日航機墜落事故 真実と真相 小田周二著を読む

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 なぜ、この本を読んだかというと、同じ著者のこちらの本を読んだからで、その感想は先日、ブログに書いた。
https://js30.at.webry.info/201908/article_22.html
 もう少し詳しく知りたいと思いこの本を読んでみた。

 写真にもあるように、大型の本で、装丁もしっかりし、厚さも表紙を抜いた本文だけで3cm以上になる、読み物というより論文や報告書といった感じの物だ。しかし無味乾燥な物では無く、著者の血のにじむような悲しみ、怒り、祈り、また最後まで乗客を救おうとした機長の行動への感謝、のような物が混じった叫ぶような文章が詰まった物に思えた。
 表紙の写真は、日航機に搭乗する前の、著者の中高生の子供二人と小さな甥と姪の二人を、著者の義妹が撮った写真だ。

 航空機の構造や操縦についての知識、海外の事故事例や日本での過去の航空機事故ばかりでなく自衛隊が関わった事故、また事故調など事故の調査に関わる組織のアメリカと日本との比較、自衛隊法、警察法、当時の中曽根首相の状況、等々、本当に様々な関連の分野についても広く深く学んだ上でこれを書かれている事が分かる。
 ただ、日航機の事故についての本を全く読んでいない予備知識の無い、暇のない方には、前著をまず読むことをお勧めする。

 この本にある前書きで分かったのだが、日航123便の事故については、世の中では一部にずっと疑問が持たれ続け、多くの人によって著作がなされていたのだ。この本にも、主な物として、1985年~2010年にかけての11冊の本や報告書が紹介されている。

 著者も、これらの書物を購入して読んでいたのだが事故から時間がたっていない頃は放心状態で内容が身に入らなかったという。その後、あらためて徹底的に目を通してみると、それらの著作の主張を整理すると以下の様な物だったという。

・日航機墜落事故は圧力隔壁の破壊が原因ではない。
・日航機の垂直尾翼は自衛隊標的機が激突して破壊された。
・尾翼を破壊された日航機は手動で操縦出来、横田基地に着陸出来た。
・自衛隊、政府が着陸を許可しておれば、乗客・乗員の殆どは助かっていた。
・長野県側に飛行したのは、川上村レタス畑へ不時着するためであった。
・日航機が御巣鷹山に墜落した原因には自衛隊が関与している。
・自衛隊は御巣鷹山で事故機に向けてミサイルを発射し、撃墜した。
・墜落場所の確定に時間をかけたのは自衛隊がその証拠残骸の回収、および生存乗客乗員全員に対する加害行為を行うための時間稼ぎである。
・自衛隊だけでなく群馬県警も遭難者救出を阻害する行為に加担した。
・もっと早く救出していれば数十名の命が助かっていた。
・米軍アントヌッチ中尉(当時)の救助活動に中止要請を出し、この事実を国民に隠蔽、隠蔽の目的は自衛隊の意図的な救助放棄をごまかすためである。
・事故調の「航空事故調査報告書」は間違っている。
・日本航空、ボーイング社は、政府権力者から強制的に押し付けられた代理の加害者である。
・日航機事故は「事故」でなく「事件」である。
・事件の動機は、「自衛隊標的機の日航機への衝突を隠蔽する」ことであった。

 という事で、私は、前著を読んだ時、この著者が一人でこういった事を調べたのかなあ~と思っていたが、そうでは無く、事故当時からずっとこの事についても疑問が多くの人の間にあり、色々な人によって真相を究明しようという努力がされていたのだという事を知った。

 この本にも、著者は、『~、また上記の著者の皆様方の志は「空の安全性向上」を目指すことにあると考え。勝手ながら皆様を共同著作者のような存在として小田は考えている次第である。どうかご理解をお願いしたいのである。~』
 と書いてある。そういった意味で、今までの色々に書かれた物すべてに目を通して、もちろんご自分でも様々調べられて、これが書かれている事が分かる。

 私の印象としても、もう、この日航事故の真相は、「トンデモ本」などというレベルの物ではなく、「日航機事故学」とでも言えるようなちゃんとしたレベルの分野に到達していて、この事故・事件を考えると、そこには、航空機の安全性はもとより、日本の政治や組織、歴史などの根本に関わった大きな問題が横たわっているように感じられた。
 この日航機の事故の真相や真実が解明されないかぎり、日本の真の民主化とか独立とかそういった事はなされていない状態なのだろうな、という事だと理解された。
 
 この本には、前の本には書いてない詳しい内容も色々と含まれている。前著には詳しく書いてなかったそのうちのほんの一部を紹介すると、
『 究明されるべき墜落現場での奇怪な事象 という節で、
 ようやく捜査活動が始まると、次のような不思議な出来事が起きている。
① 8月13日の朝9時~10時頃、地元上野村の消防団が獣道を伝って墜落現場に登っていく途中で、沢伝いに下ってくる中年男性3人と中学生くらいの男の子4人連れに遭遇している。墜落現場から来たというのに、挨拶しても返事もないし、何も語らない不気味な沈黙の集団だったと消防団のメンバーは記憶しているという。(飯塚訓著「墜落現場 遺された人達―御巣鷹山、日航機123便の真実」より)
② 公式に生存者とされる4人の女性以外に、3名ないし4名の生存者が目撃されている。生存者4名の現場から、さらに200メートルの急斜面を登ったところにいた朝日新聞社の社会部記者が「今さらに3人の生存者救出!2人は担架にのせられているが、1人は担架が必要ないほど元気な女の子で、救助隊員に抱かれている」と無線で報告している。(朝日新聞社会部記者)
③ 「1人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。他の2人は毛布を被されているため、男女の別や怪我の程度は、はっきりしない」と元気で無事救出された女の子のことを報告。だが、その後、女の子はどうなったのか?突然、その存在が消えてしまう。(朝日新聞前線キャップ・木村卓而氏)
④ 13日午前。7,8歳くらいの小さな男の子が走り回っているところを自衛隊員に発見されているとの報告が無線でただちに流された。報道関係者もこの無線を傍受しており、「男の子発見」のニュースが流れた。「現場は惨憺たる状況です。まもなく担架に乗せられた7,8歳の少年が運ばれて来ます」と生中継している。しかし、その後、この男の子に関する情報は途絶。まるで神隠しにでもあったようにこの小さな男の子の消息はいっさい表に出てこない。(フジテレビ「ニュースレポート」で山口アナウンサーがマイクで生放送)
 以上の事象は新聞社などが確認しており、自衛隊、警察の検証が必要である。』
 
『 救助を急いだ自衛隊員が射殺される事態が発生!?の節では、
 前述したように事故当時の20時頃、NHKで「救助に向かおうとした自衛隊員を別の自衛隊員が射殺した」とテロップによる臨時ニュースが流れた。
 さらに事件後に撮られた現場写真には、森の中で首吊り状態にされた自衛隊員2名が写っている。
 足場がないような高い木に吊られているその様子はきわめて不自然そのものである。おそらく、彼らは勇気を出して真実を語ろうとした自衛隊員であり、それが判明したために自殺を装ってこのような目にあったのではないだろうか。そこに隠されたメッセージは、「秘密を暴露するとこのような目にあう」という、他の自衛隊員への見せしめとしか考えられない。~』

 また、『自衛隊特殊精鋭部隊の存在とその行動の目撃証言』の節では、いち早く現場にかけつけたM氏の目撃証言として、
『 匿名は生命の危険回避のための処置である。~中略~ M氏は大学を卒業した社会人だが、ちょうど夏休みに実家に帰省している最中に日航機事故を知り、墜落現場は南相木村の東方向と見当をつけ、オフロードバイクに乗って友人と2人で現場に向かった。
 この時には長野県警の警察官もバイクで追走して来ている。山と尾根を乗り越え、墜落地点上空を飛ぶヘリの音と光を目標に直線距離8キロメートルのところを約6,7時間かかて13日の早朝4時頃に墜落地点に到着した。
 M氏はそこで100名ほどの自衛隊員を目撃している。
 同時に、墜落現場では事故犠牲者とおぼしき人々の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきり聞こえたという。声の響き方から推測すると、少なくとも4,50人の生存者の呻き声がしたそうである。
「実際に苦しそうな声を上げている人を私も間近で何人か見ています。自衛隊の人たちがいる以上、自分が出来ることは負傷者のいる場所を教え、早く救助して貰うことだと思い、呻き声のするあたりを探してはその場所を隊員さんに伝え、早い手当を頼んでいました。ただ、自衛隊員さんの対応には不信感を覚えました。『下手に動かすと危険なので、後から来る部隊が手当てをすることになっている』というだけで何もしようとしないんです」
 その周囲ではすでに到着していた100名ほどの自衛隊員が黙々と何かを回収して大きな袋に詰めていたという。彼らの装備は暗視ゴーグルを付け、片手には抜き身のアーミーナイフ、靴は急峻な山での作業に適した短靴であった。上空にはヘリがホバリングしており、集めた袋を吊り上げていた。
 M氏は生存者の中に軽傷の人も発見している。しかし自衛隊員は一向に生存者の手当てをしようとしなかった。通常、救助に来たならば負傷者に声を掛けて励ますのだが、彼らはそうした行動を取らなかったという。彼らが救助に来たのでないことは明らかであり、M氏らが山を下りる時には生存者の呻き声はいっさい聞こえなくなっていたという。
 それから約1時間後、多数の自衛隊員が到着。彼らは山では歩きにくいブーツを履き、遺体搬出作業と残骸回収を始めたという。
 こうした目撃証言から、13日早朝に到着した自衛隊部隊は、その装備から見て特別の訓練を受けた特殊精鋭部隊であると推測できる 
~中略~ 事故から二十数年経った頃、M氏はスゲノ沢の上流付近で携帯用VXガスのものと思われる容器(直径6センチメートル×長さ7センチメートル)を見つけている。容器には微量の液体が残っており、持ち帰る際、何重にもビニール袋で密封した。が、調査を依頼された職員2名が密封を解いた途端、2人とも気分が悪くなり、数日間にわたって寝込んだそうである。
 この容器の内容物がVXガスであるとは断定できないが、無色透明、揮発性の劇薬であることは間違いない。それが果たしていつ使われたものなのか、考えるだけでも悪寒が体中を駆け抜けるのである。
 M氏の冷静かつ真摯な目撃証言から判断できることは次の4点である。

① 自衛隊先遣精鋭部隊は13日未明に現場に到着した。
② M氏らが現場に到着した段階で多数の生存者の呻き声が充満していた。
③ 短時間の間に呻き声が消えた。
④ 二十数年後現場で発見された謎の猛毒液体の容器。

この部隊は救助が目的でなく、何らかの回収が目的であったのである。
~』

 著者がその後、真実を調べようとしても、すべて「国家機密に関わる情報で答えられない」という返事が返ってくる。この日航機の事件のどこが国家機密だというのだろうか?自衛隊が関係しているからこそ「国家機密」になるという事を示しているという。また、この本には、現在の特定秘密保護法も、このような事件についての防御の意図もあるのでは、と書かれていて納得した。
 事故調や日航の対応など、公務員など組織の体質についても現在の日本とも関連して本当に同じ事の繰り返しなのだという事が分かる。

 繰り返しになるが、やはり、この事件の真相解明がされないかぎり、現在の日本の独立、民主主義や繁栄は砂上の楼閣にすぎないのだなあ、だからどこかおかしな世の中になってしまっているのだなあ~とつくづく感じられた。

 この本の著者と同様に、なぜ、野党やマスコミはこの事件をきちんと調査して、追及しないのだろうか?という怒りを感じる。自衛隊を追及する事は、国民の支持も、視聴率も取れないと思うのだろうか?
 しかし、真実が無い所で何か国民が努力してみたところで、内部から腐り、本当に砂上の楼閣となってしまう事だろう。そしてまたいつか来た破滅への道を歩むことになる。やはりどんなに苦しくても日本は、土台からやり直し、積み直していく以外方法は無いだろう。
 そんな読後感をいだく重たい内容の本であった。

 

8月末の不登校、子どもの自殺問題に関係して

 この頃、8月の終わりになると、夏休み明け学校が始まるために不登校が始まったり、学校へ行くのがいやで自殺をする子が出ては困るとテレビ番組でその予防の内容が放送される事が多くなった。どこの先進国でもこんな風なのだろうか?

 その訳は、ここにきて不登校が過去最高になったという事と、現に休み明けの子供の自殺が多いのだという。
 学校がいやだという気持ちは、たいていの人が良く理解できると思うのだが、こういう状態は本当に何とかしたいのだが、問題が大きすぎて何かをすればすぐこうなる、というようなお手軽な解決方法など無い。

 自民党の文教部会?だかの、「道徳教育」をやって教育勅語を暗唱させ、歴史教科書から日本の加害の歴史を削れば教育問題はすべて解決する、などというような発想は、病気を治すのに祈祷師に祈らせる程度の話だ、という事は、まともな人ならだれでも見当がつく。

 今年の晩春、私は東京駅を通過して首都圏へ親戚の用事で出かけた事があった。いつも着ている本当に気楽な服よりもちょっと余所行きくらいな恰好をしていった。(セーターか何かを着て行ったのか?)このくらいでいいや、という気持ちだった。ところが、時期的な事もあったのだろうか、東京駅などで出会う人々の服装は、皆、フォーマルというのだろうか、例えば我々の様な爺さんでも最低でもブレザーを着ていて、もちろんビジネスマンらしい人たちは男女ともピシッとしてスーツを着ている。私はブレザーも着ていかなかったら、そういった感じの人はほとんど見当たらなかった。
またその服の色合いもリクルートスーツほどではないが、暗っぽい色だった。
 もちろん、これは田舎者が流行おくれの恰好をしていったという事だけの話なのだろうが、私の若い頃の記憶では、もうちょっと東京駅を歩く人々の服装は多様でラフな感じがした気がする。昔もこんなだったっけ?いや違うよなあ~。といった感じだ。

 世の中の右傾化が言われているが、こういった所からも世の中が窮屈に住みづらくなってきているのだろうか?
 多様化の時代、などと言われているが、実際は日本社会の「同調圧力」とでもいった物がじわ~っと高まっているのか?という印象がしたのだが・・。いかがでしょうか。
 そう言えば、マスコミなども昔はもっと自由に政権批判などをしていたのだと思うのだが。

 不登校の原因について、色々な面から考えられるのだと思うが、本当に根本的な事を言えば、この間の参院選で「れいわ新選組」から立候補した東大の安富教授が言っていたような気がするが「学校は軍隊です」という所だろう。戦前は文字通り富国強兵の軍人や産業兵士を育成するための機関であり、戦後も企業にとって有用な人作り、といった雰囲気が濃厚な場所と言える。
 まあ、そこまで言ってしまえば実も蓋も無い事になってしまうが。

 やはり根本的な改革が必要で、何度もこのブログで書いてるが、震災後NHKで「地球イチバン」という番組をやっていて、(どういう訳か、すぐにその番組は無くなった)世界で一番子供が幸福な学校とか一番学力のつく学校、などという事で、「オランダ」や「フィンランド」の学校の事をやっていたと思うが、それらに学び、オランダやフィンランド並みに、小中学校の制度などを変えればいいのだ。
 それには、本当にそういった考えの出来る政治家や政党が政権を取り、根本的な改革をする以外手が無いと思われる。小手先のちょっとずつの改革ではもう間に合わないと思う。
 イージスアショアや戦闘機などアメリカから買うのをやめ、リニア新幹線やカジノ産業のような事に金を使うのでなく、教育に集中的にガンガンと予算をつぎ込めば、全く不可能な絵空事では無い。戦前、国民の血をしぼりとるようにして巨大戦艦を作ってその結末はどうだったか。
現在でも、日本は先進国の中では最低レベルの教育予算だとどこかのグラフで示されていた。(GDPと教育予算の割合の比較だったかもしれない?)
 新学期に子供の自殺を心配しなければならないような状況を、もう一度、国民は落ち着いてかんがえてほしい。

 また、これからは私の考えだが、これからの学校はお昼まででいいのではないか。現在の子供達は何と言っても自由が無さすぎる。子供達が自由に遊べる空間や施設、環境を本気で予算を注入して作る。
 また、現在、学校と同じくらいな比重を持ってきている、塾や様々な習い事、スポーツなどの活動、またフリースクールなどを、ある程度公的な感じに位置付けて、しかも現在のように『学校と塾』『学校と習い事」『学校とスポーツ』で子供のすべての時間を埋め尽くすようにせず、子供たちが学校や塾以外に、「自由に遊んだり」「自由に学んだり」できるための時間と施設、環境を作って、そこですごせる時間を十分に確保する。また事故防止のために見守るためのあるていどの人間も必要と思うが。
 (もちろんそれは、ゲームセンターのような場所の事を言っているのではない事はお分かりだと思うが。)
 そして、高学年や中学生になるにしたがって、その子のやりたいその子の個性にあった活動の場所で過ごす時間を増やしていく。
 良く、現在の若者や子供は、耐える事が出来なくて、ちゃんとやっていけないから、という意見を聞くが、子供の時代に本当に自由に自分の時間をすごせなかったからこそ、もろくなっていく面があるのではないか。
 現代の学校は、富国強兵や産業革命時代と違うし、さらに学校へ行かなければ知識を学べない、という時代では全く無くなってきているので、本当に根本的にフレキシブルな発想で考えるべきだ。
 
 不登校から自力で抜け出した人たちは、良い人と出会ったり、良い場所を得て、又は自力で、そういった事を自分で見つけていった人達なのだろう。

 自由が無く、いじめなどが横行するような「軍隊のような学校」では、だれでも行く気がしなくなる。もちろん、そんな学校ばかりでは無い事は言うまでもない事だが、不登校が過去最高に増えてきている、という事は学校がそういった方向へ向かっているという事は確かなのだろう。
 もし、新学期に学校へ行くのがいやで自殺したいと思うような子がいたら、あまり深刻に考えず、それは自分が原因では無く、その学校のその場所が原因だし、現在では学校に行かなくても全然関係なく世の中で活躍している人もいるのだから、ここらへんで思い切って色々な相談機関が多くあるのだからいくらでも相談してみたらどうでしょう。フリースクールのような良い場所もけっこう出来て来ているのではないか。

 その方が、無理して軍隊的な学校の場所へ行くよりずっと面白い良い人生が開けてくる事でしょう。
 
 
 

 
 
 
 

今朝のNHKアサイチで石垣島を取り上げていた

 今朝、NHKの朝ドラを見た後、いつもはテレビを消すのだが、ちょっとテレビをつけっぱなしにしていたら、以前出ていた柳沢秀夫元キャスター(現在は民放のキャスターらしい)とアッキー(篠山輝信)が、石垣島へ行った事を放送するらしい、ちょっと見ていたら基地問題なども出てきたので、ああ、だから柳沢キャスターが出て来たのか、と見ていた。

 石垣島は、今、観光客がけっこう来ていて、アジアからの観光地としてけっこう注目されているらしい。あらためて地図で示されると本当に台湾に近い位置なのだなあ~と分かる。
 現地のショッピングセンターや、新鮮な魚、様々なフルーツを紹介した後に、直ぐに港に碇泊している海上保安庁の巡視船が何隻もつながれている場所が出てきて、柳沢キャスターが漁師に聞いている場面や、自衛隊のミサイル基地が、島の中央にそびえる於茂登岳の麓に作られている事に対する、賛否の旗がたっている場面とか、基地によって水源が汚染されるおそれとか、農家の若者が、この基地問題が起こっているのに島の人がそれに物が自由に言えない雰囲気が問題と、バンドを作って訴え、住民投票をしようという運動を起こした事を紹介していた。住民投票は島の議会で僅差で否決されたとの事だが、これを機会にその水源問題などが注目されるべきだろう。現に沖縄の米軍基地でも現在、そういった問題が起こっているタイムリーな問題でもあると柳沢キャスターが語っていた。

 一番は、基地問題が起こってきたが、島民がそれについて自由に話せる雰囲気が急に無くなり、その事自体が問題と若者たちは考えているようだった。

 また、島の漁民たちに聞いた柳沢キャスターの話では、尖閣諸島の国有化がされる前は、島の漁民も尖閣諸島周辺に自由に漁に行けたり、台湾の漁師たちとものどかに海上で交流があったりしていたらしいが、国有化となってから、危険防止のため、周辺海域には立ち入りが禁止され、返って近づけなくなってしまったという。国有化の結果、問題が起こったため政府間の取り決めで台湾の漁船が尖閣諸島周辺に入って良い事になり、返って問題が起こっているという。
 尖閣諸島国有化の問題は、きっかけは石原東京都知事が、尖閣諸島のことを都で買うとか色々と言い出し、それに右翼的な議員や人々が乗っかり、騒ぎを大きくし、時の民主党野田政権が国有化に踏み切るという誤った判断をしたために、こうなってしまった。
 いつの時代でも、トップの誤った判断や、それに扇動される一部の国民によって、結局そのとばっちりは一番は現地の人にふりかかり、またさらに広がって日本国民全体へと害をおよぼしていく。
 今の、日韓問題も同じ構図だ。

 番組では、石垣島のマラリア戦災について紹介されていた。第二次大戦の沖縄戦で石垣島は、米軍が上陸しなかったのだが、軍が一般住民は邪魔になるからと山奥に避難させた。当時、マラリアが有るので、人々は山奥へは入らない場所だったのだが、米軍の沖縄上陸とともに強制移住させられ、たちまちマラリアに罹り何千という人が亡くなった。(現在マラリアは撲滅されている)現在でも慰霊祭が毎年行われている。その様子も紹介されていた。マラリアの事件は、授業でも扱われていて小さな子も知っていた。
 当時、12歳だった人がアッキーを現地の近くまで案内し、インタビューに応じて、当時の絵を見せて説明してくれていたが、具合が悪くなって前に住んでいた家に戻ろうとすると軍にスパイ扱いされて帰る事も出来ず、大勢が山中で亡くなり、火葬されたという事だった。
その老人は「軍隊は我々を守ってはくれなかった」と言っていたが、本当に戦争になれば軍隊など国民を守ってくれるとは限らない事があらためて実感させられる。

 番組を見るのは途中からやめたのだが、ちょっと前、久米宏が出てきて、NHKの方針を批判していたが、番組制作者の姿勢もそうなのだと思うが、アサイチの現在のキャスターたちも、それに答えて、偏る事が無く、国民の側にたったちゃんとした番組にしよう、歯に物がはさまったようないい方でなく、はっきりと物を言うように、と心がけている姿勢がうかがえて気持ちよく見る事が出来たし、色々と国民が知るべき事実を知る事が出来る有意義な朝の時間だった。

 

NHK ETV特集「三鷹事件 70年後の問い~死刑囚・竹内景助と裁判~」を見る

 番組はこのような内容(番組紹介のHPからコピー)

『1949年7月三鷹駅で無人電車が暴走し6人が亡くなった三鷹事件。当初検察は、国鉄の人員整理に反対する共産党員ら10人を起訴したが、東京地裁は党員9人を無罪とし、犯行を自白した竹内景助の単独犯行と認定した。その後、竹内は無罪を主張したが、最高裁で死刑が確定。再審請求中に病死した。2011年長男が新証拠を提出して再審請求を行ったが、東京高裁は認めなかった。事件の背景、竹内景助と長男の70年を見つめる。』

 三鷹事件の最近の再審請求審で、東京高裁(後藤真理子裁判長)は31日、再審開始を認めない決定をした。というニュースに、私もあまり知らない三鷹事件の事だが、何だか歴史上スッキリ解決していない、謎の様なイメージの事件なのでこの機会にしっかり再検討が行われるのだろうな、良い事だ、と思っていたところ、再審を認めないとなった事に「おかしいな」という気持ちが高まった。最近、司法がおかしくなっているのでその一環なのだろうか?

 とは言え、三鷹事件という物についてほとんど知識が無いが、最近興味を持っている戦後間もなくの時代の事でもあり、ちょうど良い機会とこの番組を見る事にした。

 三鷹事件は、1949年(昭和24年)、米軍統治下で起こった事件だ。この年には、国鉄下山総裁不審な事故死、三鷹事件、松川事件、などが起こって「国鉄三大ミステリー事件」と言われるという。
 今、初めて私は、このうちの一つである松川事件のウイキペディアを読んでみると、とてもこの三つの事件の構造をうまく解説していると思った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6#20%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A2%AB%E5%91%8A%E4%BA%BA%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%88%A4%E6%B1%BA
 多分、三鷹事件も同じような構造の感じのものだったのだろう。

 時代背景としては、三鷹事件のウイキペディアの中の記述をコピーすると。
『当時、国共内戦で中国共産党の勝利が濃厚となり、日本の国政でも日本共産党が議席を伸ばしており、共産化を警戒するGHQの下で、その後始まるレッドパージの動きを先取りするように、共産党員やその支持者が当時多かった国鉄の、人員整理が進められている最中に起きた事件であった』

 番組を見て感じた事は、どう考えてみてもこの竹内景助は無罪である。という事だ。なぜ彼が自分がやったという自白を最初の頃してしまったかという気持ちも番組を見てよく理解できた。

 共産党員9名と、党員で無い彼、が逮捕された。初めは断食してまで抗議していたという。しかし、共産党員の一人が自分と彼が共同でやったと自白した、と聞かされてから、自分一人でやったと言ってしまった。
 共産党員の一人は、警察の尋問から逃れようとウソを言ってしまったようだ。後のその党員だった人のその後の時代のインタビュー場面がちょっと出てきたが、色々と警察にやられてあることない事を言ってしまったような感じに話していた。(はっきりとは言わなかったしカットされていていまいち分からなかったが)その後、共産党員側は、共産党の弁護団がついて、しっかりフォローしたため全員が無罪を主張し、法廷でそれが認められ無罪となった。ただ、竹内景助を助けようとは共産党の弁護団は考えていなかったという。当時の弁護団の一人が番組で話していた。

 竹内景助は、当時、国鉄の大量首切りに反対していただろうし、共産党員では無かったが,機関士だったから、首切り反対へも、共産党員へも共感を持っていたようで、自分が罪をかぶって仲間を助ける、という気分になっていたようだ。
 後に精神鑑定医として彼を診断した加賀乙彦は、彼は英雄気取りで共産党員を助けてやる、という気持ちだったと初めの頃の診断書に分析されていたが、その通りだと言っていた。
 また、共産党員側の方でも、面会に来て、「革命は近い、もしお前が一人で罪をかぶってくれるなら、革命のあかつきにはお前は英雄だから、罪をかぶってくれ」などと言っていたのだという。

 先にも書いたように、当時は、アメリカ占領下の1949年であり、中国共産党も建国し、日本の共産党もソビエトなどの影響もあった?ような朝鮮戦争勃発前夜の日本でも共産勢力が拡大して本当に革命が起こるか?みたいな雰囲気もあった戦後間もない混乱期であり、今の人が考えるとそんな馬鹿な事を言うはずが無い、と思うかもしれないが、一種の浪花節的な義侠心でそんな事を口走ってしまった事は何となく理解できる。(共産党員側も警察も、彼が自白を決意した時、ニセの自白を良く言ってくれた、良く言ったなどと褒めたのかもしれない?)
 裁判では、堂々と「私一人でやりました」と発言している姿が番組であった。

 1950年いよいよ朝鮮戦争が始まると、すぐに判決が出て、自白と目撃情報から有罪となり、一審で無期懲役、翌年、高裁で証拠調べもせず死刑となったが、死刑を目の前にして彼は事の真相に気が付き、それからは一貫して無罪を訴える。共産党側も彼が無罪を主張し出したら関係を断ったようだ。景助は、当時の組織を守ろうとした共産党に裏切られたという気持ちを持ったのは当然の事だろう。
 これらの事件を機に、組合活動や共産党勢力は急速に退潮していったのだという。

 彼の妻は、事件が起きた時に現に彼は家にいたのだから当然ずっと無実を主張し続けていた。
 最高裁で上告棄却となるが、その時の判事15人中8人棄却、7人は棄却に反対だったのだという。刑が決まってからも再審請求をしていたのだが、10年間放置されていて、これは放置すべきでないという高裁の裁判官が再審を認め、事態が動き出したのだが彼は脳腫瘍が悪化し、亡くなってしまう。
 脳腫瘍で具合が悪くなっている時に、弁護側が体調がおかしいから治療せよと、検察だか刑務所だかに求めても拘禁反応、詐病だ、といって治療もされなかった。亡くなってから妻はその治療さえうけさせなかった対応について国に賠償を求めたが、それは認められた。

 彼の妻 竹内政は、72歳で亡くなる。その後、家族は無念の気持ちを抱いて、特に政が亡くなってからは子供達は世間に知られる事をおそれてひっそりと生きて来た。

 最近になって、今は老いた息子の竹内健一郎の所に、人権派の高見澤昭治弁護士が訪ねてきて、こんな疑問の多い判決に、遺族がなぜ再審請求をしないのか?と訪ねて来た。
 息子の健一郎は、「とうとう来てくれた、涙が出るくらいうれしかった、これで再審が始まる」という気持ちになったのだという。
 そして、弁護団が結成され、2011年、高裁へ再審請求をしたのだという。

 裁判の論点は、開示請求で出て来た、事件当時の捜査資料について争われた。
まず、彼の自白調書の通りとすると、二両目の電車のパンタグラフが上がっているはずが無いのに、写真では上がっているのはおかしい、という事だ。しかし、これは現在の専門家の意見では、衝突のショックで上がったのだろうという事で関係ないようだった。

 また、現場近くで彼を見かけたという人の目撃証言では、弁護側は、夜の薄明かりで顔が判断できるか、同様の場所と条件を作り、実験を行った結果によると、80%以上の人が間違ってしまうという結果になった。しかし、裁判官は、当時の調書で顔が分かったと言っているから分かったのである、と思考停止の結論であった。

 最後が、まさに今回の却下の判断がおかしいという証拠なのだが、電車事故が起こった時に、事故の影響で、停電が駅周辺で起こっていた。それは、初めに短い間隔で2度起こり、しばらくしてから長い停電が起こっていた。その間の時間も詳しく分かっている。
 景助の初めの証言では、家にいた時に、その通りの停電が起こり、その後、銭湯に行ってそこで長い停電にあったと語っている。その時間間隔も正確で、とうてい家に実際にいなければそれは分からない事だ。それが逮捕された最初の調書には記録されていたのだという。そしてもちろんそれは妻も一緒にいたという主張とも一致している。
 しかし、その後、自白した後の証言は事件を起こしたように都合よく変わっていて、そちらの方の自白後の証言を高裁では採用して、検察の言い分を全面的に取り入れて却下したのだという。

 まともに事実を取り上げて考えていないなあ~それでも裁判官か、というのはだれでも感じる事だろう。
 当然、現在、高裁の別の判事が行うように異議申し立てをしているところだという。

 番組では、おかしな事として、当時の駅前の交番に、「今日、事故が起こるから」という情報が電話で入り、警官は事前に避難していたのだという。当時の警官が証言していた。
 仮に、景助がやったとして、そんな事を事前に交番に言うのか。また、共産党の革命を起こそうとする過激分子がやったと仮定しても、そんな事を国家権力の側の警察にサービスするはずが無い。

 また、事故後すぐに米軍のMPが来て、現場から人を遠ざけてしまった事もおかしな事だった。これも当時の体験者が証言していた。
 当時、マッカーサー元帥は配下のウイロビー少将は、日本のスパイ組織を作っていて、そのスパイ組織の長は、旧軍人の有末中将で、良く知られている右翼の大物、児玉 誉士夫(こだま よしお)などもその組織に加わっていた。
 この本で、その事も最近知った。ブログにも書いた。
https://js30.at.webry.info/201905/article_15.html

 そんな事で、当時の米軍の対ソビエト対策、日本の共産化阻止の一環として事件が起こされた事は確かな事なのだろう。
 この、現在の再審拒否した裁判官は、そういった歴史的な勉強はしていないような、六法全書と司法試験合格のための勉強秀才で、広く考えられない人なのだろうか?我々ふつうの人が感じる様な疑問は全く感じない不思議な人間のように思えた。

 

「524人の命乞い」 日航123便 乗客乗員怪死の謎 小田周二著 を読む

 昨年の夏、ふとネットで見た記事から、アマゾンで探した本を読みブログに書いた。
https://js30.at.webry.info/201808/article_11.html

 今年の夏も日航123便が墜落した日になり、テレビではその追悼式の様子や御巣鷹山の様子などが放送されていたが、あの本の内容について何も世の中では話題にならず、ネット上でもそれが大きくなる気配も無い。
 ちょっと残念な気持ちもあり、日航123号機事故の本の所を見てみると、昨年読んだものと違う遺族自身が書いた本もある事に気が付いた。その本のカスタマレビューを見ると大勢の人が高評価で、かつその感想が尋常の物で無い。

 この本はただ物では無い。そう感じて注文して読んでみた。
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 上記の昨年読んだ本を読んでいなくて、さらにもっと前なら、「そんな自衛隊が関わって撃墜されたなんてありっこない」と思っただろう。
 ところが、昨今の日本の状況を見れば、政権の都合の悪い事実はその資料は廃棄され、ウソを強引押し通し、しかもNHKはじめマスコミは政権の意に従って一斉に動く姿が「可視化」されている。日航機事故の時代は今のようにインターネットが発達していなかったから、こんな大事件でもそういった隠ぺいや世論誘導がある程度、可能だったかもしれない。
 そんな気持ちが強くした。今も昔も日本の根本は変わらないのだ。

 「524人の命乞い」の本は、日航123便墜落事故で、高校1年生の次男、中学1年生の長女、義妹と二人の甥を亡くしたプラスチックメーカーの研究、技術開発者だった人が、その後半生をかけて事故の原因をあらゆる角度から追及し、自衛隊のミサイルの無人標的機が垂直尾翼にぶつかり破壊し、最後は、その日航機を自衛隊機が撃墜して証拠隠滅を図った。時の内閣総理大臣と自衛隊がそれを決定し、国家権力を使ってその事実を隠そうとした。という戦慄の仮説を導き出していた。

 著者は、普通のサラリーマンというより、大阪大学の工学部も出て研究職などもやっていた本格的な技術者だった人だ。この本は、いい加減な内容ではない。2年前に出版した少し難解な技術論文でもある「日航機墜落事故 真実と真相」を分かりやすく、一般の人にも読みやすく編集し直したものだという。とても読みやすかった。 

 当初から、多くの人が事故原因に疑問を投げかけていたのだという。そして、99年11月には、運輸省(現国交省)は総重量1160kgもの墜落事件関連の資料や証拠類を破棄したのだという。そして、それは、まさに制定されたばかりの「情報公開法」が施行される直前に行われたのだという。
 こんなところからも森友・加計学園、など一連の事件と同じ雰囲気が漂うが、これはさらに重大な事件で、過去のこととは言え、「三鷹事件」ではないが歴史的にもきちんと解明されなければならない事件だ。

 この本は現在の日本人にとって必読の書だと思う。「絶望の裁判所」という本で著者の元エリート裁判官の瀬木 比呂志教授が、「日本人は崖の縁で無邪気に遊んでいる子どものようだ。」と書いていたが、この本はその崖の暗い深淵の存在をまさにのぞき込んでいる貴重な書だ。
 著者は、事故から30年を経た2015年3月に「日航機墜落事故 真実と真相」を出版し、遺族、友人だけでなく、マスコミ各社、および政党代表に配布したが、何もどこからも『受理した」という連絡すら無く、本当に落胆したのだという。
 自民党が無視したのはわかるが、マスコミや野党はなにをしているのか。

 プロローグの最後の部分にこうある。『引用部分』
『考えてもみてほしい。
 愛する者が失われた惨劇をできれば忘れたいとさえ思っている遺族が、31年も過ぎてなお、みずからこのような仮説を世に問わねばならないのはなぜだろうか。
それは政府が「結論」と称する事故原因なるものが。遺族をはじめとする万人を説得できる内容を持たず、検察までもが責任追及の役に立たないと批判するような代物だからだ。
(中略)
私がたどり着いた仮説が真実か否か。それを検証する義務と責任を負うのは私ではない。それを追うのは、多くの疑問を突き付けられながらこれまで再検証を忌避し続けてきた政府だ。その義務と責任を負うように政府に求めること。願わくば読者一人一人が本書をきっかけとして、政府に責任ある再調査と再検証を求めて声を上げてくださること。それこそが、一人の遺族である私が本書を世に問う目的である。』

 この本を読むと、色々と我々が知らなかった様々な事実が伝えられている。昨年読んだ本に無い情報も多くある。
 事故の時間にそって順に事実を検討して行くと、事故調の報告や、公的な報告などの言っている事は本当におかしいなと理解されてくる。また、色々な目撃情報や関係者からもれてきた情報、また、この事件の前に起こった雫石の自衛隊機と日航機衝突事故など、その当時の政治情勢も含めて、科学的、社会的なとても広い知識,視野から考察していて、昨年の本よりさらに鋭く包括的な内容だと思う。

 例えば、ある方から得た一つの情報として、この本にあるのは、
『85年8月12日、123便が墜落したその日、ある航空自衛隊の基地司令官(当時)から一人の男性に電話が入った。この司令官は、電話の向こうで男性にこう語った。
「えらいことをした。標的機を民間機に当ててしまった。今、百里基地から偵察機2機に追尾させている所だ」
この司令官と男性とは、第二次大戦中に同じ部隊に属した戦友だった。昔の戦友に「やっちゃったよ」という感じでアッケラカンとして語っていたという証言もあった。

 このオレンジ色の標的機が近づいてきた時、機内では機長たちは再びシートベルト着用を乗客に告げ、ぶつかった瞬間に、元自衛隊のパイロットだった機長は、迷わず「スコーク77」(要撃されたという緊急事態を意味する遭難信号)を発信しているのだ。
 もちろん、事故調の言う圧力隔壁は壊れていず(壊れていたら機内にすごい空気の流れが起こる)、ベテラン機長の技術を駆使して何とか操縦可能で米軍横田基地に向かっていた。もちろん横田基地では受け入れを許可していた。

 雫石の事件を誤魔化したばかりの時、自衛隊や中曽根政権の危機を招きかねないこの機体に標的機の残骸がべったりついていた日航機をそのままにしておく訳にはいかない。自衛隊機は横田基地への着陸を妨害し、さらに撃墜してしまったと考えられる。
 その辺りの様子が、様々な場所からの目撃情報や、改ざんされてしまって、一部開示されたボイスレコーダーから注意深く解明されている。もちろん著者の言うようにそれは仮説だ。しかし、事故調や公にされている資料は、まったく仮説にもなっていないような代物であり、この様々な目撃証言や、著者の仮説にどう反論できるのだろうか。
 捜索段階でのほころびはさらに大勢の人たちの目に触れている訳で、注意深く見ればとても大きなものがあったのだ。ただ、日航、警察、マスコミなどの誘導で人々には誤ったイメージが定着してしまったのだ。

 ぜひ、皆様も一読してご遺族である著者の思いにぜひふれてみていただきたい。
 この本の仮説に意義のある方はこの本をちゃんと読んだうえでぜひしっかりした根拠を持って反論してみてほしい。

 また、マスコミはぜひこの本を国民に知らせてほしい。さらにNHKでは、真剣にこの本の内容を取り上げ、NHKスペシャルなどで検証番組をぜひ作ってほしい、野党や現代史の歴史学者もこの事件について研究してほしい。こんなにまともな土台がすでにあるのだから。
 私も、さらに「日航機墜落事故 真実と真相」の本も読んでみたいと思う。



 
 

「なぜ必敗の戦争を始めたのか」 陸軍エリート将校反省会議 半藤一利 編・解説を読む 

 先日、本屋に行ったら、嫌韓本のとなりにこの本が並んでいたので、つい買ってしまった。
 これは、終戦後だいぶたった昭和51年(1976年)に米英戦争開戦当時の陸軍中央部の中堅参謀が「偕行社」という所に集まって、虚心坦懐に当時の記憶や思い出を語ったものを元にして、半藤一利が取捨選択、解説なども入れて分かりやすく書いているものだ。
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 この座談会に出席した人達は、すでに全員が亡くなっているという。戦前、戦中も政治家たちや陸海軍のトップの様子などが知れる立場にいた人達だが、戦後にこういった座談会に出てこようとする人達だから、特に主戦派という感じでなく、客観的に状況を見ていた人たちのような感じだ。物資などがとうてい戦争が継続出来る状況ではないと上司に進言した人もいた事が分かる。アメリカとの国力の差なども良く自覚していた。
 参加者は、戦後、軍隊を辞めた人だけでなく、自衛隊の陸将などになった人も幾人かいたり、企業の幹部などになっていた人もいる。

 従来、陸軍が悪玉で海軍が善玉、という風に言われていたのだが、それは、陸軍がドイツとの三国同盟を推進しようとする時に、海軍大臣の米内光政、次官の山本五十六、それと軍務局長の井上成美の3人が、そうすると米国と対立し、国力の差も自覚していたし、米からの鉄や石油が入らなくなる事を恐れて強く反対したので、そんなイメージが広まっているが、この本を読むと、それは海軍全体の考えという訳では無い事も分かる。

 陸海軍とも、好戦的な一部の中堅参謀などの勢いや、それに押される感じの上層部がいた事も分かる。それらがイニシアチブを握って好戦的雰囲気を作り上げ、全体としてそのムードに逆らえず、戦争へと進んで行った事もわかる。

 また、両方ともナチスドイツの力を妄信して、そこから他人任せの政策を考えたり、そういった点も、強硬派は軍部の中での学校成績優秀者が多かったようだが、どうして勘が鈍く、本当に重要な事が分からなかったのだろうか。そういった優等生には何か欠陥が生じるのだろうか?(現在の経産省の官僚も同じなのか?)

 好戦的な雰囲気の軍人の例が出てくるが、何か現代の日本の政治家にもけっこういそうであるし、自衛隊の中にもこんな感じの人が次第に増えてきたら恐ろしい事だ。

 これは、ノモンハン事変で失敗して中央に返り咲いた陸軍の辻政信参謀の様子、ちょっと引用すると、
『~若い参謀が反論する。好機南進はかならず米英との戦争となる、独ソ戦の見通しもつかないうちに、日本が新たに米英を相手に戦うなど、戦理背反そのものではないかと、と。
 辻参謀が、とたんに大喝した。
「課長にたいして失礼なことをいうな。(中略)課長もわが輩もソ連軍の実力は、ノモンハン事件でことごとく承知だ。現状で関東軍が北攻しても、年内に目的を達成するとはとうてい考えられぬ。ならば、それより南だ。南方地域の資源は無尽蔵だ。この地域を制すれば、日本は不敗の態勢を確立しうる。米英怖るるに足りない」
 若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、誤算があるのですか」。
 辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。今や油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」』
 そんな感じの軍人が増えていったようだ。

 海軍の方でも強硬派がいて、有名なのが『第一委員会』というのがあるという。戦後、半藤が調べようと旧海軍軍人に聞くと、皆「良く知らんなあ」とか、海軍良識派といわれた高木惣吉元少尉は、「そんなことは、半藤君、知らなくていいから、余計な詮索はしない方がいいと思うよ」と忠告されたという。
 神がかったような強硬論者に海軍が引きずられていった事を公にするのは、海軍だった者にとって恥だったのだろう。

 海軍の方を引用すると、
『~こうして海軍中央は有事の場合の準備をすすめるとともに、人事や機構の整備も完璧をめざし、15年春にはほぼ陣容をととのえた。
 (中略)
 ~かれらは事あるごとに、第一次大戦に敗北した祖国の復興をかかげて邁進するドイツを賛美した。人間はすべて創造者になれるというニーチェの思想を、行動原理とするヒトラーをたたえた。石川大佐は言った。
「ナチスはほんの一握りの同志の結束で発足したんだよ。われわれだって志を同じくし、強固に団結しさえすれば天下何事かならざらんや」
 柴勝男中佐は昂然としていうのを常とした。
「金と人(予算と人事)をもっておれば、このさき何でもできる。予算をにぎる軍務局が方針をきめて押し込めば、人事局がやってくれる。自分がこうしようというとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる」
 井上成美中将に面と向かって「三国同盟の元凶」と叱責されたこともある柴中佐は、「理屈や理性じゃないよ。ことを決するのは力だよ、力だけが世界を動かす」とうそぶいた。』

 そして、これらの委員会などのメンバーには、海大首席卒業の恩賜の軍刀組の秀才が多かったという。
(人事を自分の目的に使うなど、現在の内閣官房のような感じなのだろうか?)

 半藤一利の言葉に、
 『永野軍令部長総長の「いまの若い連中はよく勉強しているからな」という言葉が、何ともバカらしく響きます。明確な目的意識のないままに、海軍首脳は陸軍に張りあうために第一委員会を甘やかしすぎたのではないでしょうか。』
 とあります。

 最後に次の事が書いてあります。

『~昭和16年12月に大日本帝国が対米戦争をはじめるときの海軍中央の陣容をみると、エッと驚くことがあるのです。なんと、薩長出身の対米強硬・親ドイツ派の連中で固められていたのです。永野軍令部総長の高知(土佐)出身を筆頭として、まず山口県(長州)出身は左のとおり。(中略・5人の名前が書いてある)鹿児島県(薩摩)出身も多いのです。(中略・5人の名前が)
 第一委員会のメンバーのほとんどが親独派の薩長出身。これにたいして対米協調派の協力トリオの米内政光が盛岡、山本五十六が長岡、井上成美が仙台で、いずれも戊辰戦争のときの賊軍派出身の面々。これに加えて鈴木貫太郎も千葉県関宿で賊軍派です。「“官軍が”はじめた昭和の戦争を”賊軍“が終わらせた」といって、よく識者に笑われるのですが、あながち出鱈目をいっている訳で無いのです。』

 これは本当に偶然ではないような気がする。徳川幕府を倒し、薩長が明治政府を作ったのだが、その根本精神の一つに「尊王攘夷」的な感じで「国威を海外に進展させていく」という吉田松陰などの思想が根本にあり、しみついていた訳だから。

 読み終わって、現在、こういった雰囲気の政治家も増えているような気がする。自衛隊の方はどうなのだろうか?田母神俊雄などという方もいた事を思い出す。イラクへ行った髭の隊長も現在国会議員だ。大丈夫なのだろうか?
 安倍首相も長州出身者だ。

 朝鮮半島情勢もまだまだ不安定な時、嫌韓どころの話ではないではないか。しっかりと客観的に状況を見る事の出来る政治家や官僚が日本のかじ取りをしなければ。
強硬派の軍人も今聞くと、おかしな事を言っていると思うが、当時は、マスコミもそれを先導し、国民が熱狂的に支持したのだろう。強硬派は、そちらからも自信を得ていたのではないか。
 現在も、世論が嫌韓を支持しているというが(本当か?)同じような歴史はくりかえしてはいけない。


 


NHK・BS1スペシャル「マンゴーの木の下で」などを見る

 この番組は、終戦の日ころにやっていたような気がするが見すごしてしまい再放送を昨日やっていたので見てみた。

 内容はこのようなもの
『戦時中のフィリピンには、移民や商社マンなど多くの日本人家族が暮らした。しかし米軍進攻で楽園の島は一変。人々は日本軍の指示で逃避行を強いられた。米軍やゲリラの襲撃。そして飢餓。死が覆うジャングルは、母と子、兄弟姉妹を引き裂いていく。それでも地獄を生き抜こうとする人々。』

 フィリピンのマニラなど、戦前から移住した日本人が住んで、それぞれ幸せな生活を営んでいた。現地の人と結婚して家庭を持って子供が成長している人もいた。戦争が起こり、昭和17年、日本軍が侵攻して占領する。それに伴って、日本からタイピストなどの仕事の需要が増え、そのために来た若い女性も多かった。

 昭和19年、アメリカ軍が侵攻して来た時に、現地の45歳以下の一般の男性は軍隊にとられただけでなく、一般の女性や子供達も軍と一緒にマニラを離れて軍と共に山岳地帯へ避難する事になった。
 マニラの日本総領事は、女、子供は残ってアメリカ軍に投降するように軍に求めたが、捕虜となる事を許さなかったという。
 そして日本軍と共に山岳地帯を逃げ回り、次第に消耗していく。3000人の人々が次々に死に、半分ぐらいになったようだ。しっかりとした資料も残っていた。

 当時、子供として生き残った人達が、80,90歳代でまだ、話を聞ける人たちが何人か残っていて、その方々の話や、当時、母親だった人たちの手記、従軍看護婦として一緒に逃げていた若い勤め人の女性たちの手記、を元に当時の様子を再現していた。

 私は、レイテ戦記を読んだり、以前に見たNHKスペシャルでルソン島の日本軍の壊滅についての番組を見ていたので、(昨年もフィリピンで取材した番組があったが)軍隊がどうなったかについては多少知識があったが、一般人もこのような被害にあっていた事を初めて知る事が出来た。本当に、軍隊の壊滅と同様に悲劇だ。

 こういった番組が、当時の体験者が生きているうちに作られなければ大勢の現在の人達にも実感も無く、知られることなく埋もれてしまっただろう。
 
 日本軍がフィリピン人をゲリラとして殺したりするような事も子供達は見ていたり、また逆にゲリラに家族を殺されたりする場面もあった。何より、空襲や砲撃の中、雨期の山中を逃げ回り、どんどんと幼い子供が死んでいく悲劇は、これが戦争の実態だと本当に知らされる。
 
 こういった番組を見ると、当時の日本軍部の戦争責任という事を強く感じる。もちろん戦争を起こした事や、作戦上の事もそうだが、女性や子供などの一般人を投降させるという領事の判断を認めなかったのは軍部だった訳で、現地の司令官だったのか、中央からの指示なのかそういった決定を下した事について、戦後もうやむやになっているのだろう。
そういったいいかげんさが、今、再び美辞麗句で戦争を美化する勢力が大きくなっている原因でもあるような気がする。

 番組でも家族すべてを失い、そこを子供で生き抜いてきた老人の方が、「慰霊って何ですか、慰霊なんて私は分からない」と言っていた姿は、幸せに暮らしていた家族を地獄に落とした戦争というか、軍隊というか、国家、そして今また、その事へのまともな反省も無く「慰霊」「英霊」といったような言葉が独り歩きしているのに対して何か怒りのような気持ちを感じているように私には思われた。

 この番組は、再放送であったが、同じ日に「隠された戦争協力 朝鮮戦争と日本人」というBS1スペシャルがあって、米軍基地で働いていた日本人が少数だが実は朝鮮戦争に参加していた事実を伝える番組だった。これは、日本、アメリカ双方にとって隠されねばならぬ事実で、アメリカ側の極秘文章によって明らかになり、日本でも本人に取材し、明らかになったものだった。
 (アメリカの公文書管理はすごい。日本は後進国だなあ)

 朝鮮戦争はアメリカにとっても厳しいもので、参加したり、戦死した日本人を調べるため、当時のアメリカ兵だった人に聞いてみると、その実態が分かり、また当時の韓国の人達の苦難、悲劇にも少し触れていた。日本人が戦死した韓国の場所へその弟が行き、実感する場面などもあった。
 現在の日韓問題を考えるにあたっても、朝鮮戦争について、我われも基礎知識としてその実態をもっと知るべきだと思う。
 もし、終戦の決断がもっと遅れ、日本がソビエトとアメリカの分割統治になっていたら、朝鮮戦争のような事が日本本土で起こっていたかもしれないのだ。
 朝鮮戦争の実態をちょっと垣間見れた番組であり、今後ももっと朝鮮戦争について日本人に知らせる番組を作ってほしい。

 さて、終戦の日、お盆、等も終わり、この時期に放送される番組も終わる、良い番組が続いたので、ついブログで感想をかくようになってしまうが、そろそろ他の事もやらなければ。

 しばらくブログは夏休みにしようと思います。
 

NHKスペシャル 昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~  を見る

  番組紹介のコピー
「日本の占領期の第一級史料が発見された。初代宮内庁長官として昭和天皇のそばにあった田島道治の『拝謁記』である。1949(昭和24)年から4年10か月の記録には、昭和天皇の言動が、田島との対話形式で克明に記されていた。敗戦の道義的責任を感じていた昭和天皇は、当初「情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」としていた。さらに、1952年の独立記念式典の「おことば」で戦争への反省に言及しようとする。しかし、吉田茂首相からの要望で、最終的に敗戦への言及は削除されていく。その詳細な経緯が初めて明らかになった。番組では、昭和天皇と田島長官の対話を忠実に再現。戦争への悔恨、そして、新時代の日本への思い。昭和天皇が、戦争の時代を踏まえて象徴としてどのような一歩を踏み出そうとしたのか見つめる。」

 「拝謁記」は、とても興味深い内容であった。従来、昭和天皇の気持ちは、大体知られていた事で、そうだろうな~、という感じで見ていたが、本当に詳しく生々しい言葉が記録されていて面白かった。

 この初代宮内庁長官の田島道治はこういった人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E9%81%93%E6%B2%BB
 色々な面で見識の高い一流の人であり、経済人でもあった訳だ。だからこそ昭和天皇も本心を話したり出来たのだろう。またきちんと正確に記録もされている第一級の資料だ。孫が保管していたもので、研究者達が番組に向けて調査した。

 天皇の戦争を悔やむ言葉の中で特に興味深かったのは、
 日中戦争中に起こった南京大虐殺について、戦争中、天皇は正式なルートでない、何か下の方からそういった情報を知っていたそうなのだが、あまり深刻に考えずにいたという。ところが東京裁判でこの事件の内容を聞き、衝撃を受けた。なぜもっと聞いた時にちゃんと注意を払わなかったのだろうか、悔やまれる。というような言葉だ。
 この「下」の方から聞いた、というのはどんな人からどんな風に情報を聞いたのだろうか?

 また、張作霖の爆死事件の時に、どうしてあの時点で、暴走する軍部を断固とした行動で罰し、止めなかったのか、と反省していた事だ。
 それから直ぐ、関東軍による満州事件が引き起こされたのだから、本当にそうだろうなと思う。2,26事件についても同様だ。
 昭和天皇は、軍部による「下剋上」を抑える事が出来なかった事に、責任や後悔を強く持っていた事がよく分かる。また軍部の暴走をとても嫌っていた事もよく分かる。

 朝鮮戦争が始まり、再軍備が行われた時に、旧軍の関係者が加わって行く事で「軍閥」の復活、軍部が力を強める事をとても心配していた事も分かった。
 また、天皇は北朝鮮の侵攻など共産主義を恐れていた事も分かる。北朝鮮軍(ソビエトを後ろ盾とした)が釜山まで迫ってきた状態では、そう考えるのは当然かもしれない。国が独立するためには、再軍備を必要とは思っていて、それには憲法を改正して矛盾の無いようにやりたいと思っていた事も分かった。(この時点では核戦争の時代では無いので、天皇も通常兵器の再軍備が必要と思っていたのだろう)

 日本独立の記念式典で、本人は真剣に述べたかった自分の戦争への責任を吉田首相に削られ。述べられなかったため、その後の日本での、戦争に関わっていた人々の『戦争責任』があいまいになってしまった事につながっていると識者は語っていた。

 あの頃に、天皇がもっと自分の戦争に対する反省と後悔の気持ちを率直に国民に語れていたらどうだっただろう。
 多分、今のように『南京大虐殺』は無かった、などという人が出て来るような世相にはなっていなかったのかもしれない。

 ネットを見ていたらこんな記事も紹介されていた。ちょっと本文とずれるが関係あるので。
https://www.dailyshincho.jp/article/2015/12080705/?all=1

 

昨日のJNN報道特集

 先日の参院選の時に、安倍首相をやじったら警察に排除された問題や、令和旋風などをこの番組なら取り上げるかと思ったが、取り上げなくてガッカリ、それ以後、報道特集も見ていなかったのだが久しぶりに見てみた。

 昨日の特集はこの二つだった。
『最悪の日韓関係~和解への道は』
慰安婦や徴用工の問題、輸出管理の強化をめぐり最悪の状況となった日韓関係。日韓の学生交流、ソウルで暮らす日本人妻、韓国人元外交官などを取材し和解への道を考える。

『戦争孤児と500人のお母さん』
戦争で親を亡くした孤児たちの体験を描き続ける85歳の女性。戦争孤児の実情を知り、親を亡くした子供たちの養育に人生を捧げた106歳の女性。彼女たちの壮絶な体験とは。

 二つとも、何か気持ちが柔らかくなるような良い内容だったと思う。やはり「報道特集」は良心的な番組なのだなあと感じた。

 最悪の日韓関係の方では、日韓の学生の交流について、取材した金平キャスターが、心が洗われるような気がしたと感想を述べていたが、映像からも双方の若者の良い交流がうかがえた。その中で、韓国と日本では歴史教育が違っている事を知った。韓国では韓国史、世界史の他に東アジア史も勉強する。日本の歴史もよく知っているという。

 日本の若者たちは、日本では韓国の歴史など、ネットなどで調べないと分からない。韓国の若者が歴史について学校で良く学んでいる事を驚いていた。
 これは、本当だなあ、と思う。日本では日本史と世界史はあるが、東アジアの歴史、韓国、中国の歴史などは本当に簡単にしか学んでいない。特に近現代史はしっかり学んでいない。韓国など日本が植民地にもし、深くかかわった国であるにもかかわらずだ。

 私も、韓国の歴史についてほとんど断片しか知らない。最近になって現代史の本を少し読んだ程度だ。この辺にも大きな問題があるのだなあ~と実感した。

「歴史認識」うんぬんの前に、まず日本人は韓国など他の近隣の国の近現代の歴史をちゃんと知らないといけないなあと思った。

 いずれにせよ、日韓の関係をこんなにこじらせた人はだれなのか。「外交の何とか」という首相らしいが、今まで何か「外交」で成果を上げた事はあったのか?何も無いばかりか・・。

 「戦争孤児と500人のお母さん」というのも心打つ内容だった。
 戦争孤児だった85歳の女性が自分の生涯を絵に描いていた。自分だけでなく他の孤児だった人の話を聞き絵に描いている。

 また、東京大空襲の時に、赤ちゃんを背負って逃げていて、川に落ち、赤ちゃんと夫を亡くした女性が、戦後に空襲で親を亡くした子供達が大勢、浮浪児となっている状況を見て、亡くした赤ちゃんの代わりという気持ちで、孤児院で保母として働きだす。ひどい悪条件の中でも多くの子供達のためにがんばって、独身をつらぬき70代まで、子供達のために施設で働き伝説的な保母さんとなる。その人が現在106歳となり、老人施設にいる。
 その人の一生も、その絵を描く方が描き、本人の所に持って行く。106歳という年齢だが、ちゃんと感想も述べ、二人の気持ちが交流しているのが画面からも伺えた。

 この番組をみて、孤児の自分や、関係した人の様子を絵にして残す方の85歳の方の行動(けっして上手な絵では無く、しかし何か心に残るやさしい絵だ)や、またその伝説的の保母さんの生き方、そんな事を見ると、人間の生き方や、何をするのか、という事について考える事の出来た番組だった。 

NHK・Eテレで、映画「ひろしま」を見て

 昨晩は夜更かしをしてこの映画を見ていた。

 NHKのETV特集で、この映画について知ったのだが、ユーチューブでその番組と、映画について端的に説明しているよい動画があった。
https://www.youtube.com/watch?v=UwnaJtPuP1g

 これは、1953年に作られた映画で、原爆投下から8年後だ。
 ちょうど、東日本大震災の津波を体験した人達が今年その映画を作っているような物で、何十年もたってから空想やCGで作っているような作品とは全く違う。

 この映画は、東西冷戦の真っただ中、原爆使用も案として浮上した朝鮮戦争が停戦したばかりの時期に作られた物で、当時の日本の保守勢力回帰の中で、「反米的」と配給が中止され、多くの人々に知られる事の無い映画となってしまった。私は映画を見て、上記のユーチューブ動画でアメリカの大手メディア会社のプロデユーサーが語っているように、「これは、反戦映画であり、反米映画とは思わない、当時の時代そう思われた事は理解できるが、原爆を投下する決断が正しかったか間違っていたか、ではなく、その結果がどうであったか知る事は別に反米では無いでしょう。この映画を配信できる事を誇りに思う」と言っていた言葉の通りだと思った。

 被曝シーンの真柏性だけでなく、当時の子供や人々の様子がマンガ「はだしのゲン」の内容と重なったりもして、あらためて両方の作品の真実味を感じた。
 何と言っても、これに協力した当時の広島の人や日本の人々のすばらしさを感じた。原爆の被害にただ打ちのめされているだけでなく、また単に復讐に燃え、こちらも核武装などと考える方向でなく、このような芸術的な映画に作り上げ、反戦の気持ちを人々や世界に訴えた当時の日本の庶民や映画人を本当に誇りに思えた。出演する子供たちの被曝者の演技の本気度も素晴らしいし、衣装や舞台装置なども良く再現している。また当時の日本の俳優たちも内面的な美しさを感じる。
オリバー・ストーン監督が、ETV特集で,この映画が「詩的でもある」と言っていた言葉もあったが、白黒の画面で返ってそういった効果もあるかもしれない。

 アマゾンを見ると、この映画のDVDが販売もされていて、カスタマレビューを見ると、リメークされた原爆資料館を見る前にこの映画を見て、その後、原爆資料館を見ると良い、と書いてあったが、先日テレビで資料館を見ただけだが遺品や被爆者自身が描いた絵などもあり、この映画とあいまって原爆の被害を強くイメージする事が出来るかも、という気がした。
私は、まだ広島の原爆資料館へ行った事が無いので、行ってみたくなった。行く前にはもう一度この映画も見てから。



 
 

日韓問題について、「韓国現代史」を読んでみた

 日韓関係について、ニュースの取り上げ方や、マスコミのコメンテーターが言っている事がどうも納得がいかない、もどかしい気持ちなので、知識を得るため、何か良い本は無いかとアマゾンで調べてみると、この本が出てきた。カスタマレビューを読んでみると「韓国を学ぶのに適当である」という感想が多く、☆4つくらいが多かったので、古本を注文してみた。
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 本の帯
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 読み終わってから気が付いたが、さらに「新・韓国現代史」という同じ著者の、最近の動きも入れた物が出ていた。韓国現代史は、2005年のノムヒョン大統領までで、それ以後は「新」の方でないと出ていない。
 著者はこの方 ウイキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%BA%AC%E6%B4%99

 本当にななめ読みなのだが、この本を読んでみて、「ああ。韓国の現代史はこんなに大変だったのか」と初めて知る事が出来た気がする。
 本の帯に書いてある事の意味が分かった気がする。

 日本の敗戦で、権力の空白が起こった訳だから、どんな風になったのだろう?と思っていたのだが、勿論そこには大きな激動が起こっていた事が分かった。
 また、私のイメージでは、北はソビエト軍が入ってきて、南はアメリカ軍が入ってきて、それぞれが自分の支持する政権を建てさせた。くらいの物で、大した混乱も無かったような風に思っていたがそれは全く違っていた。

 敗戦で日本が引き揚げてから、朝鮮半島の各地で住民による多様な自治組織が噴出したり、また総督府から行政権を譲り受け国を立ち上げる準備をした勢力もあったり、またソビエトやアメリカにいた金日成や李承晩などが、それぞれ背後の勢力とともに帰ってきて勢力拡大し、それらがそれぞれぶつかり合う。また大戦終結時にルーズベルトとスターリンで決めていた朝鮮半島の「信託統治」という一定期間の間をへて朝鮮半島の独立の案もルーズベルトの死や、冷戦構造の始まりで実質が無くなっていく。またその信託統治案についても朝鮮国内では賛否がうずまく。
 そして38度線をはさんで、まさに左派、右派、民族派、などがぐちゃぐちゃになって自分の勢力を拡大するために戦うような状況になっていく。そして日本統治時代に地位を保った親日派などの要素もあり、さらに複雑さが増す。

 しかし、戦後史全体は、東西冷戦構造については、基本的には日本と同じなのだなあ、という事が分かる。日本も敗戦後、民主化といった雰囲気が噴出し、保守勢力への批判が高まり、続いて東西冷戦の高まりとともに、アメリカの方針で右派が巻き返して左派と対立する、対立が激化する。その後、右派が政権を取る。といった構図までは、日本と韓国もほぼ同じという事が分かった。ただ、その後の韓国は日本とは違う。

 日本が引き揚げ、ソビエト、アメリカが入ってくる事、韓国内の右派、左派、の争いの激化、など本には済州島の事件が取り上げられていたが、虐殺などもある凄惨な政争が繰り広げられる。そういった韓国国内の混乱の中で、北朝鮮が韓国に攻め込んでくる。この背景には中国共産党が内戦に勝利して、中華人民共和国が成立という時期的な事、韓国内部での左派勢力の台頭もある事が、この本を読んで分かった。ただ単に金日成の野心だけでなく、これは、良いチャンスと考えた情勢も無理のない状況だったのかもしれない。スターリンや毛沢東の意向もあったのか、北朝鮮側があれほど急速に釜山まで迫る事が出来たのはそういった背景があったからだという事も分かる。
 そして、その時点でアメリカの本格的な軍事介入が始まり、朝鮮戦争となる。アメリカの本格参戦で、北朝鮮は追いつめられるが、今度は中国が参戦、泥沼の戦争となる。ソウルも何度も占領されたり占領したりが続く。戦闘それ自体で人が死ぬばかりでなく、その中で、それぞれの勢力が反対派を殺したりする事も多くあった。まさに混乱の極みの状態で、国民はどのような悲惨な目にあったのか計り知れない。
 
 横道にそれるのだが、日本は、韓国と違い、アメリカが全土を占領し(北海道や東北北部がソビエトに侵攻されないうちにポツダム宣言を受諾した天皇や周辺の判断がいかに賢明だったか、軍部の言う通りに本土決戦などやっていたらどうなっていた事か)、マッカーサーが天皇に直接会ってみて、『天皇制』とその支配構造を残して日本統治に利用する、という判断は、戦争責任の所在をうやむやにする原因となった訳だが、やはり敗戦の時点では現実的な成り行きではあったと言えるのだろうなあ、とこの本を読むと感じる。
 韓国と日本を比べて見ると、この東西冷戦が国の中で国が分裂して行われてしまった事、統治機能のような物が、日本撤退で0から始めなければいけなかった事、朝鮮王朝はすでに無く、日本の「象徴天皇」のような国民統合の旗印も無かった事、など本当に大変だったことが分かる。

 韓国は、朝鮮戦争後、軍事クーデターが起こり、朴正煕(パク・チョンヒ)が大統領となる。その後も軍事クーデターがあったり、また光州事件などそれに抵抗する民主的闘争なども起こったり、その間に、逮捕されたり殺されたりというような激しい政争が国中で続く。
 右派と左派という感じなのか、独裁と民主勢力の戦いというのか、よく分からないが日本などより格段に激しい。朝鮮戦争後、38度線をはさんで、常に対立する別の体制なので、戦争が起こっても不思議では無い状況だから、それぞれが命をかけて戦って当然かもしれない。

 李承晩から曲折をへて政権を奪った朴正煕(パク・チョンヒ)は、日本の士官学校を出た人で、もちろん右派的な人。軍事独裁政権的なものだ。この時代、韓国はアメリカの要請でベトナムに派兵し、アメリカからの支援を受けたり、日韓条約を締結し、日本からの賠償金も得たり、また産業も発展させる。ちょうど日本が朝鮮戦争で経済的に復活したり、しばらくして高度成長時代に突入していった感じと良く似ている。

 今、問題となっている「日韓条約」の締結の時の様子がこの本に書かれている。少し長くなるが、ここにその状況を紹介してみる。
(この本が書かれたのは2005年なので、今の日本の状況は、本に書かれている日本と違っているが)
 これを読むと、ただ単に日本人が「日韓条約で決まった事だ。国と国の約束だから」などと杓子定規に言っているのでなく、韓国の当時の状況や韓国国民の気持ちも想像してこちらも対応しなければいけない事が分かる。
 そんな知恵も、心も無い現政権にそんな事を求めても無理だが、せめて国民はマスコミの扇動にのるべきでは無く、なぜ韓国人がこだわるのかをしっかり知るべきだ。

『 日韓条約
 一方、韓国の経済成長は、1967年の日韓条約にともなう「経済協力」にも支えられていた。すでに述べたように、韓国経済のテイクオフの時期(66~72年)に導入された外資は40億ドル、その内訳は大雑把にいうと、アメリカがその半額を負担し、残りは日本(約11億ドル)と、西ドイツなどのヨーロッパ諸国(10億3000万ドル)がほぼ4分の1ずつ負担している。日本からの資金の多くは、日韓基本条約とともに締結された「日韓請求権および経済協力協定」にもとづく無償資金と借款によるものであった。それは歴史の清算を棚上げしたまま、請求権については「完全かつ最終的に解決された」(第一条)という、言質を代価にして引き出された資金であった。2005年1月に韓国で解禁された公文書でも徴用や徴兵などによる補償は韓国政府に委ねられたとされているが、条約締結後に韓国政府が支払った補償金は、死亡者一人当たり30万ウオンにとどまっている。
 日韓交渉は、51年10月、GHQ外交局の一室での予備会談に始まり、李承晩政権期だけでも第一次(52年2~4月)から第4次会談(58年4月~60年4月)まで8年に及ぶ交渉が積み上げられていた。この間、日本漁船が拿捕された李ライン問題、さらに植民地支配が朝鮮の近代化に役立ったとする久保田発言(52年の第二次、53年の第三次会談)などをめぐって紛糾し、交渉は難航した。アメリカ側は朝鮮戦争やベトナム戦争の後方を固めることや、アメリカ主導の地域統合という観点からこれを推進した。だが、李承晩は反日を生きた“国父”たることを正当性の拠り所とする指導者であり、日本との交渉にのぞむ姿勢はきわめて硬かった。日本側も植民地支配の反省は、保守政権の歴史認識についてはもちろん、国民の歴史感覚という面でもいまだ稀薄な時代であった。

 李承晩政権が倒れた60年は、日本でも安保闘争がたたかわれた年であった。この安保闘争は、日本の軍事大国化にブレーキをかけ、平和憲法の下での経済大国化という路線(所得倍増路線)を定着させた。このことは、アメリカのアジア政策のなかでの韓国の軍事的役割を否応なしにクローズアップさせた。そういう中でクーデターがあり、すでに述べたような内容の金・大平メモ(62年11月)が交わされたのだった。
 63年には、ゴ・ジンジェム政権が倒壊してベトナム情勢は緊迫し、日韓関係改善に向けたアメリカの圧力は一段と強まる。しかし学生たちを主体とする激烈な反対運動がこれに立ちはだかった。64年春、学生たちのデモは激しさを増し、野党や言論もこれに同調して韓国中で条約反対の機運が沸騰した。このとき、バーガー米駐韓大使は次のように国務省に打電している。
「韓日会談反対のデモは現政権が生き残ることができるかどうかを試す最初の舞台だ。学生たちのデモが静まらない場合、政府が武力の使用を強化し、究極的には戒厳令を宣布しなければならない状況に直面するであろう」
 予言は的中した。6月3日、ソウル市内の一万人余りの大学生がデモに及び、政府は直ちに戒厳令を宣布し1200名が逮捕された。さらに、中央情報部は、8月14日、“6・3事態”を背後操縦した人民革命党を摘発したと発表した(第一次人民革命党事件)。国内の反対勢力を北の浸透・工作と結びつけて弾圧する李承晩時代からの常套手段で反対勢力を威嚇したのだった。

 日韓会談は64年12月の第七次会談で妥結し、翌年2月仮調印、6月本調印、12月批准となった。学生たちは批准阻止闘争などを展開したが、衛じゅ令がしかれ、警察と軍の力でデモは封じられた。こうして押し通された日韓基本条約は、条文に植民地支配の謝罪はなく、その第二条に日韓合併条約以前に結ばれた「条約および協定は、もはや無効である」と規定されるのみであった。韓国側は、日韓併合条約は当初から違法で無効であると解釈したが、第二条は、併合条約が締結当初は有効であったとの解釈の余地を残す規定であった。
 日韓条約はアメリカからすればインドシナ戦争の後方支援の体制づくりとして結ばれた条約であった。すなわち、韓国がインドシナ戦争に軍事的に貢献し、この韓国を日本が経済的に支える仕組みがこの条約によってつくりだされた。この時期は、日本経済自体も、資本財と耐久消費財の双方の機械製品に対する大量で安定的な海外市場(前者→アジア、後者→欧米)を必要とする段階にあった。一方で、借款や輸出信用の形で韓国にもたらされた日本の資本財や中間財は、十分な輸入代替工業化を迂回するように輸出指向へと走った韓国の生産力基盤の拡充にも役立った。』

 長くなったが、「日韓条約」を取り巻く状況が分かると思う。
 
 韓国はこの後、また軍事政権や、それに抵抗し、民主政権が様々な事件を通して出来て来て、日本でも良く知られている金大中が大統領になったり、この本の最後の部分はノムヒョン大統領で終わっているが、韓国現代史の中での、軍事独裁的政権 対 民主勢力の戦いは激しい物で、その中で様々な犠牲をはらって、日本とは違った国家の独裁に対して抵抗する強い民衆の意識と言った物が育ってきているような感じだ。

ノムヒョン政権では、「過去史法」という、国民に対する国家機関の人権に対する不法行為の真相を明らかにし、謝罪する賠償と補償は時効の適用を排除して行う。という法が成立した。
この法の適用範囲は①植民地期の独立運動、②解放から朝鮮戦争に至る時期の民間人集団虐殺、③建国後不当な公権力の行使によって発生した疑問死、④大韓民国の正当性を否定するテロ行為など、近現代史の人権蹂躙、疑問死、テロなどすべてを対象とする包括的な立法という。
 ただ、成立過程で当時の野党ハンナラ党の朴正熙の娘パク・クネが、④の部分で反対するが、ちょうど竹島の問題が浮上してきて、④も認めたという。
 こう見ると、韓国の歴史は本当に多くの人が戦争や政争で死ぬような厳しいものであったと分かる。その歴史の中で人権についてまともに向き合って真相解明する姿は、日本が学ばねばならない点だろう。

 その後、パク・クネが大統領となり、その時代に日韓の慰安婦の合意がなされ、さらにパク・クネを批判して退陣させた現在のムン・ジェイン大統領になっている訳だ。ここでも右左と揺れ戻しがあった訳だ。

 なるほど、韓国民がいつまでも過去の謝罪について求め続ける事もその自国の歴史の流れの中で理解できる気がするし、こう見ていくと、韓国の最高裁が徴用工の個人としての賠償権は認められているとの判断は、韓国の政治や法律の流れの中で正しい事を言っている訳で、日本としてもヒステリックに子供じみた反論をしているのではなく、冷静に大人の交渉をするべきなのだ。

 本当にななめ読みで詳しく読んでいなのだが、とは言え、もう一度この本をちゃんと読み直す意欲は今の私には無い。「まんが日本史」ではないが、この韓国現代史を元に「まんが韓国現代史」くらいの内容の物をどなたかに是非作っていただき、私も含めて多くの日本人もざっと韓国の苦難の戦後史の概要を知る事は必須だなあ~、(私のように、今の日韓状況をよく分からないなあ~ともどかしい思いをしている人がいる訳だから、けっこう売れるかもしれない)
 また、私は、イ・ビョンフン監督の韓国時代劇が面白くて良く見たが、例えば日本のNHK大河ドラマと韓国歴史ドラマの違いは、この韓国現代史と日本現代史というバックグランドの違いなのかもしれないと思った。韓国の現代史はどこかイ・ビョンフン監督の韓国時代劇の雰囲気があり激しく面白い(と言ってはいけないが)

 ただ、現政権のような「歴史改ざん主義者」の人達の叫んでいるような事だけを主に取り上げていたり、忖度か掘り下げなく表面の現象だけを伝えているマスコミだけを見て、その情報だけで韓国民を非難する事は出来ないなあ~と今回感じたところだ。

 韓国を良く知る事は、日本を深く知る事にもつながる様な気がする。
 また北朝鮮があのような状態なので、いつどのような事態が朝鮮半島に起こって来るのかもまだ流動的だ。日本人も含めて、朝鮮半島の人々が幸せになれる様な道を探るのが政治だろう。
 



NHKスペシャル 全貌 二・二六事件 ~最高機密文書で迫る~を見た

 今日は、終戦の日だ、日本がポツダム宣言を受諾した事、すなわち敗戦となった事を天皇が国民に知らせた日だ。その日にちょうど合わせた番組として放送されていた。

 番組は、陸軍将校が起こした二・二六事件を、海軍側が極秘に記録していた最高機密文書が最近、発見され、それに基づいてこの事件を再現したもの。この資料は海軍の上層部だけが知っていたものであり、これまで全く知られていなかった第一級の資料だという。

 海軍は陸軍と距離を置いて、秘密裏に陸軍側の情報を収集していて、この事件の全貌がはっきりと分かるものだった。今まで二・二六事件の関係のテレビ番組やドラマ、映画なども色々と作られているのだと思うが、これほど客観的に詳しく全体像が分かる物は無いであろう。従って内戦が起こりそうな危機的な状況が、非常に臨場感があり、タイムマシンで過去に戻って見ているような感じの迫力があった。

 海軍は、この事件が起こる1週間も前に、憲兵隊からの通報で、事件を起こす首謀者や殺される政治家などもちゃんと分かっていた事がこの資料から伺えた。つまり分かっていながら何も対策も取らず、黙認していたという事になる。
 また、陸軍上層部のいいかげんな対応から青年将校を利用したといってもいいような状況もはっきり分かる。

 番組では、この二・二六事件を境に、陸軍には何も言えないという空気が、政治家や財界人、人々に広がったり、事件の収拾に動いた天皇の力が結果として強まって、それを利用して軍部が暴走し戦争を起こし、事件から9年後には壊滅的な敗戦の日本となってしまった事を述べ、この事件が戦争へと進む大きなターニングポイントとなっている事を示した。
 また、このような秘密の文章が国民の知らない所で作られていたような状況が日本を誤らせたのだが、現在の日本でもそういった事が行われているのではないか、と国民に問いかける様な最後の部分であった。(どういう風に言ったかちょっと正確には思い出せないが)

 NHKのこの番組を作った人達も、現在の日本で公文書などが国民の目の届かないところで、改ざんされたり、黒く塗られてしまうような状況。またさらに恐ろしく感じる事は、文民統制など出来る能力の無い防衛大臣が生まれていた現在の状況。アメリカとの密約なども一部の政治家などしか知らずに国民の目から隠されている様な現在の状況に、当時の日本と変わらない物を見て、大きな危機感をいだいているのではないか、と番組最後の言葉に共感を持った。

 この番組の再放送は、8月18日(日)午前0時35分~1時47分(17日深夜)
 先日のNHKスペシャル、かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~は、13日深夜にやったようだが、これも深夜の再放送だ。
 こんな時間に再放送をやっても、家のテレビのように録画機能が無かったり、録画装置が無い人はおそらく見る事が出来ない事だろう。それほどテレビをいつも本気で見ていない人で、前回を見ない人が、あらためて目に触れる事も無いだろう。せめてこういった国民が知らねばならない重要な番組は11時頃からやればいいのにと思う。
 それこそ「公共放送」の使命ではないのか。

NHKスペシャル かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~を見る

 番組の予告を見て、これは興味深いものと思ったが、本当に興味深く勉強になる番組だった。

 番組の紹介は以下の様なもの。

『なぜ日本人は、戦争への道を歩むことを選択したのか。これまで"空白"だった道程を浮かび上がらせる第一級の史料を入手した。治安維持法制定時の司法大臣・小川平吉が創刊した戦前最大の右派メディア「日本新聞」である。1925~35年に発行された約3千日分が今回発見された。発刊当時、言論界は大正デモクラシーの全盛期。マイナーな存在だった"国家主義者"は、「日本新聞」を舞台に「デモクラシー=自由主義」への攻撃を開始する。同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が名を連ねていた。国内に共産主義の思想が広まることを恐れた人たちが、日本新聞を支持したのである。さらに取材を重ねると、日本新聞は地方の読者に直接働きかける運動を展開していたことも明らかになってきた。そして、ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説排撃など、日本新聞が重視した事件がことごとく、社会から自由を失わせ軍の台頭を招く契機となっていく。知られざる日本新聞10年の活動をたどり、昭和の"裏面史"を浮かび上がらせる。

※登場人物に扮した俳優が、当時の原稿や発言を朗読。小川平吉役は、伊武雅刀さん。他に石丸幹二さん、正名僕蔵さん、小林勝也さん、高瀬哲朗さんが出演。』

 番組の初めに、「濱口雄幸首相」を東京駅で暗殺しようと重傷を負わせた、「佐郷屋留雄」という人の命日?にその墓前に大勢の人が集まっている映像が出てきて、私は、一瞬、「浜口雄幸」の命日に関係者が大勢集まっている所を写しているのか?と思ってしまったが、参列者の人たちの雰囲気がそんな感じではなく、「ああ、これは、その佐郷屋という人の流れをくむ右翼団体の行事なのだな、」と理解できた。
 浜口首相を暗殺しようとした人など歴史の中でその意味がすでに消え去っている人物なのだと私は思い込んでいたので、それが現在の日本でも生きている事に驚いた。そして現在の日本の状態を見ると一面、納得した。

 小川平吉がこの「日本新聞」を作った当時、大正時代、普通選挙が実現し、大正デモクラシーの時代であった、アメリカなどの影響で、自由主義的な雰囲気も広がり、普通選挙が始まり、ロシア革命の影響で労働運動なども盛んになる。一般の新聞には、マルクス主義の本の宣伝などが大きく出るような一般の世相であった。現在の世相の雰囲気に近いものがあると思う。

 そこに危機感を抱いた人たちがこの「日本新聞」を作り、また支援した。
 小川平吉は、法務大臣時代、治安維持法の制定に力を発揮した人だという。万世一系の天皇の国体を絶対視し、アジアなどへの軍事進出も理念としている。天皇制を否定する共産主義が日本に広まる事を恐れた。
 小山平吉の遺品の中に中国大陸へ進出する計画が分かる様な手書きのアジア地図が見つかっていた。

 日本を特別視するこの「日本主義」の10年の活動の後、国民の意識は、小川の意図しているような方向になり、小川は目標を達成し、新聞も休刊とする訳だが、番組ではその間の3000日分の「日本新聞」の見出しの言葉すべてを分析すると、ちょうど、今の「ネトウヨ」が売国、非国民、などという言葉を使って、攻撃しているのと同じように、自由主義、議会政治、軍縮、など小川たちに反対する考えを持った人達の言論を同じような言葉で攻撃して潰していた事が分かる。

 1930年の浜口首相のロンドン軍縮条約締結では、国民にも支持されていた軍縮と国際協調路線の浜口を批判して、明治憲法にある統帥権という言葉を持ち出し、統帥権干犯と浜口を批判、結果として天皇を利用した軍部の拡大に力を与える。

 1931年の満州事変では、それを聖戦と主張する。

 1932年の5,15事件では、テロを起こした軍人の減刑嘆願運動を起こし、そういったテロが国のためだという意識へ世論を導く。

 1935年の天皇機関説の問題では、統帥権干犯を持ち出し、東大の美濃部教授を攻撃し、軍部もそれを利用し今まで通説となっていた天皇機関説を国会でもそれを削除させてしまう。天皇が選挙によって出来た議会と政府による機関の一つではなく、天皇を利用する軍部に絶対的な独裁的権力に集中するようになる。
 そして、議会政治を支える政治家や財界人などを次々にテロで暗殺する事を裏で支援したりもする。2,26事件、血盟団事件、などが起こり、言論の自由は抹殺されていく。

 そういった、流れが実際の戦後の証言テープなども使い、とても良く理解できた。

 番組では、長野県下伊那の小学校の音楽教師だった、小林八十吉という人の地方に残るテープなどの資料や遺族が持っている記録を追って、一般の人々がどのような思想の移り変わりをしていったのか、を示していた。
 下伊那では当時、若者が社会を学ぼうという機運が盛り上がり、自由主義やマルクス思想なども学ばれていたようだ。
 小林はそういった風潮の中、小学校の音楽教師として、自由主義的、理想主義的な雰囲気の中、自腹でピアノを買って教室に持ち込んで、世界の音楽も教えるような事までしていたが、「日本新聞」の思想を地方に広める役をしていた中谷武世の影響もあり、音楽教師は辞め、逆に国粋主義者としての活動を地方で始める。

 その背景には、世界恐慌による不況で地域の養蚕などの産業が壊滅的になったりし、自由主義どころではない、と思ったり、議会政治が汚職まみれで、泥仕合の様な政争ばかりになっている事もあり、人々の気持ちも、議会政治や自由主義を離れて、軍部が力を持ち大陸へ進出する、天皇絶対の日本主義に惹かれる、その小林のような移り変わりをしていく過程が良く分かる。
 軍も、そういった人たちの軍国主義の運動を支援する資金を出してもいた事が伝えられていた。

 この地方へ「日本新聞」の思想を広めるために活動し、小林とも関わった「中谷武世」という人の存在も番組では、伝えられていた。彼は、そういった「日本新聞」を地方へ広める活動をしていたが、彼の東大での先輩が岸信介であり、後に岸の政治団体に入っていくように中谷と岸の思想の共通性も番組では示されていた。

 また、番組では、美濃部達吉の天皇機関説を批判した私学の大学教授の子供(老人)にもインタビューされていたが、まさにその教授は、神がかり的に天皇を崇拝するようなタイプの人だった。その教授は戦後自死した。

 下伊那の小林八十吉という人の残っている日記を見ると、終戦の頃の日記の部分が破り取られていた。彼の子供(と言っても老人)の話によると、戦後はそういった事は子供達には一切話さず、会社員として一生を終わったようだ。
 日本新聞の賛同者に名を連ねていた東条英機や近衛文麿は戦後、処刑されたり自決して死んだのだが、当の小川平吉は敗戦を待たずに亡くなる。

 番組では、自由主義を主張するが、政争の具として統帥権干犯を持ち出すという過ちをおかした鳩山一郎や、中谷武世との関係で岸信介などの姿も出てきたのだが、本当に戦後の政治は、この戦前の流れと全く無関係にあるのでは無い事も分かる。
 戦後の政治では、戦争へと国民を導いた人達の多くが復活していた事が分かる。

 番組を見て、とは言え、10年という短い時間に、戦争へと大きな流れを作ってしまったのは、どうしてかと思うのだが、何と言っても明治以来、沖縄を日本に組み入れ、台湾を併合し、韓国を植民地とし、満州の権益をねらって侵出していった軍部や経済界などの大きな流れというか土台があったからこそ、そのように急激な変化を起こすことが出来たのだと思う。また、すでに治安維持法が成立した後の動きでもある訳だ。

 とは言え、現在、嫌韓本が書店にあふれ、マスコミは「日本素晴らしい」の番組が多く作られ、一部のマスコミや多くの社会の場で、自己規制による言論の不自由が広まっている。「表現の不自由展」がこういった批判で中止になったニュースも戦前では無く今の日本の話だ。司法もおかしくなってきている。やはりその根底には、同じ要素が存在している事が分かる。

 現在の憲法は「国民主権」なのだが、自民党の憲法草案では、天皇に主権がある方向だ。現政権が「徴用工」問題に拘るのは、そういった己のよって立つ「戦前の思想」への批判だからである。現在の日韓問題は、これをテコに世論を「戦前の肯定」「憲法の精神を変えてしまう」へと誘導している事に国民は気づくべきだ。

 現在では、大陸への軍事的な進出という土台は無いのだが、代わりの土台として、終戦後から一貫してアメリカの属国的な『土台』の上に日本が存在しているという事なのだろう。その違いが今後、どういった方向へ日本の未来への力学が働くのだろうか?
 戦前の様な日本の破滅へと向かうのではないかという事も注意深く見て行かなければならない。

 いずれにせよ、色々な事が分かる良い番組であったと思う。高校生ぐらいの歴史や政治の教材としても、とても利用価値があるのではないか。NHKはさらにこういった方向の深く掘り下げた見ごたえのある番組をどんどん作ってほしい。
 
 

日韓の若者の意識

  日韓の対立が問題となり、困った事だなあと思っているのだが、一昨晩のTBSニュースキャスターをちょっと見ていたら、日韓の対立の裏で、双方の若者たちの意識は違っている、という事を報じていた。
 日韓の10代、20代の若者についての話である。

 韓国で今、流行っているのは、日本食だという。日本食の食堂が集まったビルのような建物が紹介され、そこに食事に来る若者たちは、大人たちは対立しているようだが、日本食が美味しいので良く食べに来ている事、両国が対立しないでほしい。という気持ちを話していた。
 また、街の若者に聞くと、私など全く知らない(当然だが)日本の若い俳優、タレントなどを良く知っている。

 一方の日本では、新大久保に集まる日本の若者が紹介されていた。現在は第三次韓流ブームだという事で、韓国のメイクやKポップのファンが多いという。
 
 識者の話によると、今では、日本と韓国の経済的な差がなくなり、お互いに似ている文化や経済的な環境で育った同じ若者たちが、良く似ている隣人、という感じでこだわりなく「近くの家の隣の友達」という感じになっていると話していた。
 韓国の方も過去の歴史は大分昔の事となって若い世代にはあまり歴史についてこだわりがなくなっていたり、日本では「冬ソナ」などにはまった母親世代の子供が若者になっていて、子供の頃から韓国に全く違和感が無く親しんでいるという。

 日本の若者のインタビューでは、「Kポップなどのダンスや歌などクオリティーが高いのでいい。そういった事を知らず、今でも韓国の方がレベルが低いような馬鹿にしている人がいるので頭に来ちゃうよね~」と言った感じに話していてなるほどなあ~と思った。

 歴史をしっかり知らなくてはいけない、という面もたしかだろうが、
 現在の状況は、日韓双方の政治家が政治の面で大人の人心を利用しているだけであり、若者たちは、日韓問題は、あまり気にせずとも、もっとグローバルな動きの中で、隣の友達、といった感じになっていくのかもしれないな、という気もしたし、期待したいと思う。
 

 ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」を見た

 番組の紹介HP
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259675/index.html
  昨晩、これを見た。この番組の再放送は、15日午前0時(という事は14日の夜中か)
 そして、この「ひろしま」という映画自体、17日午前0時~(という事は16日の夜中か)に放送されるという。
それについてのYahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190806-00000047-nataliee-movi

 10日のETV特集で、この「ひろしま」という映画についての事が色々と分かった。
 この映画は、どうして作られたかというと、敗戦後間もなく、原爆については占領軍であるアメリカが、日本国民が反米感情をいだいてはいけないと、原爆に関する情報を検閲し、広まらないよう、知らせないようにしていたため、日本国民はあまり原爆について知らない状態であった。

 朝鮮戦争が始まって泥沼化し、マッカーサーが再び原爆を使う事を言うような状況になった頃、長田新という自身も被曝した教育学者が、何とか再び原爆が使われてはいけないという思いから、原爆の子供の体験を集めて本に出し、世の中に訴えようと考えた。
そして、その大学生たち(一人の方が証言者として出ていた)が、学校にお願いに回り、子供たちの体験を集め、それが岩波書店から「原爆の子」という本となって」出版された。
体験談は、1000人以上から集まったという。

 その体験談を書いた一人の子が、この本を映画にぜひ作ってほしいと考え、アドバイスを受けて、それを当時の日教組へ頼む。
 日教組は、終戦後アメリカの民主化の働きかけで出来るが、冷戦の始まりとともに、子ども達をふたたび戦場に送るなというスローガンの元、アメリカの方針と対立するようになっていた。日教組は、教師一人50円カンパで、今でいうと2億円以上の金がその映画化のために集まった。

 映画のため、一流の映画人が集まったという。私が知っているのは副監督に熊井敬の名があった。女優は当時人気があった月丘夢路が広島出身という事で、自ら会社の反対を押し切って無償で出演した。
 演技したのは実際に広島で被爆体験のある少年少女たちだった。「原爆の子」へ作文を寄せた子らも参加した。
 当時中学生だった番組に出た方が、映画の撮影時、過去の現実が撮影時にフラッシュバックされてつらく、吐きそうになった、などとそのつらさを話していた。その壊れた家などの舞台装置などもとても大掛かりに考えて再現され、現場の物なども実際の物も使われたり、焼けた衣類など、これは原爆で亡くなった子のものですと涙ながらに持ってきた母親もいて、そういった物も使われているという。

 2か月にわたって撮影が続けられ、次第に市民からも何か協力できないか、と多くの申し出もあり、最後の場面では、台本を変更、2万人もの市民が原爆ドームに向かって行進していく場面が撮られる事となった。

 こうして、1953年8月にこの映画が完成する。
 ところが、試写会の段階となり、大手映画配給会社が、「あまりにもこの映画は反米的だ。」として配給を拒否する。そこで自主的に細々上映され、国際的な映画賞もとったのだが、ネットなども無い時代、ほとんど人々には知られなかった。

 この背景には冷戦があり、当時レッドパージなどもあった時代で、メディアのアメリカやそれに追随していた日本政府に対する自己規制が行われた訳だ。まさに今の忖度の構造である。
 映画の「反米的な」その場面が少し写ったが、確かに今見ると、事実を言っている訳だが、いかにもといった「イデオロギー的な」雰囲気が感じられるのは確かだ。だが、この映画には実際の被爆の映像を再現した部分が30分以上もあり、当時の人々の「事実を再現して人々に知らせたい。再び原爆を使わせない」という強い思いの一番貴重な部分が、その事によって上映が拒否され、無駄にされた事は非常に残念な事であった。

 参加した子供達にも、「赤に利用されている」などと周りから言われたり、当時高校生で、協力していたが途中で止めた方の証言では校長室に呼ばれ、出ないように言われ、その方は自分で良いと思って出ていたのに、そんな風に圧力もかけられ、混乱し、映画が政治的に利用される雰囲気も感じて途中から転校、その後、原爆反対の運動などには関わらないようになったのだが、その方は60歳になってから、再び原爆に向き合い、原爆についての映画作りを始めたと番組では最後に伝えていた。

 映画が出来て66年たち、この映画が「国立映画アーカイブス」でひっそりと保管されていた。しかし、この映画作りに関わっていた小林太平という人の息子の小林一平という人が、この「ひろしま」の自主上映活動を始める。ところが68歳で亡くなってしまい、現在その息子の方が、その活動を引き継いでいる。
 この映画を見た映画館の代表の方の感想で、こういったすばらしい映画が日本に存在しているのは知らなかった。これは「新作」として発表されるべきだ、と語っていた。
 番組では、若い人にも見てもらおうと、大学生も参加する市民講座での上映風景も紹介されていた。
 
 ところが、この映画はフイルムが古くなり、映像がはっきりしなくなっていた。デジタル化して映像をクリアーにして復元したいのだが、それには多額の資金がいる。
 すると、3年前、この自主上映の映画が日本にある事を知った、アメリカ在住の日本人の映画プロデユーサーが動き、ハリウッドにある世界の良質な古典映画を扱う会社が、この映画の価値を認めて、資金を出しフィルムをデジタル化した。その会社のアメリカ人(多分)が、「これは一番すごい掘り出し物かもしれない、日本人だけでなく、アメリカや世界の人が見るべき映画だ。トランプがなぜ核兵器を使ってはいけないのか、と言っていたというのだが、それに対する答えがこの映画にある。」と番組で語っているのが印象的だった。
 現在、北米やアジア、等世界中で上映されつつあるという。
 オリバーストーン監督のこの映画についての感想が、番組の最初と、この場面でも出てきて、その意味を語っていた。

 最後に、2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の時にスピーチした「サーロ節子さん」が出てきて、彼女が大学生の時に広島でこの映画の試写会が行われ、見たのだが、その後、直ぐにカナダに行ったので、この映画が日本で人々に見られている物と思っていたのだという。
 彼女もあらためてこの映画を見、当時を思い出し、「核抑止論などという所から考えを進めるのではなく、人間の心に返ってもう一度考える事が出来る映画だ」と語っていた。
 また被爆者でもあり、映画にも出た方も、「現実の原爆はこんな物ではないが、原爆の記憶が薄れる今、一人でも多くの方に見てもらう一番良い教材だ。」と語っていた。

 17日の午前0時から放送という事なので、16日の夜中という感じなのだろうか。まずこの映画自体を見てみようと思った。

 また、この映画は、色々な立場の方が、録画しておけば、色々な所で原爆と戦争について考える良い教材としても使えるのではないか。


 

 
 

再び敗戦の悲惨な日本にしないために

 ネットを見ていたら、東京新聞の「親友対談 しなやかな反骨」という対談で、元文部科学省次官の前川喜平さんと城南信用金庫顧問の吉原毅さんの対談が出ていた。
 組織の中で流される事なく生き、かつその組織の中でトップも経験した二人の対談が、若い頃から、仕事の中での事などについても話されている。小泉内閣と現在の安倍内閣の違いなどもよく分かる貴重な対談だ。
 城南信用金庫の吉原毅という人は、福島原発事故の時に、この信用金庫の姿勢を反原発の思想で運営してとても話題になっていた人だったと思う。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201907/CK2019073002000118.html
対談は、(1)だけでなく、(4)まで続いて行くので読んでみてください。

 こういった人達が組織のトップにいて活躍できるような世の中になぜならないのだろう。

 同じくネットを見ていたら、「森友問題、佐川元国税庁長官ら10人再び不起訴」に関連して、その事件をスクープした元NHK記者 相澤氏(今はNHKをやめて他に移る)の記事があり、
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190806-00197290-hbolz-soci
そこを見ると、中に、このような部分があった。
『~それでも相澤氏は「NHKに恨みなどはまったくありません」と語る。「組織とはそういうもの」と、冷めた見方をしているようだ。
「NHKの現場の記者の多くは真面目で、腑抜けた上層部とはまったく違う。NHKには、優秀で気骨のある記者やディレクター、カメラマン、職員がたくさんいるんです。私は、NHKを今でも愛しています。
 今、NHKの実権を握っている上層部の人々は、NHKを愛していない。私のほうがずっとNHKを愛していますよ。彼らは、自分たちの時代が安泰であれば、後はどうでもいいと思っている。はっきり言って、上があかんのです。上を総取っ替えしないと~』

 以前にもブログに書いたが、太平洋戦争を振り返って、日本は兵隊レベルでは確実に強いが、将校レベルでは同じくらい、将軍のレベルでは確実にアメリカが強かった、と書いてある本があったが、その構造は現在でも同じなのだろう。
 現在、確実に色々な世界レベルでの戦いに負け、日本は世界での地位を低下させていると思う。

 我々、力の無い一人ひとりが、本当に人間としてりっぱで心を持った実力のあるリーダーを選ぶ目を持つことが今、本当に重要な事なのだろう。再び悲惨な日本になど絶対にしたくないと思う。

 

政局の基礎知識が無いので

 現在、私は、日韓問題とか、政治の問題に興味、関心を持たざるを得ない気持ちなのだが、もともと「政局的」な事にそれほど興味、関心があった訳では無い。

 「政治的」な時期と言ったら、大学時代、ちょうど全共闘などの学生運動が盛んな時期で、通っていた大学も半年以上封鎖されていた事もあり、いやおうでも政治的な事に関心を持たざるを得なかった頃くらいで、就職すれば仕事の事、結婚や家庭の事などで余裕もなく、政治的な事は、特に政局などテレビに出てくる一種の「面白い世相」程度の認識しかなく、国会議員の投票などは棄権した事はほとんど無かったが、県会議員や市長などの選挙には行った事もほとんど無かった。
 職場で労働組合などに入っていたが、それも一種の仕事に派生した用事程度の感じだった。ただ、仕事の上で、部落解放運動などについて関係する役になり、学ぶ期間が3年ほどあり、それはやはり政治的な問題を皮相でなく勉強する良い機会だったと今、思う。
 また、教育者の「斉藤喜博」の本や、「シュタイナー教育」の本などを仕事に関連して読んでいたが、そういった物も、今の、政治や思想に対する自分の見方に影響しているのかもしれない。

 退職してからは、趣味の活動が主で、ブログもそういった内容の事を書いていたのだが、再び「政治的関心」が高まったのは、退職して1年ほどたった頃に起こった、東日本大震災と福島原発の事故だ。それがきっかけで、色々と読書したりネットの情報を見たりするようになリ、ブログの内容も変わった。

 という訳で、基礎的な知識が全くない。
 「村山談話、河野談話、細川内閣、民主党政権、」などという言葉がボンボンと出てくるが、ぼんやりとしたイメージしか湧いてこない。
 そこで、今回、平成時代になってからの内閣の変遷と、村山談話、河野談話、について調べてみた。
 こうしてみると、「細川内閣」「村山内閣」あたりは今とずいぶんと隔世の感がある。

 時代の状況は、バブル景気というのは、「1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月」までで、小選挙区になったのは、1996年(平成8年)からである。
 リーマンショックというのは、「2008年(平成20年)9月15日」という事だ。


歴代内閣
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%86%85%E9%96%A3#平成時代(1989年_-_2019年)

村山談話(1995年・平成7年)自社さ連立政権の時
村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E8%AB%87%E8%A9%B1%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%BE%8C50%E5%91%A8%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%B5%82%E6%88%A6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%8D
村山談話全文
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html

河野談話(1993年・平成5年)細川内閣、連立政権の時
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%86%85%E9%96%A3%E5%AE%98%E6%88%BF%E9%95%B7%E5%AE%98%E8%AB%87%E8%A9%B1

12日のNHKスペシャルも興味深そう

 昨日、NHKの朝のニュースについて書いたのだが、今朝も、今度の12日の夜のNHKスペシャルが紹介されていて興味深そうだ。
 題名は、
『かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~』NHKスペシャル12日の午後10時~ というもの。

 HPからコピー
『なぜ日本人は、戦争への道を歩むことを選択したのか。これまで"空白"だった道程を浮かび上がらせる第一級の史料を入手した。治安維持法制定時の司法大臣・小川平吉が創刊した戦前最大の右派メディア「日本新聞」である。1925~35年に発行された約3千日分が今回発見された。発刊当時、言論界は大正デモクラシーの全盛期。マイナーな存在だった"国家主義者"は、「日本新聞」を舞台に「デモクラシー=自由主義」への攻撃を開始する。同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が名を連ねていた。国内に共産主義の思想が広まることを恐れた人たちが、日本新聞を支持したのである。さらに取材を重ねると、日本新聞は地方の読者に直接働きかける運動を展開していたことも明らかになってきた。そして、ロンドン海軍軍縮条約、天皇機関説排撃など、日本新聞が重視した事件がことごとく、社会から自由を失わせ軍の台頭を招く契機となっていく。知られざる日本新聞10年の活動をたどり、昭和の"裏面史"を浮かび上がらせる。

※登場人物に扮した俳優が、当時の原稿や発言を朗読。小川平吉役は、伊武雅刀さん。他に石丸幹二さん、正名僕蔵さん、小林勝也さん、高瀬哲朗さんが出演。』

 以前、NHKスペシャルで日本の大新聞が戦争を煽った事を取り上げた記憶がある。
今回もそういった事なのか、と一瞬思ったがそうではなかった。
 現在、日本は右傾化が強まり、戦争前夜と似てきたと様々な人が指摘している。もちろん昔と今と同じではない事は確かだが、何かそこに通底するものがあるような気もする。
 しかし、それが何なのか、我々にははっきり分からない。
 今回のこの番組は、その辺のところに焦点が当たったとても時宜にかなった今まであまり無かった番組なのではないか。
10日や11日にも戦争関係のNHKスペシャルが放送されるようだ。

 折しも、地元紙(信濃毎日)の社説で、「防衛省が2020年度予算の概算要求で、過去最大の5兆3千億円超を計上する方針を固めた。」と、必要最小限の装備なのか、と社説で批判していたが、もう後戻りできない地点にきているのではないか?国民は本気で考えるべきところに来ているのだろう。

NHK朝のニュース変化?

 NHKの朝のニュースを時間を見るためもあり、いつもつけているが、昨日、今日と、時宜にかなった適当なニュースが流れて来た。
 昨日は、今週の土曜日(10日)のETV特集でやる「ひろしま」という映画の紹介をやったり、今日は、インパール作戦の被害について、現地インドなどの人の立場から、戦争の実態を伝える記念館が現地の人によって作られた事の紹介や、今、韓国の現代文学が日本でも読まれるようになってきて、読書会などが開かれ、こういう事がお互いの理解を深めるのに重要などとしている様子が伝えられていたり、また今日は、今話題になり、中止となった『表現の不自由展』へ爆発の脅迫をした男が逮捕されたというニュースもきちんと伝えていた。

 昼間から、韓国の反対をセンセーショナルに伝えていて、それが、日韓の国民にとって何が利益になるのか?本当に見るのもいやになるような何かのプロパガンダ的なニュースをどんどん流すのではない、まともな感じが、とても好感が持てる。

 NHKをぶっこわす党などという党は出鱈目のようだが、NHKニュースが「北朝鮮」や「中国の国営放送」のような状態では、普通の国民からもそっぽを向かれる、これではいけないという危機感があるのかなあ?
 そうNHKの人達が感じているのならいいのに、と思った朝だった。
 (けさの収穫)
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「徴用工の真実」 早乙女勝元著 その一

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 現在問題となっている韓国の徴用工について知ろうと思い、読んだのだが、この本は中国人の徴用工の話であった。しかし、この本にはその話と、韓国のジャンヌ・ダルクと言われている柳寛順(ユグヮンスン)についての話に関連して朝鮮人慰安婦なども少し触れている話、その2つの内容であった。
 従って、今、問題となっている『韓国の徴用工』についての直接的な知識を得る事は出来なかったが、どちらも実際にその体験者に会ったり、現地を訪れて調べた事を元に書かれている。「徴用工」とはどんな物か、や韓国と日本の歴史を調べて行く取り掛かりには充分なる本だと思える。

 まず、『徴用工』の方だが、これは、劉連仁(リュウリェンレン)という中国人で、戦争中、『徴用工』として日本に連れて来られ、北海道の炭鉱で働かされ、そこから逃げ出して、終戦になっても気づかず、13年間北海道の山野を逃げ回って見つかり中国へ帰る事が出来た人の話だ。その人を助けるのに関わった北海道華僑協会の人や、中国へ行って劉連仁の家族、本人に会って取材して書かれたもの。
 「徴用工」の実態がしっかりと書かれている。

 この本を見て、私は大学時代に「茨木のり子詩集」で、この人の事を書いてある詩を読んだことを思い出した。ウイキペディア「茨木のり子」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E6%9C%A8%E3%81%AE%E3%82%8A%E5%AD%90
その詩は、「りゅうりぇんれんの物語」という物。

 今、手元にその詩集は無いので、ネットで調べてみると、
「茨木のり子りゅうりぇんれんの物語」で検索すると、その長い詩、全文が載っている詩のブログや、この詩を朗読している動画、など色々と出てきて、これだと確認できた。
 これは、知っている人たちにとっては有名な話なのだろう。

 さらに、ネットを調べると、
「生きる 劉連仁の物語」森白智子著 童心社という本がある事が分かった。これは児童書であり、この茨木のり子の詩をきっかけに、さらに児童にも伝えたい事があると書かれた物のようだ。これもいずれ読んでみようと思う。
 
 こういったように、まじめでまともな色々な出版物などが多くあるのだが、それが一般の人に知られていない。変な嫌韓本のような本が書店にもあふれ、大量にアマゾンなどの広告でも上位に出ている。私がこのブログを書いているが、同様な変な広告が私のブログによく載って来る。どういう所からそういった金が出てくるのだろうか?
 そういった世相が本当に問題で、よく「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉を聞くが、本当に現在の状況を現している。

「徴用工」について、もう一つ若い頃、読んだ記憶があるのは、本多勝一の「中国の旅」だ。これは手元にあったので、調べると、「11 強制連行によるドレイ船の旅」という章で、かつて、中国で捕まって徴用工にされた中国人の崔振英という人に取材したものが載っていて、この劉連仁と同じ『徴用工』とはどのような物かが、本人のインタビューで明らかになっている。

 ドイツでは、ナチスによるユダヤ人の強制収容や強制労働、大虐殺が良く知られているが、日本でも結局、ドイツのように機械の様な秩序を持って恐ろしい事がなされたという感じではないが、政府の「労工狩りの閣議決定」の方針に基づき、そういった「ドレイ労働」とも言って良い恐ろしい事が行われた。
 働けなくなった者はガス室へ、という物では無かったが、日常的による虐待や、栄養失調、などによる死は、ナチスと同じような残虐な事をしていたのだが、その事をドイツ人と違って、日本人はぼんやりとしか知っていない事にあらためて気が付く。
そこに根本の問題があるのだろう。

 この本から引用すると、
『1931年9月、いわゆる「満州事変」からはじまった日中戦争は、37年7月盧溝橋の銃声を契機に、全面戦争へと突入する。戦争が長びくにつれて、出征していく男たちが急増し、国内での労働力が激減していった。
このため政府は、38年に「国家総動員法」を公布して、戦争に必要な人的・物的資源の統制運用に踏みきらざるを得なかった。戦争遂行の目的で、国民生活のすべてが統制下におかれたわけだが、そのエリアは国内だけにとどまらなかった。まっ先に狙われたのが、植民地だった朝鮮半島で、39年9月から、朝鮮人労働者の動員計画が具体化する。
日中戦争が泥沼にはまったままで、太平洋戦争にまで拡大した42年11月27日、東条内閣は「華人労務者内地移入ニ関スル件」を閣議決定した。
すでに、中国東北部では日本軍が接収した工場や鉱山で、「労工狩り」「兎狩り」による徴用工の強制労働が先行していたのだが、いまや公然と国家政策になったのだった。』

 朝鮮半島はすでに日本の植民地であった訳で、戦争状態の中国の人と、朝鮮半島の人とは待遇など違っていた事は考えられるが、その辺りの事はこの本では分からない。
 次回は、この本に出ている話など実際の例をもう少し紹介したい。


 

猛暑に思う

  連日の猛暑、ところが今年の夏は『電力不足の危機』などという事は全く言われなくなり、もっぱら「韓国への非難」ばかりである。

 太陽光発電が増えてきた事、電気製品の節電性能の高まり、節電意識もある。太陽光発電がここまで広がって来る事は政権の冷たい方向にも関わらず、世界の大勢なのだろう。ネットを見ると、大口の自家発電が増えていること、原発が再稼働している物がある事(部分的な場所の話だと思うが)などが原因のようだ。

 「原発再稼働」に向けて、夏の電力不足が声高に煽られていた時の事を思い出してほしい。
 様々な、論調が、原発が無いとやっていけない、日本はだめになる、などと騒ぎ立てていた。その後、アベノミクスの重要な矢とされていた海外への原発輸出は全滅した。
 全く原発など必要が無いのだ。原発再稼働をしてしまった九州電力などが、太陽光発電を制限するような話がしばらく前に出ていた事も思い出される。

 要するに、どう考えてもこの地震列島で「日本滅亡」のリスクを背負ってまで、たかが電気のためにこれからさらに「原発再稼働」などという事はいかに馬鹿げている事かを肝に銘ずるべきだ。

 同じように、現在の「日韓問題」も同じく全く馬鹿げた事だ。というかまともな大人ならこんな事はしないだろう。
現政権が何か自分たちの利益のために(自分たちの政局を有利にするために)大騒ぎで国民を煽っているだけであり、これが後、2,3年もすれば、安倍政権はすでに倒れて、「あれ、この頃、日韓の問題はあまり聞かなくなったなあ~、今年の海外旅行は韓国へでも行ってみるか。」などとなる事に違いない。

安倍政権の世論誘導成功?

 安倍首相の支持率がここにきてグンと上がったとNHKの世論調査が伝えている。
 これは、今、問題となっている韓国とのもめごとで強硬な姿勢をとっているからなのだろう。その現政権の姿勢を良しと感じている人が大勢いるという事なのだろう。

 日本は、韓国への輸出規制を韓国の徴用工問題に対する報復でやっている訳だが、『徴用工』について自分でも良く分かっていないので、何か参考になる本は無いかと、アマゾンで、『韓国 徴用工』と打ち込んで本を検索してみると、1ページ目から、韓国が間違っているおかしな国で、日本は正しく、良い事をしてきた、している。という論調の本がズラッと出て来る。

 例えば、「韓国への絶縁状:変見自在セレクション」・「でっちあげの徴用工問題」・「韓国、ウソの代償 沈みゆく隣人と日本の選択」・「徴用工と従軍慰安婦 韓国、二つの嘘」・「「徴用工」の悪心」等々。韓国人が韓国を批判したような本もあるようだ。
 かの百田尚樹の書いた「今こそ、韓国に謝ろう ~そして、「さらば」と言おう~」などという本もある。

 読んだわけではないが、カスタマレビューなどを見ると、特に歴史的な背景をしっかり追って書かれたというより、歴史の現象をつまみ食い的に利用したり、現在起こっている問題についての安倍政権寄りの主張を応援し、韓国を嫌いになるように持って行く内容に思えた。
 一体、こういった本を発行する資金源はどこから出ているのだろう。

  そのような政権寄りでないものは、検索の最初のページの方には、とても少ないようだ。赤旗編集局の「韓国・朝鮮植民地支配と日本の戦争―三・一独立運動100年から考える」という本が何となくまともな事が書いてあるのだろうな、というくらいだ。

 さらに検索していったらこの本が出てきた。

 『徴用工の真実』-強制連行から逃れて13年― 早乙女勝元著

 著者が『早乙女勝元』といったら東京大空襲について本を書いた作家で有名だから(読んだことは無いが)ちゃんとした本だろう。これなら気軽にも読めそうだと思い、購入してみた。

 評論家や学者?で無く、作家(児童文学の作家でもある人らしい)なので、読みやすく、「徴用工」とはどういう物か。また韓国の人の日本へのイメージがどういう物か、そのわけについてもよく納得できるものだった。
 「徴用工」とは何か?なぜ韓国の人は、あのように日本に怒るのか? 本当に韓国はおかしな国なのか?
 そんな事に疑問を持つ方々が読んでみたら良いのではないか。
 内容については、もう少し詳しく読んで紹介していきたい。

NHK ETV特集 10日の広島特集の内容が凄そうだ

 昨晩(3日)の事、夜寝ようとして、歯を磨く時間にちょっとテレビを見ようとつけて、チャンネルを回したら、NHK・EテレのETV特集で、「あの夏を描く高校生たちの広島」という番組をやっていた。広島の高校生の美術部員?が被爆者の体験を聞いてそれを絵画にするという活動のようだった。よくある平和教育の話か、とそれほど期待せず少し見ていた。二人の女子高生を主に追っているようだったが、彼女らの取り組みと真剣に悩む様子に次第に引き込まれていきずっと見続けていた。

 今日、あらためて番組HPを見ると、このような物。番組HPからコピー。
『広島市内の高校生が、被爆者の証言をもとに絵を描く活動を続けている。写真や映像がほとんど残っていない原爆投下直後の惨状を克明に描いた絵。その数12年間で約140枚にのぼる。番組では「原爆の絵」の制作に挑んだ女子高校生たちに密着。戦争を知らない世代が、74年前の想像を絶する惨劇と、原爆がもたらした「心の荒廃」をキャンバスに表現するという難題に挑む。被爆者と何度も対話を重ね、試行錯誤した姿を追った。』

 被爆者の話を聞き、それを基に絵を描き、満足できる物が出来ない、彼女らの内面の動き、若々しい感性がすばらしく、もちろん技術的にもレベルが高く、苦闘した作品の出来に、被爆者たちも満足したり、涙を流している人もいた。
 
 最初から見ないので分からないが、番組紹介を見ると12年間も続いている活動のようだ。指導する顧問?の先生がちょっと写ったが白髪の先生であった。番組の最後に12年間に描かれた作品が全部写された場面が出てきたが、壮観であった。ただ自分の想像だけで描いているのではなく、被爆者との交流から生まれた作品は力を持っているように感じられ、教育としての活動を突き抜けているように思えた。

 この番組も、もちろんとても良い番組と感じたのだが、この番組の中で、制作に行き詰る生徒たちのために顧問の先生がある映画を見せる場面が後半で出てきた。
 それは、敗戦後間もなく作られた映画で、被爆者自身も出演している映画だという。白黒のその映画が少し写されたが実際の被爆当時の感じが非常に出ているような迫力ある画面であった。見ていた生徒の中にはショックで発熱して寝込んでしまうくらいで、その後の制作活動にその衝撃が如実に生かされている様子も番組で描かれていた。

 そして、番組の後や、今日、ETV特集の予告などを見て見ると、その映画自体の事が、来週の土曜日、8月10日のETV特集で放送されるようだ。
 昨日の番組の最後にも、オリバーストーン監督が、「これは絶対に見るべき映画だ」と述べていたのも印象的だった。

 今の世相は、全く、北朝鮮がミサイルで来たら、日本も核武装を、などと平気で言い出しそうな状況だ。
 このような映画が、何も無い、苦しい生活の当時の人々の力によって作られたという事は、それこそ重要な事で、日本人の誇りにもなる事だろう。我々もぜひどんな映画なのか、知らなければならないと思った。

 ETV特集 8月10日(土)午後11時~午前0時
 『忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”』
 番組紹介HPからコピー
『原爆投下から8年後。広島で空前絶後の映画が製作された。タイトルは「ひろしま」。撮影に参加した人の数は8万8千人。日本映画史上、最大級のスケールを誇る。原爆投下直後の広島で何があったのか?被爆者たちが自ら演じて再現している。この映画は、ベルリン映画祭で入賞。国際的な評価を受けた。しかし今、この映画の存在はほとんど知られていない。いったいなぜか?そこには、時代に翻弄された映画の知られざる事情があった。』
 というもの。
 これは見落とせない番組だと思う。

 8月15日(木)にも再放送で、午前0時から午前1時に放送される。だから14日の夜中という感じの時になるのか。

 

山本太郎 選挙後初めて街頭演説 1日夜、新宿での内容 

 長周新聞が、選挙後の先日の1日夜、新宿での街頭演説を行った山本太郎の演説の全文を掲載して読めるようにしている。

 動画なども出ているのだと思うが、詳しく文字で見たい方、こちらに全文が掲載されている。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12617

 長周新聞は、「れいわ新選組」を選挙中から支援して報道をしていた。
 長周新聞 ウイキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%91%A8%E6%96%B0%E8%81%9E

 良く見ているジャーナリストの本澤二郎という人のブログにも、選挙中に、長周新聞について、このような文章を載せていた。
 https://ameblo.jp/honji-789/entry-12494926338.html
 
 

NHKスペシャル 香川照之の昆虫やばいぜ を見て

 以下のような番組 番組紹介のHPから『コピー』

『「人間よ!昆虫に学べ」をテーマに、カマキリ先生(カマキリに扮した俳優・香川照之さん)が虫を求めて野原を駆け回り、ほとばしる昆虫愛を語る人気番組、「香川照之の昆虫すごいぜ!」が、Nスペに進出!昆虫と私たち人類の未来に迫る。
カマキリ先生は、生物多様性の聖地・コスタリカへ。宝石にしか見えないコガネムシ、ありえない虫・ツノゼミ、少年時代からの憧れ・モルフォチョウ・・・、魅惑の昆虫たちを前に、大興奮のカマキリ先生。しかし、そんな昆虫王国にも人間による開発や温暖化による異変が忍び寄っていることを知る。そこで、世界の昆虫の“今”を大調査。日本では昆虫が激減。ドイツでは、8割近い昆虫が減る異常事態が進行中で、花や鳥まで消えた沈黙の世界が広がっていた。研究者の間では、「あと100年で昆虫は絶滅する」とまでいわれ、人類滅亡を招く恐怖のシナリオ=「昆虫カタストロフ」が現実になってもおかしくないという。一方、最新の研究からは、北米のオオカバマダラが羽を大型化させ、進化によって、気候変動に対抗していることが判明!もしかしたら、本当に“やばい”のは昆虫ではなく人間なのかもしれない。カマキリ先生とともに昆虫に驚嘆し、胸を熱くし、子供たちが大いに学べる夏の夜をお届けする。』

 番組紹介など、この2,3日テレビに出ていて、「夏休みお子様向け番組」なのだろうなあ~、と思っていた。それでもコスタリカでの昆虫採集とはどんな様子か、ちょっと興味があったので途中から見ていた。

 すると、途中のこの部分の内容の所になった。
『しかし、そんな昆虫王国にも人間による開発や温暖化による異変が忍び寄っていることを知る。そこで、世界の昆虫の“今”を大調査。日本では昆虫が激減。ドイツでは、8割近い昆虫が減る異常事態が進行中で、花や鳥まで消えた沈黙の世界が広がっていた。研究者の間では、「あと100年で昆虫は絶滅する」とまでいわれ、人類滅亡を招く恐怖のシナリオ=「昆虫カタストロフ」が現実になってもおかしくないという。』

 このことについて、良く言われているような事なのかな、「まあ、そういってもそれほどの事は無いだろう、熱帯雨林のアマゾンやボルネオなど問題なのだろう」などという気持ちがあったのだが、この番組を見ると、これは昆虫学が古い歴史を持っているドイツの研究が紹介され、本当にここにきて急激に昆虫が減少している事が示されていた。このままでは本当に「あと100年で昆虫は絶滅」となりそうな気がした。そしてそれがヨーロッパやアジア、アメリカなど世界中で同様の減少が見られるという事だ。

 その原因として、開発などによる環境の激変、温暖化、農薬、などの事が並行的に示されたのだが、番組でも香川さんが「農薬が・・」とちょっと口走っていたが、この急激な現象はおそらく農薬が一番大きな原因なのではないのか?という気がした。
ミツバチの神経系が狂ってしまい巣に帰れず死んでしまうというネオニコチノイド系の農薬の問題が世界的に出ていたのだが、もしかして、現在、流行っているそういった低毒性と言われるような農薬が、大きな原因なのではないか?
以前、こんな事をブログで紹介した。
https://js30.at.webry.info/201805/article_9.html

番組では、昆虫が絶滅したら、生態系が次第に滅び、人間も生きて行かれないという事を子供にもわかるように説明していた。

ネオニコチノイド系農薬ばかりでなく、農薬や他の用途に使われる化学物質は、人間にとっては、直ぐに死ぬような害では無いのだが、次第に同じ生物である人間も、昆虫と同じように人間存在の重要な部分に作用して、取りかえしのつかない害を与えるのではないか。「沈黙の春」や「奪われし未来」で警告された事は、部分的には一部は禁止されたりして対策がとられたのだろうが、それが出版されてからの後の時代、そこで述べられた問題が、根本的に解決されたわけではない。その証拠に、それ以後の世界で、このような昆虫の大量死がさらにひどくなったり、人間についても同じ傾向が続いているのではないか。
 番組では、子供向けという事もあり、明るい未来もこじつけのように最後につけていたが、開発、農薬、などについて深く鋭く切り込んで考えていくと、暗い未来になるが、そういった内容のテレビは暗澹とした気持ちになり、見たくなくなるので作れないのだろうか。

 韓国ともめ事になって、そんなことが一番大きなニュースになっているようでは、国家的規模の災害や、人類史的な問題が起こってきている現在、本当に「小学生レベル」の政治と言える。
 
「れいわ新選組」では辻村ちひろ、という候補者をたてて政党の方向としても環境問題が重要だと訴えていた。国会から身体障碍者の問題が大きく進みそうであるとともに、色々な分野で進んだ政策をかかげてくれそうで、こういった政党に本当に日本を任せたいと思う。
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 わが家の庭の小菜園では、もちろん農薬は使っていない。なので、マメコガネなどの害虫は手で取ったりしているが、小さい畑なので、そういった事が可能である。今朝の収穫。 
 翌日の収穫
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 その翌日の収穫
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 今年は、耕運機で人に耕してもらったりしたせいか、ちょっと追肥をやったり、虫取りもちゃんとしたせいか、まあ人並みの家庭菜園の収穫になっている。7月下旬から8月にかけての夏野菜の自給率は60%くらいにはなっている。後30%は人にいただいたりするので、10%くらいを買っているくらいだ。もっともこれは夏野菜シーズンだけの話。後は作っていない。
 藻谷啓介の「里山資本主義」や、最近多くの人が見ているテレビ「ぽつんと一軒家」に良く出て来る人などのように、コメなども作ったり、ほぼ一年中、野菜などを自給できたら、どのくらい豊かで満ち足りた気持ちになる事だろう。そんな生活に近い方はけっこういる事だろう。少しでも見習いたいものだ。