「ハルマヘラメモリー」池部良著 を読む

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 原爆や終戦記念日が近づいてきた。

 戦争の実際を知っている人たちの高齢化も進み、あと二、三十年ほどすれば、実際の戦争を体験した日本人はほとんどいなくなってしまう。
 そんな中で、本当の戦争の姿というものは、忘れ去られていくものだろうか?
 多分、次第に忘れ去られていくのだと思う。

 しかし、戦争を体験した人たちから直接聞かなくても、戦後、大勢の人たちによって、書かれたもの、描かれたもの、多くの文学作品、「中国の旅」のようなルポルタージュ、テレビドキュメンタリー、映画や記録映画、など、意識して想像力を働かせてみれば、その中から真実の姿を想像することは十分出来る事だと思う。
 私は、戦争が終わってから5年後に生まれているので、実際の戦争を知っているわけではない。
 私が小さかった頃、今になって考えると、まだまだ世の中に敗戦の影と言ったものは多くあった。
 戦争から帰ってきて結婚した父の子(第一次ベビーブーム)だが、父そのものに戦争の痕がついていた。それは尻にくぼみのようなけっこう大きい傷跡がついていた事だ。
 爆弾や、銃弾のあとではなく、南方の野戦病院でマラリヤで寝ていた時が原因の床ずれで出来た病痕だった。
 そういえば、満州で終戦をむかえシベリヤに抑留された一人の伯父の胸には銃弾の痕があったが、それは、敗戦後、逃避行の末ソ連軍に投降した後に、頑固に立てこもる日本軍のグループに投降を勧めに行って、帰る途中、逆に日本人に後ろから撃たれた銃弾貫通の跡だった。

 そのように、親や親戚など身近な人たちに戦争の傷跡が残っている我々の世代は、等身大の戦争の実態というものも、何となくすぐに感じる事が出来る気がする。

 さて、一昨年の夏だったか、テレビのNHKBS特集で「日本の一番長い夏」という番組を見た。
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2010/06/005.pdf
 その番組で、俳優の池部良(故人)が、「ハルマヘラ島」で終戦をむかえ、その時の様子をその座談会で語っている事を知った。また「ハルマヘラメモリー」という本を書いている事も知った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E9%83%A8%E8%89%AF
ハルマヘラ島というのはセラウエシュ島(セレベス島)の東にある島である。
 そこは私の父が兵隊で終戦をむかえた島と聞いていたので、いつかこの本を読んでみようと思っていた。

 父は私が高校3年の時に亡くなったので、いわゆる「大人同士の話」としての、父の戦争体験を聞くことはできなかった。
 しかし、私が小中学生頃、半分面白おかしく爆撃の怖さや、食べ物の話、マラリヤなどの病気の話など、子ども向けに話してくれたハルマヘラ島での体験は、多少聞いていたし、以前にブログに書いたと思うが、私が高校の時、大岡昇平の「俘虜記」や「野火」を読んでいたら、何かの拍子にその本を父が見つけて、普段小説など全く読むタイプでない父が、真剣に読んでいた事も思い出し、真実の姿はそんな所だろうな、と想像している。

 ハルマヘラ島は、米軍がフィリピンへ島伝いに侵攻するコースのほんの「すれすれ」で外れていて、ハルマヘラ島の隣にあるモロタイ島は侵攻コースになっていて日本軍は全滅している。
 モロタイ島から定期便のように飛行機が毎日爆撃に来た、という話も父から聞いた気がする。

 父は、職業軍人ではなく、地元の商業学校を卒業後、東京に出て家業の見習いのため小僧として働いていて、20歳の時に入隊し、その後の事は良く知らないが、アルバムなどや話の断片で想像すると、満州で初年兵の訓練を受けた後、通信兵の訓練を受けて、下士官として南方へ行き、インドネシアを移動して、最後にハルマヘラ島で終戦となったようだ。
 残っている写真の一つに、父も含めて4人で写っているセピア色の写真があり、その写真の裏にアンボイナ島ラハ飛行場通信所側とあるが、4人の名前と出身県が書かれ、その内の一人の方の名前の上にハルマヘラ島昭和20年10月死亡と小さく書かれている。きっとそこで病死されたのだろう。
 兵隊にまつわる父の思い出話の一つに、長野県の郷里で入隊検査があった日、体格検査で合格となって入隊する事になり、同じく入隊と決まった友人と「軍隊入隊か、いやだな」などと話していたら、刑事に呼ばれて、陰に連れて行かれて、説教されピンタをもらった、という話を聞いたことがある。
 母などはもう少し若い世代で、戦時中は軍国少女で、戦勝祈願に熱心に神社などに通っていたと言う。
 父は、反戦的な思想など持っているようなインテリでは全くないが、その頃のあまり生まじめでない普通の青年の平均的な感情だったのだと思う。
 池部良の「ハルマヘラメモリー」は、そういった当時の等身大の人間達が、描かれていて、何となく父が体験したハルマヘラ島の様子が目に浮かぶようなものであった。
ただ、食料難の事や病気などの場面は詳しくは描かれていない。

 池部良は、立教大学卒業後、俳優を少しやっていた時、召集され、北支にあった予備士官学校に入れられ、卒業後、S19年山東省にあった衛生隊・輜重隊の士官として勤務につき、しばらくして、フィリピン戦線に送られるのだが、途中でその輸送船が潜水艦によって沈められ、助けられて、その隊は、ハルマヘラ島へと送られ、さらに、隊は離島へと送られ全滅するが、池部は小部隊の責任者としてハルマヘラ島に残され、そこで砲撃や爆撃にあったりして、マラリヤにかかったり、トカゲを食べたりして、何とか終戦までいきのびるという体験をしている。
 中国の輜重隊、輸送船の沈没、ハルマヘラ島、それぞれの体験が三分の一くらいづつ書いてある。
 
 この本は、1997年に書かれている。池辺良79歳の時の文章だ。
 2001年の文庫版あとがきを見ると、『この「ハルマヘラメモリー」は、勿論、僕の経験に基づいていますが、フィクションだと理解して戴き、面白、おかしく読んでくださる合間に、僕を含めた日本人の~』

 と書いてあるから、全くのノンフィクションではないとは思う。
 池部良が俳優として、色々な戦後の戦争映画も含めた映画で演じてきた体験も入っているような感じも読んでいてしてくる。

 しかし、おなじ文庫版あとがきにある文章で、
『~あの戦争(五十数年前の大東亜戦争)は、どうして敗けてしまったのかを、今日を最後に大声を出して、僕自身の体験から摘み上げた実感を箇条書きにして挙げておきたい。
 まずは、あの当時(或いは、ずっと以前からの)戦争指導者、殊に陸海軍、職業軍人の無知蒙昧な戦略、戦術の貧困と幼稚さ加減、国家や彼等が敬愛する天皇への忠誠心の希薄。栄誉という字をすり替えした権力志向。等々。
 第一線で闘う兵士達に、{うまいもの}とはいわないが、良、質とともに兵士が満足するようなものを、何故たべさせなかったのか。
 闘うなんて馬鹿なことは、栄養と量を、たっぷりと身につけなければ出来ないはずだ。~
 ~歩兵の原則的な武器でさえ明治38年に制定された「38式歩兵銃」だ。単発式だから一発一発撃っている内に日が暮れる。暮れるのもいいが、滅多に命中しないし、重くて長いのには困った。古鉄の棒を担いでいたに過ぎない。~』
 など、書かねばならない、と自分の実体験を基に本気で書いているのは確かだ。
 今回読んでみて、その「職業軍人の無知蒙昧」という所が特に、その実際の姿が、随所に描かれていて、「軍隊の実態」とともに、実際そうなのだろうなあ、と想像させられた。

 今の若い世代の人たちは、帝国軍人といったら、一まとめにして、「坂の上の雲」のテレビドラマや「戦艦大和の最後」の映画、戦争物のマンガ、などに出てくるような勇ましくかっこいい軍人、を思い浮かべるようになってきているのではないだろうか?
 もちろんりっぱな軍人はいたのだが、現実は「ハルマヘラメモリー」に出てくるような感じの職業軍人と私の父のような普通の人の兵隊が、大部分だったのだと思う。
 読んだ事はないが、水木しげるの戦争もののマンガがあるが、そんなものもちゃんと戦争と軍人の実体が描かれているのではないかと思う。

 この文庫版の表紙の絵も、池部良が描いたものだそうだ。