歴史秘話ヒストリア「ニッポンの信仰心」で分かってきたこと

 先日、弟と山に登っていた時に、「最近ちょっと中学の教科書で歴史の流れを復習したが、明治維新の後に日本が朝鮮半島を植民地化したり大陸へ進出していった理由がどうもスッキリ分からない。朝鮮半島を植民地にし、朝鮮の人に日本語を押し付けたり苗字も日本風にさせたりなど、逆の立場で考えたらとうてい考えられないような事をした訳でしょう。どうして当時の日本人がそんな事をしようと思ったのか、本当の理由を知りたい。」と弟が話していたが、本当に私もそこの所が分からない部分だと話していた。

 大河ドラマなどで明治維新があたかも「古き悪しき封建時代を倒した正義の革命」であるかのように繰り返し我々の心を洗脳してきた結果、そのような現在になっている訳だが・・。

 唯物史観ではないが「持丸長者」的に言えば、明治期の新興の貧しい日本の資本主義が、欧米の帝国主義の圧力に対抗して植民地を求めて台湾や朝鮮半島、大陸へ向かったのだろう、朝鮮や大陸で一旗揚げ金もうけする、という欲が原動力なのだろうとは思うが、それだけで説明がつくのだろうか?

 そんな謎を解く一つのヒントになるのではないかと思ったのが、昨日のNHK歴史秘話ヒストリア『神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心』というテレビ番組だった。

 その内容は、
『初詣などで神社や寺に行く人は多いのに「宗教を信仰していない」と答える人が約半数…ニッポンの信仰心の謎を千年の時をさかのぼり解き明かす。古くからの神と、あとから伝来した仏。本来異なる存在をゴチャマゼに信仰する「神仏習合」。それは奈良時代、神の告白「神はつらいよ」から始まった!?しかし150年前、神仏習合は禁止され、その証しは破壊された…。春日大社など有名社寺の協力で、封印された歴史をついに公開!」』
(再放送6月2日 午前10時05分~ 午前10時50分)

 という物、飛鳥時代、日本に仏教がもたらされたが、仏教=進んだ文明でもあった訳で、従来からあった日本の宗教(神道的な)と対立というよりそれを取り入れる形に落ち着いて行った話をしていた。平安の末期には『本地垂迹説』という考え方が出てきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9
そういった神道と仏教のゴチャマゼの状態が江戸時代であった。
 
 番組では1000年の歴史のあるその神仏混合が、150年前の明治維新の時に古の日本の神が正しいという神社側の考え方により否定された、とやっていたが、その辺の所をウイキペディアで詳しく調べてみた。

 江戸末期に発生した「国学」では、
 『~古道説は賀茂真淵・本居宣長により、儒学に対抗する思想の体系として確立されていき、主に町人や地主層の支持を集めた[1]。この古道説の流れは、江戸時代後期の平田篤胤に至って、復古神道が提唱されるなど宗教色を強めていき、やがて、復古思想の大成から尊王思想に発展していくこととなった[2]。』(ウイキペディア「国学」より引用)

 以下、重要なのでウイキペディア「国学」よりさらに引用すると・・。

『復古思想の流れ

真淵の門人である本居宣長は『古事記』を研究し、上代の日本人は神と繋がっていたと主張して「もののあはれ」の文学論を唱える一方で『古事記伝』を完成させた。この時点で国学は既に大成の域にあった。

その後宣長門人の平田篤胤に至って宣長の持つ「古道論」を神道の新たな教説である「復古神道」に発展させた。彼の思想は江戸時代後期の尊皇攘夷思想にも影響し、日本固有の文化を探求し、国粋主義や皇国史観にも影響を与えた。平田篤胤の弟子である経世家の佐藤信淵の著作『垂統秘録』や『混同秘策』等にはその傾向がよく現れている。

征韓論への影響

本居宣長は寛政2年に『馭戒慨言(ぎょじゅうがいげん)』を刊行したが、中野等によればこの書名は「中国・朝鮮を西方の野蛮(戎)とみなし、これを万国に照臨する天照大御神の生国である我が国が「馭めならす」、すなわち統御すべきものとの立場による」という[3]。内容も「日本中心主義と尊内外卑に立って」外交交渉の歴史を解説している[3]。佐藤信淵は『宇内混同秘策』において「凡ソ他邦ヲ經略スルノ法ハ弱クシテ取リ易キ処ヨリ始ルヲ道トス今ニ當テ世界萬國ノ中ニ於テ皇國ヨリシテ攻取リ易キ土地ハ支那國ノ滿州ヨリ取リ易キハナシ」と述べ[4]、出雲松江や長州萩、博多から朝鮮半島を攻撃するという具体案を提示している[3]。さらに「武力によって満州、支那、台湾、フィリピンを攻め、南京に皇居を移し、全世界を全て皇国の郡県となす」と世界制覇を夢想している[5]。吉田松陰は「朝鮮を責めて、質を納れ、貢を奉ずること古の盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋諸島を収め、進取の勢を示すべき」「国力を養ひて取り易き朝鮮、支那、満州を斬り従えん」と獄中から弟子たちに書き送り[6]、弟子の桂小五郎は征韓論を唱え、秦郁彦はやがて明治初年にはこれが具体化し征韓論が台頭したと主張している。[7]。』
 
 以前、吉田松陰の思想について書いた事がある。
http://js30.at.webry.info/201802/article_4.html
そういった吉田松陰の思想の元は、本居宣長からきているのだとここで分かった。

 幕府を倒そうとした人たちの主流は「尊王攘夷派」であった訳だから当然、こういった思想は根底にいだいていたのだろう。
 現在、我々は、明治維新を起こした人たちは「西欧文明に目を開いていた進んだ開明派」というイメージでとらえているが、その辺は、どうなのだろうか?明治時代と言っても、できれば「尊王攘夷」的な人、「和魂洋才」といった考えの人、西欧の思想もかなり深く理解していた人、(夏目漱石の「私の個人主義」だったか?の講演記録を読むと、本当に現代の我々に向かって語っているかのようだ)など様々で、実際は、ほとんどテレビドラマに出て来る人々のようでは無かったのではないか。
 
 さて、歴史秘話ヒストリアに戻ると、維新時の『神仏分離令』によって起こった廃仏毀釈
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88
により、多くの寺と神社が一体となったような当時の状況が破壊されたようすを伝えていた。ウイキペディアには当時の寺院が幕府の政策と一体となって既得権益を得ていた反発もあったと書いてあるので、そういった面も大きかったのだろう。

 こうやって、「尊王攘夷」思想などと結びついた『国粋主義』『皇国史観』などによって
「国家神道」が形成されていったと番組では伝えていた。なるほどなあ~、と納得の話だった。
 「日本は天皇中心の神の国」と森元首相が言った事が伝わっているが、今でもそんな思想の政治家は最近多く存在しているようだ。

 今年の新年の朝のNHK番組で「伊勢神宮」を放送していたが、その中で、江戸時代は伊勢神宮の中に、店や神官の住まいなどあってお伊勢参りの人たちが活動するいわゆる「俗的な観光的な雰囲気」があったが、明治時代になるとそれらは取り払われ西欧的な一神教的な清浄な政治的空間へと整備されたという話をやっていた事を思い出した。
 安倍首相は世界の首脳に伊勢神宮をサミットで自慢していたが、あれは明治維新後に整備された姿で古来からの姿では無い。

 番組では最後に、世界の国々では、一神教的な純粋性を求める心性から結局それが戦争を起こしたりどうしようもなくなってくるが、日本のこのゆるやかに包摂できる物の方が何か今後の世界に役立つのではないか、最近、日本では江戸時代の以前のような寺と寺院が一緒に行事を行う、などといった動きも復活しつつある事をやっていた。
 最近、靖国神社への参拝者が増えたといったニュースが伝えられていたが、それに対してこれは逆の動きであるようだ。

 とは言え、江戸時代にはキリスト教を徹底的に弾圧したのだから、日本人が広い心を持っている、などという番組のような楽観的な事はとうてい言えないだろう。時の権力者のごまかしや圧力に屈しやすいご都合主義、長い物には巻かれろ的な心性からくるのかもしれない。

 色々と本当のところは分からないのだが、とにかく昨日の番組を見てウイキペディアなどをさらに見ると、冒頭にも書いた、「なぜ日本は韓国を植民地にし、大陸へと進出していったのか?」という当時の日本人の考え方、感じ方の根底が少し分かってきた気がした。