北穂高岳に登る

  涸沢へは、34歳の時に、岳沢からバリエーションルートのコブ尾根を登り、奥穂高山頂を通って涸沢カールに下り、涸沢小屋に泊まって上高地に下山してきた体験が唯一のもので、それは、中学生の時の燕岳集団登山しかしていない私にとって、懸垂下降の場所も一つあるような北アルプス本格登山の初体験であり、とても印象的な登山だった。
 当時、登山をかなり熱心にやっていた福島の弟に連れて行ってもらった登山で、若かったからこそ出来た登山だった。(懸垂下降もエイト環など使わない肩がらみで下りたことを思い出す)

 奥穂高はその後、もう一度岳沢から天狗のコルから登ったが、その時は前穂の方を回って重太郎新道で岳沢へ戻ったので涸沢カールへは行かず、北穂高もまだ登った事は無い。福島の弟もその後体調を崩して岩登り的登山からはずっと遠ざかった事もあり、涸沢カールはそれ以来、よその稜線から眺めるだけだった。

 テレビ番組などで涸沢カールが取り上げられることもよくあり、またいつかは行ってみたい、また行くからには登山もと思っていた。 私は今年68歳、だんだん高山登山が苦しい年にもなってくるし、猛暑のこの夏に丁度いいだろうと、まだピークを踏んでない北穂高岳へ兄弟3人で登る事にした。福島の弟にとっては、穂高や涸沢カールは大学時代のサークルでの思い出の地でもあり喜んで計画にのってきた。


 気楽なテント生活がいいのだが長時間の重荷は背負えないので、食事は山小屋でして、涸沢まで一気に行かず徳沢で行きかえりに泊まるようにしたら、と私が提案したが、「食事も基本的には自分たちで持って行くよ」と千葉の弟が言うので担いでくれるのなら、と弟二人が食料もテントなどの装備も持ち、私はほとんど個人装備だけのおんぶにだっこ的登山をさせてもらう事になった。
 
 19日の朝、それぞれの場所から上田に来て、私の車に乗って8時頃出発した。途中のコンビニで昼のおにぎりを買っていった。沢渡では、お盆明けだが日曜だったせいもあり、上高地が目的の観光客で非常に混雑していた。それほど待つことなくバスに乗って12時頃には上高地へ到着した。
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1時間ほど歩いて明神でベンチに座っておにぎりでお昼にした。

 さらに1時間ほど歩いて徳沢へ到着。時間はまだ午後2時頃だった。私は個人装備だけだったが初めてのテント3泊という事で着替えや行動食など何かと色々あり、私のリュックは小屋泊まり用のリュックだが、パンパンに満タンになってしまい、けっこう重く感じられた。最近は、登山と言っても日帰りでいつも飲み物と雨具とお昼くらいしかもって登ることしかしていないので重い物を背負う事が無い。弟たちの方が私のリュックよりさらにずっと重いのだが、千葉の弟は遅いペースの私にじれったくなって早く歩いて徳沢で先に手続きを済ませていた。
福島の弟は一人用、千葉の弟は二人用テントを運び私もそこに入る。
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 食事は、弟たちが色々と用意したレトルト製品や、インスタント製品を試したり、山小屋の食事と違って自分の体調や好みに合わせて臨機応変に飲食できてその点は良かった気がする。
 標高1500mくらいの徳沢のテント場では想像もしていなかったのだが、その夜はけっこう寒くなり、私の昔買ったシュラフは小さくて軽くて良いのだが安物らしく全く暖かく無い。下着を重ねたり雨具までつけてシュラフに入ったが寒さで良く眠れなかった。他の二人も寒かったと言っていたので、その夜はけっこう寒かった事は確からしい。明日からの登山の緊張もあり、私は良く眠れないまま次の朝となってしまった。

 朝食をとり、テントを片付けて7時頃出発した。途中、前穂高岳の稜線が良く見える場所があった。福島の弟が色々と説明してくれた。
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 横尾に8時頃到着、少し休んで涸沢に向かって出発した。後で考えると、時間もあったのだから我々は一日目は横尾でテント泊にするべきだったかな~。徳沢から横尾までの朝1時間分の荷物を運ぶエネルギーを使っていなかったら・・・。
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屏風岩を横目に見ながら、本谷橋へ向かった。
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 涸沢に向かうこの道は、昔、下ってきた時の記憶がぼんやりあるだけで、その時は下りでもあり若かったし特にくたびれた記憶も全く無いが、昔に比べてずいぶん道が整備されているような感じがした。まるで遊歩道レベルのようだ。日本を代表する登山道だからだろうか。
 そんな良い道でもやはり荷物が肩に重く感じられて「快調」に飛ばす、などとは程遠い歩き方だった。
 今回、周りを見渡しても、我々より若い人が多く、重荷でスタスタと昇り降りしている人が多く、60代登山隊の我々(特に私)は自分たちの体力や年齢も意識せざるを得なかった。
1時間以上かかって本谷橋に着いた。大勢の人が休んでいる。我々も休憩して飲み物を飲んだり、ちょっと何かを口に入れたりしてしばし休憩した。この写真の時間を見ると9時35分だ。
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 ここからちょっと急な登りとなり、私は荷物がさらに重く感じられ、ゆっくりと登らざるを得なくなった。屏風の頭の北西側をトラバース的に登っていくのだが標高はあまりかせげない。横尾谷の上部の圏谷が見えてきたり、ガレ場などを過ぎ、奥穂の尾根が遠くに見えだしてくるが中々標高は上がらない。涸沢ヒュッテは標高2300m程度だ。弟の高度計でまだ1900mだなどと言っていて、私は中々足が進まなくなってきた。
 弟たちに休憩を求めて何度か休んだりバテては困ると水分を補給したり何か口に入れたりしながら登っていく。
 ゴゼンタチバナやオオカメノキは赤い実をつけ、道端に少しあったチングルマも綿毛となり、山はすでに秋に向かいつつある雰囲気だったが、その自然をゆっくり楽しむ余裕もない。
 しかし休憩している時に、オコジョが現れ、置いてあった弟のリュックに食いついてきたのには驚いた。非常に素早い動きで周りを動き回ってうまく写真に撮れなかったが、リュックの中の食料の動物性の臭いに引き寄せられたのだろうか?涸沢のキャンプ場などで人に慣れているのかもしれない。
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 涸沢ヒュッテの吹き流しが遠くに見えだし、灌木帯の背も低くなり、春には雪で覆われているであろう斜面になってきた。折から日差しも強くなってきて木陰の涼しさも無くなり暑さも出てきた。
 千葉の弟は先に登っている事にして、福島の弟と私で休みつつゆっくり登っていったのだが、涸沢小屋への分かれ道くらいになり、もうすぐそこなので福島の弟も先に行き、私はゆっくり登り続けた。階段のように石が積んである登りやすい道なのだが、苦しくなってきた。そんな所で休むのもかっこが悪くもう少しと思いちょっとがんばって登り切る。

 涸沢ヒュッテの入り口とその上の屋外テラスの所にやっと到着。二人の弟は椅子に座っていた。私もそこに座る。12時少し過ぎくらいだった。涸沢カールの印象は、雪が少ないなあ~、という感じ。8月20日のお盆過ぎになるとこの位なものなのだろうか?
 私が34歳の時の思い出の風景は、8月はじめだったような気がするがザイテングラードから涸沢小屋へトラバース的に下っていく道も雪に覆われていたし、カール全体に雪が多く残っていた印象がある。千葉の弟の記憶によるとザイテングラードの初めの部分も雪が積もって歩くところが溝になっていたと言っていた。「お盆過ぎはこんな感じなのかな」「温暖化の影響があるんじゃないかな」「今年の暑さじゃ溶けるよな」などと話す。何となく以前よりちょっと貧相なカールの風景に思えた。
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 弟二人は昼として、「カレー」と「おでんセット」を注文して美味しそうに食べ始める。福島の弟はビールを美味しそうに飲みだす。
 ところが私は、弱い吐き気が出てきてとうてい食欲がわいてこない。ちょっとおでんの大根の欠片をもらって口に入れてみたが食欲が出てこない。まずいなと思っているうちに貧血的な感じになってきて視界が白けてきた。「これは困ったな」と思いつつ、何とかテント場に移動、二人がテントの場所を探しテントをたてている横で石の上に横になっていた。テントが立つと、中に入って寝させてもらう。
 「あ~、困ったな~単なるバテかな~、高山病かな~。標高2300mで高山病とは情けないなあ~、これでは明日は登るどころでは無いぞ、さらに荷物を背負って下りられないようならどうしよう。やはり年を取るとこういうことになるのかな~」などと悲観的な考えが頭を巡る。
写真は、寝ている私を弟が「こういう所、撮っておけ、」と私のカメラで撮っていたもの。
幸い1時間ほどぼんやり横になっていたら気持ち悪さは無くなってきた。貧血的な症状も消えた。
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 3時からテント受付という事で、それを弟たちが済ませ、昨晩、私の寝袋が寒くてダメだったので寝袋も受付で借りてもらったり、ヘルメットも私はつけたかったので小屋で借りてもらったりした。(もちろん代金が必要)
 ひと段落して、私も一緒にヒュッテのベランダへ行き、少し食欲が出たのでカレーを頼むと、まあ美味しく食べる事が出来たので、ホッとする。
「やれやれ。」

 テントで休んでいるうちに雨が降り出してきて、降ったり止んだりといった天候になってしまったが、小雨位でも登ろう、という事で腹を決める。
 テント泊の人も涸沢ヒュッテのトイレや水場などを利用するがそれらもとても快適だった。天気状況も小屋のテレビなどで確認できる。携帯は圏外となっていた。テント場では全国から来ているらしい高校山岳部などのグループが楽しそうに食事の用意をしている声が聞こえてきたり、夜に水場に歯磨きに行くと売店前のテーブルには小屋どまりの韓国人登山者や日本の登山者のグループが楽しそうに飲んで談笑していたリ、など涸沢は活気にあふれていた。お盆過ぎなのでテントの数はそれほど多くないように思えた。

 その夜は、雨は止んで霧がおおうような天候だったが気温は昨日に比べ暖かく、シュラフを借りなくても自分の物で大丈夫であったくらいだった。またコンパネを借りたのだがそれがしっかりした物で、寝る時とても快適だった。この夜は多少は寝る事が出来た。

 朝、4時頃には起き出し朝飯を食べ準備して明るくなり出した5時過ぎに出発する。少し登って見下したこの写真は5時34分だ。
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 これは下りて来てから撮ったものだが、北穂への一般ルートは、涸沢小屋の上の南稜を直に登る。
下から見ると険しそうに見えるが、コースは整備され険しい所には足場がしっかりつけられたりクサリやはしごなどもあったり、また高度感のある怖い場所があまり無い。足場の岩がしっかりしていて不安感が起こらない。
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 私達が徳沢に着いた日に、この南稜で転落死亡事故があったようだが、その方は何か体調が悪いとか、足を滑らせ踏み外したかしたのだろうか?普通の状態ではあまり危険なコースでは無いだろう。山を下りて来て家人からそのニュースを聞いたが、新聞を見るとやはり60代のグループ登山の方だった。分かっていたら現地で冥福を祈れたのに。
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あれが東稜のゴジラの背だと福島の弟が大学時代の思い出を話す。
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 途中、韓国人の登山グループとすれ違ったりして、私も「アンニョンハセヨ」などと声をかけ挨拶をかわしたりした。

 急な斜面を登り切ると稜線からなだらかな尾根があり、そこはテント場ともなっている場所だそうだがテントは一つも張ってなかった。私達が少し登り出した頃、登ってきた高校生の登山隊の一団が、追いついてきた。とてもキビキビした感じの良い高校生たちだった。
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 稜線に出ると道はしばらく山頂まで稜線のちょっと下をトラバースしていく。滝谷の険しい岩壁が見れる。
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 間もなく山頂に到着する。8時40分ころだった。ヘリの荷下しなどの関係か、山頂は広く平らになっていてすぐ下に北穂山荘があった。槍ヶ岳は霧にかかっていたが南岳くらいまでは良く見えた。
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 山頂で写真を撮り、山荘へ行ってみる。まだ朝の静かな感じで、登山客が一人だけ外のベンチに座っていただけであった。コーヒーを注文していただく。とても美味しいコーヒーだった。
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高校生たちもやってきて休憩し出す。我々は下山を始める。朝のうちに北穂高に登る事が出来、気分も良く下る。やはり荷物が軽いという事は楽だなあと実感する。
余裕が出てきて道ばたにわずかに残った高山植物にも目が行く。
今日、徳沢に下り徳沢ロッジの風呂に入ろう、という事で予定通り下山する事にした。
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 テントを片付け、借りた物を返し、最後にテラスで「おでんセット」を食べて涸沢カールから下山する。写真は下る方向の屏風の頭の谷の方。
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下り出したら直ぐに小さな女の子を連れた親子連れと行き会った。聞いてみたら4歳との事、「ここまで歩いてきました」とお母さんが言っていたので、背負う事も無く歩いてきたのだろう。すごいなあと思うとともに、やはりここまでの道がとても整備されている事もあるのだろう。

 徳沢についたのは3時か4時頃だったか忘れたが、横尾からは千葉の弟が先行し、私は福島の弟とのんびり話をしながら後から行った。徳沢に到着し、徳沢園でソフトクリームを食べたり徳沢ロッジの方の外来入浴できるお風呂に入ったりして疲れをとった。

 翌朝は7時頃には出発した。すぐに前穂のピークが朝日に浮かび上がって見える場所があった。やはり穂高は日本離れした山だなあと思う。
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明神からは右岸の自然観察道の方を通って上高地へ戻った。
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バスは空いていた。沢渡からは自家用車に乗り換え、千葉の弟が探しておいた入浴施設
「安曇野みさと温泉 ファインビュー」という所へ行ってみたが、とても良い所だった。そこで入浴した後、山形村の「唐沢そば集落」というのも車で近くだったので行ってみてお昼にしたが、そこもとても良い場所であった。
上田の家には3時頃到着した。

 今回の登山は、私は初めてのテント3泊の登山だったが、弟たちのおかげで何とか無事に登る事が出来、あらためて北アルプスの槍穂高、涸沢カールなどの周辺のすばらしさも実感した。しかし体力の低下も痛感した登山だった。

 登山道では韓国人登山グループばかりでなく、欧米系の外人にも良く出あい、上高地では英語、ハングル、中国語、などが標準的に掲示されている。こういったすばらしい日本の自然を海外の人も求めている時代だ。カジノなど作るより、アルプスの自然を生かしたような物や日本の本来の良さを生かした観光が必要ではないのかとも感じた。