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zoom RSS 英雄たちの選択で原敬を知る

<<   作成日時 : 2017/02/03 08:30   >>

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 良く見ているNHK・BS 英雄たちの選択の番組で、原敬をやっていた。
 一回目は途中からしか見れなかったので、昨日の再放送で全部を見た。
 原敬については、平民宰相とか暗殺された人くらいで、どんな人であったかよく知らなかった。

 今回、この番組を見て、とても偉い先見の明のあった人物だったのだなあ、という事があらためて分かった。

 原は、盛岡藩の家老の家に生まれるのだが、12歳の時に戊辰戦争を体験する。
 盛岡藩は政府軍と戦い敗戦し、彼は金銭的にも豊かでは無い生活のなかで成長したようだ。
 非常に優秀で、東京に出て苦学し、青年時代には中江兆民の下でその思想を学んだり、さらに国の役人となり陸奥宗光の下で重用されパリなどで働いたりして、そういった一流の人たちから大きな影響を受けたのだという。
 その後、政界入りする。

 政界に入った原敬は明治の末にかなり時間をとって世界を巡る。特にアメリカを見て、この国が将来世界の中心で力を振るうようになると考えるようになる。

 原敬が総理になったのは大正時代で、初めての本格的政党内閣であった。
 原敬は、第一次大戦後の国際協調の世界の路線を正しい方向と考えていた。
 当時、ロシア革命がおこり、列強とともに日本もシベリア出兵を行ったのだが、軍のシベリアへの拡張方針を抑えて、撤退させようと山県有朋と話し合い、山県の力を借りシベリアからの撤兵が実現したようだ。その時、原敬は明治憲法にある軍の「統帥権」が一番問題である事を山県と話し、山県もそれに同感したという事だった。

 山県有朋は日本の陸軍を作った人だから、当時の日本の軍が「統帥権」を手掛かりにして権力を独立肥大させ、日本の国を破滅へ向かわせていく予感について原敬と考え方を共有していたのだ、という事をあらためて知ることができた。
 
 しかし結局、原敬が暗殺されてから10年後に満州事変が勃発し、日中戦争、太平洋戦争、敗戦へとつながっていく訳だ。
 戦後の日本の行き方は、この原敬の考えていた方向であったという事で、もし原が暗殺されていなかったら歴史はもっと違った方向へ行っていたかもしれない。
 暗殺された当時、世界の新聞が原敬の死を惜しんだのだという。

 若き昭和天皇を外遊させ、第一次大戦の戦跡を見学させたりしたのも原敬であったという。 総理時代、海外への覇権では無く、国内へ目を向け、全国の鉄道網の拡充など国内産業の充実を図り、中国とは貿易を中心に自由貿易にして他国とも競い合う形でお互いの国を発展させようとしていた。
 軍部のように外国を占領して自分のものにして資源を奪うような考え方とは全く違っている。

 番組のコメンテーター達の感想が、その通りだなあ、と思ったのだが、「原敬の考え方が、戦後の日本の行き方になっていて、やはり先駆的な人であったのだ」「原敬のような人が複数いれば良かったのだが」「明治憲法の下では、軍が勝手な事をするのをやめさせる原敬の努力はいずれにせよ無理だったのではないか」「原敬の考えていたように、今も東アジアの国々が相互に貿易など盛んにして豊かになろうという考えにどうしてならないのか」「原敬の生き方から学ぶことが我々普通の人たちにも今、必要なのではないか」
 など。

 現在、ちょうど何か原敬が暗殺された頃のような雰囲気が漂っている。今こそ原敬のような総理が求められているのではないか。
 我々は雑な気分で熱狂して国の方向を見誤らないようにし、しっかり考えて、本当にりっぱな政治家を選んでいかなければならない。そんな気がした番組であった。
 

 

 

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