職員間の色々な感情的な対立があった事は思い出される。また、管理職側VS組合側という考え方のレベルの対立も良くあり、職員会などではかなり激しく意見を戦わせたりして、他の場面でしこりが残ったりする事も少しはあった。

 しかし、私などは若い頃はそれこそ「トロちゃん」といった状態だったが、周りの先輩や同僚は、親切にしてくれたり励ましてくれたりすろ事や、また年とってからも若い人達からも、思いやりを持って接してもらった事がありこそすれ、こんな直接的にイジメられるような、旧軍隊の内務班的なイジメはもちろん無かった。
 もちろん、陰で「こりゃダメな教師だな」と言われたり思われたりする事はけっこうあったのだが、面と向かって先輩や同僚や管理職に罵倒されたりイジメられたりするような事は、ほとんど思い出せない。
 もちろん自分も他の後輩や同僚に向かってそんな事をしたことは無い。

 どうしてこういう神戸市のような風になってきたのか、色々な原因が考えられるが、現在の「道徳教育」とか「教科書検定の強化」とか、「成果主義」や「教員評価制度」のような制度的につらい教育現場、教員の色々な面での自由が無くなってきている抑圧の結果なのだろう。
さらに、先進国の中で教育予算が最低の国であるという教育の貧困の状況も大きいのだろう。
先日読んだ「裁判所の正体」の中にも日本の社会全体が『劣化している』と語られていたがこれもまさに『劣化』の一つの表れだろう。
 これは一刻も早く国民が気が付かねばならない問題だ。

 こういった事が起きると、時々、思い起こす事がある。前にもブログに書いた記憶があるのだが、私は長野県で教員生活を送ったが、私の若い頃、新卒の学校から始まってしばらくの間は、「読み合わせ」という物があって職員会などで時々、哲学書のような物を「読み合わせ」するような伝統があった。例えば、西田哲学とか道元の本とかのような物だ。しばらくするうちにそういった伝統は薄れていつのまにか消え去ってしまった。

 何を読んだかも忘れたし、全く身にも参考にもならなかった気もするし、当時はやりながらこんな事は時間の無駄だと思っていた。その昔はそういった本を本気で興味を持てる学力のある教師集団があったからやっていたのだろう。我々の若い頃はすでにその時代は終わりつつあった。

 しかし、今、考えると、そんな本を読み合わせするという「教師集団」という所に意味があったのかもしれないな、と思える。
 例えば、分からないながらにせよ、「道元」を読み合わせしているような教師集団があったとして、そういった集団の教師が、今回のような事をするだろうか?
 そんな時代と離れたような事で無くても、先日、ブログに長野県の原村の中学校で、生徒が提案した朝鮮初中等学校との交流を許可した学校や教育委員会の文化レベルのような学校の教師集団で、こういったイジメが起こる事はあるのだろうか?

 また、読み合わせよりもさらに後まで続いたものに「職員文集」というものがあって、係りがあって毎年一回、職員が何か文章を書いて冊子にする習慣もあった。もしかしたらまだやっている所もあるのかもしれないが、教員も皆、忙しくなって、文章を書くのもおっくうな人もいたりして、そういった事もやめるようになったと思う。

 事件を起こした学校の教師集団は、テレビのバラエティ番組のレベル、体育会系部活のレベル(もちろん体育会系すべてが低レベルとは全く言えないが)の「精神文化」の教員集団だったのではないか?

「思想的な理想」と言った物が流行らなくなり、「経済的、効率的」な事が第一の価値となってきた世の中にも大きな問題があるのだろうか?



 

「サイレント・ブレス」南杏子著 を読む

 先日、「盤上の向日葵」という将棋を題材にしたサスペンスドラマをテレビで見たり、文芸春秋で芥川賞の「紫のスカートの女」という短編小説を読んだりして、小説とかサスペンスも面白いなあ、と思うような事があった。
 
 そんなことから、ネットで推理小説を探そうと、「2019年最新版】”今”人気のミステリー・推理小説おすすめ20選」というのを見てみた。あまり怖いような物や、ドロドロしたようなものでないものは、と見ていくと、

『7、『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』南杏子
終末医療の実態を現役の女医が描く衝撃のデビュー作品です。
死という恐怖とどう向き合っていくのか、そしてそれに自分がどう関わっていくのかを示唆してくれる、バイブルのように感じました。
在宅医療の問題にも深くメスを入れた内容であり、感動すること間違いない作品です。』

というのが、あって、これならちょっといいかなと思い地元の本屋に注文してみた。

 本が届いたので読んでみると、これはまさに、本の紹介に書いてあるような内容であり読んで良かったな、と思う作品だった。
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 私の親ももう90歳以上であり、自分ももうじき70歳。今まで気にしなかった新聞の地元の死亡広告欄の死亡年齢を注意して見るようにもなっている。自分の死について深く考える事は避けたい様な気持ちも出てきているのは、年のせいだなあ、まさに死が近づいてきているからなのだろう。と最近、時々思う。
 しかし、この本はサスペンス風な味付けもあり面白く引き込まれて読める中に、本の紹介にあったように「バイブルのように感じました」という言葉が大げさでなく感じられる内容で、「死」について日常的に取り組んでいる医師が書いた物語だけに、自分にとっても読んでおいて良かった、と思う本でした。

裁判所の正体 瀬木比呂志✖清水潔 を読む(第8章)

 第8章 日本の裁判所の未来

 いよいよ最後の章になった。最初、この本を読んでサッと感想を書こうなどと思っていたが、とうていそんな事は出来ない内容が詰まっていたので、細切れに読んでいったが、おかげでまさに「裁判所の正体」がけっこうはっきりと分かった気がする。
 日本では三権分立などという物は現在、無いのだ。
 
 この章の初めの部分に、「求められる国民のあり方」という節があり、
 『 瀬木 私はイノセントです。何もわかりません、権力のほうでちゃんとしてくださるのが当たり前です。みたいな民主主義のとらえ方が、日本ではまだまだ強い。
 清水 お上に任せて、従うという。
 瀬木 そうです。「自分は責任をもたないけど、ちゃんとやってね」というのはお上意識ですよね。』

 と言って、サン=テグジュペエリの「星の王子さま」に出ているバオバブの木について、「大きくならないうちに抜いておかないと、小さな星なら破裂させてしまうよ」と王子が語るのは、ファシズムの事であり、ヨーロッパでは、童話で子供の頃からそういう深い意味を叩きこませる事や、一方、日本民事訴訟法学会の国際シンポジウムで「裁判官のパターナリズム(家父長的干渉主義)のどこが悪いのか?当事者の中には今でも大岡越前や遠山の金さんのようなタイプを求める人もいる。日本の社会は、言葉や建前とは違って、自己責任や自立には消極的であり、本音では公権力のパターナリズムを求めている」といった発言をする裁判官もいるという事も語られていた。

 『 瀬木 ~でも、権力に任せておけばいい、という認識のあり方は、結局、そういう裁判官の発想を正当化してあげることにつながってしまうわけです。政治家や官僚についても全く同じこと。
 清水 星の王子さまと大岡越前。なるほど、教育的見地で考えると深いですね。
 瀬木 裁判所も、権力の一部である。権力の一部でありながら権力を監視している権力である。だから,二重の意味で、市民・国民の目がきちんと行き届いていないと堕落しやすいということを、知っていただきたいです。
 清水 この基本的な構造を知らない人が多いような気がします。
 瀬木 「全体の趨勢がこうだから、もうどうしようもない」みたいなことを日本人はいいがちなんだけど、そういうものではないと思うんです。やはり民主主義というのは、個々人ががんばらなければ、絶対に実現されない。
 清水 本当にそう思います。個々の努力で勝ち取り、維持するものでしょう。表現の自由だって与えられるものではなく、勝ち取り続けるものです。』
 
 という事で、やはり我々、国民、一人ひとりの意識が変わらないと根本から変わっていく事は無いのだろう。

 続いて、裁判所の未来について、法曹一元化の方向が語られている。現在は司法研修生という学生から裁判官になっていくのだが、欧米の先進国では、一定程度、弁護士など社会で活動してから裁判官になるような制度だったり、裁判官の任用や昇進について透明性のある開かれたシステムになっていて、日本の様な非民主的な密室で行われるようなものではないという。法曹一元化について批判もあるようだが、弁護士の中の国民の立場を重視する、優秀な人達が裁判官になれば良いのでは、とだれもが思うのではないだろうか。
 韓国では、民主化以来、この法曹一元化が行われているという。

 この本の最後は、「国のあり方は司法で変わる」「日本の裁判所とジャーナリズムが進むべき道」という事で、現在の日本の問題点や司法の大切さが話されている。やはり司法はきちんとその力を発揮すればとても大きな力を発揮できるという。本当にそうだろう。またジャーナリズムも権力への監視という力を蘇生させる事が期待されている。

 この本を読むと、やはりこういった我々が知っていない国の基本的な骨格に関わる様な事について、その現状とか問題点、我々の考え方の傾向とか、分かるように解説してもらうと、何か目の前に起こって来る色々な出来事のニュースなどについて、よりその本質が見えるようになってくる気がした。

 現在、「表現の不自由展」について、県は再開しようとしているが、文科省は補助金を打ち切り、潰そうとしてきている。ここで国民がそういった権力の横暴を見逃すことなく、開催を支持したり世論を盛り上げたりする事が出来たなら、その時、はじめて、多くの国民にとっては、どこか関係ないところで行われていた良く分からないような現代アート展であったものが、自分たちにとって意味のある芸術になり、日本の「表現の自由」が少し進んだのたと言っていいのではないか。
 そういった一つ一つの小さな不断の戦いが非常に大切になってきていると思う。

 今朝の地元紙(信濃毎日)には、長野県の原中学校(諏訪郡原村)と長野県朝鮮初中級学校(松本市)の生徒の文化祭での交流がSNS上で反響を呼んでいる事が紹介されていて、これは、日韓関係について関心を持った原中3年の二人の女生徒の呼びかけで始まったという事であり、記事にもある前川喜平氏のツイッターでも、「在日朝鮮社会と関わりを持つことに躊躇する人も多い中、子どもの気持ちに沿って交流を後押しした学校や教委は立派」と書かれていた。そのツイッターは、最近私も見たが、今日の新聞を見るとその女生徒たちは名前も公表し、二人が活動している写真も載っていた。現在の世相の中では勇気ある行動だと思う。

 こういった草の根の人達の動きが、本当の民主的で自由な国を作る真の力なのだと、この本を読んだ後では、特にその意味が強く感じられた。
 
 

裁判所の正体 瀬木比呂志✖清水潔 を読む(第7章)

  第7章 最高裁と権力

 前の章からの続きで、最高裁は「統治と支配」については権力の意をくむ方向へどうして行くのか、また裁判官はどうして最高裁に統制されるか、が色々な裁判の例をあげて述べられている。瀬木氏自身の沖縄地方裁判所での体験も語られる。

 最高裁の事務総局などの組織や最近の人事構造について、色々と話されている中で、
『 瀬木 全くそのとおりです。日本の企業が弱くなった一つの原因は、想像力、創造力に乏しい人事・経理系の人間がえらくなるようになったからであり、マスメディアにもその傾向はありますね。~』
 想像・創造と言った感じとは別の、強権的、ヒラメ的な組織にどんどんなってきてしまった事が色々と話されていた。

 また、『裁判官が国の弁護士に?~三権分立は嘘だった』の節を読んでみると、清水氏も驚いていたが、今の日本では、最高裁判所の裁判官が法務省に出向して法務省でずっと仕事をして戻ったりしている。検察庁は法務省の一特殊機関であるし、法務省には検察庁のエリートも仕事をしているという。
 民事の難しい行政事件とか国家賠償請求事件についてなど法務省に出向した裁判官が弁護士役をやったりもするのだという。
 裁判官が法務省に出向して色々とやっていた、また裁判所に戻ってくるような話は本当に驚く。日本では、全然、三権分立となっていないのだ、という事がよく理解される。
  
『「憲法の番人」ではなく「権力の番人」』という節を読んでいくと、本当に日本の現在の裁判所に「憲法の番人」を望む事は無理なのだと納得する。
 色々な過去の「統治と支配」に関する裁判では、まさに「権力の番人」というような内容の判決がずっとだされ続けている。

 また、2000年以降、官全体が劣化してきていて、日本全体のモラルが低下してきているという。
 最高裁でも不明朗な会計が国会で指摘されている状態。検察でも10年以上前だが、大阪高検公安部長をやっていた三井環氏という人が、検察の裏金を告発しようとし、テレビのインタビューを受けようとしたら、次の日、その人は逮捕された。その容疑は「住民票を置いてあるところに住んでいなかった」という理由で逮捕されてしまった。という事件があったと清水氏が話す。まさに検察の上の方が腐敗しているという事で、韓流歴史ドラマの悪が勢力を持つドラマの前半のような雰囲気だ。今の政治では本当にこういったような事が横行している感じがあらためてする。

 日本全体の劣化という事はどうしていったらよいのか、対談する二人もその困難を感じているようだった。

 章の最後は最高裁の現状について、このように終わる。
『 清水 結局は、これまでの構造そのものが引き継がれていくから、人が替わっても何も変わらないということですか。
  瀬木 そのことが、たとえばこの人事なんかにも現れていると思うんです。前からの力というものが、その後もはっきりと尾を引いている。だから、最高裁の今のような裁判官支配・統制の形というものが一旦完成してしまったら、これは、もう、そう簡単には変わらない。今の最高裁の権力支配構造は、二冊の新書で書いたとおり、戦後最高裁の歴史の中で、ことに、最高裁のリベラル化に危機感を抱いた自民党が強烈にプッシュした石田和外長官時代以降、負の遺産として連綿と引き継がれ、それが竹崎長官の時代に至って全体主義的共産主義国家のような異様なシステムとして完成したものです。これは、それこそ、ソ連が内部から崩壊するしかなかったように、おそらくは、外から動かせるようなものではないんです。でも、裁判所は、ソ連とは違って、国じゃないし私企業でもないから、崩壊しない。いくら劣化、荒廃しても、存続して、ツケは国民が払うことになる。
 そうなると、こういうふうな状態になってしまった裁判所を、本当に市民・国民のものにしようと思えば、抜本的な改革をするしかないと思うんです。それが、弁護士の気構えという問題であり,法曹一元化という課題です。』

 と終わっている。

 いずれにせよ、日本にはちゃんとした欧米先進国基準の『三権分立』という物は無く、どちらかというと、独裁的共産主義国家の国の機関や、戦前のように法務省の下に裁判所があるという感じに近い物なのだろう。
 自由や民主主義のレベルを欧米並みに高めるために、国民はこういう現実もちゃんと認識する必要があるのだなあ、とこの本を読んでいくとしみじみ感じる。

裁判所の正体 瀬木比呂志✖清水潔 を読む(6章)

 第6章 民事司法の闇

 この章の最初の2つの節は、「名誉棄損裁判の高額化」「スラップ訴訟」というもの。
 これを読み、私は初めて知ったというか、認識した事なのだが、ジャーナリズムが色々と権力などを批判することがあるのだが、それに対抗して権力側がする名誉棄損の裁判で、高額な慰謝料や賠償額が請求されるようになってきたのだという。これは、例えば雑誌などが政治家の色々な問題について、暴露したりする、などの事がある訳だが、それを抑えるために、政治側からの要望に応え、賠償金額を高くする方向になってきたのだという。
 さらに、賠償を訴えられるのは、会社では無く告発者の著者の様な一人の弱い立場の人間をねらってくる。そういう方法によって、権力を批判するという表現の自由を委縮させ、結果として権力者への批判を減らす、そういった手助けを裁判所が行っているのだという。
 政治家や有名人はいわば公的な物なのだが、プライバシーの侵害などという内容で、賠償請求などで訴えてくる訳だ。

 スラップ訴訟というのは、力を持った権力や会社が何かしようとするときに、反対派の人の反対運動を潰すための「恫喝」として訴訟を起こす事で、現に沖縄で、ヘリパッドの着陸場建設反対の住民や支援者に対して、沖縄防衛局が「通行妨害禁止仮処分」を申し立て、2名が仮処分になった例が語られていた。
 これも個人を狙ってくるので、高額な賠償金などを請求されて訴えられると、批判する気力も萎えてしまい、表現の自由などの雰囲気が社会から消えて行くという。アメリカで始まったのだが、アメリカでは害が分かり、法的に制限がかけられるようになったが、日本ではそれが無いという。
 そして、両方とも最近は、権力者というか力のある方、大きな組織や、財力のある方などが有利な判決になるような傾向が大きいのだという。

 次に「一票の価値の平等」、「国家賠償訴訟で国が有利な理由」、という節では、一票の価値はなぜ重要かという事について語られ、これは民主主義の根幹に関わる問題にも関わらず、「違憲状態」という最高裁は変な判決を出しているが、それは外国では全く通用しないような判決で、それをマスコミも問題にする力が無いという。そういった最高裁の判断については、最後の憲法の節でさらに批判している。

 国家賠償訴訟では、水害の訴訟について述べられている。「統治と支配」の根幹に関わるような問題の場合は、国の意向を汲み、最高裁事務局総局が協議会、研修会というような形で国側の意向にそった方向で裁判官を統制していくという。それに逆らった判決を出す裁判官は報復される訳だ。
 
「原発訴訟と裁判官協議会」という節では、原発再稼働をめぐる問題が書かれている。こちらは、私も何となく今まで知っている内容と同じ事が書かれていて、もちろん二人の述べている色々な批判に同感した。
 そして、また新たに知った内容としては、先日の福島原発事故の東電に対するおかしな判決が出たのも、先に書いた『最高裁事務総局』というのが裁判官を統制していて、ここでも、福島事故以前、裁判官は良識や勇気のある裁判官がまれに抵抗する例があるくらいであり、さらに、原発事故直後、一時、良識的な判決の風潮も許されたが、現在、原発事故以前に戻る方向なのだという。

 大飯原発の稼働差し止めの判決を下した福井地裁の樋口裁判長は家裁へ左遷され、その後に、それを取り消した判決を出したのは、入れ替わりに赴任してきた3人の裁判官で、その3人は、最高裁事務総局勤務経験があり、それらの裁判官によって取り消しの判決が出たのだという。
 こういった露骨な最高裁事務総局の統制によって現在の裁判が続けられていくのだ。
 
 この章の最後の節には、「憲法訴訟について」「押しつけ憲法論の不毛」という事で、憲法についての最高裁判断や、憲法についての事、安倍首相の考え方などが、二人の対談で話されているが、色々なテレビの何だかモヤモヤしたような解説と違い、さすが法の専門家と気鋭のジャーナリストの会話だけあり、とても分かりやすくスッキリと根本的な本質を話していて、憲法について考えるなら、変なテレビを見たり、ネット情報を探すより、この本のこの部分を読めばスッキリよく分かると思う。



裁判所の正体 瀬木比呂志✖清水潔 を読む(5章)

 第五章 冤罪と死刑

 4章からの続きで、冤罪事件について書かれている。飯塚事件というのがあり、これは古いDNAの調査が間違っているらしい事が、足利事件で報道されたら、この飯塚事件の被告で無罪をずっと主張していた久間三千年(みちとし)さんという死刑囚が同じ古いDNA調査で死刑判決になっていたのだが、急に死刑執行がなされてしまったという。
 その後、半年後に足利事件のDNAの調査が科学的に間違っていたという結果が出たのだという。
 どうしてこんな時期に死刑執行をしたのか、という事で、もし、そういった間違ったDNA調査の事に関連して死刑が執行されたのなら非常に問題だと、話し合う。
 無実の人を国家が殺してしまう事になるからだ。なぜ、この例の場合、はっきりした結果が出てから考える事をせず、急に死刑を執行してしまったのか、二人は大問題と考えている。そして、日本のマスコミなどがその時に、全くそれを問題にしなかったことに衝撃をうけたという。
 この久間さんについてもDNA以外の証拠というのは車の目撃証拠くらいしかなく、それも有罪に出来る様な確固たる証拠ではなかったのに。

 裁判官は、色々な面で、こういった清水氏のような鋭く的確な見方が出来ないという事から次のような文が印象に残った。
『 瀬木 ~ところが、裁判官は捜査の現場を知っているわけではないし、心理学等の社会科学の知識も乏しい。刑事系の判決を見て気付くのは、飯塚事件でもそうですが、「調書の方が整然としていて法廷供述は混乱している、だから後者は信用できない」という言い方は非常に多いことです。でも、そのあたりについては、捜査の実際というものに対する想像力があまりにも足りないのではないか、また、社会・人文科学的なセンスが乏しいのではないか、という気がするんですよね。
 清水 本当にそう思います。
 瀬木 たとえば、冤罪事件についてジャーナリストが書いたもの、また、内外でこれまでに蓄積された文献等を読めば、いかに被害者の側が弱いか、操作されやすいかということは、わかるはずです。それなのに、常に、検察、警察寄りでやってしまう。そういう刑事裁判のあり方には、大きな疑問を感じます。
 日本の裁判官についてもう一つ付け加えると、意外なほど一般教養がない人が多いんです。自然・社会科学も思想も芸術も知らない。あるいは、これで裁判官かと思うような浅薄な知識、理解しかない。だから想像力も乏しい。ことに事務総局系エリートといわれるような人々には、残念ながら、その傾向の強い人が多い。そういう人が最高裁判事になるから、最高裁も冤罪についてはきわめて鈍感。そういうことになります。
 それこそ、陪審でやったほうが、ずっとまともな結果になるんじゃないかと思うんです。』

 本当にそうなのかもしれない。最近の福島原発の裁判でも、裁判官は本当に原発の様々な事や、地震や津波に関する色々な科学的知識など全く考慮に入れていなくて判決を書いているところを見ると、この瀬木氏の言われている事が真実なのかもしれないと感じる。

 次にこの章では、死刑制度について二人で話し合われる。死刑について、私はあまり本気で考えた事が無かったが、歴史や色々な考え方を知る事が出来る。
死刑が廃止されている国では、「絶対的終身刑」というものがあるが、日本の終身刑と言っても、死ぬまで入るという感じではなく出てきてしまうという。
また、世界の趨勢は、やはり死刑を失くす方向だが、日本は最近、逆に多くなっている方向で、死刑が多い中国と書いてあったが、ちょっと中国と似ているのかもしれないなと思った。

 最後の部分は、「ジャーナリズムと司法の劣化は相似形」という節で、マスコミなどジャーナリストも、そういった権力側に立ってしまっていて、記者クラブなどの存在で記者も検察側の協力者となっている現状を書いている。
NHKが国営放送化し、民放テレビなどのマスコミも政権の広告塔のようになっている現状を見ればそれも当然な日本の姿のように見える

裁判所の正体 瀬木比呂志✖清水潔 を読む(4章)

 第4章 刑事司法の闇 

 この章では、瀬木氏が、清水氏に質問する場面が多くなってくる。
 清水氏は足利事件がその一つである北関東連続幼女誘拐殺人事件や、神奈川のストーカー殺人事件について調べ、ドキュメンタリーを書いているのだが(私は読んでない)瀬木氏がその内容について真実と感じて色々と状況について質問し、感想を述べている。

 日本の刑事司法は、検察が起訴すれば99,9%有罪となってしまい。従って、冤罪も多く生み出しているのだという。
 警察の取り調べも、外国では弁護士が立ち合いの下でないと出来ないのだが、日本は密室で行われ、自白を強要されたり、また刑事裁判官は検察が起訴したものは基本的に検察と一体化し、有罪とする事が多いという。

 「起訴、すなわち有罪」というある意味、恐ろしい物のようだ。足利事件の被告にされた菅谷さんは、警察の厳しい取り調べに耐えきれず、やったと言ってしまうのだが、その事について聞いてみると、裁判の場に行けば、裁判官は公平に自分の気持ちも分かってくれ、法廷で正直に話せば大岡裁判では無いが、裁判官に分かってもらえると考えていたという。もちろんそうでは無かった訳だ。

 清水氏が調べた結果が語られているが、足利事件ではDNA鑑定が明らかに古い方法で間違っていて、真犯人と思われる人がいて、その人とは完全に一致していたり、(それでも検察はそれを認めず、まだその人はつかまっていないのだという)神奈川の事件の方も、真犯人は自殺してしまっているのに、その兄が犯人となって判決が下されていて、それも、一旦、検察が最初に決めた事は、メンツのために絶対というか、間違っていたとせず、おかしな結果を押し通し、結果として真実がねじまげられてしまっている様子が書かれている。

 自白を偏重するのは韓国も同じだったようで瀬木氏が韓国映画にふれてこんな事を語っている。
『 瀬木 そうです。自白をあまりにも偏重しすぎるんです。これは韓国も実はそうだったんだなってよくわかるのが、「殺人の追憶」(ポン・ジュノ監督2003年)という映画です。この映画、刑事たちが主人公で、快楽殺人の連続殺人犯を追っているわけですけど、映画の前半では、ずっと拷問をやっているんです。それを、刑事の方の視点から描いている。そこでの拷問の描き方、これが、ややユーモラスに描いているんです。そこはちょっと疑問を感じるんですけど、でも、おそらく、あそこには、韓国の人たちのある種の痛みがあるんだろうと思うんですよ。
 自分たちは軍政を許し、軍政下でこういう拷問を許していたと、そのことに対する複雑な思いが、この「殺人の追憶」からは伝わってきます。だから、韓国では、民主化した後、司法についても、ああいうことはもうやめなきゃいけないという意見が強く出てきているのではないかと思います。それが映画にも反映していると。
 でも、たとえば、日本では、そういうことを真正面から取り上げること自体がないじゃないですか。そんな所にも、やっぱり、日本と韓国の、自由に対する切実さの、意識の程度の違いがありますよ、みずからが血を流して民主化をやったということの意味は、やはり大きい』

 日本は起訴権が検察に独占されているが、英米では大陪審、予備審問といった制度があって、一般の人がその辺を監視する仕組みがあるという。日本の場合の検察審査会というのは、力も弱く起訴する方向の物しかない。
 検察が独占する中で、一旦、有罪にしたものは絶対に有罪で通すという風になってしまっているため、あらためて公平な立場で科学的に見て行く事が出来ず、冤罪も相当あるだろうという事だ。確かに、人間は絶対ではないのだから、起訴したら99,9%有罪というのでは、いくら警察や検察が優秀でもちょっとおかしいだろう。
 検察は現役を退職してもOBが力を持ち、それが政界とつながっている闇があるのだという。日本の権力の闇の世界なのだろう。

 清水氏が、様々な事件をきちんと丁寧に調べていって、事実を追及し、おかしいな、と感じた事を発表しても、変わってこない。これは日本社会全体に言える事で、事実について科学的というか客観的というかに見て行かず、政治的な思惑の様な事で、事実から離れていってしまう傾向があるという。
 科学者が研究するような点では日本も進歩してきたのだろうが、この本で言われているように、社会についてはきっとまだまだのレベルなのだろう。