2泊3日、伊吹山と紀伊半島の百名山

 新緑の季節も通り過ぎようとしている。昨年退職した千葉の弟と、今年はどこの百名山を登ろうかと考え、伊吹山・大台ケ原山・大峰山系の八経ヶ岳の三山を登ることにした。伊吹山と大台ケ原山は車を使いハイキング程度にして、八経ヶ岳は登山という風に考えた。

 5月20日(日)、前日から上田に着き泊まっている弟と、朝4時15分ころ家を車で出発した。空は晴れ、岐阜県に入ったばかりの恵那峡SAでは、雪をいただいている御嶽がはっきり見えた。濃尾平野に入ると伊吹山らしい山が見えてきた。伊吹山ドライブウエイに入ると、伊吹山の姿が大きく見え、その姿はやはり百名山だけの事はあるなあという感じだ。
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 ドライブウエイの道端にはタニウツギらしい赤桃色の花が点々と咲いていた。この花は以前、6月頃、奥裾花自然園への道端にたくさん生えていた記憶がある。伊吹山は雪が多いというからその辺りと風土が似ているのだろうか。道路が山頂部に近づくと、道脇に北側の深い谷の方に向けて三脚の望遠鏡にカメラをセットして、大勢の人たちがいた。帰りに聞いてみると「イヌワシ」を撮るためとの事。

 すぐに広い駐車場となった。山頂までは遊歩道で20分くらいの中央のコースを歩いた。今日は大台ケ原も行く予定なので、急いでの山頂往復なのだが、登山道の周りの山野草の花が色々と咲いていて、ここはお花畑なのだ、ということに改めて気が付いた。今ネットでちょっと調べてみると、こんなHPが存在していた。https://www.digitalsolution.co.jp/nature/ibuki/
百名山の数を稼ぐために、ちょっと山頂を踏んでくるか、などという気分でやってきたのだが麓から登ってじっくり味わうべき素晴らしい価値のある山なのだ。高山植物というより、山野草や高原の花といった種が非常に多そうだ。
 石灰岩の地質と豪雪、という条件でこういう豊かな植生が生まれるのだろう。植物の写真を撮る暇も無く、登山靴に履き替えず運動靴での山頂往復だった。

 山頂では天気が良かったので、四方の展望がすばらしく、関ヶ原古戦場の地形も上空から半分くらい見る事が出来る。琵琶湖も北の部分が良く見える。テレビの戦国時代を扱った番組を思い浮かべて下を見るが、大体の所しか分からない。こういった事も知識のある人に教わりながら解説してもらったら、四周の平野や湖水、街並みや山々について色々と面白いだろうな~。
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 これから向かう紀伊半島の山々は遠くて全く分からない。この素晴らしい晴天を喜びながら兎に角、小カルスト地形といった気持ちよい雰囲気の道をそそくさと駐車場へと向かった。

 写真は、山頂だが、これを書きながら深田久弥の「日本百名山」を見ると『~その伝えから頂上に日本武尊の石像が立っているが、尊にお気の毒くらいなみっともない作りであるのは残念である。』と書いてある。そんな事も意識せずただシャッターをきったが、もっとじっくり見てその「みっともなさ」を味わえば良かったなあ、などと残念だ。写真には撮らなかったが、深田久弥の時と同じように雪を頂いた白山も美しく見えた。
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 高速と一般道で奈良を通過、昼過ぎごろ、「道の駅 吉野路大淀iセンター」という大淀町の道の駅で昼食をとり、少し休憩。今回、長野県内と山道は主に私が、高速道路とくに都市部は弟が運転したが、この方法は中々良かったような気がしたのだが、ここから大台ケ原までは私が運転した。

 私は、吉野までは現役時代に仕事で一回来たことがあるが、それから南は全く行った事が無い。大台ケ原山に向かうが、道の両側の山々はますます高く、谷は狭い。トンネルも続く。ちょうど長野県の島々から上高地に向かう谷を思い出した。ただ、こちらの方が木々の緑が深くこんもりと繁り、まさに「深山幽谷」という言葉に近い。植林された針葉樹も多いようだ。吉野杉の本場なのだろう。午後もだんだん時間が過ぎて行くが、今日中に大台ケ原の駐車場に着き、最高点「日出ケ岳」への往復1時間を済ませたいので少し運転をあせってきた。
 カーナビに従い、道が国道を離れ、沢から山の斜面を登り出すが、『大台ケ原ドライブウエイ』という名から想像していた道とは違い。舗装はしてあるが、狭く見通しが利かない家の近くの裏山の林道のような感じだ。周りは杉の植林帯である。日曜の午後という事もあるのだろう。対向車が多く緊張した。尾根に近づくと次第に道が広くなり、周りの森林も自然の感じとなってきた。ここからが本来の「ドライブウエイ」の道なのだろうか?色々な広葉樹や針葉樹が混じって生え、しかもよく発達している。「良い自然林だなあ」などと思うのだが、なにせ時間に追われているのでそんな事もろくに目に入らない。霧も湧いてきて運転も大変になってきた。それでもやっと大台ケ原の駐車場に4時少し前に到着した。

 車が何台も駐車していて、帰ろうとする人々だろうか人の姿もポツポツ見える。今日の宿泊はこの駐車場のすぐ隣にある「心・湯治館」という宿で、5時頃チェックインと連絡していたので、急いで1時間の山頂往復を始めた。道はいくつかあるが一番短い道での往復だ。なだらかな登山道なので速足で登れたのだが、夕方も近づき霧が巻いてきて少し薄暗くも感じられ気持ちがせかされた。ところが霧の中の森林の様子が何とも風情がある。鹿の食害を防ぐために網を幹の基部に巻いてあったりして目障りではあるが、広葉樹と針葉樹が混じりあい、しかも大木が多い。木々には蘚苔類や地衣類がビッシリと着いていて、霧の中で文字通り「深山幽谷」といった雰囲気を醸し出していた。
 間もなく日出ケ岳山頂となる。一等三角点1695mだった。
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 登山者もまだ2,3人いた。展望台もあるが、霧で全く展望は無い。パノラマ図を見ると海が良く見える事が分かり、いかに海に近いかという事が分かる。今、地図で確認すると太平洋と直線距離で一番近い場所は10km程度なのだ。解説板では海からの湿った空気が山にぶつかって霧や雨になり日本有数の多雨地帯となる、と書いてあった。特に台風の時の雨量はすごいようだ。そんな大台ケ原の特徴がこの霧に浮かぶ森林なのだと思うと満足の山頂だった。
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 山頂部には霧の中、白い蕾を持ったツツジらしい木があったり、ブナらしい大木が霧の中で見えたりした。針葉樹の大木はトウヒやモミ類と説明板に書いてあった。
 テレビ番組でも見るが、西大台とか大杉谷などの方をじっくり回ればすばらしい体験になるのだろうなあ~、などと感じた。登ってきた後、駐車場の所にあるビジターセンターを見る。これを書くため大台ケ原の自然についてのHPを見ると、
http://kinki.env.go.jp/nature/odaigahara/about/history/history_index.html
 大台ケ原の成り立ちや歴史や問題点が分かる。鹿害や森林の衰退が深刻であると分かる。
「日本百名山」にも書いてあるが松浦武四郎が晩年、大台ケ原を非常に愛していたという事だ。北海道の大自然や、日本の古来の幽玄な雰囲気も、探検的要素も、併せ持った当時の大台ケ原に惹かれたのだろうか。
 5時頃には、「心・湯治館」に到着できた。私たちの泊まった旧館は、山小屋と旅館の中間のような感じの宿であり、それほど混んでいなかったので落ち着いて泊まる事ができた。
 夕飯にはイノシシの肉も出た。

 21日(月)、朝4時過ぎには起き出し、作ってもらってあったおにぎりを少し食べ、5時半くらいには出発していただろうか。大峰山の最高峰である八経ヶ岳へは、行者還しトンネル西口駐車場からのピストンが日帰りコースとして現在知られている。大峰山の縦走などはちょっと私には難しいので、この日帰りコースで登る事になる。大台ケ原駐車場からこのトンネル西口の駐車場まで車で1時間くらいかかった。途中、道端にキツネやサルも見られるような奥深い山の道路だ。トンネルを抜けると広い駐車場では無いがトイレなどの設備は整い、管理人もいる駐車場があった。駐車料金は1000円。ここの標高がすでに1100m位だ。準備をし、登り出したのが7時20分頃だった。
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 まず行者還岳から弥山の間をつなぐ奥駈道の稜線へ出るための登りとなる。標高差は400mくらい。登り始めてまず感じた事は、ここの森林の多様性と、木々が良く発達しているという事だ。大木がとても多い。観察する暇もないが、ヒノキの仲間の針葉樹やブナの大木や色々な大木が生えているように感じられた。木の皮がむけたようになってツルツルの赤い幹の木も目立って、長野県に住む私にとっては珍しかった。以前、天城山に登った時にもこんな木が生えていたなあ、でもあの時は冬だったからよく分からなかったなあ、などと弟と話していたが、先ほど調べてみると「ヒメシャラ」という木のようだ。シャクナゲもちょうど花をつけていた。長野県の山で良く見るアズマシャクナゲではないだろう。図鑑で見ると紀伊半島にあるというツクシシャクナゲという種なのだろうか?
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すぐに尾根に出るか、と思ったら中々つかない。コースタイムどおり1時間ぐらいかかって尾根に出た。少し疲れ出す。尾根の手前辺りから、白いツツジの花が美しく咲いている。その木も大きい。ガイドブックには「シロヤシオ」と書いてあった。図鑑を見ると「ゴヨウツツジ」という種にアカヤシオとシロヤシオがあるのか?いずれにせよシロヤシオは盆栽のような感じでそれがそのまま大木となったようなすばらしい木が多かった。昨日、大台ケ原で見た白い蕾のツツジはこれだったのだろう。標高が少し低いこの位置でちょうど満開となっているのだろう。
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 少し休み、疲れをとり、シロヤシオに見とれながら尾根を上下して行ったが、そのうちに今度はカエデの若葉が美しい林に入った。これもガイドブックによると「オオイタヤメイゲツ」というカエデだった。ハウチワカエデのように大きな葉で、紅葉すればこの林はどんなにすばらしいか想像できる。また、蘚苔類やカブトゴケなど地衣類の豊富についたブナやミズナラなどの大木も混じって生えている。
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 天気は快晴で明るい尾根道だった。行者が修行して駈けて行く尾根なのだろうが修行の厳しさや汚濁にまみれた下界を離れて一時でも極楽の雰囲気を感じていたのかもしれない、それも苦しい修行を続ける動機の一つになったのではないか。苦行ばかりでは無かったのではないか、などと想像して歩いた。

 多少の登り下りのある尾根を進んでいくと弥山の頂上付近に弥山小屋の一部が見えた。かなり遠くに見える。こういった尾根が山頂部にぶつかって、さらにそこを急に登っていくコースは、わりあいバテた経験があるので不安になった。行者の像がある場所を過ぎ、急な登りとなる。だんだん疲れてもきた。しかし天気も良く新緑の木々もすばらしく、野鳥の声もして、また登山道がジグザグに切ってあったり木の階段がしっかり作ってあるため、アルプスの直登の厳しい道ほどではない。周囲の風景を眺めたり時々休みながら登る。
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標高差が300mくらいだったせいもあり、私でもバテきる前に、なんとか弥山小屋前についた。10時半くらいだった。ここまで約3時間かかっている。
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 八経ヶ岳の山頂が初めてその姿を現した。
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山頂までけっこう遠くで急に見えるがコースタイムが30分という事で、疲れてはいたが休まず登ってしまう事にする。周辺はシラビソの林となり、亜高山帯の植生となった事が分かるが、先ほどの大台ケ原のHPでは、氷河期には大台ケ原も八経ヶ岳もツンドラのような気候だったが、その後、温暖な気候になり、大台ケ原では、モミ類やトウヒなどは残ったがシラビソは消え、少し標高が高い八経ヶ岳ではかろうじてシラビソが残ったという事が書いてあり、ここのシラビソ林が本当にわずかに残った氷河期の遺物である事が分かる。ここのシラビソ林でのメボソムシクイの鳴き声が何となく数も少なく、わびしく聞こえていた。今後、温暖化でここの亜高山帯の植生はもっと厳しくなることだろう。少し急に下って鞍部に来ると、実は割となだらかな登りだという事が分かる。
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山頂部の最後の登りにかかった頃、害獣よけの柵が現れ、里山の入り口で良く見られるような入り口の戸を開けて山頂部へ入っていくようになった。説明板によると鹿からのオオヤマレンゲの保護柵との事。オオヤマレンゲってどれかなあ、などと話しながら登ったが、その付近に生えている灌木がいかにも鹿が食べそうな葉を出しつつあったので、これかなあ、などと話しながら登る。もちろん花は咲いていない。

 間もなく、山頂だった。何人かが下りてきたので、ちょうど我々がついた時は、だれもいない静かな山頂であった。
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ここからさらに続く奥駈道の尾根が延々と続いている。
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昨日、いた大台ケ原山の高原状の山頂が見える。
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弥山の向こうには、たどってきた奥駈道の向こうに行者還岳などの険しい山々の様子も分かる。遠くに山上ケ岳なども見えるようだ。大峰奥駈のテレビ番組を見た事が何度かあるような気がするがここから見て初めてどうなっているか分かった感じだ。『百聞は一見にしかず』なのだろう。
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弥山に戻り、小屋前のベンチで昨日コンビニで買ったアンパンや宿で作ってくれた朝飯のおにぎりの残りなどでお昼にした。快晴の天気なので心配も無く、のんびり話しながら下り、登山口には2時48分頃戻った。

 駐車場から洞川(どろかわ)の今日の宿へと車で下る。この道も舗装されているのだが、沢沿いの狭い危険な道で、対向車がほとんど無かったから良かったがけっこう疲れる道であった。家が現れ広い道に出てホッとする。洞川温泉は山上ケ岳(大峰山)への入り口なのだが、想像していた以上に活気があるような気がした。寺を見学していたら海外からの観光客に道を聞かれたから、けっこう今的に注目されているのかも?
 我々は、町外れにある「ゲストハウス一休」に泊まってみたが、とても清潔で心がこもっている宿で快適であった。龍泉寺を見て、風呂は洞川温泉センターで入り、外で美味しく食事をすませた。修験者の泊まるための温泉街の宿の作りなど独特の景観を見る事が出来た。山上ケ岳歴史博物館は月曜は休みだった。宿に戻って宿の方と少し話す中で、オオヤマレンゲの話が出たら、「家の庭に植えてあって昨年は花をつけました。今年はまだ蕾です。」と教えてくれた。見るとやはり八経ヶ岳山頂部でまだ葉が展開していないものと同じ灌木だった。そのゲストハウスに置いてあった大峰山の本を読むと、鹿の害で、以前は一面に咲き誇っていたオオヤマレンゲが、短い間に全滅的に少なくなってしまい、そのため防護柵などを設置して保護しているのだという。鹿害のない頃、一面に咲き誇るオオヤマレンゲはさぞすばらしかっただろうな、と想像される。図鑑で見るとモクレンの仲間なのだと分かる。
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 22日(火)、登山だけなら一泊二日で帰って来る事も出来たのだが、せっかくここまで来たので、紀伊半島の先端に出来た南方熊楠記念館へ行ってみる事にした。 
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/
 朝早く宿を出て、五條市、和歌山市へと高速で白浜まで行った。記念館は以前は植物園であったという半島の岬のような場所にあり、植物園の木々と元からあった植生がまじりあって、暖かい黒潮に洗われた独特の雰囲気の場所だった。記念館では、私は「縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫)」を読んでいるので、その本に出て来る色々な実物が展示してあり印象深かった。熊楠が昭和天皇を案内した神島も記念館の屋上から良く見えた。
記念館のある付近の様子。(写真の島は神島ではない)
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来た道をそのまま戻るのは面白くないので、紀伊半島を三重県の方を回って帰る事にした。途中NHKスペシャル「ジオジャパン」で出てきた「古座の一枚岩」というのも見てみようと熊楠記念館で場所を教えてもらい、通りがかりにそこも回って見た。一枚岩の対岸にはちょっとした道の駅も出来ていた。
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高速と一般道を乗り継ぎ、新宮、尾鷲、と進み、「道の駅紀宝町ウミガメ公園」で昼を食べ、名古屋から中央道へと入り駒ヶ根SAで弟と登山のシメにいつも食べるソースかつ丼を夕飯に食べて家に着いたのは夜の8時半ころだったか。

 今回の山行は、登山と旅の両方を楽しめとても印象に残ったものだった。
標高からして伊吹山や紀伊半島の山を馬鹿にしていた所があったが、すばらしい紀伊半島の自然に触れ、そんな考えは全く吹き飛んでしまった。南方熊楠を生んだ紀伊半島の風土の一端にも触れる事ができたような気がした。
いくら金をつまれても取り返しのつかないこの自然と人々の歴史あってこその日本の国である事をあらためて感じた。