東京地裁の「原発事故の無罪判決」について

 東京電力の旧経営陣3人の刑事責任が問われた裁判で19日、東京地裁は無罪判決を言い渡した。

 刑務所へ入れるのがかわいそうなら執行猶予をつければいいのだから「有罪」にし責任を取ってもらうべきだ、と庶民ならだれもが思うだろう。あれだけの結果を引き起こして責任がだれもとらないとは、とあきれる。
 我々庶民は、何かちょっとした失敗をしでかせば確実に「業務上何とか、過失何とか」と罪になるのだろう。

 朝日新聞に、「東電旧経営陣 強制起訴判決(要旨)」というのが載っていたので読んでみると、この裁判官は、きっと原発事故という事や原発について、また原発の被害などについて特に何も感じていなくて、ただ自分の法律の世界の中の論理で考え、さらに何か忖度というか出世というかそういった物が基礎にあるのか?被告人無罪という前提に向かって色々と理屈を言っているような感じにしか読めない。

 地震大国日本の原発について警告していた「大地動乱の時代」の石橋克彦教授のような本も読んで危機感を感じたこともなく、日本共産党の吉井英勝衆院議員が、国会で福島原発の事故の起こるずっと前に、こういった津波の事故を予見して質問していたようなニュースも知らず、地震学者が貞観地震の津波について調査した結果もどんなものか本気で調べず、また、チェルノブイリの事故によってどのような放射能の影響が人間に出ていたのかの知識もなく、それらは福島原発前に世の中に存在していたのだが、もちろんそういった事も知らず、さらに福島原発事故後、それらを真剣に学んでもいないのだろう。
 もちろん、昨日までブログに書いていた木村氏の「津波の前に地震で壊れていた」などという事も知らないで判決を書いている。

 ただ自分の狭い法律論の狭い世界で、被告を無罪にする方向で論理を組み立てていただけのような感じだ。
 被害者への心情、広い学識とか、高い倫理観のカケラもない、まさに『法服を着た役人たち』なのだろう。(その本はまだ読んでないが)
 こんな裁判官に裁かれたらたまったものではない。

 判決の「結び」には、
『事故の結果は誠に重大で取り返しのつかないものだ。しかし、地震発生前までの時点では、法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方は、絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった。3人は東電の取締役などの立場にあったが、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならない。』
とある。

 これによれば、国の指針では原発は「絶対安全ではない」と放置していた、という意味ではないのか?
 「安全神話」などと言って国も原発企業も言っていたわけだ。それなのに「絶対安全ではない」と基準がちゃんとなっていなかった、と言っている判決で素人から見ても「?!」というおかしなものだ。
 
 この論理の流れから結びにいくなら、

『事故の結果は誠に重大で取り返しのつかないものだ。しかし、地震発生前までの時点では、法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方は、絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった。3人は東電の取締役などの立場にあったが、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならない。その真の責任は、「原発安全神話」とし、原発を推進してきた国が、その安全基準、審査基準のあり方を「神話的絶対的安全性」にしていなっかったからであり、今後、裁判によりその責任を問われなければならないものである。』

 とつながるのではないですか? それが抜けているから倫理的にも「?」となるのではないか。