NHK ETV特集「三鷹事件 70年後の問い~死刑囚・竹内景助と裁判~」を見る

 番組はこのような内容(番組紹介のHPからコピー)

『1949年7月三鷹駅で無人電車が暴走し6人が亡くなった三鷹事件。当初検察は、国鉄の人員整理に反対する共産党員ら10人を起訴したが、東京地裁は党員9人を無罪とし、犯行を自白した竹内景助の単独犯行と認定した。その後、竹内は無罪を主張したが、最高裁で死刑が確定。再審請求中に病死した。2011年長男が新証拠を提出して再審請求を行ったが、東京高裁は認めなかった。事件の背景、竹内景助と長男の70年を見つめる。』

 三鷹事件の最近の再審請求審で、東京高裁(後藤真理子裁判長)は31日、再審開始を認めない決定をした。というニュースに、私もあまり知らない三鷹事件の事だが、何だか歴史上スッキリ解決していない、謎の様なイメージの事件なのでこの機会にしっかり再検討が行われるのだろうな、良い事だ、と思っていたところ、再審を認めないとなった事に「おかしいな」という気持ちが高まった。最近、司法がおかしくなっているのでその一環なのだろうか?

 とは言え、三鷹事件という物についてほとんど知識が無いが、最近興味を持っている戦後間もなくの時代の事でもあり、ちょうど良い機会とこの番組を見る事にした。

 三鷹事件は、1949年(昭和24年)、米軍統治下で起こった事件だ。この年には、国鉄下山総裁不審な事故死、三鷹事件、松川事件、などが起こって「国鉄三大ミステリー事件」と言われるという。
 今、初めて私は、このうちの一つである松川事件のウイキペディアを読んでみると、とてもこの三つの事件の構造をうまく解説していると思った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6#20%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A2%AB%E5%91%8A%E4%BA%BA%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%88%A4%E6%B1%BA
 多分、三鷹事件も同じような構造の感じのものだったのだろう。

 時代背景としては、三鷹事件のウイキペディアの中の記述をコピーすると。
『当時、国共内戦で中国共産党の勝利が濃厚となり、日本の国政でも日本共産党が議席を伸ばしており、共産化を警戒するGHQの下で、その後始まるレッドパージの動きを先取りするように、共産党員やその支持者が当時多かった国鉄の、人員整理が進められている最中に起きた事件であった』

 番組を見て感じた事は、どう考えてみてもこの竹内景助は無罪である。という事だ。なぜ彼が自分がやったという自白を最初の頃してしまったかという気持ちも番組を見てよく理解できた。

 共産党員9名と、党員で無い彼、が逮捕された。初めは断食してまで抗議していたという。しかし、共産党員の一人が自分と彼が共同でやったと自白した、と聞かされてから、自分一人でやったと言ってしまった。
 共産党員の一人は、警察の尋問から逃れようとウソを言ってしまったようだ。後のその党員だった人のその後の時代のインタビュー場面がちょっと出てきたが、色々と警察にやられてあることない事を言ってしまったような感じに話していた。(はっきりとは言わなかったしカットされていていまいち分からなかったが)その後、共産党員側は、共産党の弁護団がついて、しっかりフォローしたため全員が無罪を主張し、法廷でそれが認められ無罪となった。ただ、竹内景助を助けようとは共産党の弁護団は考えていなかったという。当時の弁護団の一人が番組で話していた。

 竹内景助は、当時、国鉄の大量首切りに反対していただろうし、共産党員では無かったが,機関士だったから、首切り反対へも、共産党員へも共感を持っていたようで、自分が罪をかぶって仲間を助ける、という気分になっていたようだ。
 後に精神鑑定医として彼を診断した加賀乙彦は、彼は英雄気取りで共産党員を助けてやる、という気持ちだったと初めの頃の診断書に分析されていたが、その通りだと言っていた。
 また、共産党員側の方でも、面会に来て、「革命は近い、もしお前が一人で罪をかぶってくれるなら、革命のあかつきにはお前は英雄だから、罪をかぶってくれ」などと言っていたのだという。

 先にも書いたように、当時は、アメリカ占領下の1949年であり、中国共産党も建国し、日本の共産党もソビエトなどの影響もあった?ような朝鮮戦争勃発前夜の日本でも共産勢力が拡大して本当に革命が起こるか?みたいな雰囲気もあった戦後間もない混乱期であり、今の人が考えるとそんな馬鹿な事を言うはずが無い、と思うかもしれないが、一種の浪花節的な義侠心でそんな事を口走ってしまった事は何となく理解できる。(共産党員側も警察も、彼が自白を決意した時、ニセの自白を良く言ってくれた、良く言ったなどと褒めたのかもしれない?)
 裁判では、堂々と「私一人でやりました」と発言している姿が番組であった。

 1950年いよいよ朝鮮戦争が始まると、すぐに判決が出て、自白と目撃情報から有罪となり、一審で無期懲役、翌年、高裁で証拠調べもせず死刑となったが、死刑を目の前にして彼は事の真相に気が付き、それからは一貫して無罪を訴える。共産党側も彼が無罪を主張し出したら関係を断ったようだ。景助は、当時の組織を守ろうとした共産党に裏切られたという気持ちを持ったのは当然の事だろう。
 これらの事件を機に、組合活動や共産党勢力は急速に退潮していったのだという。

 彼の妻は、事件が起きた時に現に彼は家にいたのだから当然ずっと無実を主張し続けていた。
 最高裁で上告棄却となるが、その時の判事15人中8人棄却、7人は棄却に反対だったのだという。刑が決まってからも再審請求をしていたのだが、10年間放置されていて、これは放置すべきでないという高裁の裁判官が再審を認め、事態が動き出したのだが彼は脳腫瘍が悪化し、亡くなってしまう。
 脳腫瘍で具合が悪くなっている時に、弁護側が体調がおかしいから治療せよと、検察だか刑務所だかに求めても拘禁反応、詐病だ、といって治療もされなかった。亡くなってから妻はその治療さえうけさせなかった対応について国に賠償を求めたが、それは認められた。

 彼の妻 竹内政は、72歳で亡くなる。その後、家族は無念の気持ちを抱いて、特に政が亡くなってからは子供達は世間に知られる事をおそれてひっそりと生きて来た。

 最近になって、今は老いた息子の竹内健一郎の所に、人権派の高見澤昭治弁護士が訪ねてきて、こんな疑問の多い判決に、遺族がなぜ再審請求をしないのか?と訪ねて来た。
 息子の健一郎は、「とうとう来てくれた、涙が出るくらいうれしかった、これで再審が始まる」という気持ちになったのだという。
 そして、弁護団が結成され、2011年、高裁へ再審請求をしたのだという。

 裁判の論点は、開示請求で出て来た、事件当時の捜査資料について争われた。
まず、彼の自白調書の通りとすると、二両目の電車のパンタグラフが上がっているはずが無いのに、写真では上がっているのはおかしい、という事だ。しかし、これは現在の専門家の意見では、衝突のショックで上がったのだろうという事で関係ないようだった。

 また、現場近くで彼を見かけたという人の目撃証言では、弁護側は、夜の薄明かりで顔が判断できるか、同様の場所と条件を作り、実験を行った結果によると、80%以上の人が間違ってしまうという結果になった。しかし、裁判官は、当時の調書で顔が分かったと言っているから分かったのである、と思考停止の結論であった。

 最後が、まさに今回の却下の判断がおかしいという証拠なのだが、電車事故が起こった時に、事故の影響で、停電が駅周辺で起こっていた。それは、初めに短い間隔で2度起こり、しばらくしてから長い停電が起こっていた。その間の時間も詳しく分かっている。
 景助の初めの証言では、家にいた時に、その通りの停電が起こり、その後、銭湯に行ってそこで長い停電にあったと語っている。その時間間隔も正確で、とうてい家に実際にいなければそれは分からない事だ。それが逮捕された最初の調書には記録されていたのだという。そしてもちろんそれは妻も一緒にいたという主張とも一致している。
 しかし、その後、自白した後の証言は事件を起こしたように都合よく変わっていて、そちらの方の自白後の証言を高裁では採用して、検察の言い分を全面的に取り入れて却下したのだという。

 まともに事実を取り上げて考えていないなあ~それでも裁判官か、というのはだれでも感じる事だろう。
 当然、現在、高裁の別の判事が行うように異議申し立てをしているところだという。

 番組では、おかしな事として、当時の駅前の交番に、「今日、事故が起こるから」という情報が電話で入り、警官は事前に避難していたのだという。当時の警官が証言していた。
 仮に、景助がやったとして、そんな事を事前に交番に言うのか。また、共産党の革命を起こそうとする過激分子がやったと仮定しても、そんな事を国家権力の側の警察にサービスするはずが無い。

 また、事故後すぐに米軍のMPが来て、現場から人を遠ざけてしまった事もおかしな事だった。これも当時の体験者が証言していた。
 当時、マッカーサー元帥は配下のウイロビー少将は、日本のスパイ組織を作っていて、そのスパイ組織の長は、旧軍人の有末中将で、良く知られている右翼の大物、児玉 誉士夫(こだま よしお)などもその組織に加わっていた。
 この本で、その事も最近知った。ブログにも書いた。
https://js30.at.webry.info/201905/article_15.html

 そんな事で、当時の米軍の対ソビエト対策、日本の共産化阻止の一環として事件が起こされた事は確かな事なのだろう。
 この、現在の再審拒否した裁判官は、そういった歴史的な勉強はしていないような、六法全書と司法試験合格のための勉強秀才で、広く考えられない人なのだろうか?我々ふつうの人が感じる様な疑問は全く感じない不思議な人間のように思えた。