テレビドラマ「盤上の向日葵」を見て

 先日、「福島原発は津波の前に壊れた」という記事が「文藝春秋」に載ったので、初めて「文藝春秋9月号」を買って読んだのだが、それだけ読んだだけで、ただ捨ててしまうのはもったいないと思い、「芥川賞の作品」など読んだことが無い私なのだが、その号の目玉である「芥川賞受賞作品」を読んでみた。
 
 「紫のスカートの女」という作品なのだが、読みだすと面白くて、現代の世の中の感じをとらえたちょっとした面白いテレビドラマを見ているような感じで最後まで読み終わってしまった。
 作者自身の受賞にあたっての文も載っていて、読んでみると、引きこもり的な生活を送ったり、ホテルなどの清掃の仕事をやる合間に小説を書くような生活をけっこう長くやっていた女性でもあり、そういった実生活が作品に生かされてもいるのだろうと思えた。

 こんな風に生きて、小説を書いて、芥川賞をとる人がいるのだなあと認識を新たにした。
 久しぶりに小説を読んでみると、面白く、中に引き込まれるのだが、テレビドラマを見るよりは、自分の脳のある部分を使ってイメージを意識的に作りだしている感があり、映像のドラマを見るよりも、若い頃、無意識で内容に入り込め読み進んでいけるのと違い、老化した脳や目のせいか、ちょっと「読む苦労感?」が感じられたのにはガックリした。(という事は、脳の運動にはテレビより良いのだろう)

 そんな事を感じていた最近、NHK・BS3で、日曜の夜に将棋を扱った「盤上の向日葵」という、推理小説をテレビドラマ化した作品が四週連続で放送されていて、第一回目を見たら、長野県の諏訪が舞台となっていた。面白そうだったので楽しみに最後の回まで見ていた。
実力派俳優の演技も大きいのだろう。回を見終わるたびに続きが見たくなる面白さだった。推理小説特有のドロドロ感もあったり、見終わった後には爽やかな結末もあり感動的でもあった。

 この原作者もネットで調べたら、普通の主婦が推理小説作家になった人のようだった。
 今までもテレビ番組で面白いと思って原作者を調べると女性だったという事が多いような気がする。小説とかドラマとか、そういった物は、読んだり見たりした後に、感情のともなったイメージが湧き上がってきたり、物語の最後にはカタルシスがあったりする。
 現実の生活から空想を広げて、そういう感情のともなった人間の心の動きも入れていくのは、ドキュメンタリーや評論などとはまた違ったものなのだろう。女性の得意分野なのかもしれない。(もちろん一概にそうではないと思うが)

 テレビドラマともなると脚本家とか、演出家や撮影監督、俳優の演技や、音楽とか撮影技術とか、色々な物が総合された複雑な芸術なのだとも気がつく。そう考えてみると、現代では、テレビや映画、出版物などを通して、我々は美術、文学、音楽、演劇、等々、様々な芸術にその気になりさえすれば、いくらでも触れることができ「文化」といったものの奥深さも感じる事が出来るのだろうが、私などつまらないテレビのバラエティー番組などで時間を潰す事すらもある最近の生活にも気づく。残りの人生もあとすこしだというのに。
 
 最近は、あまたの科学者の警告や、論説やドキュメンタリーの告発や警告があるにも関わらず、「地球温暖化」は問題にもされず、政治分野では、萩生田氏のような人が文科大臣になって「非文化庁」の指示を出してくることも、もうすでに前から分かり切った事であり、それですら変わっていこうとしない日本の世の中である。

 こういった「盤上の向日葵」のようなレベルのテレビドラマというか、身近な感情に良い刺激を与えるような、広い意味の大衆的な芸術の質の高さも、大きく見たら世の中を正常に戻すための力になるのではないか、『推理小説とかスパイ小説」のような物が発達できるのは、一党独裁ではない多数政党がある民主主義国家だ、とずっと前、だれかのエッセイ集に書いてあったような気がする。