CIA秘録 第12章を詳しく読む その二(第一段落の後半)

 今回は、前回に続いて12章の一節目の後半部分を要約する。『~本文を引用した所~』

 前回、戦後、マッカーサーの片腕として諜報を担っていたウイロビー少将が、日本の有末陸軍中将から諜報関係の機密を受け取り、スパイの元締めとして活動させていた事、有末中将はそれにより戦争責任を逃れた事は書いた。その続きである。
今回は、その続き。
『アメリカの諜報機関が日本で行った「お粗末な仕事のやり方」の古典的な見本は、政治的マフィア児玉誉士夫との関係だった。』

 児玉誉士夫という名は、私も田中首相のロッキード事件などのニュースが世の中をにぎわせた時などに聞いた気がする。右翼の大物で大金をあやつり政治家に影響力を持った人といった感じのイメージがあるが、どんな人なのか正確には知らなかった。
この本を読んで、はっきりとどんな人物か分かった。長くなるが引用すると。

『児玉は1911年生まれ、二十一歳の誕生日を迎える前に、帝国議会議員に対して殺害の脅迫をしたかどで五か月間、投獄された。二十一歳のとき、暴力団・右翼反動派の集まりである「天行会」とともに政治家と政府当局者に対する暗殺を計画したが発覚、投獄されたが、四年と経たたないうちに釈放されて極右青年運動に着手し、これが日本の有力な保守派の指導者の支持を得た。
戦時中は上海に足場を置き、五年間にわたって戦時の最大規模の一つと言われる闇市を取り仕切った。占領中の中国を舞台に数千人の工作員が、戦略金属からアヘンに至るまで、日本の戦争遂行機関が必要とするあらゆるものを買い付け、盗み取った。戦争を金儲けの材料にした。戦争が終結したとき、児玉の個人資産はおよそ一億七千五百万ドルに上った。「外務省、陸軍省、海軍省、特別高等警察を含む日本政府当局は、児玉が持ち込むものを何でも高く買い取ったが、その事業のやり方については見て見ぬふりをするか、ほとんど大目に見ていた。陸軍も海軍も、児玉とその一党の「提供した」戦利品などを転売して大きな利益をあげていたとされていた。」児玉に関する初期のCIA報告にはそう記されている。』
といった人物なのだ。

 1948年、児玉は、アメリカ占領下の拘置所から釈放され、朝鮮戦争が始まり、前回の所に書いた有末やアメリカ側の実業家やCIAなどとつながり、朝鮮戦争を利用し、戦時物資のタングステンを旧日本軍の貯蔵庫からアメリカに密輸して荒稼ぎしたりもした。
CIAは児玉が共産主義の拠点にスパイを組織し送り込む能力を評価したり、ペテン師でどろぼうだ、とも評価していた。

『それでも児玉は、資産の一部を日本の最も保守的な政治家に注ぎ込み、それによってこれらの政治家を権力の座につけることを助けるアメリカの工作に貢献した。ファシズムに対する戦争では、こうした男たちはアメリカの憎むあらゆるものを代表する敵だった。共産主義に対する戦いでは、彼らはまさにアメリカの必要とするものとなったのである。』
東西冷戦の始まりという世界情勢の回転によって、日本のファシスト達は生き残り、アメリカの諜報などに協力することにより力を回復していった事が良く分かる。

 アメリカの占領統治が終わりマッカーサーが退場、朝鮮戦争も停戦するとともに、アメリカがその権力と影響力を日本で維持するためにCIAは様々な活動を始める。
アメリカの味方となる将来性のある政治家を支援したり、日本人がアメリカ軍基地を受容する心情を作ろうとしたり、労働者や労働組合を対象とする秘密工作などを行った。

 そして、
『~CIAが「重要な人物を操ることを目指す」数々の秘密工作を計画している、と述べていた。この操作は、「アメリカの国益を高め、新しい日本政府をアメリカの国益に沿った方向に向けさせることを企図したものにすべきだ」と報告は続けていた。』

 いよいよここで、岸信介が登場する。
『アメリカがその狙いを達成するのを助ける、真に強力な日本人工作員を雇い入れるまでには、さらに数年を要することになる。その任務はまさに、アメリカの国益に資する日本の指導者を選ぶことにつきていた。CIAには政治戦争を進めるうえで、並外れた巧みさで使いこなせる武器があった。それは現ナマだった。CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった。
岸信介は、児玉と同様にA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に三年の間収監されていた。東条英機ら死刑判決をうけた七名のA級戦犯の刑が執行されたその翌日、岸は児玉らとともに釈放される。
釈放後、岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相の座までのぼりつめるのである。』