上田市「鴻の巣」は、古代の鉱山跡だった!

 写真は「鴻の巣」
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これは、その昔、鉱山の守り神としてしめ縄でもされていたのでは?と推定されるという「紅の岩」
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近づいて撮影
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  先日、このブログで「上田泥流の2つの学説を調べてみた」という題で、地元の地質研究家である山辺邦彦氏の上田泥流についての学説を紹介した。
https://js30.at.webry.info/201909/article_4.html 
  山辺氏の説はネット上にはあまり出ていないが、上田市誌にも載っているし、上田創造館の「岩石鉱物展示室」などにパネルで分かりやすく見る事が出来る。小県上田教育会発行の「上田地域の鉱物・岩石・化石」という理科学習資料(上田市の書店にも売っていた)にも載っている。

 これから紹介する、「鴻の巣」についても創造館の展示室にきちんとした説明コーナーが作られている。
(ちなみにこの展示室にある岩石や鉱物は、ほとんどが山辺氏が採集したもので、上田地域の貴重な岩石、鉱物の標本である)

 さて、山辺氏は、地元の地質について色々と発見されている訳だが、地学よりも歴史の方が興味のある私のような人間にとって、「鴻の巣」の地形は、古代の鉱山跡」という説は何かロマンを感じる話だ。

 「鴻の巣」とはどんな所か、この発見を聞く前、私は鴻の巣の遊歩道の事をブログに書いていた。「鴻の巣」について、多くの上田市民もこんな程度の感じ方だろう。
https://js30.at.webry.info/201006/article_9.html
 とは言え、あの地形が浸食で出来るのか?川らしい物も無いのになあ、といつも説明板の最後がどうも腑に落ちない気分はずっと前からあったので、山辺氏から『鉱山跡』と指摘され、そうだったのか、「ガッテン」となった。

 だが、最近あらためて「鴻の巣」とネットで打ち込んでも、「鴻の巣は古代の鉱山跡」との話題は全く出てこない。この発見はもっと騒がれてもいい話題だと思う。「石見銀山」が世界文化遺産になったのだから、せめて「鴻の巣」は古代の鉱山跡として上田市の史跡くらいに指定されてもいいのではないか?そんな事を思って今回、このブログで紹介する事にした。
  
 以前、山辺氏からいただいた鴻の巣についての講演会のレジメの内容を見て(その講演会は私は出ていない、レジメをいただいたり、ちょっと現地で説明をお聞きした事があるくらいだ)これを書いている。

 まず、東京国立博物館で「信濃の赤い土器」という特別展が平成24年に行われたという。
ネットで見ると、今もそのページが出て来る
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1432
 山辺氏はレジメで、『私はこの赤い土器に塗られている紅は、鴻の巣の褐鉄鉱を原料として作られたもので、同時に金属鉱の鉱山として褐鉄鉱も掘り出されていたのではないかと考えている』
 と言う。

 鴻の巣の礫岩層には褐鉄鉱が層状に入っているのを見る事が出来るのだが、山辺氏は、昭和50年に鴻の巣を調査した時に、偶然にも鴻の巣の露頭の一部に紅(ベニガラ)ができている所を発見したのだという。その時の事を、
『紅を発見した時の感動は、今でも忘れることはできない。紅を初めて見たとき、この紅の赤色は人間の血液を連想させるほど強烈だった。古代人もこの赤色を目にしたときには、かなりの驚きをもって見たことであろう。』
 という事で、若い頃、調査で偶然に見つけた「紅」の露頭についてずっと考え続けていてその後、古代の鉱山跡と、どうしてひらめいてきたのだろうか?お聞きしてみたいところだ。(上の写真の岩だと思う)

 『 』レジメから引用

『ここの褐鉄鉱並びに赤鉄鉱(ベニガラ)は、砂鉄起源である。鴻の巣の礫岩層は、浅い海辺に堆積してできた地層と考えられるからである。海辺には砂鉄層が発達する。「コウの岩」がある周辺の地形を調べると、弥生時代・古墳時代などの人々が褐鉄鉱層だけを掘り出した跡が深い溝や窪地となって残っている。さらに別の場所では、土状の褐鉄鉱層の部分だけを採集してできた掘割も見つかっている。』

『鴻の巣の褐鉄鉱には、紅(ベニガラ)に向くものと製鉄に向くものがあることはすでに述べた。おそらく弥生時代の人たちはこのことをすでに理解していて、紅つくりと同時に製鉄も行っていたと考えられる。「コウの岩」付近は製鉄用の褐鉄鉱を、掘割付近から「コウの岩」にかけて紅用の褐鉄鉱を掘ったと思われる』

 山辺氏は自分で当時と同じような方法で「ベニガラ」を作り出す実験もされている。褐鉄鉱からもさらに手を加えて「ベニガラ」を作り出している。

 この鴻の巣のある小牧山(東山)には、鴻の巣から直線距離にして1,5kmくらいの場所には、古墳群があり「いにしえの丘公園」となって整備されている場所があり、同じ距離に生島足島神社の山宮もある。鴻の巣は神社の御林でもあったという。
 写真はいにしえの丘公園の古墳
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 また、小牧山の少し離れた付近に「たたら塚」という古墳や、「紅平」という地名もあるという。

『このようなことから「鴻の巣」は、「紅(こう・べに・ベニガラ)と綱(こう・はがね)」が生まれる場所であったことを示す地名であることも濃厚になった気がする』と。

 レジメの最後の方には、鴻の巣とそっくりな地形がスペインにあった、(もちろん規模は全く違うと思うが)という事で、ローマ帝国の砂金鉱山跡・ラスメデゥラス世界遺産の写真を示されている。
「ラスメデゥラス世界遺産」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%A9%E3%82%B9

 繰り返しになるが、「世界遺産」ほどではもちろんないが、「いにしえの丘公園」同様に山辺氏も述べているように、ここは「市の歴史遺産」くらいにはなってもいいのではないか。長和町の星糞峠の「古代の黒曜石遺跡」は、長年、明治大学で取り組まれていて、そこでやっていた方が、地元の研究者となって町に残り、すばらしい発掘成果を上げて、現在では黒曜石ミュージアムなどすばらしい施設が出来ている事もある。上田市だって、もうちょっと周辺の整備を考えた方が良いのでは?
 古代人の赤色に対する気持ちは現代の人間とは違ったものがあるようだ。最近、古代大和朝廷の発展は、「紅」よりもさらにずっと貴重な「朱」の発掘と交易による現代のサウジアラビアの「オイルマネー」的な物だったという本を読んだが、こちらもこの、生島足島神社周辺の豪族の冨と力の源泉の一つになったのでは、などとも空想が広がる。

 今日も、上の写真を撮ろうと鴻の巣に出かけてみたら、近くのマツタケ小屋に多くの県外車が止まっていて驚いた。マツタケ小屋からちょうど鴻の巣が良く見えるようだ。飲み食いのつまみに鴻の巣の崖を見ているようだった。
 しかし、鴻の巣自体は、閑散として次第に木々に埋もれ始めているようだった。

 いただいたレジメは全部で8ページの物だが、最初の3ページだけ載せておきます。さらに知りたい方は、上田市創造館の上田市の岩石・鉱物展示室に行って説明パネルやベニガラの実物などをご覧になってください。
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 山辺氏は、レジメの最後の方に
『~それをより深く確かめるためには、千曲川水系で出土している弥生時代後期の赤い土器や鉄製品の成分と鴻の巣の紅(ベニガラ)並びに金属鉄の成分を比較することが必要である。さらには鴻の巣の褐鉄鉱を使った「たたら」製鉄の実験などを行うことも今後の課題であろう。』と書いてある。
 私も、赤い土器は北信の方で良く使われたようだが、上田周辺の東信ではどうだったのか?使われていたのなら問題ないが、使われなかったのなら、ここを「紅」の産地とするのはどうなのか?など納得できない点もあった。
 いにしえの丘の古墳群はいつごろの時代の物なのか?生島足島神社との関係は本当はどうなのか?などなど、まだ分からない事が多いのだろう。

 地質研究家である山辺氏は、「それは考古学の方でやることだ」と考えているようであった。
 「上田泥流」の問題と同じく、こちらも取り組む地元の若い考古学、歴史学に取り組む人や、歴史・考古学ファンの人が取り組めば面白いのではないか。